【傷物語<Ⅰ鉄血篇>】来場者特典④混物語まゆみレッドアイ(感想:ネタバレだらけ)
はるか昔、こんな映画が上映していた。
鉄血篇、熱血篇、冷血篇と三部作で公開されていた傷物語。第一部の鉄血篇が公開されたのは2016年の年始だった気がする。今日は、今更ながら一年以上の時を超えて、鉄血篇の、正確には鉄血篇の来場者特典であった「混物語 まゆみレッドアイ」の話をしたい。
「混物語」とは、物語シリーズの登場人物と他の西尾維新作品の登場人物によるクロスオーバー作品なのだが、まぁ細かい情報は以下の記事を参考にしてほしい。
僕は「美少年シリーズ」が西尾維新作品の中でも結構好きな方なのだが、読み始めたきっかけは「まゆみレッドアイ」にある。
↑いちおう、本編の感想もちょくちょくこのブログで書いてる。
何も考えずに鉄血篇を見に行ったら、たまたま「まゆみレッドアイ」がもらえた。なんだか、知らないキャラクターだった(流石に知らないキャラクターとのクロスオーバー作品は楽しめないだろうと思い、その場で冊子を閉じた)。後日美少年シリーズの既刊を読破し、「まゆみレッドアイ」を読んだら、ますますまゆみちゃんが好きになった。
という流れ。
要は、「まゆみレッドアイ」にはまゆみちゃんの魅力が存分に詰まっている、あるいは我らが阿良々木暦が魅力を存分に引き出してくれている、のである。というわけで、一年程度の遅れをもってして、ようやく感想を書いてみたい。ネタバレありだ、もちろん。
あらすじ
計40ページの掌編、全7章で構成。
一人称は阿良々木暦。ヒロインは当然、瞳島眉美。阿良々木暦視点での、まゆみの紹介から始まり、本編に移っていく。
暦いわく、「根暗というより陰湿でさえあった」。そこは本編との印象と相違がないようで、安心である。
暦がひたぎの誕生日(7/7)を祝うための、七夕星空観測デートの下見に北白蛇神社を訪れたのが物語の始まり。時系列的には、「化」と「偽」の間ということになるかな。
神社の社の階段でまゆみが頭を抱えているのを暦が見つける。まゆみの良すぎる視力を抑えるための眼鏡をなくしてしまった上に、何やら「ピラニア」が町の上空を泳いでいるのが見えてしまい、怖くて一人で下に降りれないとのこと(可愛い)。暦が付き添う形で、二人は山から下りて町に繰り出る。
その道中で暦がまゆみに対して度重なるセクハラ行為をするのだけれど、それについては後述。
本作のオチは、雨が降ってきたタイミングで、まゆみが女性であったことが判明したこと。
暦「君は女の子だったのかい!?」
まゆみ「いや絶対途中で気付いていたでしょ」
セクハラし放題だったからしょうがないね。
そして、道中にあった住宅地図の前にもピラニアが見えたこと、雨が降ったのと同時にピラニアがいなくなったことから、まゆみが見ていたピラニアの正体が判明したというのがもう一つのオチ。まゆみが良過ぎる視力を持っているがゆえに、町の鳥瞰図をランダムドット・ステレオグラフ(立体視の一種)として捉えてしまった、とのこと。
※ランダム・ドット・ステレオグラム (英: Random dot stereogram, RDS) は、一見ノイズのようにしか見えない画像だが、うまく焦点を合わせると立体が浮かび上がってくる画像である(wikipediaより引用)。
雨が降って見れなくなったのは、視界が雨で途切れたから。立体視するための空白がなくなってしまったから、とのこと。
なんで町に降りた後も上空にピラニアが見れていたんだろう?という疑問は残ったが(書いてあるのかもしれないけれど、僕には読み取れなかった)、良すぎる視力を活かしたトリックなのは良かったね。
ま、しかしピラニアの方のオチは割とどうでもいい。
大切なのは、まゆみの魅力が爆発しているところなのだ。
阿良々木君のセクハラ
年下の女性に対して容赦なくセクハラをこなす本編の阿良々木君が容赦なく「まゆみレッドアイ」でも活躍している。
いきなりハグをする、肩を組む、頬をさする、ポケットの中をまさぐろうとする、膝の上にのせる、口の中を観察する、こけたまゆみの身体を触診する、傷口をなめる、一緒にお風呂に入ろうとする、再度こけたまゆみのお尻の砂を払おうとする、
などなど。原作中で真宵にしでかしたセクハラよりもさらに酷い気がする。
暦「いやいや、君が女の子だったらもっと・・・」
まゆみ(ぶるぶる・・・)
みたいなやり取りが随所にみられるのも面白いところ。暦はまゆみのことを徹底して男性として見ているが、まゆみの正体は暦が大好きな年下女性なので、まゆみとしてはさらなる変態行為の鱗片を見せられ恐怖するしかないという構図。とても面白い。
あとは暦のキャラクター(年下女性には徹底的にセクハラする)を考えると、暦はまゆみを男性として認識してはいるが、「本当は女の子だとわかっていたんじゃないか」と読者が明らかに分かるのが面白い。その気持ちは前述したように、まゆみがオチで代弁してくれた。
美少年探偵団の外のまゆみ
美少年シリーズはまゆみの一人称小説。なので、第三者的なまゆみというのがあまり見れない。だから、阿良々木君(第三者)視点のまゆみが見れたのも、本作の魅力。
まゆみは自称、「性格が悪い」女の子ではあるが、第三者的にもしっかりとひねくれているようで、そこは安心。まゆみのひねくれた発言に対して、高校三年生の余裕を見せつける阿良々木君を楽しむことが出来た。彼的にも、「中学生が言っていると可愛いもの」らしいので、まゆみの自称「性格が悪い」が、第三者的にはそこまで度が過ぎているものではないということが分かる。
そしてもう一つ、まゆみが第三者に対して美少年探偵団をどう思っているかを語るシーンが入るのも魅力。まゆみは誇らしげに、絶対にあきらめない精神を持っている連中を知っていて、自分もそのメンバーの一人であることを暦に告げる。
本作では美少年探偵団の面々を明らかに軽視している発言が目立つが、しっかりと探偵団のことを愛している様が伝わってくるのが微笑ましい。
次回作への伏線?
