定時後に映画館

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【Netflixお題】2017年に見たベストアニメとして「四畳半神話大系」を推す。

2017年、湯浅政明監督のアニメ映画が2本も公開され私にとってはほくほくの一年であった。

 

森見登美彦氏原作の「夜は短し歩けよ乙女」。「逃げ恥」で勢いをつけた星野源氏が声の出演をしており、それなりにメディアにも取り上げられていたのではないだろうか。

kurokaminootome.com

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さらにその直後に「夜明け告げるルーのうた」。アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門にてクリスタル賞(グランプリ相当)を受賞。公開時期が短かったが、凱旋公開が行われ、私はその凱旋に救われた人間の一人であった。FLASHアニメの威力を見せつけられた。

lunouta.com

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同じ監督のアニメ映画を2本立て続けに見ることが出来るのは中々幸せなことで、特に「夜明け告げるルーのうた」は2017年のMYベスト映画なのではなかろうかと思っているのだが、既に記事を書いてしまっているので、割愛。

 

私がイチ推しする2017年に見た作品は「四畳半神話大系」である。

yojouhan.noitamina.tv

簡単に説明しておくと、腐れ大学生の「私」が所属したサークルによって自らの大学生活がどのように変化していったかを描く「if」ものである。森見登美彦氏の十八番である京都の名所を大いに盛り込んだ舞台設定、そして何より自意識全開の主人公、可愛らしいヒロイン(明石さんは最高に可愛い)、曲者だが憎めないサブキャラクター(小津は名キャラクターである)が特徴の作品だ。

 

なぜ今更「四畳半神話大系」なのか。「夜は短し歩けよ乙女」を劇場で見た直後、「四畳半神話大系も見返したい!」という思いにとらわれ、ブルーレイボックスを引っ張り出してきたのだ。

夜は短し歩けよ乙女」と「四畳半神話大系」は登場人物が被っているなど世界観を共有しており、片方を見てしまったらもう最後、もう片方も見ずにはいられない。アニメ版「夜は短し」には「四畳半」のキャラクター・モチーフが原作以上に登場しており、ファンにはたまらない作品となっている(小津っぽいカミサマとか、ジョニーとか)。

 

森見登美彦氏×湯浅監督のタッグの素晴らしさは原作の良さを踏襲しつつアニメーションだからこそ映える演出やオリジナルのストーリー展開をやってのけるところにある。

原作は計4話。1話完結という形になっている。4話ともルートは違うがオチはほぼ同じという構成が面白い。

しかしアニメ版は全11話という大きな流れでオチをつけなければならない。原作通りに同じオチを各話でやっていたら視聴者が離れていくだろう。そこで「もしも私が別のサークルに属していたら」という基本的なコンセプトは踏襲しつつも、10話~11話に話のオチを持ってくるという形にした。

基本的には1話で1エピソードが完結する構成なので、原作では描かれないエピソードもふんだんに盛り込まれており(原作が4話分しかないから当然である)、アニメ版ならではの楽しみがあるのが良い。そして10話~11話のオチは基本的に原作から外れていないのがとても良い。

原作がある映像作品において「原作改編」についての議論は避けて通れない道ではあるが、「四畳半」は見事にアニメならではの楽しみを作り出しながらも原作をリスペクトする最高の作品に仕上がっている。

「私」の一人称小説である原作の空気感を出来るだけ再現しようと「私」の声を演じている浅沼晋太郎氏がひたすらに喋り倒しているのも面白い。こんなにぶつぶつしゃべり続ける声優はあまりいない。

原作が好きでアニメ版を嫌いになる人はいないと思う、この作品においては。

 

四畳半神話大系」はネットフリックスで見れるらしいので、ぜひ見てほしい。

「ずっと話が進まなくてつまらない」と思ってしまうタイミングがあるかもしれない。しかし、覚えていてほしい。少しずつ前進していること、そしてこの作品の大きなオチの感動は、この「繰り返し」があるからこそなのだと。

