ライダーズ・オブ・ジャスティスのネタバレ感想(とても良)
マッツミケルセンがアクション映画の主演をやるということで気になったので見てみたが、想像を遥かに上回る最高の出来だったので感想を残しておく。
軍人の父(マッツミケルセン)が主人公で、亡くなった妻を殺害した犯人が属しているグループ(ライダーズオブジャスティス)に復讐するというのが一言でいうところの内容。勝手なイメージでジョンウィックのようなド直球なリベンジアクションものだと思ったのだが、中身は家族愛を丁寧に描いたヒューマンドラマであった。
※ただ、実際は復讐をした対象であるライダーズオブジャスティスが妻を殺害した犯人ではなく、妻は単純に事故で亡くなっていたという衝撃の事実が作中で明らかになる。これが中盤の山場となっており、ただの退屈なヒューマンドラマと違って復讐という一つの目的がある中のコミュニケーションで家族愛を描いており、起承転結がはっきりしているのも魅力の一つだ。
家族愛を描いたヒューマンドラマの脇を固める登場人物に、マッツミケルセンのティーンエイジャーの娘がおり、さらに犯行グループへの復讐を手伝うさえない男性3人組がいる。その冴えない3人組が良い味を出しており、彼らはいわゆる社会の”負け組”で彼らもまたコンプレックスを抱えており(=弱者への寄り添い方をよく理解している根の優しさがある)、妻を亡くしたマッツミケルセンおよびその娘の傷を交流の中で癒す役割をしている。
前述した通り、マッツミケルセンが妻を殺した犯行グループに軍人としてのスキルを存分に活かして復讐していくアクションシーンもあるのだが、そこはメインコンテンツではなく、妻を亡くしたという傷と向き合い再生していくという物語だ。
脚本が素晴らしいと思う。
序盤、マッツミケルセンの娘が自転車を盗まれるシーンから始まり(マッツの娘とは全く関係ないある女の子が店に置いてある赤色の自転車ではなく青色の自転車が欲しいと言ったせいで、店のスタッフが青い自転車を盗むという経緯)、事故が起き、偶然その場に居合わせた男が仲間を引き連れてマッツミケルセンに犯人の情報を提供する。そこから復讐が始まるのだが、アクションシーンはほどほどに、その過程の登場人物達のやり取りを中心に描き、彼らの共依存(傷ついた者たちがお互いを助け合う)の関係を視聴者に見せつける。中盤復讐が勘違いであることが判明し、マッツミケルセンが妻を亡くした痛みをぶつける先を失ったゆえにボロボロに傷つく。それを周りの友人たちがサポートをする。ラスト20分で敵対組織に襲われて、マッツがピンチになったところを仲間たちが銃で助け、全員でクリスマスを楽しんでハッピーエンド。ちなみにマッツの娘にはクリスマスプレゼントで冒頭の赤い自転車が贈られ、何も知らない赤の他人の女の子は青の自転車に楽しそうに乗っているシーンで幕が閉じる。
中盤、マッツの娘が”あの時この行動を起こさなければ事故にあわなかった”と自分の行動を後悔するところを、前述のさえない3人組のうちの1人の男が諭すシーンがある。自転車のシーンはその様々な行動の因果を表す分かりやすいシーンであるが、結果的に家族が再生してハッピーエンドを迎えるからこそエモーショナルなシーンとして映える。計算が緻密になされている素晴らしい流れだと感じた。
まあ書きたいことはたくさんあるんだが、こんなところにしておくけれど、良い作品だから見てみてね。
ダイ・ハード3のネタバレあり感想(良)
ダイ・ハード3 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画
大画面で見る気は起きないけどせっかくディズニー+に加入しているので、映画好きとして履修しておくか・・・という気持ちでダイ・ハードシリーズを見始めた。
ダイハードとダイハード2は家族のために警官がテロリストに挑む・・・というアクション映画を見させる設定としては満点で、映画そのものもちゃんと面白かったのだが、このお決まりのパターンを少し崩して3に臨んだのが素晴らしい。
まず、家族円満であろうことがダイ・ハード2からなんとなく想像できたのに、その創造を裏切る別居状態。かつ主人公のマクレーンが泥酔で登場。と家族のために頑張る警官から、犯人に指定されて頑張らざるを得ない落ちぶれた酔っ払いなのがまず面白い。
画面も派手でよい。冒頭すぐにショッピングモールが爆発するだけでアクション映画として満点。ぐっと心をつかまれる。
ダイ・ハード2もなかなか脚本凝っていたけど、ただのアクション映画の割には考えさせる・先を読ませない工夫がなされている。謎解きでパートナーと町中を駆け回っている主人公の裏で、犯人が大きな目的を達成していく・・・という構図は中々面白かった。街中を駆け回るパートで謎解きさせる感じも前作にないオリジナル要素。進化を感じる。
変わったところが目立つけれど、マクレーンがしっかりと暴れるという点で外していないのがとても良い点ですよね。ということで、ダイハード3までの3作は少なくともおすすめです。
負けたら買い勝ったら売りのトレードネット麻雀②
記事を公開してから暇なときにちょっとやってみたのだけれど、
2位 +13.2
1位 +49.2
3位 -20.0
2位 +10.3
2位 +7.3
3位 -27.2
3位 -12.7
2位 +11.4
今のところ+32で一回もマイナスになることなくトレードが成立しないことが分かった。
