【パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊】バルボッサが主役(感想:ネタバレだらけ)
見てきた。
5作目になる本作。1から見続けてきたからある意味惰性で今回も足を運んだわけだけど、期待以上の出来の良さでびっくりした。3作目の「ワールド・エンド」の正統な続編で、「これで完結でいいんじゃないか?」と思えるほどきれいにまとまっていた。
3作目の「ワールド・エンド」で綺麗に物語が完結したと思って、「もうここまでしか見ないでいいや」と思っている人にこそ見てほしい。ファンこそ楽しめる映画だったと思う。
いきなりネタバレ込みで感想を書いていくので、注意してほしい。
僕が「好きだ」と思ったポイントは
②バルボッサ船長がかっこいい
③原題の良さ
ってところかな。それについて書いていくぞ。
ちなみに、主人公であるジャック・スパロウは今回かなり引き立て役に回っていたような気がする。公式では「誕生の秘密が明かされる」とあるが、あまりそこは物語の中核を担っているわけではなかった。準主役たちが主役を食っている映画だったね。
ウィル・ターナーとヘンリー・ターナー
初期3部作で主役級の活躍を果たしたオーランド・ブルーム演じるウィル・ターナー。「ワールド・エンド」ではエリザベスと結ばれたが、フライング・ダッチマン号の船長となり10年に1度しか陸に上がることが出来ない呪いをかけられてしまった。
「ワールド・エンド」のエンドロール後の映像でウィルがエリザベスに会いに現れるシーンが描かれていたのが印象的だったね。
4作目の「生命の泉」では一切彼のその後について語られなかったけれど、本作は彼がキーパーソンとして描かれている。というか、ウィルの息子、ヘンリー・ターナーが物語の中心人物として登場するわけだ。
ヘンリーは父親の呪いを解くことが出来ると言われている「ポセイドンの槍」を探し求めて、ジャックと手を組むことになるのだけれど、物語における彼のポジションが1~3作目のウィル・ターナーを見ているようでとても楽しかった。
◇ヘンリーは対等に渡り合おうとするのだけれど、やっぱりジャックが常に上手。
◇本作のヒロイン、カリーナにはうだつが上がらない。
流石親子といったところだろうか。作品としてはシリーズのオマージュに成功していると言える。「あぁ、これがパイレーツシリーズだよな」と思えるようなキャラクターのやり取りが随所に見られたのはファンとしては嬉しいところだろう。
また、物語の結末も「ワールド・エンド」で果たせなかった真のハッピーエンドとなっていて、幸せな気分で映画館を去ることが出来るぞ。ちゃんとウィルの呪いは解けて、彼はエリザベスと一緒に暮らし始める。息子のヘンリーも、カリーナといい感じだ。親子そろってラブラブでいいですねえ、って感じ。
ちなみに、エンドロール後にダッチマンの船員と思われる怪物が寝室に侵入する映像が流れたけれど、あれはどういうことだろうね。そういえば本作ではウィルの父親ビルについては一切言及されていなかったけれど・・・。あの影は彼だったのだろうか?
正直次回作への伏線を張るのはいいのだけれど、ダッチマンの呪いについてひっぱる?とは思った。そこは「幸せに二人は暮らしました」、でよかっただろ。でもまあ本編は完璧なエンディングを迎えていたので、そこについては目をつぶろう。
バルボッサの雄姿
1作目から敵役でありジャックのライバルでありある意味仲間であったキャプテンバルボッサ。本作は彼が主役を食うほど活躍してみせる。
本作のヒロイン、カリーナは実はバルボッサの娘であり、ラストシーンでは彼女を庇うために敵と一緒に海の底に沈むのだ。従来の4作では、良くも悪くも最も「海賊らしい海賊」で一貫したキャラクターを築いてきたが、良い意味で「最後の海賊」でそのイメージを崩してきた。
海賊である以前に、娘を思う一人の父親であったバルボッサの人間らしい一面を本作で見ることが出来る。
財宝を追い求めて海賊として生きてきた彼が、死に際に娘を「宝」だと言って海に落ちていく。ちょっとうるっときてしまった。カリーナが日記にはめ込んであったルビーの欠片を、島に設置するときに「きっと父親も喜んでいる」といったあの温かい表情も。
ちなみに、「最後の海賊」ではバルボッサは自らを「キャプテンバルボッサ」と称さないし、他の登場人物も彼をバルボッサと呼ばずに「ヘクター」と呼んでいる(僕の記憶が正しければ)。
バルボッサという名称に慣れていた僕は最初「ん?」と違和感を抱いていたのだけれど、バルボッサが海の底に沈んだ後に娘のカリーナが自らを「バルボッサ」と称した瞬間、「あぁこれがやりたかったんだな」と納得した。憎い演出だよね。
原題が最高
邦題は「最後の海賊」となったが、皆さんこの映画の原題をご存じだろうか。
原題は「Dead Men Tell No Tales」、「死人に口なし」という意味なんだそうだ。
僕はこの原題が素晴らしいと思っていて、作中でも本作の敵役であるサラザールが冒頭にそのセリフを言っている。
「死人は何も釈明できない。」サラザールが生き証人を残す理由でもあるが、この映画の結末を見るとまさしく「A PIRATE'S LIFE」のありかたそのものを表している言葉だと思った。
バルボッサは死んで、当然彼は父親と娘としてのやりとりを楽しむことは出来くなった。一方生きたヘンリーとウィルの親子は再会を果たすこととなる。海賊であることの辛さが現れている言葉こそが「Dead Men Tell No Tales」。解釈を広げ過ぎかな?「死人に口なし」はそんな意味では使われてないからね、日本では。
まぁそれでも、残ったバルボッサの日記が、娘の元に戻ってきて、彼女が父親との絆を感じるのは良いオチだった。言葉なくともつながるものはあったと。
邦題になると大体「最後の~」とか「はじまりの~」とか「~の奇跡」みたいな汎用的な言葉を使いがちだけれど、もっと原題へのリスペクトをした方が良いよね。タイトル含めて、作品だしさ。
今回はこんな感じで。いい映画だったのでぜひ見に行ってみてね。
【夜明け告げるルーのうた】FLASHアニメでダンスシーンすげーぬるぬる動く(感想:ネタバレなし)
見てきた。
一度終演してしまって「見逃した!」とショックを受けていたのだけれど、何ともなしにTOHOシネマズの上映作品一覧を見ていたら復活していた。
公式サイトを見ると分かるけれど、
アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門のグランプリにあたるクリスタル賞を受賞しました!