 

ちなみに、湯浅監督のアニメーションがネットフリックスで来年から公開されるらしい。楽しみ。

devilman-crybaby.com


伝説のコミックが過激に甦る!『DEVILMAN crybaby』PV第3弾

↑走ってるシーン、脚がぬるぬる動く。湯浅監督だと確信できるワンシーン。

 

というわけで、2017年一番良かったアニメ「四畳半神話大系」でした。

【ジャンプ+】「フルチャージ‼家電ちゃん」と「阿波連さんははかれない 」に命を救われている

一時期は中二病をこじらせて「崇高な作品を」とか言いながらストーリーがよく練られていたり、ちょっと重たいテーマを扱っていたりする漫画を好んで読んでいたが、24年も生きると一周回ってただただ癒されるラブコメっぽい作品が愛おしくてしょうがない。

 

仕事で疲れているのだ。

頭を使いたくない。ただただ幸せで緩やかな気持ちの高まりを感じたい。

 

最近の習慣かつ茫漠とした乾いた日々を乗り越えるための楽しみはBLEACH銀魂の一日一話無料を読み、ジャンプ+で「フルチャージ‼家電ちゃん」を一話読み、隔週で更新される「オトメの帝国」と「阿波連さんははかれない」を読むことである。金はないので無料アプリに縛られているのが哀しいが、あえてその縛りを持たせることで毎日あるいは毎週に生きる希望を見出しているのである。

中学時代月曜日になると学校へのヘイトとジャンプへの期待でテンションがおかしくなっていたが、時を経てまたジャンプとリアルの間で揺れる精神性を取り戻してしまった。

 

既に「オトメの帝国」の記事は書いているので、

midoumairu.hatenablog.com

 

僕が最近命を救われている 「フルチャージ‼家電ちゃん」と「阿波連さんははかれない 」の紹介をしたい。

shonenjumpplus.com

家電を自称する家事代行メイドロボット的な存在、アイちゃんとそのご主人様ヒロトくんによる日常系コメディ。アイちゃんが強烈な可愛さを誇る。完結済み。

 

shonenjumpplus.com

人との距離感を掴むのが苦手で意思疎通がなかなか難しい阿波連さんと、極端な勘違いと飄々とした態度と包容力が特徴のライドウくんのやりとりをただ描く学園系コメディ。ふふっ、と笑ってしまうシーンが多い。連載中。

 

これら二つの作品の共通点は、ただただ可愛い女の子をノンストレスで楽しむことが出来ることだ。私は時にそういう世界に逃げ込み、どうにかこの現実を生きている。

ノンストレス女の子エンジョイ漫画とは。その条件は以下の通り。

 

①激しいエロはNG

ほんわかではなく、気持ちが滾ってしまうからである。

「家電ちゃん」はややエロだが、青少年に見せても問題がない程度である。

「阿波連さん」については全くエロがなくほんわかとした男女の友情?を描いている。

 

②男性に好意があるタイプのハーレム系ラブコメはNG

大抵男性側に嫉妬の行動に苛立ちを覚えるからである。

「家電ちゃん」はなぜが主人公が持てるタイプのコメディ漫画だが、ヒロイン達が家電orロボットなので本人にその気は基本的にはない。

「阿波連ちゃん」に限っては1対1のやりとりが8割を占め、二人の間に形成される優しい世界を脅かす存在はいないので、その心配はない。

 

③女の子だけのゆるふわな日常系はNG

所謂まんがタイムきらら系の作品はいまいち癒されない。なぜなら、男性への感情移入が出来てはじめて「可愛い女の子とのノンストレスなやりとり」を疑似体験できるからである。

「家電ちゃん」「阿波連さん」共に、男性が主人公である。こんな生活できたらなあという夢のある感情移入に大いに貢献してくれている。

 