本作の〆は、半年後に『美学のマナブ』と冒険することになる、といった次回作を匂わせるような形だったのだが、気になる点が一つ。
「双頭院学というとびっきりの美少女」と書かれているのだ。それも、美少女のところに傍点まで打ってある。
流石にマナブが実は女の子という可能性は考えにくい。「押絵と旅する美少年」のオチが不可解なものとなってしまう(まぁ本人以外の全員が性別を勘違いしていたなら、話は通るけれど)。
考えうる可能性としては、「まゆみレッドアイ」同様、マナブの性別を間違えるという展開。しかし美少年探偵団のリーダーと訊いておきながら、わざわざ暦が「美少女」と称する理由が分からない。
って書いてたけど、彼普通に作中で女装してたね。女装姿で出会ったのかな?
なんて謎を残したまま「まゆみレッドアイ」の感想を終えます。
【古典部シリーズ】「氷菓」から「いまさら翼といわれても」まで順番に評価していく。(感想:ネタバレなし)
氷菓が実写化するとニュースで見て、せっかくだしこれを機に古典部シリーズの既刊を読破してみようということで全部読んだ。
高校を舞台とした「日常の謎」を解決するのが本シリーズの基本。人の死なない幸せな推理小説。適度に愛着を持たせてくれる程度の、濃すぎず薄すぎないキャラ付で、シリーズ化やアニメ化に向いている作品だなと思った。
アニメは見てないけど、「えるたそ~」ってやつが流行ってたよね。あの気持ちはよく分かる。
品行方正なお嬢様が好奇心に負けて「気になります!」と爛々と瞳を輝かせる様はギャップ萌えの王道を貫いているからな。
省エネ人間ホータローも巻き込まれ主人公っぽい様相で、一定の人気がありそうな語り部だし。
自ら結論が出せないデータベースを名乗る里志も、ワトソン役として優秀。
摩耶花は・・・テンプレートな高校生らしい高校生を演じてくれている。古典部では一番フラットなキャラクターだと思う。
メインキャラクター4人のバランスがとれていて、読んでいて飽きない。
そしてもう一つ特徴的なのは、結構後ろ暗い話題が多いところ。ホータローはじめ古典部の面々が解決していく謎には、結構ドロドロとした背景があり、決して見ていて心地の良いものではない。特に摩耶花の漫画部関係の話は、ギスギスし過ぎて正直気分が悪かった(気分は悪いが、作品が悪くなるというわけではない)。
高校生がキャッキャウフフしているだけではない、「なんとなくリアルっぽいなぁ」と感じさせてくれる人間の汚さの露呈が結構好きだ。
シリーズ全体の総括はここらにしておいて、作品ごとの感想を手短に書いていこう。
- 作者: 米澤穂信,上杉久代,清水厚
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2001/10/28
- メディア: 文庫
- 購入: 17人 クリック: 956回
- この商品を含むブログ (573件) を見る
シリーズ1作目。
主要人物4名のキャラクターがしっかりこの1冊で立っており、続編への下地を作ったという意味で素晴らしい作品だった。
章がいくつもあって、各章で細やかな謎を解決しつつも、表題にある「氷菓」の謎という大きなゴールに向かっていく構成。4作目の「遠回りする雛」、6作目の「いまさら翼といわれても」は明確な短編集だが、「氷菓」も短編の連なりで大きな1つの作品となっているという意味では短編的な側面もあり、とっかかりやすい作品である。ノンストレスで読めるのは素晴らしい。
ヒロインえるたその親戚にあたる関谷さんが失踪した理由を探る、というのが「氷菓」のメインテーマ。正直なところを言うと、関谷さんの失踪理由の究明よりは、こまごまとした謎(勝手に部室のカギが閉まった、毎週図書館のある本が借りられている、文集「氷菓」がどこにあるのかを探す)のほうが面白かった。
古典部の文集がなぜ「氷菓」になったのか、が本作のオチなのだが、これを考えながら読み進めると面白いと思う。僕は関谷さんの学校への立ち位置が物語中で明らかになったところで、「氷菓」の意に気づいた。
- 作者: 米澤穂信,高野音彦,清水厚
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2002/07/31
- メディア: 文庫
- 購入: 17人 クリック: 228回
- この商品を含むブログ (437件) を見る
2作目。脚本が失われたミステリー映画の結末を、途中まで撮影された映像をもとに究明していくというトリッキーな内容。人が死なない系の学園×推理小説ではあまりできない、殺人現場の考察などが盛り込まれており、なるほどこの手で来たかと思わせられた作品。
省エネ人間ホータローが、自ら探偵役に自覚を持つという心の動き、しかし結局のところ人間は変わらないんだなってところが本作の見どころだろうか。映画のオチの考察については、あまり心がそそられなかった。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2008/05/24
- メディア: 文庫
- 購入: 12人 クリック: 184回
- この商品を含むブログ (212件) を見る
6シリーズ刊行されているが、3作目の「クドリャフカの順番」が最もクオリティが高いと思っている。このシリーズを読み進めてよかった、と思えるほどに傑作だった。
舞台は学祭。古典部の文集「氷菓」を予定より多く刷り過ぎてしまい、それらを販売するために古典部の4人が奮闘する話。かと思いきや、学祭に出店している部活の備品が順に盗まれる「十文字事件」が発生し、さらに摩耶花が兼部している漫画部のいざこざまで扱っている。
素晴らしいのが、これら全要素が互いに影響し合い、全てが解決する形で、一つの結末を迎えること。よく考えられたプロットだなあと感心した。