らしく、
凱旋上映劇場決定!
というわけで、TOHOシネマズ新宿をはじめとした複数の劇場で6月24日から凱旋上映をしているようだ。見逃したみんなも、今がチャンス!
で、今回はネタバレなしの感想を書こうと思う。
滅茶苦茶面白かったし、オチが素晴らしかったのでネタバレしないで見たほうが楽しめると思うから。
「何が良かったか」、「(友人から仕入れた)ちょっとした小ネタ」を中心に書いていこうと思う。
スタッフとかストーリーとか
詳細は、公式サイトの「INTRODUCTION」を読んでいただきたいのだが、
監督:湯浅政明さん
ここが重要である。つい最近「夜は短し歩けよ乙女」が公開していたが、それも彼の監督作品。「夜明け告げるルーのうた」は彼の完全オリジナル作品。
独特のカメラワーク、遠近図法、キャラクターがすごく動く。彼の作品は共通してそんな魅力があるのだけれど、「夜明け告げるルーのうた」も余すことなく彼の長所が炸裂していた。
↑「夜は短し歩けよ乙女」について感想も書いたんだけど、彼の作風については触れていなかったね・・・。可愛いとしか言ってないじゃん。
ストーリーは簡単に言うと
①暗い性格の主人公カイが、友人からバンドに誘われる
②ミュージックとダンスが好きな人魚ルーと出会って明るさを取り戻すカイ
③人魚であるルーの存在が町のみんなに知れて大騒ぎ
といった内容だ。
では、さっそくネタバレしない程度にこの映画の魅力を語っていくぞ。
ぬるぬる動くダンスシーン
記事のタイトルにもしたのだけれど、湯浅監督の作品はキャラクターが良く動くから見ていて楽しい。そして、この映画で重要な意味を持っている音楽とダンスと、彼の柵がの相性が抜群。ストーリーも良かったんだけど、絶えず視覚的に聴覚的に楽しい映画だったのが印象的。
多少ネタバレになってしまうけれど、この動画を見ればルーが躍っているシーンが見れる。
『歌うたいのバラッド』が心にしみる、湯浅ワールド全開の本編映像公開!『夜明け告げるルーのうた』
しかし本領はここではない。ルーに釣られて町のみんなが躍る、というシーンがあるのだけれど、その時の動きが俊敏なのだ。並大抵のアニメーションじゃ再現できない域なほど。
で、その理由を探ってみたら、インタビュー記事にあった。
全編Flashアニメで制作しているので、動きがなめらかで線が綺麗とのこと。ダンスシーンだけじゃなくて、ルーが操る水の描写もその特性が活かされているみたい。
Flashアニメって何?みたいな注釈が上記のインタビュー記事にあったので、そちらは引用しちゃう。
Flashアニメ…アドビシステムズが開発しているソフト「Adobe Animate」を使用して作った「Adobe Flash」規格のアニメーションのこと。点の座標とそれを結ぶ線によって絵を描画しているため、動きの始点と終点の絵を決めれば、その間は非常になめらかに動かすことができる。絵を拡大・縮小・回転しても画質が変化しないのもメリットのひとつ。
とのことだ。
普通のアニメは絵を動かすために「パラパラ漫画」と同じ原理で動きの過程を描かなければいけないけれど、Flashアニメではそういうのが必要ない・・・ってことだと思う。
これは小話だけれど、エンドロールのスタッフさんの数が少なかったのはそういうことなのかもしれない。少ない労働力で、あれだけの動きを見せれるんだから技術ってすげーよな。
ちなみにこんな記事もあった。定時帰り、土日休みで作る。
僕がSHIROBAKOで知ったアニメ業界の厳しさを技術でひっくり返しているじゃないか。
↑血のにじむ創作の世界を描いた作品「SHIROBAKO」。そんな働き方も過去の遺物になる・・・かも?
閑話休題。
「夜明け告げるルーのうた」は視覚的に楽しい映画だよ、ということがまずは言いたい。
ストーリーの完成度とキャラクターの掘り下げの両立
「キャラクター掘り下げられていない作品はストーリーの完成度高いって言えないだろ」みたいな考え方もあると思うけれど、意外と「プロットはスゲーいいけれど、キャラクター持て余してるし感情移入できない」みたいな作品もあるし、当然ながら「キャラクターイケてるけれど、ストーリーは普通」みたいな作品もある。
「夜明け告げるルーのうた」は完璧に両立していた。
人間と人魚の友情を描く王道のストーリー。人との触れ合いを通じて主人公が変わっていく様が清々しい。
そして、人魚が危険をもたらすという伝説が残っている閉塞感のある町「日無町」が、物語の最後にどのように変わっているのか。その演出が憎いほどに愛おしい。とてもいいラストシーンだから、楽しみにしていてほしい。
そして、多くのキャラクターがいる中、ほぼ全員の個性が立っており、一切持てあますことなく物語を完結させたのもポイント高い。物語の軸はカイ・遊歩・国夫ら人間の子ども達とルーの関係性なのだけれど、
◇人魚を憎んでいるカイの祖父とタコ婆がいかにして彼らを許したか
◇カイの父親がいかにして息子と向き合うか
をさらっと時間をかけずに、かつ納得のいく形でしっかりと描けていたのが良かった。
昔話や登場人物の回想シーンは絵のテイストが変わるのだけれど、そのメリハリが冗長な印象を払拭していたんじゃないかな、と思う。
その他小ネタ
◇オープニングが好き
「夜は短し歩けよ乙女」もそうだったけど、オープニングへの入り方とその映像がとても好き。やっぱりタイトルが出るシーンの見栄えが良いとぐっと物語に入りやすくなるよね。
◇ルーのパパはハマり役
篠原信一さんが声を担当した「ルーのパパ」。見る前は「絶対声出す度に彼の顔が浮かんできて辛い」と心配していたけれど、ルーのパパは喋らないので安心してほしい。言葉にならない声を上げていたのだけれど、結構それが良い感じだった。声にミスキャストは一切なかった。