④1話完結型

途中から急に読んでも楽しめる作品でないと、作品のストーリーを追うということがストレスになるからである。

 

僕は貧乏人なのでジャンプ+の無料更新で楽しんでいるが、途中から読んでも普通に面白いのが良い。

 

⑤女の子が可愛い

画力がある程度高いのが重要である。そして、もちろん魅力的なキャラクターであるのも重要だ。

「家電ちゃん」のアイちゃんが大好きである。底なしの元気とただ真直ぐヒロトさまを思う気持ち、そして適度なアホ感がとてもかわいい。

「阿波連さん」の阿波連さんが大好きである。人間関係に不器用ながらもライドウくんと心を通わせようとするさま、全体的な小動物感がたまらない。というかライドウくんと阿波連さんのカップルとして好きである。

 

その他「誰かが救われない傷つけられ方をするのはNG」「見てるこっちが疲れる激しいギャグはNG」「ふふ、と笑える程度の小ネタをたくさん挟む程度がちょうどいい」など様々条件はあるが、割愛する。

 

というわけで、僕は「家電ちゃん」と「阿波連さん」が大好きなのである。あたまゆるふわ幸せマンガをあげるなら僕はこの2作品を推す。

現実逃避なら、この2作品に違いない。

 

 

図書館があれば本屋はいらない問題。

私は人並みには読書を嗜むのだけれど、本は滅多に購入しない。

なぜなら図書館ユーザーだからである。

 

図書館は金のない現代の若者の強い味方だ。無料で本どころかメジャーなアーティストであればCDさえ借りることが出来る。年間100冊単位で本を読むので、大幅に節約できている。

 

図書カードを作り、手続きさえ済ましてしまえば、オンラインで予約できるし、予約した書籍やCDは区内の希望の図書館で受け取ることが出来る。

新作や直木賞などのタイトル受賞作品は予約件数が多すぎて読むのは大分先になってしまうが、今すぐに読みたいわけではないのならば何ら問題はない。

 

在住地域が特定されてしまうのはあまり好ましくないが、私は大田区に住んでおり、日々図書館を利用している。

大田区立図書館が12月の頭ぐらいから15日ぐらいずっとシステム改修を行っていたのだが、リニューアルされた図書館のシステムが依然と比べものにならないぐらい利用しやすくなっていて驚愕している。

www.lib.city.ota.tokyo.jp

図書館の近くに住んでいないと利用がしにくいのが難点だが、多少の手間さえ惜しめば無料でこの世に溢れているメジャーな図書は読めるわけで、使わない手はない。

 

私は本屋で本を購入せずに、気になった本はすべてメモして図書館で予約するようになった。衝動的に物を買うことがないので、その場で気になる!と思っても1000円近くの書籍を買おうとは思わない。

 

本が好きな人間としてはあるまじき行為なのかもしれないが、僕としては「今すぐに読みたい!」という衝動を掻き立てるような店舗づくりや作品の取り扱いを心がけてほしいものだ。機械的に分かりやすく本を貯蔵する図書館とモノを売らなければならない本屋の違いを僕はそこに見出している。

いやいや街の本屋と図書館じゃアクセスしやすさが全然違うでしょ、という考え方もあるが、そうなると圧倒的に便利なアマゾンを使えばよいとなるわけだ。

 

ただで読むなら図書館。

便利に読むならアマゾン。

出会いと衝動の本屋。

 

頑張ってくれ本屋。負けるな本屋。

魅力的な本との出会いと、その場で持ち帰りたくなるような演出。

そんな本屋に私は会いたい。

 

 

【オリエント急行殺人事件(2017)】原作通りではないけれど、いい実写版だった。(感想:ネタバレあり)

www.foxmovies-jp.com

原作は読んでいるし、1974年の実写映画も観ている。「豪華キャスト」が宣伝文句のこちらもしっかりと見てきた。

 