あとは、一人称がコロコロと変わるのが良い。ホータロー以外の古典部の人物が、一人称視点で何を考え、行動しているのかをしっかりと読めるのは本作が初めてだ。
里志がしっかりとワトソンをこなし、ホータローに解決をパスするチームワークが鮮やか過ぎて称賛を贈りたい。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/07/24
- メディア: 文庫
- 購入: 11人 クリック: 146回
- この商品を含むブログ (150件) を見る
初の短編集。それぞれの話が完全に独立しているので、手軽に読めるのが良い。
表題の「遠回りする雛」と「手作りチョコレート事件」が見どころ。えるたそとホータローの関係の変化、そして里志と摩耶花の曖昧な関係の答えが楽しめる。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/06/22
- メディア: 文庫
- 購入: 7人 クリック: 203回
- この商品を含むブログ (92件) を見る
2年生になったホータロー達。古典部へ仮入部した大日向さんが入部するのをやめた理由をホータローが解明する。
学校の長距離走大会的なものに参加するホータローが、走りながら過去を思い出したり、同じく走っているえるたそや摩耶花、実行委員の里志と話したりしながら、原因を突き止め、最後に大日向さんと合流して答え合わせ・・・って感じの話。
人間関係の暗い部分がそこらに散見され、なかなか気分よく読み進めることが出来ない作品だった。時系列が頻繁に前後するので、頭の悪い僕じゃなかなかうまく読み進められなかったというのもあるけれど。
一番最近に発売された短編集。こちらも全話完全に独立した話。古典部の面々の新しい側面が見れる短編が揃っている。全話面白かった。
収録されている短編は下記の通り
「箱の中の欠落」
ホータローと里志の仲良しシーンが見れちゃう
「鏡には映らない」
ヒーローなホータロー。流石主人公と思える一作。
「連峰は晴れているか」
これもホータローの性格の良さが現れている。
「わたしたちの伝説の一冊」
摩耶花が漫画部を退部したエピソード。彼女の覚悟が見て取れる。
「長い休日」
ホータロー省エネ主義誕生の謎が明かされる。
「いまさら翼といわれても」
えるたそ失踪。彼女の将来への思いが語られる。
こんな感じで、ホータローがどういう人間なのかを掘り下げた作品が多めだろうか。
「鏡には映らない」は今までの短編の中で一番好きだった。よく考えられているし、ホータローの人の好さが滲み出ている。
以上、古典部シリーズの雑感でした。
一応映画の話がメインのブログなので、「氷菓」実写化について言及しておくと、「氷菓」よりも「クドリャフカの順番」の方が映画作品には向いていると思う。
最近の原作がある映画作品にありがちな、「ドラマ形式で別エピソードを配信し、映画も公開する」という形式で実写化すればよいのに。「氷菓」と「愚者のエンドロール」までドラマで配信して、「クドリャフカの順番」を映画化。「氷菓」は短編寄せ集め系長編だから、映画には向かないと思うんだけどなあ・・・。
「クドリャフカの順番」を映画館で見たい。
【十二大戦】アニメ化するんだってね。(感想:ネタバレあり)
偶然最近読んだんだけど、
アニメ化するらしいじゃん。
バトルロイヤル物はやっぱり燃えるし、西尾維新が書くってもんだから、そりゃ読まないとねということで読みました。面白かったので、感想を書きます。
大斬が元ネタだったんだね
ここを読めば分かるんだけど、経緯としては
①西尾維新×漫画家の企画「大斬」で、中村光×西尾維新で願い事をテーマに「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」を執筆。
②上記作品をもとにデザインした12名のキャラクターを元に、西尾維新が「十二大戦」を執筆
といった流れなんだそうだ。
僕は「大斬」を読んでいないから、十二大戦の結末がどうなるか知らないまま読み進めることが出来たのだけれど、もし大斬を読んでいたとしたら、誰が勝利したのかわかっちゃうよね。結末を純粋に楽しみたいなら、「大斬」を読む前に「十二大戦」を読んだ方が良いかも。
↓以降ネタバレ注意。
だって、「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」に寝住が登場してたら、十二大戦に彼が勝利したってことが丸わかりじゃないですか。
彼の能力も分からないまま僕は「十二大戦」を読み進めていたから、「どういう能力なんだろうなあ」って楽しむことが出来たけど、おそらく能力についても「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」にて言及済みだよね、タイトル的に。
せっかくだから「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」も読みたいのだけれど、現状「十二大戦」しか読んでないので、純粋な本作だけの感想を書いていきますよっと。普通にネタバレするので注意。
しっかりと干支の順番に物語が進行していく
そもそも十二大戦とは、十二人の戦士たちがバトルロイヤルに参加し、勝ち残った一名が何でも願いを叶えられるといったもの。なので、次々と人が死んでいく。
本作は綺麗に十二話(章?)で構成されていて、各章の扉で戦士のプロフィールを紹介、そしてその章の中心人物(=多くの場合脱落する人となる)は基本的には扉で紹介した人物となる。
第一戦 猪も七代目には豚になる ー猪の戦士
第二戦 鶏鳴狗盗 -戌の戦士
第三戦 牛刀をもって鶏を裂く -酉の戦士