名曲。多くの人にとって馴染み深い既存の曲を主題歌に据えたのは良い判断だと思う。感情移入できる。
以上、「夜明け告げるルーのうた」感想でした。
面白かったので、ぜひ見に行こう。
友達に誘われたFilmarks、でもKINENOTEとの関係を断ち切れない
SNSというSNSを一切やっていない私に、心優しき友人が「Filmarks」というサービスをオススメしてくれた。繋がりというものは良いものだ。
映画が好きということもあり、「Filmarks」というサービスは知っていたし、薄々気になってはいた。しかし、2013年から私は「KINENOTE」を使っている。
KINENOTEもFilmarksと同じく、鑑賞した映画を登録し、感想などを書き留めておけるサービスである。4年近くも使っているだけあり、ずぶずぶな関係である。
どれぐらいずぶずぶかというと。
これだけ登録している。
流石に新しい映画記録サービスを使おうという気にはなれない。過去の振り返りは簡単な方が良い。スイッチすると情報が二手に分かれてしまうから、面倒だ。
しかし、せっかく誘っていただいたのに「いや私、もう他のサービス使ってるから、ずぶずぶに浸かっているから」と二つ返事で断るほど社会性が欠如しているわけではない。
とりあえず併用してみればいいじゃないか。面倒かもしれないけれど、とりあえずは2つのサービスで今後は見た映画を登録していこう。
というわけで、さっそくFilmarksのアプリをダウンロードし、サービスを開始する。「どうせアプリしかないんでしょ?」と思っていたが、ちゃんとブラウザでもサービスを使えるみたいだ。PC使いが多い私にとってはありがたい。
せっかくなので私に交友という名の手を差し伸べてくれた友人を友達登録し、今朝見た映画をちょっと登録してみた。
面倒だし、名バレが怖いのでキャプチャなどは貼らないが、FilmarksにはKINENOTEにない魅力が結構あるということにすぐに気付いてしまった。使いやすいんだわ、FIlmarks。
ポイントは3点。
◇Filmarksにはアプリがある
僕はandroidユーザーなので、スマホアプリがないKINENOTEでは映画館で見た映画をその直後に登録する、みたいなことがしにくい。登録し忘れも発生するし、登録は色んな手段で簡単に出来たほうが良いのは当然である。
※iOSユーザーの皆さんは、確かKINENOTEアプリがあったはずなので、ぜひそちらを利用してほしい。結構使い勝手がよさそうだった。早くandroid版を出してほしい。
◇KINENOTEよりもFilmarksのほうがSNS的
「タイムライン」がFilmarksにはあるのが特徴的だ。友達が何をお気に入りし、何を見たのかが一目でわかる。もちろん、タイムラインには自分が登録した情報も表示される。
私はコミュニケーションが上手くないので、人との関係を取り持つために「あ、この映画見たんだ、どうだった?」という入口で会話を始めることがかなり多い。そのため、「友人が何を見たか、どんな映画を見たいか」を把握できるのは私にはとてもありがたい。何なら「じゃあ今度この映画見に行こうよ」みたいなコミュニケーションも生まれるかもしれない。妄想がとまらないぜ。
※KINENOTEもユーザーをフォロー出来るが、そのフォローしたユーザーが何を登録して、どんな感想を書いたかを目視するのに手間がかかる。
◇映画関係のニュースが表示されるので、暇つぶしにもってこい
私はニュースアプリ等をダウンロードしていないので、映画を好きでいながら映画の情報に疎いという致命的な弱点を有している。もはや客観的にみたら映画が好きではなさそうな人なのだけれど、私が好きと言っているのだからしょうがない。
↑かつて森見登美彦先生の入場者特典を逃すという失態を犯した。
だが、もうそんな心配はいらない。Filmarksには「FILMAGA」と呼ばれる映画に関する読み物がまとまっているサービスがある。暇つぶしにはもってこいだし、最新映画の情報をちゃんと収集することが出来る。これはありがたい。
さて、利用を開始してものの数時間でFilmarksの魅力に心を奪われてしまったわけだが、それでも私はKINENOTEを使い続けたいと思う。
というのも、KINENOTEには①100点満点で評価をつけるので、他者の評価がより参考になる。②カレンダー機能で見れる映画がすぐわかる。などなど、Filmarksにはない魅力もたくさんある。ただただコツコツと記録をしていきたい人なら、KINENOTEのほうが肩の力を抜いて利用できるかもしれない。
私もどちらかというとSNS的な人間関係を面倒だと思いがちな人なので、ただ何も考えずに記録が出来るKINENOTEを使いやすいと思う。
玄人向けのKINENOTE、映画をコミュニケーションツールとして使いたい人のFilmarks。そんなイメージだ。私はその中間をふわふわしているので、しばらく二股しようといった魂胆である。
以下余談。
「KINENOTE」のTOPにある「KINENOTEでできること」の女の子のイラストが良い(仮称:キネ子さん)。もっと前面に推し出せばよいのに。
間の抜けた表情でありながらメリハリのついた身体つきというギャップ。それでありながらもいやらしくないさっぱりとした画風なので、鼻につかない。
他のサービスを使いだしたらキネ子さんに怒られるサービスを作ろう。
キネ子さん「ふーん、Filmarksのほうがいいんだ。4年も付き合ってたのに」
私「いや、あれは誘われただけだからさ。人間づきあいってものがあるんだよ」
キネ子さん「でも私も使ってくれないとイヤ」
みたいな。