結論から言うと、分かりやすい。僕はミステリが好きだけど、複雑なミステリは頭が弱いのでよく理解できないという致命的な欠陥を抱えているのだが、本作はかなり丁寧にトリックの説明がされていて、より大衆向けのエンタメになったという印象だ。

 

原作よりも、1974年版の映画よりも、まずはこちらから見ることをお勧めする。多少改変はあったが、大筋とこの作品で描くべきポイントは抑えているので問題ない。

 

原作との改編

大きな変更点は以下3つ。

 

①コンスタンチン博士リストラ

医師役をアーバスノット大佐が兼ねている。彼は軍人退役後に医師になった設定に変更。ラチェットの死体の検視を容疑者じゃないコンスタンチン博士が行うことに意義があったと思うが、まぁそこは目をつむるべきだろう。

つまり、探偵役はポアロとブークの二人が担当。名探偵ポアロとすぐに結論付けようとするお調子者のブークというペアは、典型的な探偵と助手。3人目は確かに蛇足だったかもしれないので、良い判断だと思う。

 

②ヘクターの逃走

ラチェットの助手、ヘクターが物語中盤に証拠品を焼き消そうと列車から逃げる事件が発生。彼を追いかけるポアロの身のこなしを楽しむことが出来る。

焼き消そうとしたのはラチェットから金銭を横領している証拠品となる帳簿だった。

 

アーバスノット大佐の自白。

上記事件でヘクターへの疑いの目が強くなるが、ここで原作にはない第二の事件が発生。ハバード夫人が背中を何者かに刺されてしまう。

この時点で一度ヘクターへの疑念は解かれることとなり、ポアロは別の人物に事情聴取を行うことになる。アーバスノットの恋人であるメアリの聴取中に、アーバスノットが拳銃でポアロを急襲。ちょっとしたアクションシーンののち、アーバスノットが自白をした。

 

が、オチは皆さんご存知の通り「全員が共犯者」。ポアロの灰色の脳細胞は原作にない事件にも動揺しなかった。

 

 

あとはオリエント急行に乗る前にちょっとした事件を挟み、「この事件で誰が得をするのか」という彼の推理アプローチをお披露目している。この考え方はオリエント急行の殺人の解決編でもしっかりと利用されており、うまい伏線を張ったなぁと感心していた。

 

やはりポアロが魅力的

本作はミステリとエンタメ作品の中間ぐらいの立ち位置にあると思う。「オリエント急行殺人事件」をエンタメらしくしたのは、本作の宣伝でも散々言われている豪華キャストの演技力。特に主人公ポアロがただの偏屈な人間ではなく、魅力的な探偵として描かれているのが良い。

 

乗客者全員が共犯、しかし被害者のラチェットによって人生を壊されてしまった人々。真実を隠し、彼らを庇うかどうかの葛藤にしっかりと尺をとっている。彼が葛藤する意味が分かる様に、彼のパーソナリティを描く努力も怠っていない。前述したオリエント急行に乗る前の事件についてもそうだし、会話の端々に見える「私はこう考える」という強い主張が、彼の人間性を象徴している。

 

ケネスブラナーの演技を見ているだけでも楽しめるので、映画としてのクオリティはある程度担保されていると言って良いだろう。

 

余談

残念ながら、私は「オリエント急行殺人事件」以外のポアロシリーズを読んだことがない。なので、オリエント急行殺人事件の前に描かれた事件や、オリエント急行を降りたあとにポアロが向かう事件が、原作にある事件かどうかは分からないのだが、ケネスブラナーのポアロの映画をもう一度見たいと思うので、ぜひとも実写化してほしいところ。

 

原作と1974年映画の感想はこちらから

midoumairu.hatenablog.com

 

 

【gifted/ギフテッド】クリス・エヴァンスによる愛すべき父親像(感想:ネタバレあり)

www.foxmovies-jp.com

マーク・ウェブ監督の作品が好きだ。ヒットには至らなかったようだが、僕はアメイジングスパイダーマン2作も大好きだし、マインド童貞が感情移入できる最高の作品「(500)日のサマー」ももちろん好きだ。