第四戦 敵もさる者ひっかく者 -申の戦士
第五戦 羊の皮をかぶった狼 -未の戦士
第六戦 千里の馬も蹴躓く -午の戦士
第七戦 竜頭蛇尾(先攻) -巳の戦士
第八戦 竜頭蛇尾(後攻) -辰の戦士
第九戦 二兎追う者は一兎も得ず -卯の戦士
第十戦 虎は死んで皮を残す -寅の戦士
第十一戦 人の牛蒡で法事する ー丑の戦士
終戦 大山鳴動鼠一匹 ー子の戦士
といったように。
「十二支は神様が競走してゴールした順になっている」という話は有名だし、「十二大戦」もおそらくそのエピソードをモチーフとしている。
寝住が勝利した時点である程度予想がついていると思うのだけれど、「十二大戦」ではしっかり十二支の順番通りに物語が進行していく。かといって全く捻りがないわけではなく、脱落順が干支通りというわけでもない(断罪兄弟の片割れは開戦前に脱落している)。そこはちゃんとエンターテイメントとして先が読めないつくりとなっており、流石物書きといったところだ。
それだけでなく、タイトルも多くが慣用句や故事となっており、内容もタイトルになぞられている。
(例えば「鶏鳴狗盗」では取り柄のなさそうな酉の戦士が戌の戦士を欺き、勝負がつく。戌の戦士から能力を「盗んで」酉の戦士は勝利したし、非常に物語の組み立てが上手だ)
リポグラムも器用にこなすような西尾維新。お題の下に綺麗な話を作るのが抜きんでて上手いなと改めて感じさせる作品でもあった。
十二名のプロフィールと名乗りが良い
あとはキャラクターの設定が良いという話をさせてほしい。あとは西尾維新的、中二心をくすぐる名乗りについて。
前述した通り、各章の扉にキャラクターのイラストとそのプロフィールが細かに書かれているのだけれど、その設定がなかなか良い。話に入る前にキャラクターの戦闘能力武器・そしてある程度のパーソナリティが分かっているので、すんなりと本編が頭に入ってくる。
かつ、戦士でありながらも日常を過ごす人間であるという側面をしっかりとこのプロフィールで記述しており、そのギャップがなんだか愛おしい(その反面、「詳細不明。」で済まされている卯の戦士の不気味さが際立っている)。
物語のネタバレになるためか、原作に記載されているプロフィールを丸々載せているわけではないが、一応アニメ版公式サイトにもキャラクター紹介があるので、その雰囲気は伝わると思う。
あとは、各キャラクターの個性を表している名乗りがカッコよくて好き。
これは上記したアニメ公式のキャラクター紹介欄にちゃんと書かれているから見てほしい。
私見となるが、絶対的な強者、丑の戦士「失井」の「ただ殺す」が抜きんでて好き。他が個性をどうにか名乗りで表そうとするなか、シンプルに殺すって名乗っちゃう感じ、マジでイケてる。
憂城が活躍しすぎ
ストーリーにも少しだけ言及しておくと、多くのバトルロイヤル作品と同様、能力者同士がぶつかり合い、各々がどのような戦略で生き残っていこうとしていくのかを眺めている面白さがずっと続く。
だが、異質なのが卯の戦士の憂城。彼の能力、自ら殺した者を使役する「死体作り」が強力すぎて、終始、彼もしくは彼が殺した死体が物語に絡んでくることになる。
脱落した者はもう活躍できないバトルロイヤルものの穴を、死体として活躍するという形で埋めたのは発想として面白い。しかし、あまりに憂城がゲームを支配しすぎて、いわゆる「チート」と言われる能力を持っているキャラクターがいると途端に冷める現象が起こりかけた。
まぁそれでも結果的に「死体作り」の被害者になったのは4名程度だ(全体の1/3と考えると多いのかもしれないけれど)。純粋な真人間同士の殺し合い、読み合いも楽しめるのでそこは目を瞑ることとした。
余談
現在アニメ公式で戦士十二名のtwitter用のアイコンがDL出来るとのこと。
これ見てほしいんだけど、やっぱり憂城が特別仕様だね、背景が白色で。一応酉の戦士も背景色オレンジっぽい特別仕様だけど。
この物語の主人公は卯の戦士で間違いないな。私は丑の戦士が一番主人公してたと思うんだがね。
【ハクソー・リッジ】直視できなかった。(感想:ネタバレあり)
これも見てきた。
戦争物(特に史実に則ったもの)は重たいし、結構描写がきついこともあり、あまり見ることがないんだけれど、珍しく友人に映画に誘われたものだから。
あとは、主演のアンドリュー・ガーフィールドが好きってのもあるね。アメイジング・スパイダーマンが好きなんだ。
結論から言うと、どぎつい戦争描写と流血に耐えられる人しか見てはいけない映画だった。私は残念ながら、そういう描写(頭を撃ちぬかれる映像や身体が欠損してしまう兵士が描かれている)が極端に苦手だから、後半はほぼ耳に手を当てて目を半開きにしてびくびくと子ウサギの様に震えながら映画館の端で震えていたのだった。
一緒に見に行った友人もこういった描写は苦手だったようで、「誰かと一緒に見てなかったら途中で逃げ出してたかも」とまで言っていた。私も同意だ。
なので、まともな感想は書くことは出来ない。しかし、せめてどんな映画かを伝えたいから、こうやって記事に起こしたい。というのも、描写がきついだけで、紛れもなくこの映画は見た人の心を動かすだけの強い力があったから。
以下ネタバレ含むので注意。
あらすじ
公式の「ABOUT THE MOVIE」を読んでいただけると分かるが、この映画は実在した人物、デズモンド・ドスが陸軍に入隊してから、第二次世界大戦の沖縄の戦地「ハクソーリッジ」での彼の活躍を描いた物語だ。
彼はハクソーリッジにて武器を持たずして衛生兵として75名の命を救った人物で、良心的兵役拒否者として、アメリカ史上初めての名誉勲章を授与されている。
この映画は大まかに以下の様に構成されている。
彼の生い立ち⇒入隊から戦地に赴くまでの訓練期間⇒ハクソーリッジでの戦闘