以上、FilmarksとKINENOTEを比較検討した結果、どちらも使っている私の戯言でした。
【LOGAN/ローガン】X-menシリーズっぽくないという誉め言葉(感想:ネタバレあり)
見てきた。
マーベルスタジオの作品が好きなので、X-menシリーズも一応全て見てはいるが、凄く思い入れがある!というわけではない。
「シリーズ1作目から見てきたし、次も見るか」を続けて今に至る。時系列が前後したりパラレルワールドに突入するものだから、なかなか追っかけるのが難しいのだ。
今のところX-menシリーズで面白かった作品を挙げるとしたら、「ファースト・ジェネレーション」と「デッドプール」なのだけれど、ぜひともこのラインナップに「LOGAN/ローガン」も入れたいところ。
まぁ要は面白かったってことだ。感想を書いていくぞ
本作のローガンは"ヒーロー"ではない。(まだネタバレなし)
特徴的なのが、本作のローガンは世界を救うヒーローではないということだ。一人の孤独な男性として描かれている。
舞台は2029年、ミュータントの大半が死滅した世界。ローガンはキャリバンというミュータントと、チャールズの介護をしながらひっそりと暮らしている。そんなローガンのもとにローラという少女を保護してほしいという依頼が来るが、彼は「面倒ごとはごめんだ」と突っぱねる。
そう、一度断るのだ。そして、依頼主が大金を払うと言うと、ようやく承諾する。かつて何度もX-menとして世界を救ったヒーローとは思えない行為。冒頭からそんななので、ローガンがただのくたびれたおっさんになってしまったことを強烈に頭に擦り付けられる。しかも、全盛期の治癒力も衰え、戦闘にもキレがなくなっており、特別に強いというわけでもない。
結果的にその依頼主は殺害されてしまい、ローラとチャールズと一緒に「ノースダコタ」を目指すことになるというのが、本作のあらすじ。
もちろん残虐な敵がローガン達を追いかけており、途中何度か戦闘シーンが挟まるのだけれど、父親的なポジションであるチャールズと、娘的なポジションであるローラ、そして人生を終わらせたいと思い心を閉ざしているローガン。そんな3人のロードムービーであるとも言える。
気の良いおじいちゃんのチャールズが、無口で残虐性を秘めているローラと、人生の倦怠期を迎えているローガンの心を解かしていく。束の間の暖かいやり取りがありながらも、敵は容赦なく迫ってきて悲劇に見舞われる。アメコミ原作の映画として抑えるべき部分を描きながらも、ヒューマンドラマっぽく仕上げているバランスの良さがお気に入りだ。
公式サイトを見てもわかる通り、「アメコミ映画とは思えない~」みたいな宣伝文句が飛び交っているが、理由はそれにあると思う。あくまでも人間と人間の交流を描いた映画であり、ご都合主義が一切ないシリアスな内容となっている。
だから、X-menシリーズらしくないと僕は思ったし、なんならシリーズを見ていない人でも楽しめそうだな、とさえ思った。
さて、これからはネタバレ込みの感想になるぞ。
それでも、ローガンは最後ヒーローになる。(ネタバレあり)
前述したが、「ローガン=ヒーローではない」という視聴者への刷り込みシーンが多い。冒頭は道端の不良との戦闘に苦戦し、ローラの保護を一度拒否し、老眼が進んでいて近くのモノは眼鏡をかけないと見れない。それだけでなくローラが持っていた「X-men」のコミックを見て、「こんなものはフィクションだ」と本人がヒーローを否定する悪態をついている。
こういうシーンの積み重ねで、ローガンはもはやヒーローでなく、ただの中年になってしまった、という印象を強烈に残している。
中でも衝撃的だったのが、道中ローガン一行を家に招待したファミリーが、X-24(ローガンのクローン兵器)に襲われたシーン。結果的に家族は全滅、しかし一家のお父さんが最後の余力を振り絞ってX-24を車で轢き、銃で頭を撃ち飛ばすのだけれど、その直後のローガンへの対応が頭に残って離れない。
ローガンはX-24と闘い、自分をかくまってくれた家族を守ろうとした。しかし、死に際でお父さんはローガンを銃で撃ち抜こうとするのだ。既に弾切れだったため、不発に終わったが、この行為はなかなかに重い。
守ろうとしたものにさえ、銃口を向けられる。ヒーローじゃないどころか、一般人からしたらただの化け物でしかない。ローガンの立場を地の底に叩きつけているのだ。
だからこそ、ラストシーンが映える。最終的に、ローガンは自らの命を犠牲にしてローラを救い、ローラはミュータントの仲間と共にアメリカから亡命することに成功した。
で、物語のラストにある埋葬シーン。ローガンの墓に建てられた十字架を、ローラが横にして「X」の形にする。
最高の演出だった。ローラにとって、父親的な存在であるローガンは、ヒーローであったことを表しているのだ。このラストシーンのためにこの映画が存在したと言っても過言ではない。
ちなみに、ローラの仲間の一人が、ウルヴァインのお人形を持っていたのもなかなか良かった。
一見、アメコミ映画とは違うように感じられるが、一度ただの中年に落ちぶれたローガンが、他者(チャールズやローラ)との絆を取り戻し、ヒーローに舞い戻っているのだ。まさしく王道のヒーロー映画。これも前述したが、ちょっと捻っているだけであり、あくまでもヒーローを描いた映画から外れなかったのがこの映画の良いところである。
ローラがとてもいい味を出している。
本作のヒロイン?であり、ローガンの遺伝子を受け継いだ娘的ポジションのローラがとてもいい仕事をしている。演じているダフネ・キーンちゃんは、本作が映画デビューらしいが、とんでもなく良い映画をしていた。天才かよ。
