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【SHIROBAKO】働く女の子シリーズにおける、高梨太郎と平岡大輔という男の価値(感想:ネタバレだらけ)

shirobako-anime.com

 

今更過ぎるが、SHIROBAKOというアニメを一気見した。

星野源オールナイトニッポンが好きで、毎週通勤時間を使ってradikoで聴いているのだけど、彼がSHIROBAKO大好きと話していたからだ。

www.allnightnippon.comhttp://www.allnightnippon.com/hoshinogen/

 

元々、「劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME」公式サイトを見ていて(なおTVアニメは見ないで劇場版だけ見るという暴挙を犯した。それでいて面白かったから、ビックリだ。)P.A.Worksのアニメーションつながり、かつ「働く女の子シリーズ第2弾」として、「SHIROBAKO」には興味があったので、ちょうどいいきっかけとなった。

 

友人からBDボックスを借り、一気見する。24話なので、土日を潰して2日間で見終えた。

 

面白かった!

 

主役の5人の女の子たちがそれぞれの夢に向かって、壁にぶつかりながらも、それを乗り越え、それぞれが小さな成功を掴み、5人が一つの作品に集う様は最高である。

23話、しずかが妹役の声優として抜擢され、それに涙をこらえらず泣いてしまうあおいが、最高のクライマックスだとおもう。激しくもらい泣きしてしまった。

 

まぁ、このアニメを見て感動し、仕事って良いなあなんて思ったり、そこは皆が同じように抱く感想だと思う。では、この記事で何を書きたいか。僕は考えた。

 

そして、圧倒的な存在感とウザさを兼ね持った、高梨太郎、そして平岡大輔という男に焦点を当てた。

shirobako-anime.com

 

放映からかなり時間が経って、既に語り尽くされているであろう作品であるからこそ、「働く女の子シリーズ」において決して主役を張ることはできない男性について語ってみたい。

 

「仕事ができない」困り者を担当する男たち。

SHIROBAKOは仕事を頑張る女の子たちを描いた作品である。彼女らを応援し、あるいは感情移入するためには、ある程度「仕事のリアル」が描けていないとならない。

アニメの制作現場のリアルは分からないが、僕も社会人である以上「会社で働く」ということのリアルは分かっているつもりだ。
SHIROBAKOは、いろんな人とチームになって一つのことを完成させる仕事の本質を描けている作品だと思う。アニメらしい脚色をされながらも、リアルを逸脱している作品ではない。

 

その「リアル」を描くのに、要素として必要なのが、「トラブル」だと思っている。

仕事の美しい部分だけではなく、起こり得るトラブルや壁をしっかりと描くことが、「あぁ、こういうことってあるよね。仕事っていいところだけじゃないよね」というリアルを、それらトラブルを試行錯誤の結果乗り越えて成功を掴むところを描くことが、「やっぱり仕事っていいよね」というフィクションならではの感動を、担保する。

 

だが、仕事におけるリアルな「トラブル」を描くのはなかなか難しいのではないだろうか。

僕も社会人として働いている身であるが、「許される失敗」と「許されない失敗」がある。そして大きなトラブルを生み出すのは、たいてい「許されない失敗」であり、残念ながらそれら失敗は「許されない」と言われるだけあり、第三者的に見ると明確に心象が悪い。

「働く女の子」シリーズであるSHIROBAKOにおいて、「働く女の子」の視聴者からの心象が悪くなるのは問題である。アニメーションだし「キャラ萌え」という重要な要素を排除するわけにはいかないし、致命的な失敗や「こんな働き方っていいんだっけ?」と視聴者に対して投げかける役割を女の子たちに担わせるわけにはいかないのだ。

 

そこで、登場するのが、「仕事ができない男たち」である。

ノリと勢いと調子の良さで乗り切ろうとし、最終的に宮森に尻拭いをさせる高梨太郎。

徹底的効率主義で、協調性がなく、クオリティを担保しようとしない平岡大輔。

メインキャラクターではないが、変な話、編集者茶沢信輔も仕事ができない男だ。

 

彼らが仕事の悪を演じ、それがチームに損害を及ぼし、その損害を主人公宮森が乗り越えていく形で、仕事の酸いと甘いをSHIROBAKOで描いているのだ。

そういう意味で、高梨太郎および平岡大輔は、とても重要な役回りを演じていると言える。放送当時のまとめサイトなどを見てみると、結構視聴者から彼らへのヘイトは高めなのだけれど、それは制作サイドの思惑通りなのではないだろうか。

リアルな、仕事できないっぷり

高梨太郎も、平岡大輔も、本当にこの世に存在しそうな「仕事ができない男」なのが面白い。茶沢さんについては、あまりに酷すぎて少々現実味にかけていたが、サブキャラクターなのでこれぐらいでいいのだろう。