小心者の私にとっては戦闘シーンが長く感じたが、ボリューム的にはおそらく後半1/3がハクソーリッジでの戦闘だったと思う。
入隊から戦地に赴くまでの訓練期間に結構尺が費やされており、ここでの良心的兵役拒否者としてのデズモンドと周囲との軋轢がたっぷり描かれているがゆえに、終盤ハクソーリッジでの彼の活躍が映えていた。
何が言いたいのかというと、戦争を通じたデズモンドの活躍だけではなく、彼がどのような人格を持っていたのかを精緻に描いたヒューマンドラマとしての側面も強かったということ。あまり戦争ものを見ないから分からないけれど、人物の掘り下げがしっかりとなされていたのがポイント高かった。
彼が認められた瞬間がたまらなく良い
彼は良心的兵役拒否者として陸軍に入隊したため、周りの兵士たちからは臆病者と不名誉なレッテルを貼られることになる。
しかし、彼の意思は固く、仲間に暴力を振られても仕返しをすることなく受け入れ、命令拒否で軍事裁判にかけられることになっても、銃を握ることを拒んだ。幾度もなく彼は「戦場でこんな甘いことを言っていたら生き残れない。敵を倒すことが戦争だ。」と言われ続けたが、彼はそれでも自らの意思を貫いた。結果として軍事裁判では有罪とされなかったものの、ハクソーリッジに赴くまでは彼は「鼻つまみ者」として扱われ続ける。
しかし、ハクソーリッジでの彼の活躍を見て、仲間たちは彼を認めていく。宗教上の理由でデズモンドは土曜日は兵役につかないと宣言していたが、その土曜日上官に「君が必要だ」とまで言われるまで必要とされるようになった。結果として彼は土曜日にも拘らず、戦場に赴くのだけれど、出撃前に彼が祈りをささげているのを仲間全員で待っているシーンが印象的だった。そして、彼が大切に持っていた奥さんからもらった聖書を戦地で落とした際に、仲間の兵士がそれを探して彼の元に届けていたことも(訓練中彼の聖書が仲間たちに雑に扱われたシーンがあったからこそ、そのシーンが映えていた。そういう意味でも、陸軍の訓練の場面は良い「溜め」だったと言える)。
正しい意思を持った主人公が、認められていく様を見るのは清々しい気分になるものだが、私の感想はちょっと違っていた。
「軍事裁判にかけられてまで、自らの意思を貫こうとするのは狂気じみている」というのが最初に抱いた感想だ。事実、デズモンドの奥さんも、同じようなことを言っている、「銃を握れば、罪に問われない。人を殺すわけじゃないのだから、訓練は受ければいい」と。
視聴者としての私は、ずっと主人公側に立っていなかった。彼の意思を支持している側ではなかった。しかし、彼の意思が戦地に置いて多くの命を救っているのを目の当たりにして、彼の仲間の兵士と同じように、私自身も彼の意思を認めた。
「ようやく主人公が認められたぜ、すかっとする!」というよりは、私もデズモンド以外の登場人物と同じように、「やっぱりあなたの意思は正しかった」と気付きを与えられたようなイメージ。俯瞰的に彼を評価するのではなく、その他大勢の登場人物と同じように彼を認めていくというような心の動きがあったのが、なんだか新鮮だった。
父親や妻、彼を大切に思う人々との関係
デズモンドはハクソーリッジにて、兵士の仲間に認められることになるが、それ以前に彼の意思を貫くのを手助けしていた存在がある。それが父親と妻だった。
特に父親とデズモンドの関係性はこの映画において重要な位置を占めていた。
デズモンドと同じく兵士として戦った経験のある父。戦争で負った心の傷が癒えず、家庭内暴力を繰り返し、息子とは決して良好な関係ではなかった。当然息子が兵士になろうとしたときも反対したが、デズモンドはそれを振り切って兵士となる。
一つの山場でもある軍事裁判のシーンで、父親が元兵士の立場を活かし「良心的兵役拒否者」を守るための口利きをしたのは、父親が息子を認めた瞬間であった。
長年続いた親子の微妙な心のずれを解消したのも、デズモンドが頑なに自らの意思を貫こうとし、それを父親が認めたため。そして、デズモンドが銃を握るのを拒んでいる理由、信念を守り続けている理由が、父親に一度銃を向けてしまったことにあるという過去の経験にあるのも、美しい。
切っても切れない親子の絆のようなものを感じさせられるのが良かった。
そして、奥さんについては、前述したとおり、主人公を愛していながらも一般的な感覚を持ち合わせている視聴者に近い立場の視点を持っている重要な人物なんだよね。彼女がかなり視聴者の気持ちを代弁していた気がする。
ちゃんと史実に基づいた映画だった
映画の最後に、物語のモデルとなった実在の人物たちの映像が流れる。デズモンドについて彼の周りの人が何を思っているか、デズモンドが何を考えていたか。そういうのを生の声で最後に流してくるのは卑怯だよね。しんみりしちゃったよ。
てな感じで、つらつらと感想でした。いい映画だったけど、二度と見れないな。スゲー重かったもん。でも一度は見に行ってみるといいよ。
【パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊】バルボッサが主役(感想:ネタバレだらけ)
見てきた。
5作目になる本作。1から見続けてきたからある意味惰性で今回も足を運んだわけだけど、期待以上の出来の良さでびっくりした。3作目の「ワールド・エンド」の正統な続編で、「これで完結でいいんじゃないか?」と思えるほどきれいにまとまっていた。
3作目の「ワールド・エンド」で綺麗に物語が完結したと思って、「もうここまでしか見ないでいいや」と思っている人にこそ見てほしい。ファンこそ楽しめる映画だったと思う。
いきなりネタバレ込みで感想を書いていくので、注意してほしい。
僕が「好きだ」と思ったポイントは
②バルボッサ船長がかっこいい
③原題の良さ