まず、本作の大きなテーマとして、ローガンとローラの父娘的な関係があるのだけれど、ローラがローガンよりもずっと大人なのが面白かった。一方的にローガンがローラを守るのではなく、お互いに支え合っている関係。
序盤はローガンがローラを守る、常識を教えるというパワーバランスとなっていたが、
中盤以降その関係がガラッと変わる。
恩師であるチャールズが亡くなり、埋葬した直後にそっとローガンの手を握ったローラの大人の対応。それに対して、車に八つ当たりをし、挙句の果てにその場で倒れ込み医者に搬送されるローガン。その後、ノースダコタまで運転をしたのもローラ、その間ローガンはずっと寝ている。
ローガンがローラを救っている立場かと思ったら、チャールズが亡くなってからはローガンが逆にローラに救われている。与え与えられるような関係、その絆をバランスよく描いているのもよかった。
話は変わるが戦闘シーンもとてもよかった。可愛く小さい女の子がぴょんぴょん跳ねながら的確に敵の急所を爪で貫く様は壮観である。ローガンの大振りでパワフルな戦闘とは違い、ローラはちょこまかと素早く動きながら敵を刺していたので、アクションの見栄えが全く違う。二人が並んで戦っているシーンもあったが、対照的でなかなかおもしろかった。まぁここら辺は流石X-menシリーズと言ったところだろう。
完璧なエンドロール
本作が、ウルヴァリンシリーズ最終作らしく、ヒュージャックマンがローガンを演じるのも最後とのことだ。
で、気になったのがエンドロール中の映像。いつものX-menシリーズのようになんかしら次回作に繋がるような映像を挟んでくるんだろうな、とは思っていたけれど、結局何も流れなかった。
最終作らしいエンドロールだった。エンディングが完璧だっただけに、余計な映像が入っては興ざめだからな。よく何もせずにとどめてくれた。
というわけで、「LOGAN/ローガン」の感想でした。
【パノラマ島美談】今日子さんとの一瞬の邂逅(感想:ネタバレなし)
読んだ。
日常の謎を青春ものっぽいテイストで描く「学園×ミステリー」小説はたくさんあるけれど、美少年シリーズは登場人物の味付けが強すぎる非日常の謎(人は死なない)を扱っている青春のかけらもないが平和な推理?小説。
一作目と、それ以降の作風がだいぶ変わっているような気がするけれど、方向転換が上手くいったと僕は思っている。
↑1作目。トゥエンティーズのおかげで結構シリアスな内容だった気がする。
僕は西尾維新さんの人が死ぬ推理小説(物騒な言い方をしてしまった)が好みなので、ストライクゾーンは多少外れてしまうけれど、あれだけ味付けが濃いキャラクター達を総じて気に入っているという奇跡の下、美少年シリーズを楽しめているわけだ。
特に眉美ちゃんがいい。正真正銘のクズになりきれない天邪鬼、最高だぜ。
シリーズ1作目の感想を書かないのはもう恒例なのだけれど、一応わざわざ5作目の「パノラマ島美談」の記事を書こうとした理由を説明しておく。
HPから引用します。
俺達の旅には謎が必需品。
美少年探偵団冬期合宿――五つの館に隠された五つの芸術を発見せよ!
あの<白髪の名探偵>が登場!? スペシャルショートストーリー収録!
今日子さんだ!!!!
「忘却探偵」のヒロインこと掟上今日子が登場するということで、読む前から記事を書かねばという気分になっていた。クロスオーバー作品はいつだってテンションが上がるよな。
ま、その期待は残念ながら打ち砕かれてしまうわけですけれど、それは記事の後半で。ネタバレなしのざっくり感想スタート。
パノラマ島美談
3作目「屋根裏の美少年」で登場した永久井こわ子さんが暮らす無人島で、美少年探偵団が5つの「絵」を探すというストーリー。
シリーズ物は巻数を重ねるごとにキャラクターが深堀りされるので、面白さがどんどん増していくわけだけど、「パノラマ島美談」はキャラクターが全員個人行動をしていることもあり、眉美と美少年達の1対1のコミュニケーションがふんだんに描かれている。
「眉美×創作」「眉美×学」はこれまでのシリーズでやりとりしているシーンがあまり印象に残っていなかったので(特に前者)、新鮮だった。
前作「押絵と旅する美少年」に引き続き「美観のマユミ」の優しいさ、自由行動日以外もれなく寝坊するお茶目さ、・・・その他もろもろ眉美ちゃんの魅力が輝いていたのはいつも通りとして。「美観」らしさと、彼女の自由奔放さが巻を重ねるごとに色濃くなっているのは日々の活動の賜物でしょうか。
5枚の「絵」の内容については、本編を読んでのお楽しみということで。前半3枚は「あり得るな」といういい意味でも悪い意味でも納得感のある謎だったけれど、後半2枚については賛否が別れそうだったな。雲雀館のネタには唸ったけど、鳳凰館のはあまり納得がいかなかった。
「曲線どうか?」
太った眉美が、満のごはんを食べ過ぎないようにミラクルフルーツ(食べると酸味を感じなくなる)を仕込む話。
もちろん満は彼女に満足させようと味覚が制限された彼女に美味しいごはんを提供しようとするのだけれど、なかなか納得感あるのアプローチでそれを達成してきた。
2人、ラブラブだよね。「曲線どうか?」もそんな話だった。
「白髪美」
今回のメインコンテンツ、今日子さんと眉美の絡みが見れる短編。見開き8P。
「混物語 まゆみレッドアイ」ぐらいのガッツリとした絡み(身体的なものではなく、会話的なものだ)を期待していると、残念ながらその落差にがっかりすることになる。
美術館の絵画がトゥエンティーズに盗まれたという事件のネタを探る話。眉美の一言をきっかけに、その場に居合わせた今日子さんが解決篇を披露するといった流れだ。
今日子さんのイメージカラー「白」をトリックに使った謎だったのは乙だったけれど、もう少し・・・もう少しだけ絡んでもよかったんだよ!?