彼の最新作ならば見るしかない。

 

こういうハートウォーミングな感じの作品は、いかに人間の内側を描くか、一つ一つのシーンや言葉選びが非常に重要だと思うのだけれど、僕の好みにドンピシャなシーンがいくつもあって楽しめる作品だった。

あらすじ(ネタバレなし)

TOHOシネマズの映画紹介の文章が優秀なので、転載させていただく。

hlo.tohotheater.jp

フロリダに暮らす、ちょっと変わった2人と1匹の家族。7歳の生意気ざかりのメアリーと、彼女の叔父でシングルのフランク、そして“歴史上一番すごい猫”のフレッドだ。互いがいるだけで、毎日が記念日のように楽しい時間は、メアリーが学校へ行くことになり揺らぎ始める。彼女には、生まれながらにして数学の天才的な才能(ギフテッド)があった。フランクはメアリーの英才教育を頑なに拒むが、そこへ縁を切ったはずのフランクの母親が現れ、彼からメアリーを奪おうとする。歴史を変える才能の開花か、愛する者と生きる人生か──果たして、メアリーにとっての本当の幸せは?

 

親と子どもの愛を描くのに、血縁上の親子ではないという設定や、それゆえ親権問題が生じるのはありがちな展開だ。このような問題が発生すると精神的なつながりを描きやすいからだろう。

 

例えば最近見た映画だと、「あしたは最高のはじまり」もこんな感じの設定だったな。これも良い映画だった、泣きそうになっちゃったもの。

ashita-saikou.jp

 

閑話休題。別にありがちな設定や展開を悪く言っているわけではない。前述したとおり、どんでん返しがないような先がある程度読めるような安心感のある脚本の中で、いかに人を描けるかが大事なのだから。

 

「ギフテッド」はその「安心できる脚本」そのもので、変などんでん返しがあるわけでもないし、視聴者はみんな幸せな気分で劇場を去れるようなストーリーになっている。

 

公式ページの「STORY」にも中盤までの展開が丁寧に書かれているし、もうこの場でオチも書いてしまうが、裁判の結果折衷案として一度はメアリーは里親のもとに預けられたものの、イブリンは自らの教育方針の誤りに気付き、メアリーとフランクはまた一緒に暮らし始める。

メアリーは大学の授業を受けながら、元々いた学校の同級生たちとも遊ぶ生活を送ることになり、見事に「普通の暮らしをさせたい」フランクと、「徹底した英才教育を施したい」イブリンの考えの折衷案が採用されたわけだ。

 

まぁ、あらすじはこんな感じなのだが、ここから細かい好きポイントをあげていくぞ。

決して悪者はいない

フランクという人間の魅力については後述するが、彼とは対照的な性格であるイブリンがこの物語で重要な役割を担っている。この作品において最も「あぁ、こういう人いるよね」と思えるような人間味のある登場人物だったので、僕は彼女のことが大好きだ。

 

彼女はフランクとメアリーの関係を引き裂く登場人物、簡単な言葉を使ってしまえば「敵」に当たるのだが、ただの憎まれるキャラクターで終わらせなかったのがこの作品の温かさ。

「でもイブリンの言ってることもわかるよね。決して彼女の身勝手ではないよね」という気持ちで、フランクと同じように彼女のことを視聴者は許す気持ちになる。メアリーとフランクだけにライトを当てず、しっかりと彼女という人間を描写しているからこそだ。

 

イブリンは数学者として夢を追っていたが、それは叶わなかった。だから、娘にその夢を叶えてほしいと、英才教育を施した。そういう背景を想像させる会話がメアリーとイブリンの間でなされていたのだけれど、ちょっとしたその会話一つで彼女という人間の脆さを描き、同情してしまうような気分にさせられる。