ってところかな。それについて書いていくぞ。
ちなみに、主人公であるジャック・スパロウは今回かなり引き立て役に回っていたような気がする。公式では「誕生の秘密が明かされる」とあるが、あまりそこは物語の中核を担っているわけではなかった。準主役たちが主役を食っている映画だったね。
ウィル・ターナーとヘンリー・ターナー
初期3部作で主役級の活躍を果たしたオーランド・ブルーム演じるウィル・ターナー。「ワールド・エンド」ではエリザベスと結ばれたが、フライング・ダッチマン号の船長となり10年に1度しか陸に上がることが出来ない呪いをかけられてしまった。
「ワールド・エンド」のエンドロール後の映像でウィルがエリザベスに会いに現れるシーンが描かれていたのが印象的だったね。
4作目の「生命の泉」では一切彼のその後について語られなかったけれど、本作は彼がキーパーソンとして描かれている。というか、ウィルの息子、ヘンリー・ターナーが物語の中心人物として登場するわけだ。
ヘンリーは父親の呪いを解くことが出来ると言われている「ポセイドンの槍」を探し求めて、ジャックと手を組むことになるのだけれど、物語における彼のポジションが1~3作目のウィル・ターナーを見ているようでとても楽しかった。
◇ヘンリーは対等に渡り合おうとするのだけれど、やっぱりジャックが常に上手。
◇本作のヒロイン、カリーナにはうだつが上がらない。
流石親子といったところだろうか。作品としてはシリーズのオマージュに成功していると言える。「あぁ、これがパイレーツシリーズだよな」と思えるようなキャラクターのやり取りが随所に見られたのはファンとしては嬉しいところだろう。
また、物語の結末も「ワールド・エンド」で果たせなかった真のハッピーエンドとなっていて、幸せな気分で映画館を去ることが出来るぞ。ちゃんとウィルの呪いは解けて、彼はエリザベスと一緒に暮らし始める。息子のヘンリーも、カリーナといい感じだ。親子そろってラブラブでいいですねえ、って感じ。
ちなみに、エンドロール後にダッチマンの船員と思われる怪物が寝室に侵入する映像が流れたけれど、あれはどういうことだろうね。そういえば本作ではウィルの父親ビルについては一切言及されていなかったけれど・・・。あの影は彼だったのだろうか?
正直次回作への伏線を張るのはいいのだけれど、ダッチマンの呪いについてひっぱる?とは思った。そこは「幸せに二人は暮らしました」、でよかっただろ。でもまあ本編は完璧なエンディングを迎えていたので、そこについては目をつぶろう。
バルボッサの雄姿
1作目から敵役でありジャックのライバルでありある意味仲間であったキャプテンバルボッサ。本作は彼が主役を食うほど活躍してみせる。
本作のヒロイン、カリーナは実はバルボッサの娘であり、ラストシーンでは彼女を庇うために敵と一緒に海の底に沈むのだ。従来の4作では、良くも悪くも最も「海賊らしい海賊」で一貫したキャラクターを築いてきたが、良い意味で「最後の海賊」でそのイメージを崩してきた。
海賊である以前に、娘を思う一人の父親であったバルボッサの人間らしい一面を本作で見ることが出来る。
財宝を追い求めて海賊として生きてきた彼が、死に際に娘を「宝」だと言って海に落ちていく。ちょっとうるっときてしまった。カリーナが日記にはめ込んであったルビーの欠片を、島に設置するときに「きっと父親も喜んでいる」といったあの温かい表情も。
ちなみに、「最後の海賊」ではバルボッサは自らを「キャプテンバルボッサ」と称さないし、他の登場人物も彼をバルボッサと呼ばずに「ヘクター」と呼んでいる(僕の記憶が正しければ)。
バルボッサという名称に慣れていた僕は最初「ん?」と違和感を抱いていたのだけれど、バルボッサが海の底に沈んだ後に娘のカリーナが自らを「バルボッサ」と称した瞬間、「あぁこれがやりたかったんだな」と納得した。憎い演出だよね。
原題が最高
邦題は「最後の海賊」となったが、皆さんこの映画の原題をご存じだろうか。
原題は「Dead Men Tell No Tales」、「死人に口なし」という意味なんだそうだ。
僕はこの原題が素晴らしいと思っていて、作中でも本作の敵役であるサラザールが冒頭にそのセリフを言っている。
「死人は何も釈明できない。」サラザールが生き証人を残す理由でもあるが、この映画の結末を見るとまさしく「A PIRATE'S LIFE」のありかたそのものを表している言葉だと思った。
バルボッサは死んで、当然彼は父親と娘としてのやりとりを楽しむことは出来くなった。一方生きたヘンリーとウィルの親子は再会を果たすこととなる。海賊であることの辛さが現れている言葉こそが「Dead Men Tell No Tales」。解釈を広げ過ぎかな?「死人に口なし」はそんな意味では使われてないからね、日本では。
まぁそれでも、残ったバルボッサの日記が、娘の元に戻ってきて、彼女が父親との絆を感じるのは良いオチだった。言葉なくともつながるものはあったと。
邦題になると大体「最後の~」とか「はじまりの~」とか「~の奇跡」みたいな汎用的な言葉を使いがちだけれど、もっと原題へのリスペクトをした方が良いよね。タイトル含めて、作品だしさ。
今回はこんな感じで。いい映画だったのでぜひ見に行ってみてね。
【夜明け告げるルーのうた】FLASHアニメでダンスシーンすげーぬるぬる動く(感想:ネタバレなし)
見てきた。
一度終演してしまって「見逃した!」とショックを受けていたのだけれど、何ともなしにTOHOシネマズの上映作品一覧を見ていたら復活していた。
公式サイトを見ると分かるけれど、
アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門のグランプリにあたるクリスタル賞を受賞しました!