そんな気分になった作品でした。まあクロスオーバー作品の考え方は色々ある。「あまりやり取りが行われないで世界観が共有されている程度で良い」という考え方もある一方で、「会うはずのない登場人物同士がどのようなやり取りを繰り広げるかを見たい!」という考え方もある。僕は後者を望んでいたわけだが、今回は残念ながらそういった深いやりとりは生まれなかったわけだ。
次回以降のクロスオーバーに期待したい。
ちなみに
「混物語 まゆみレッドアイ」が好きで好きでしょうがないので、いずれ記事を書きたい。阿良々木君の変態性が存分に活かされているし、ちょっと人見知りっぽくなっている眉美も新鮮で面白い。
↑「あかりトリプル」の記事は書いたんだけどね。これも面白かった。
入場者特典がたまたま「まゆみレッドアイ」だったので、美少年シリーズを読みだしたわけだけれど、クロスオーバーものはそういう広がりがあるから良いよな。西尾維新さんはシリーズたくさん生み出しているわけだし、活かさない手はない。
混物語はあと4作入手方法が不明なままなので、少なくともあと4作はクロスオーバー作品を読めるわけだ。早く情報来ないかな。
【掟上今日子の家計簿】今日子先生の推理小説講座(感想:後半ネタバレあり)
読んだ。
西尾維新作品の中でも、僕は彼の書く推理小説が好きなものだから、「忘却探偵シリーズ」がヒットしているようで喜ばしい限りである。その証拠に、2014年に初刊行されてから、もはやシリーズで9作発売されている。2年と半年程度で、9冊。西尾維新の描くスピードを鑑みれば納得の刊行ペースなのだろうが、それにしたって出版社の後押しがなければ市場に出回ることもないだろう。
隠館厄介氏と同じく、私もまた「(西尾維新の)探偵を呼んでくれ!」と今日子さんを待ちわびていた。
だって、戯言シリーズは途中からバトル小説になっちゃうし(西尾維新さんが書いた作品で一番好きなのは「クビシメロマンチスト」だ)。
世界シリーズは、すっかり刊行しなくなっちゃったし。
美少年シリーズは、推理小説ではあるが、謎解きを主体にしたシリーズではないと僕は判断していし。(あれは微少年探偵団の活動を微笑ましく見守るキャラ萌え小説である。瞳島眉美が大好きだ)
忘却探偵シリーズで「西尾維新的推理小説」が次々と市場に供給されているのは、喜ばしい限りである。
さて、閑話休題。
忘却探偵シリーズの記事を初めて書くものだから、前置きが長くなってしまった。
今日は「忘却探偵シリーズ」第7作目の「掟上今日子の家計簿」について記事を書いていくぞ。
ちなみに、なぜ最新作の「掟上今日子の裏表紙」にしなかったのかというと。
( ↑つい数日前に発売されたばっかり!)
単純に、まだ読んでいないからである。本を買わない図書館ユーザーは、最新作を読むのがどうしても遅くなってしまう。ブログを書く者としては致命的な失陥だが、稼ぎが少ない平社員なのだ、仕方があるまい。
あとは、「家計簿」と「婚姻届」が忘却探偵シリーズの中でも印象に残っているから、という理由もある。いずれ「婚姻届」の感想も書くこととしよう。
↑書いた。
ではようやく。本編の話に移るぞ。
あらすじ
「家計簿」は独立する短編4作で構成されている。今回の一人称は4作とも全て刑事なので、隠館氏の出番はない。
4作のタイトルはこちら。
「掟上今日子の誰がために(クイボノ)」
「掟上今日子の心理実験」
「置手紙今日の筆跡鑑定」
アマゾンの「内容紹介」が指しているのは「筆跡鑑定」の内容であり、「家計簿」一押しが「筆跡鑑定」であることがうかがえる。
内容紹介
眠るたび記憶がリセットされる名探偵・掟上今日子。
引き受けた事件は即日解決の彼女のもとに、今日も悩める刑事からの難題が舞い込んだ。
呼び出されたのはなぜか、事件現場ではなく遊園地。依頼は、ある事件の容疑者より速く、巨大な脱出ゲームをクリアすることで……?
美人でおしゃれでお金が大好き。忘却探偵・今日子さんのタイムリミット・ミステリー!内容(「BOOK」データベースより)
眠るたび記憶がリセットされる名探偵・掟上今日子。引き受けた事件は即日解決の彼女のもとに、今日も悩める刑事からの難題が舞い込んだ。呼び出されたのはなぜか、事件現場ではなく遊園地。依頼は、ある事件の容疑者より速く、巨大な脱出ゲームをクリアすることで…?名探偵vs.容疑者の「最速」の脱出ゲーム、開幕!
なお、「心理実験」と「筆跡鑑定」は書下ろしで、「誰がために」と「叙述トリック」は初出がメフィストとなっている。
今回、僕が記事に起こしたい内容は、「誰がために」と「叙述トリック」についてだ。
「推理小説とは何か?」を丁寧に説明した作品(まだネタバレなし)
なぜ、「誰がために」と「叙述トリック」が気に入ったのか。
それは、私が知らない推理小説の用語が取り上げられ、丁寧に今日子さんが解説してくれたからである。物語として面白いのはもちろんのこと、「へーそうなんだ」と知的欲求を満たしてくれる二重の意味での面白さが「家計簿」にはあった。
今日子さんが教壇に立ち、私のような「推理小説はよくわからんが、とりあえず好きだ」という無知のファンに対して、丁寧に推理小説のあれこれを教えてくれる。
例えるならば、そんな感じの小説だった。
もう少し具体的に言うと
◇「誰がために」
まぁこれはストレートに、「クイボノ」という推理小説用語を説明してくれていて、それが事件解決に繋がっている。
「クイボノ」とは事件によって誰が利益を得たかを考える推理の方法なんだとか。犯人を考えながら推理小説を読みたい派の人は、こういうのを覚えておくと楽しいかもしれない(あいにく僕は違う人だ)。