※イブリンに限らず、フランクやボニーなど、主要キャラクターの「弱さ」がしっかりと描かれているから、この作品の登場人物には人間らしさがしっかりとあるのだと思う。

 

他にも、裁判所を出てフランクとイブリンが冗談を飛ばしあう会話を尺をとって描写していたが、それにより「決して二人は敵同士ではない、考え方がすれ違っているだけ」という認識が持てる。フランクとメアリーの親子を描く映画ではあるが、同時にイブリンとフランク、そして亡くなってしまったダイアンとの関係を描いている映画でもあるのだ。決してイブリンは記号的な「敵」になっていない。

 

フランクは「自分が父親であることがメアリーにとって良いことなのか」物語の中で葛藤し続けているわけだけど、イブリンは自分が正しいと信じ込んでしまったある意味可哀想な親だった。

裁判のシーンでフランクがイブリンの弁護士に「あなたが親をしたいだけで、メアリーのことを考えられていない」と責められているシーンがあったが、まさしくその考えでいたのがイブリンだというのは最高の皮肉。

 

そんな彼女も本作のラストシーンでは自らの夢が叶うのと同時に、自分の教育の過ちに気づくわけだけど、決して手放しに幸せになれたわけではない絶妙な終わり方は、本作のテーマである「親のエゴと子の幸せ」の結論をよく表せていると思う。

イブリンとしては幸せだが、ダイアンの親としては不幸。

対してフランクはメアリーの幸せを自らの幸せと重ね合わせる生き方を選んだ。

イブリンがいるからこそ、メアリーとフランクの幸せが映えていた。

本当にイブリン、名キャラクターだと思う。

 

親としてのフランクが最高

対して視聴者が「何て素敵な父親なの・・・」と惚れ惚れしてしまうのがフランク。

クリス・エヴァンスアベンジャーズシリーズのキャップも演じているのだけれど、彼の優しい顔つきは、懐の広さや包容力のある人物を演じるのに非常に適している。クリス・エヴァンスはフランクを完璧に演じきっていた。メアリー役のマッケナ・グレイスちゃんばかり取り上げられているが、クリス・エヴァンスもめちゃくちゃよかったぞ。彼がいるバーだったら僕だって毎週金曜日の夜に通ってしまいたくなるわ。

 

特に良かったのは、メアリーが実の父親に見捨てられたことを嘆いていたとき、病院に彼女を連れていき、見知らぬ家族が出産を喜ぶところを見せたところ。「何でそんな素晴らしい考えが浮かび出てくんだ・・・!」と脚本家とフランクに心の中で拍手喝采であった。

 

あとは、メアリーに対して「少しでも自分の時間がほしい」と悪態をついた後に、彼女に誠実に謝っているシーンが好き。「人は本心じゃないことを言うものなんだ」とか、凄く納得感のある言葉が次々と出てくる名言メーカーだった。

 

里親に預ける決意をしたのも、メアリーが欲しがっていたピアノがその家にあったことだという描写も大好き。そメアリーが大好きなフレッドが一緒に居てられることを真っ先に確認したことも最高。もう次々と好きだったシーンがあふれ出てきてたまらない。

 

そんな感じで父親力が高すぎるフランクなのだけれど、娘の先生を抱いてしまったり、ロバータに情けないところを散々さらけ出したり、自分のエゴを押しつけていないかと悩み続けている弱さもちゃんと描かれていて、バランスの良い「素敵なお父さん」に仕上がっている。

 

「この人すごく好き!」ってなれるところもこの作品の良さの一つだ。主要登場人物の人間的魅力に隙がない。

最後に

マッケナ・グレイスちゃん、可愛い。

ジェニー・スレイト、エロい。

 

書きたいことがたくさんありますが、とりあえずはこんな感じで終わりにします。

 

 