らしく、
凱旋上映劇場決定!
というわけで、TOHOシネマズ新宿をはじめとした複数の劇場で6月24日から凱旋上映をしているようだ。見逃したみんなも、今がチャンス!
で、今回はネタバレなしの感想を書こうと思う。
滅茶苦茶面白かったし、オチが素晴らしかったのでネタバレしないで見たほうが楽しめると思うから。
「何が良かったか」、「(友人から仕入れた)ちょっとした小ネタ」を中心に書いていこうと思う。
スタッフとかストーリーとか
詳細は、公式サイトの「INTRODUCTION」を読んでいただきたいのだが、
監督:湯浅政明さん
ここが重要である。つい最近「夜は短し歩けよ乙女」が公開していたが、それも彼の監督作品。「夜明け告げるルーのうた」は彼の完全オリジナル作品。
独特のカメラワーク、遠近図法、キャラクターがすごく動く。彼の作品は共通してそんな魅力があるのだけれど、「夜明け告げるルーのうた」も余すことなく彼の長所が炸裂していた。
↑「夜は短し歩けよ乙女」について感想も書いたんだけど、彼の作風については触れていなかったね・・・。可愛いとしか言ってないじゃん。
ストーリーは簡単に言うと
①暗い性格の主人公カイが、友人からバンドに誘われる
②ミュージックとダンスが好きな人魚ルーと出会って明るさを取り戻すカイ
③人魚であるルーの存在が町のみんなに知れて大騒ぎ
といった内容だ。
では、さっそくネタバレしない程度にこの映画の魅力を語っていくぞ。
ぬるぬる動くダンスシーン
記事のタイトルにもしたのだけれど、湯浅監督の作品はキャラクターが良く動くから見ていて楽しい。そして、この映画で重要な意味を持っている音楽とダンスと、彼の柵がの相性が抜群。ストーリーも良かったんだけど、絶えず視覚的に聴覚的に楽しい映画だったのが印象的。
多少ネタバレになってしまうけれど、この動画を見ればルーが躍っているシーンが見れる。
『歌うたいのバラッド』が心にしみる、湯浅ワールド全開の本編映像公開!『夜明け告げるルーのうた』
しかし本領はここではない。ルーに釣られて町のみんなが躍る、というシーンがあるのだけれど、その時の動きが俊敏なのだ。並大抵のアニメーションじゃ再現できない域なほど。
で、その理由を探ってみたら、インタビュー記事にあった。
全編Flashアニメで制作しているので、動きがなめらかで線が綺麗とのこと。ダンスシーンだけじゃなくて、ルーが操る水の描写もその特性が活かされているみたい。
Flashアニメって何?みたいな注釈が上記のインタビュー記事にあったので、そちらは引用しちゃう。
Flashアニメ…アドビシステムズが開発しているソフト「Adobe Animate」を使用して作った「Adobe Flash」規格のアニメーションのこと。点の座標とそれを結ぶ線によって絵を描画しているため、動きの始点と終点の絵を決めれば、その間は非常になめらかに動かすことができる。絵を拡大・縮小・回転しても画質が変化しないのもメリットのひとつ。
とのことだ。
普通のアニメは絵を動かすために「パラパラ漫画」と同じ原理で動きの過程を描かなければいけないけれど、Flashアニメではそういうのが必要ない・・・ってことだと思う。
これは小話だけれど、エンドロールのスタッフさんの数が少なかったのはそういうことなのかもしれない。少ない労働力で、あれだけの動きを見せれるんだから技術ってすげーよな。
ちなみにこんな記事もあった。定時帰り、土日休みで作る。
僕がSHIROBAKOで知ったアニメ業界の厳しさを技術でひっくり返しているじゃないか。
↑血のにじむ創作の世界を描いた作品「SHIROBAKO」。そんな働き方も過去の遺物になる・・・かも?
閑話休題。
「夜明け告げるルーのうた」は視覚的に楽しい映画だよ、ということがまずは言いたい。
ストーリーの完成度とキャラクターの掘り下げの両立
「キャラクター掘り下げられていない作品はストーリーの完成度高いって言えないだろ」みたいな考え方もあると思うけれど、意外と「プロットはスゲーいいけれど、キャラクター持て余してるし感情移入できない」みたいな作品もあるし、当然ながら「キャラクターイケてるけれど、ストーリーは普通」みたいな作品もある。
「夜明け告げるルーのうた」は完璧に両立していた。
人間と人魚の友情を描く王道のストーリー。人との触れ合いを通じて主人公が変わっていく様が清々しい。
そして、人魚が危険をもたらすという伝説が残っている閉塞感のある町「日無町」が、物語の最後にどのように変わっているのか。その演出が憎いほどに愛おしい。とてもいいラストシーンだから、楽しみにしていてほしい。
そして、多くのキャラクターがいる中、ほぼ全員の個性が立っており、一切持てあますことなく物語を完結させたのもポイント高い。物語の軸はカイ・遊歩・国夫ら人間の子ども達とルーの関係性なのだけれど、
◇人魚を憎んでいるカイの祖父とタコ婆がいかにして彼らを許したか
◇カイの父親がいかにして息子と向き合うか
をさらっと時間をかけずに、かつ納得のいく形でしっかりと描けていたのが良かった。
昔話や登場人物の回想シーンは絵のテイストが変わるのだけれど、そのメリハリが冗長な印象を払拭していたんじゃないかな、と思う。
その他小ネタ
◇オープニングが好き
「夜は短し歩けよ乙女」もそうだったけど、オープニングへの入り方とその映像がとても好き。やっぱりタイトルが出るシーンの見栄えが良いとぐっと物語に入りやすくなるよね。
◇ルーのパパはハマり役
篠原信一さんが声を担当した「ルーのパパ」。見る前は「絶対声出す度に彼の顔が浮かんできて辛い」と心配していたけれど、ルーのパパは喋らないので安心してほしい。言葉にならない声を上げていたのだけれど、結構それが良い感じだった。声にミスキャストは一切なかった。