ちなみに、「ワイダイット」という用語も出てくる。「なぜやったか。」推理小説の基本的な用語であるらしいが、僕は初めて知った。
◇「叙述トリック」
ストレートに、今日子さんが刑事(推理小説には明るくない)に叙述トリックのパターンをひたすらに挙げていき、説明する話である(計⑭まである)。まぁそのパターンというのは読んでみてのお楽しみとしておこう。
僕はこの話が特に好きで、もはや事件の解決よりも14つの叙述トリックのパターンを説明するパート長すぎて、全体の主題となってしまっている。つまり、「犯人を当てる」「事件のトリックを暴く」が二の次になっている。
こういうやりたい放題な作品を読むと、西尾維新作品が好きだーとなってしまうのが、従順なファンの弱いところだ。
解決編の放棄。「叙述トリック」の犯人は誰なのか(ここからネタバレ)
続けて「叙述トリック」の話をしたい。
この話、オチがつかないのだ。トリックだけを暴いて、犯人は分からないまま終わる。
「あまりにも意外な犯人だった」と記載があり、それで終わり。
つまりは、我々読者に解決編を任せたのである。そんな推理小説があってたまるか!(世の中にはたくさんあるのかもしれないけれど、僕がそんなのに出逢ったのは初めてだ)
概要を説明すると、被害者が死亡時に持っていたスマートフォンに表示されていた電子書籍(正確には、表示されてた電子書籍そのものではなく、同タイトルの紙の書籍だったが)と電卓の数字を組み合わせると、ダイイングメッセージになっている、といったものだ。
当然、ダイイングメッセージを解読するための書籍は我々の手元にないし、本文中の内容をもとに推理をするしかない。ダイイングメッセージの性質上、氏名が5文字の人物とは予測できるので、登場人物表の中から該当人物を探せばいいだけ。
漢字5文字の人物は複数名いたが、幸いにも音が5文字の人物は1名のみ。犯人は軽音楽部の「雪井美和」さんだということは想像がつくのだが・・・。
しかし、登場人物表に現れている人物が犯人では、「あまりにも意外な犯人」とはなりえない。おそらく別の解があるはず。
考えうる可能性としては
◇ダイイングメッセージが記しているのは、名前ではなかったが、犯人だと特定できる表記だった。
例えば、複数犯なら「すいりけん(=推理小説研究会)」とか、叙述トリックの一要素にあった、あだ名とか。
◇登場人物表(=刑事が今日子さんの腕に書いたリスト)に書き漏れがあり、その人物であった。
とかがあるけれど・・・。にしても納得がいかないな。
今日子さんが叙述トリックの講座を長々としてくれたわけだから、おそらく叙述トリックが仕掛けられているんだろうけど、「そもそも叙述トリックと見せかけておいて叙述トリックではない」という叙述トリックさえ存在しうる。八方ふさがりだ。
考えうる可能性をブログとかを通じて探してみたけれど、しっくりくる答えはなかったなあ。
推理小説にわかな僕でさえ、こうやって思考を巡らせたのだから、「掟上今日子の叙述トリック」は読者に考えさせるために存在した作品と言っても良いのかもしれない。西尾維新さんの狙いがそこにあるのならば、まんまと僕は術中にはまっているわけだ。
「叙述トリック」からの「心理実験」の繋ぎの上手さ(ネタバレ)
「叙述トリック」で頭を使って、ぼやーっと続けて「心理実験」を読み進めていくと後悔することになる。
というのも、「心理実験」は割と納得感のある「叙述トリック」が使われており、それが話のオチに綺麗に繋がっている。既存の作品「叙述トリック」に続けて、書き下ろした「心理実験」に叙述トリックを使っているのがお上手。叙述トリックを強烈に意識して読み進めるわけだから、「こうきたかー」と読者は膝を叩くはず。ぼやーっと呼んでいるよりはずっと、納得のいくオチに仕上がるはずなのだ。
残念ながら僕はそんな風に頭を使わずに読んでしまったのだが。それこそ本書の記憶を忘却してしまいたい、と後悔した。
今回のオチ
「筆跡鑑定」については、「なるほどいつも通りだ」と読み進めていっただけなので、特に記載はしないことにした。本書の目玉エピソードなのに、なんかごめんなさい。
そういえば新作の「裏表紙」、スペシャル両面カバー仕様となっているようだ。
「叙述トリック」に「外回りの誤読」がありましたが、そんな仕掛けがあったら、面白いね。
こういうギミックがあると、図書館じゃなくて購入して読みたくなるんだよなあ。とにかく、期待。
【結物語】いい最終回(仮)だった。(感想:ネタバレあり)
「結物語」を読了。過去に(↓みたいな)記事を書いているのだけれど、僕は西尾維新作品が好きで、そのはじまりは「物語シリーズ」だった。
で、その西尾維新を知ったきっかけである物語シリーズが、「結物語」で完璧な終わり方をしていて感動したので、その気持ちを書き起こしたい。
どこが好きだったのか、的な備忘録なので、後半普通にネタバレしていくぞ。
あらすじ(まだネタバレなし)
アマゾンから引用します。
内容紹介
「私は何も知りませんよ。あなたが知っているんです――阿良々木警部補」
怪異譚となる前の“風説”を取り締まる、直江津署風説課で働きはじめた警察官・阿良々木暦。
町を離れた、ひたぎと翼。
二十三歳になった三人が選ぶ道と、暦が最後に伝える想いとは……?
知れば知るほど、知らないことが増えていく――これぞ現代の怪異! 怪異! 怪異!
永遠に、この恋心はほどけない。内容(「BOOK」データベースより)
怪異譚となる前の“風説”を取り締まる直江津署風説課で働きはじめた警察官・阿良々木暦。町を離れた、ひたぎと翼。二十三歳になった三人が選ぶ道と、暦が最後に伝える想いとは…?知れば知るほど、知らないことが増えていく―これぞ現代の怪異!