紙の手帳とgoogleカレンダーを併用するという選択

紙の手帳を使うか、googleカレンダーなどウェブアプリケーションを使うか。

一長一短なので、どちらが良いかという議論に結論は出ないと思う。

なので、僕は両方使うことにした、って話をしたい。

 

一応仕事をしているので、日々の生活に手帳は欠かせない。僕はこれまで紙の手帳を使っていた。

↑こういうの。

 

手帳は仕事をするうえで欠かせないのだが、プライベートと仕事の予定を併記しているので、時々家に忘れて会社に持っていかないことがある(土日にプライベート用のカバンに入れ、そのまま放置するパターン)。

1日手帳がないだけで、だいぶ仕事に支障が出る。次の打ち合わせの日程も決められないし、僕は記憶力が弱いため手帳を忘れたのが月曜日だと最悪だ。その日やるべきことを一切覚えていない。

 

というわけで、ネットにさえ繋がれば予定が確認できるgoogleカレンダーを利用し始めることにした。

スマホにインストールすれば出先でも簡単に予定を確認し、記入するこも簡単だ。プライベートと仕事の予定を色分け出来るのも素晴らしい。

会社では常にブラウザで立ち上げておく。タスクが出来るたびにメモをする。これまでは付箋にやるべきことを書いてPCに貼り付けていたのだが、圧倒的にgoogleカレンダーでタスク管理していたほうが便利だ。付箋だと外で確認できないし、最悪なくなることがある。

Googleアカウントを複数持っているので、会社で立ち上げているGoogleカレンダーには会社用の予定しか表示されないようにしている(プライベートの予定を別のアカウントで登録しておけば、会社で使っているアカウントでログインしてみているカレンダーには表示されない)。

別に同僚とgoogleカレンダーを共有しているわけではないが、そうしておけば離席しているときとかに見られても安心だ。

 

使い始めて1週間程度しか経っていないが、googleカレンダー、全然不便じゃない。

「紙の手帳だとその場でさっと書けるし、楽だよね~」という声はよく聞くが、アプリを起動してさっと予定を入れられるので、googleカレンダーでも使用感は全く問題ないのだ。

 

私は考えた。来年は紙の手帳はいらないのではないだろうか。B5なんて巨大な手帳を常日頃から持ち歩いていた僕はバカだったのではないだろうか。googleカレンダー一本に絞ることも考えた。

しかし2017年度はまだ終わらない、3月末までまだまだ時間がある。2000円近く払ったのに、ここで使わなくなってしまうのはもったいない。私は極端な貧乏性なので、購入したものを使わないという選択肢をとるのが嫌いなのである。

 

というわけで、併用方法を考えた。

①予定は全てgoogleカレンダーで管理する。紙の手帳には記入さえしない

②手帳をメモ帳として使う

これだけである。もはや手帳である理由がない利用方法だが、これが意外と手帳をメモ帳として使うことのメリットがあったりする。

メリット1 メモの見返しが楽。

会議でメモをしたのは良いが、そのメモがどこにあるのかわからない。当日配布された資料にメモをすることが多いが、「あの時のメモってどの資料に書いたっけ」と必ず分からなくなる。

僕はそういう人間だったのだが、手帳の日付のページにメモをするというルールを作ったら、日付のページを開くだけでその時の打ち合わせのメモが見返せるので、「メモロスト」が起きなくなった。

大きめの手帳を買っておけば結構紙幅もあるので、最低限のメモなら書き下しておける。

メリット2 メモをなくさない

手帳にまとめておけば、どっかいっちゃったってこと、なくなるよね。

メリット3  パソコンに比べて早い・いつでも使える

会議のメモは全部データ化しようとして、会議の内容はすべてパソコンでメモろうとした時期があるのだけれど、パソコンは電池切れるし立ち上げが遅いのが厳しい。

 

メリットを無理やり挙げたけど、まぁ簡単に言えば、ずぼらな人間は手帳をメモ帳代わりにしておくと安心だよって話だ。自らを律するのが得意な人はgoogleカレンダーだけで十分な気がする。2000円たけーもん。