名曲。多くの人にとって馴染み深い既存の曲を主題歌に据えたのは良い判断だと思う。感情移入できる。
以上、「夜明け告げるルーのうた」感想でした。
面白かったので、ぜひ見に行こう。
友達に誘われたFilmarks、でもKINENOTEとの関係を断ち切れない
SNSというSNSを一切やっていない私に、心優しき友人が「Filmarks」というサービスをオススメしてくれた。繋がりというものは良いものだ。
映画が好きということもあり、「Filmarks」というサービスは知っていたし、薄々気になってはいた。しかし、2013年から私は「KINENOTE」を使っている。
KINENOTEもFilmarksと同じく、鑑賞した映画を登録し、感想などを書き留めておけるサービスである。4年近くも使っているだけあり、ずぶずぶな関係である。
どれぐらいずぶずぶかというと。
これだけ登録している。
流石に新しい映画記録サービスを使おうという気にはなれない。過去の振り返りは簡単な方が良い。スイッチすると情報が二手に分かれてしまうから、面倒だ。
しかし、せっかく誘っていただいたのに「いや私、もう他のサービス使ってるから、ずぶずぶに浸かっているから」と二つ返事で断るほど社会性が欠如しているわけではない。
とりあえず併用してみればいいじゃないか。面倒かもしれないけれど、とりあえずは2つのサービスで今後は見た映画を登録していこう。
というわけで、さっそくFilmarksのアプリをダウンロードし、サービスを開始する。「どうせアプリしかないんでしょ?」と思っていたが、ちゃんとブラウザでもサービスを使えるみたいだ。PC使いが多い私にとってはありがたい。
せっかくなので私に交友という名の手を差し伸べてくれた友人を友達登録し、今朝見た映画をちょっと登録してみた。
面倒だし、名バレが怖いのでキャプチャなどは貼らないが、FilmarksにはKINENOTEにない魅力が結構あるということにすぐに気付いてしまった。使いやすいんだわ、FIlmarks。
ポイントは3点。
◇Filmarksにはアプリがある
僕はandroidユーザーなので、スマホアプリがないKINENOTEでは映画館で見た映画をその直後に登録する、みたいなことがしにくい。登録し忘れも発生するし、登録は色んな手段で簡単に出来たほうが良いのは当然である。
※iOSユーザーの皆さんは、確かKINENOTEアプリがあったはずなので、ぜひそちらを利用してほしい。結構使い勝手がよさそうだった。早くandroid版を出してほしい。
◇KINENOTEよりもFilmarksのほうがSNS的
「タイムライン」がFilmarksにはあるのが特徴的だ。友達が何をお気に入りし、何を見たのかが一目でわかる。もちろん、タイムラインには自分が登録した情報も表示される。
私はコミュニケーションが上手くないので、人との関係を取り持つために「あ、この映画見たんだ、どうだった?」という入口で会話を始めることがかなり多い。そのため、「友人が何を見たか、どんな映画を見たいか」を把握できるのは私にはとてもありがたい。何なら「じゃあ今度この映画見に行こうよ」みたいなコミュニケーションも生まれるかもしれない。妄想がとまらないぜ。
※KINENOTEもユーザーをフォロー出来るが、そのフォローしたユーザーが何を登録して、どんな感想を書いたかを目視するのに手間がかかる。
◇映画関係のニュースが表示されるので、暇つぶしにもってこい
私はニュースアプリ等をダウンロードしていないので、映画を好きでいながら映画の情報に疎いという致命的な弱点を有している。もはや客観的にみたら映画が好きではなさそうな人なのだけれど、私が好きと言っているのだからしょうがない。
↑かつて森見登美彦先生の入場者特典を逃すという失態を犯した。
だが、もうそんな心配はいらない。Filmarksには「FILMAGA」と呼ばれる映画に関する読み物がまとまっているサービスがある。暇つぶしにはもってこいだし、最新映画の情報をちゃんと収集することが出来る。これはありがたい。
さて、利用を開始してものの数時間でFilmarksの魅力に心を奪われてしまったわけだが、それでも私はKINENOTEを使い続けたいと思う。
というのも、KINENOTEには①100点満点で評価をつけるので、他者の評価がより参考になる。②カレンダー機能で見れる映画がすぐわかる。などなど、Filmarksにはない魅力もたくさんある。ただただコツコツと記録をしていきたい人なら、KINENOTEのほうが肩の力を抜いて利用できるかもしれない。
私もどちらかというとSNS的な人間関係を面倒だと思いがちな人なので、ただ何も考えずに記録が出来るKINENOTEを使いやすいと思う。
玄人向けのKINENOTE、映画をコミュニケーションツールとして使いたい人のFilmarks。そんなイメージだ。私はその中間をふわふわしているので、しばらく二股しようといった魂胆である。
以下余談。
「KINENOTE」のTOPにある「KINENOTEでできること」の女の子のイラストが良い(仮称:キネ子さん)。もっと前面に推し出せばよいのに。
間の抜けた表情でありながらメリハリのついた身体つきというギャップ。それでありながらもいやらしくないさっぱりとした画風なので、鼻につかない。
他のサービスを使いだしたらキネ子さんに怒られるサービスを作ろう。
キネ子さん「ふーん、Filmarksのほうがいいんだ。4年も付き合ってたのに」
私「いや、あれは誘われただけだからさ。人間づきあいってものがあるんだよ」
キネ子さん「でも私も使ってくれないとイヤ」
みたいな。
以上、FilmarksとKINENOTEを比較検討した結果、どちらも使っている私の戯言でした。