暦は23歳(新卒の社会人の年齢ですね)、キャリアの警察官になりました。で、警察官として街の不思議なこと(=怪異が関わっていると思われること)を解決していくといった話。
ちなみに、今作は「ぜんかマーメイド」「のぞみゴーレム」「みとめウルフ」「つづらヒューマン」とサブタイトルがついているが、彼女らは全員、風説課の先輩警察官たちである。
しかし、決して彼女らがその話の中心人物になっているわけではなく、各話の中心人物は今まで物語シリーズに出てきていたキャラクター達なので、そこは「物語シリーズ」のファンの皆さん方、安心してほしい。
ちなみに、全て暦君の一人称小説となっている。主人公は総じて暦だ(原点に返ってきたね)。
「結物語」の魅力はどこか。(まだネタバレなし)
大人になって、登場人物たちが高校生時代からどのように変化したのかを楽しめること。彼らは少なからず変化していて、それでいて彼女らの個性は失われていない。彼らの成長を感じられる作品となっている。
物語シリーズの原作を読んでいた人は分かるかもだけど、「化物語」から「青春はxxxxxxない」とキャッチコピーがついていたが(「青春は」と頭についてるのを徹底していたのは初期の方だけど)、「結物語」はその散々物語シリーズで謳っていた「青春」の終わりを明確に描いている。ちょっとしたノスタルジーに浸れるわけだ。
その「青春の終わり」の魅力を説明していきたい。
阿良々木くんが大人に(以下ネタバレ)
僕が「結物語」を読んでいて悲しくなったのが、阿良々木君が大人になってしまったことだ。
まず、物語シリーズの代名詞ともいえた、彼のキレッキレのセクハラ発言がほとんどない。その名残を見せることはあったが、軽く上司に突っ込まれる程度のゆるゆるな下ネタでしかなくなってしまった。
ロリコンでもシスコンでも変態でもない、警察官としての阿良々木暦となってしまったのである。
また、自らを犠牲にしてまですべてを拾おうとしたお人よし過ぎる彼もいなくなってしまった。ある程度「折り合い」と言うものを学び、無茶をするような真似はしなくなった。
こういった阿良々木君が大人になった描写は地の文で記された彼の考え方の至るところで反映されているのだが、それでも彼らしい部分が一切合切なくなってしまっているわけではないので、安心して話を読み進めることが出来る。
例えば、全歌さんが溺れたときに周りが見えなくなって必死になってしまう姿とか(ヒロインは助けないと気が済まない彼の気の良さは失われていない)。
ひたぎさんへの思いの強さとか。
そういう彼の核となっている部分が失われていないのは好印象。バランスよく成長した阿良々木君を描けている。
ちなみに、八九寺真宵の現在を描かなかったのはポイントが高い。「家に帰りたくない者に見える」かつての「迷い牛」で今の神である八九寺真宵。阿良々木君が彼女に出逢わないということで、彼自身の迷いのなさ、地に足がついている様子を伝えるのは滅茶苦茶うまいなあと感じた。
大ヒロイン、羽川翼と戦場ヶ原ひたぎの未来
「結物語」には成長したヒロインたちが続々と登場するが、「物語シリーズ」屈指の名ヒロイン羽川翼と戦場ヶ原ひたぎの描き方が特に良かったので、そこもピックアップしたい。
ちなみに、ヒロインズの未来をまとめるとこんな感じ。
◇神原駿河
スポーツドクターを目指している
高校卒業後警察官に
◇忍野扇
年齢変わらず高校に住み着く。
◇千石撫子
漫画家
海外の大学へ入学するも、退学。ダンススクールに入る予定。
◇老倉育
地方公務員。
それぞれキャラクターの特徴をとらえているなあと思う。
怪我をした名スポーツ選手がスポーツドクターを目指し、正義の鉄拳を振りかざした者はそれを職業にし、漫画家を志した者は夢を掴み、自由奔放な妹はいつまで経っても自由奔放。
で、ここから先が本題。
◇羽川翼
テロリストと称され、世界のパワーバランスを崩すほどの人間となってしまう。国境線をなくすことを目標にしている。
彼女のエピソードは「みとめウルフ」で描かれるのだけれど、そんな有名人となってしまった羽川翼が、自分が自分であった証拠を隠滅するために、日本に帰ってくるという話。
阿良々木君にも会いに来るのだけれど、その羽川翼はダミーの存在で、目的は阿良々木君が所有していた羽川翼に関連付けられるもの(下着とかだね)を処分することだった、というオチ。
この話の〆方が素晴らしくて、阿良々木君は地の文でこんなことを言っている。
「今の僕が今の羽川にとってどうでもいい男で、今の僕は最高に幸せだ。」
むやみにハーレムを作っていて、誰しも見境なく救っていた阿良々木君の変化が明確に表れている一文であり、かつて溺愛していた阿良々木暦を眼中から完璧に消してしまう天才羽川翼の異常性あるいはリアルを描いた一文でもある。
「今の」をやたら強調しているのも良い。「かつて」があったことを意識せざるを得ないから。阿良々木暦も羽川翼も、昔のままではいられなかったという事実を突きつけている。
何て素敵なしめくくりだろう、と思っていたんだけど、その後「結物語」を締めくくる最後のエピソード「つづらヒューマン」の〆はそれをさらに上回っていたから油断できない。
で、それが我らが正ヒロイン戦場ヶ原ひたぎさんとのエピソードである。
外資系の企業に就職し海外で働いている。暦とは遠距離恋愛だが、将来の話し合いの結果「づづらヒューマン」で破局(過去に何度かで別れたりよりを戻したりを繰り返しているけど)。
オチは、暦が風説課の研修後、海外に行けるように上司である葛に打診し、ひたぎが日本に戻ってくるように上司を説得させたというすれ違いで終わる。結局二人とも一度別れを切り出したものの、相手のことを思って自ら居住地を変える覚悟を見せた・・・という微笑ましいエピソードだ。
で、何が最高だったかと言うと、ラストシーン、ひたぎが日本に来て日本への転勤を言い渡した時の暦とひたぎのやり取りである。
暦が「I love you」と言い、それに対してひたぎが「暦、蕩れ」と返す。
これはこれは。「化物語」から物語シリーズを読んでいた人にとっては感動のやり取りである。
かつてひたぎが告白した際のセリフを暦が言い、かつて告白の返事として暦が放った「蕩れ」をひたぎが返すのだ。
お互いの決め台詞を奪って愛情を伝えあっているんだぜ? ラブラブすぎて言葉も出ねーよ。
離れたりくっついたりを繰り返していた彼らが、そういった今までの積み重ねを思い起こさせるような方法でまたくっついたという完璧なエンディング。
まだ続くのに「結」なの?という心無い印象を持っていた読む前の僕に、想像以上の感動を与えてくれた。
余談
僕はあまり作者のあとがきを好んで読まない人なのだけれど、もしかしたらと思い、今回は読んでみた。
で、僕が望んだ答えがちゃんと記されていた。
西尾維新さんは、物語シリーズを書き始めた頃にはこういったエンディングを想定していなかったようだ。まぁこれだけ刊行しているシリーズだ、連載当初から「結物語」のエンディングまで想定しているわけあるまい。
だとしたら、過去シリーズの使い方が上手いなあと思う。100%趣味で書かれたと謳われているが、西尾維新さんのこのシリーズへの思い入れの強さみたいのを僕は感じることが出来た。一時は離れかけたけど、これからも読み続けちゃうなあと改めて思った次第。
で、次は「モンスターシーズン」が開幕するとのことで、「忍物語」が2017年に発売するとのこと。
キスショットの名付け親の話や、羽川さんとドラマツルギーとのエピソードはまだ書き切れていないので、そりゃ終わらないなあとは思いつつも。
「結物語」こそが最高の最終回を飾る作品だと僕は思っている。