 

しかし、会社で使うならgoogleカレンダーより、サイボウズなどの「他の社員の予定も簡単に確認できるうえで、その人の予定表に会議の予定などを入れられる」機能がある管理ツールの方が絶対良い。うちでも導入されないかな、サイボウズ

 

【打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?】小説の方の感想(ネタバレあり)

僕の読解力が欠如していたため、映画の結末がよくわからなかった。

というわけで、脚本の大根仁氏が書いたノベライズ本を読むこととする。

 

1hほどで読み終わるあっさりとした内容であった。映画の内容とほぼ相違はない印象。

それでも特徴を多少記載したい。

 

基本は典道くんの一人称小説

物語は映画と全く同じ形で進行していく。

こちらネタバレなし記事だけど、一応映画の感想を貼っておく。

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 あのシーンで彼は何を思っていたのだろう?という疑問に答えを出してくれるのがノベライズ本の良さだと思うけれど、中学一年生の典道君っぽい文体で物語が進んでいく。まぁ文体が多少稚拙な感じがあるが、それは彼目線だから仕方がないということにしておこう。

 

驚くべき脚本形式

一番驚いたのが、典道君がいない場面の描写。

三人称で描くのかなあと思ったら、まさかの脚本形式!!!!

こんな小説は初めて読んだが、新鮮で面白かった。

 

イメージがわかない人のために、こんな感じだよって例を記載する。

 

A「xxxxx」

A、〇〇する

B「zzzzzz(〇〇しながら)」

みたいな感じで書かれている。本当に。

 

ここは小説っぽく頑張ってほしかったところではあったが、それも脚本家である大根仁氏のこだわりなのかもしれない。

したがって、残念ながら典道君以外の登場人物の心情については一切明かされず、基本的には典道君もしくは神の視点からカメラを通じてみた彼らの「行動」しか見ることが出来ない。映画を本当にそのまま文章に落とし込んだってイメージだ。

 

オチの意味は

僕が読解力がなくわからなかった最後のシーン。文章で読むとこんな感じだったらしい。

◆「もしもなずなといられたら」の世界線は、最後のおっさんが球を打ち上げたタイミングで終わり、元の世界に戻っている(なぜなら花火が正常な形だったから)。これまでは典道君が「もしも」と願って球を投げたら世界線が変わっていたのだが、最後だけこのような形で世界線が元に戻ったかについては特に記載なし。

◆映画の最後のシーン、先生が典道を教室で呼んでいるシーンは小説ではカット。あそこについては触れていない。

 

というわけで、僕が疑問に思っていた最後のシーンの謎については特に記載がなかった。残念だが、原作の実写版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も「もしも」の理由なんて描かずに、彼らの青春のみずみずしさを描いた作品だったので、細かい設定などどうでもいいのかもしれない。

 

しかし、もしも玉というモチーフを使い、何度も「もしも」の世界を超えるストーリー構成にしたならば、そこの謎はしっかりと解決してほしかったというのが僕の考えだ。

ちなみに原作の方は、もしも玉はなく、なずなが親に連れ戻され典道が祐介殴ったシーンの後に、「もしもプールでのレースに勝ったら」のストーリーが展開され、そのまま元の世界(=典道が負けた世界)に戻ることなく物語は終わる。

まぁどちらかに優劣があるわけではないが、アニメ版の方はかなり消化不良のまま終わってしまったなあという印象であり、小説を読んでもなんだかそれは同じままだった、というオチだ。

 

ちなみに、大根仁氏も「あとがたり」にてぜひとも映画版を見てほしいとおっしゃっている。まぁ彼の本業は脚本だし、それはそうなんだろうなあと。映画へのいいバトンタッチは出来ているんだろうなあといった内容の小説でした(=映画を見ている人は、小説は読まなくてもいいかもしれない)。