 

高梨太郎はディレクションを行う立場の「制作進行」でありながらも、その役目を担えていない様が面白い。

例えば、5話から6話にかけて発生する遠藤と下柳のトラブルは、完全に彼の無能を露呈させている。

情報の横流しを考えずに行った結果、伝言ゲーム的情報の齟齬が発生し、問題発生。

更に問題が発生した後も、その問題を隠蔽して自らの力で解決を行おうとし、さらに事態を悪化させる始末。

自ら考えることを放棄する、炎上するまで問題を上長に報告しない。高梨君も新人という設定だったが、新人がよくやりそうなミスを綺麗に体現している。

 

平岡大輔は協調性が欠如しているが、ある程度仕事ができる社員だ。高梨太郎とは別のアプローチで「仕事ができない」。高梨太郎の「人は良いけど、徹底的に適当」という仕事のできなさがマンネリと化していたところで、彼を登板させる良采配。

彼は自らが中途半端につけてきた経験をもとに判断し、社内のルールや適切な仕事の進め方を 切り捨て、周りに迷惑をかけるタイプだ。

朝礼に出ない。効率極振りの仕事の仕方で、アニメーターに迷惑をかける。態度が悪く、周りの人と喧嘩しちゃう。

この手の非協力な人間性は、職場にボディーブローのようにじわじわとダメージを与えていく。さらにその人間性が社外に及んでしまうと、「仕事を受けたくない」という事態にもなりえるのだ。

 

彼らのような「仕事ができない」人間たちは、本当にそこら中にいる。うじゃうじゃいる。仕事をする以上、彼らとの付き合い方、彼らをいかにコントロールするかを学ぶのは必要不可欠だ。

 

そして、SHIROBAKOにおいて、見事ダメな男たちを手なずけ、仕事を円滑に進める役目を果たしたのが、我らが宮森である。

そして、彼女はより有能な制作進行として、魅力的な「働く女の子」としてさらに輝くのだ。高梨と平岡を踏み台に。

宮森、すげー!宮森、やったぜ!と我々視聴者は思う。

あぁ、不憫な男たち。でも、君たちは重要な役割を担っているんだぜ?

 

それでも、「できない男」は活躍する。

SHIROBAKOの良いところは、「できない男」がしっかりと活躍の爪痕を残すところだ。

高梨は安藤つばさ、佐藤沙羅ら後輩社員が入社してからは一番近い先輩として彼らを教育する立場に一応身を置いているし、矢野エリカが帰省するとなったときには文句も言わず栃木まで車を走らせる。社交性が全くなかった平岡の心を多少なりとも開かせたのも、彼だろう。

愉快で向こう見ずな人間性が、職場において実は良い方向に作用している。

 

平岡は?というと最後まで挽回の機会はあまりなかったように思える(アニメのクオリティと制作スピードを天秤にかけて迷っている宮森というシーンがあったが、このアニメでは基本的に「良い物をつくる」に軸足をおいているので、効率的な行動が評価される場面は少ない)。

だが、彼が専門学校時代にアニメに対して熱い思いを持っていたことは第三者の口から述べられているし、原作レイプしたアニメを語る際に悲痛な表情を浮かべるなど、彼がアニメを好きだということは作中でしっかりと触れられていた。

ほんのちょっとのシーンだが、最終話付近で光の速さで単純作業をこなす彼が描写もされていた。彼の効率が大好きな様が活躍していることを、しっかりと視聴者には提示しているのだ。

 

あくまでも「働く女の子シリーズ」。それでも男たちは活躍する。「働く女の子」を持ち上げるという意味で、そして、「働く男」として。これも、SHIROBAKOの良さの一つだと思う。

余談

SHIROBAKO、会社が舞台なこともあり、「飲み」のシーンが数多く存在する。結構僕は、「飲み」のシーンが好きだ。

大人の女性同士のサシ飲みはしっぽりとおでん屋台で、ダメ男たちの飲み会は泥酔するまでチェーン店で。

若手5人の女子会は写真とか撮っちゃって可愛らしく、おっさんが独りで酒を飲んでいるのは哀愁が漂っていてかつ翌日記憶をなくしている。

ここでも男女の格差が大きく出ていると思うのだけれど、男性の立場からすると、ことごとく男性の飲み会の描写は的を射ている気がする。

女子だけの飲み会はあんなに美しいのか。本当にあんななのか。フィクションと現実の差が、わからない、わからない・・・。

 

ということで、SHIROBAKOについては以上。また働く女の子シリーズを作ってほしいなあ。