大きく勝たずとも大敗しなければまあどうにか損せず麻雀は追われるってことが分かったね。勝つより負けないことを意識するこっちゃ。
負けたら買い勝ったら売りのトレードネット麻雀
麻雀をご存じだろうか。
日本では賭博が認められていないはずなのだが、金をかけないと友達が打ってくれないあのゲームである。
私は賭博をあまり好みとしないので友人とリアルで麻雀をすることが出来ないゆえ暇つぶしにネット麻雀をやることがあるのだが、やはりネット麻雀には緊張感がない。
というわけで、オリジナルルールで負け分の金を誰かに払わない代わりに、投資に注ぎこむことで現金が減るというスリルを楽しみながらネット麻雀をしようと思っている。
ルール①
天鳳の「四般南喰赤」をやる
ルール②
対局中に誰かがいなくなってしまった試合でも続行
ルール③
負けたら負け点×100円の株価の株を購入する。
例えばこの場合、4位だったら株価4,570円の株を購入する。日本株だと最低100株だから46万近く吹き飛ぶことになる。
ルール④
勝った場合は、勝ち点分の株価の売却をする権利を得る。
権利はストックしておくことが可能とする。
ルール⑤
負けが発生した時点で株を購入する(ただし、負けた時点で勝ち点のストックが残っている場合はストックを削ることで購入しなくてよいこととする)。
市場が動いていないときは、市場が動き始める前に負けを取り戻したら購入しなくてよいとする。
売却するタイミングは勝ち点のストックが溜まっていればいつでも良いものとする。
ルール⑥
破産しそうになったら予告なくこのゲームを終了することとする。
こんな感じで遊んでみようと思うが、いかがだろうか。
何回か対局した結果をいずれ投稿したい。僕の予想だと多分何も買わないで終わる。
「魔法にかけられて2」のネタバレ感想(残
みました。残念でした。
「魔法にかけられて」はディズニーアニメーションの世界のプリンセスが現実の世界に迷い込んでしまったが、現実世界の”現実的な”考えを持つサラリーマンと恋に落ちて結婚して現実世界で暮らすというオチであった。
1作目は何はともかく、アニメーション世界のゆるふわプリンセスが持ち前のアニメーション思考で現実世界の人々の価値観に影響を与えていく・・・というストーリーとアイデアが抜群によく、伝説的な作品として扱われている印象があるが・・・。まあ僕も見たけど面白かった。
んで、ディスニー+のオリジナル作品として結構間が空いたけど続編がリリースされたわけですね。最近だと「ホーカスポーカス」の続編が数十年ぶりにリリースされたりして、ディズニー+では過去の名作をリメイクすることが流行っているようです。ホーカスポーカスは無印は流石に昔の作品ということもあって退屈だったけれど、2は原題風にリメイクされていて最高によかった作品だったのだが・・・。
「魔法にかけられて2」は残念ながら駄作だと思いました。これだったら作らなくても良かったかなという印象。
では感想を書いていきましょう。
あらすじ
NYの生活に疲れたジゼルファミリー(モーガンはティーンエイジャーになっているから作中で結構時間は経った状態でスタート)はニューヨーク郊外に引っ越してくる。
が、娘モーガンとの関係が上手くいかず、モーガンに「あなたは継母だろうが!」と悪態をつかれてしまう。
そこで現実に嫌気がさしたジゼルは魔法の杖(アンダレーシアの人じゃないと使えないという分かりやすい設定)で”現実世界が魔法の世界になれば”と願う。すると、街の登場人物から世界観からが全てファンタジーの世界に代わってしまい(実写で表現されている)、ジゼル以外の人物もファンタジー世界の住人となって元の記憶すらなくなってしまう(重要だから赤)。
更に問題があり、魔法をかけたジゼル本人もいわゆるファンタジーの世界で定番とされる”嫌な継母”に人格が変わっていってしまう。真夜中12時の鐘が鳴ると完全に世界がファンタジー世界に飲み込まれてしまう・・・、という状況の中、ジゼルは世界を救うために最後の望みをかけてモーガンをアンダレーシアの世界に突き落とす。
アンダレーシアの世界に行ったモーガンは元の記憶(魔法がかかる前の現実世界の記憶)をなぜか取り戻し、ファミリーの思い出の力を携え現実世界に戻り、色々あってモーガンが魔法の杖で元の世界に戻して(要はモーガンは血縁上ジゼルの娘ではないが、本当の娘なのよ的なくだりがあったのちに杖を使うことで家族愛を表現している)ハッピーエンド。
↑これは大分端折っているが、魔法をかけて後のファンタジー現実世界におけるヴィラン(女王)もしっかり登場しており、悪落ちしていくジゼルVS悪の女王という構図は面白かった。が、本筋としてはあまり重要ではないので省いている。
感想① なぜ、別人格にしてしまったのか
この作品の主題は家族愛であり、継母であるジゼルとモーガンが愛を取り戻す物語である。分かりやすく”アンダレーシア人しか使えない杖”を登場させて、家族であるという証明をクライマックスに持ってきているのが分かりやすい証拠で、まあディズニーに期待するアプローチそのものなのでテーマは良い。
中盤以降の”現実世界をジゼルが魔法によってファンタジー世界に変えてしまう”という展開自体は良いのだが、その中身がかなり勿体ない。ジゼルは自分の意思に反して嫌な継母に”魔法の力”で変わっていってしまうという状況で、パートナーのロバートもファンタジーナイズドされたアホな性格になってしまっており、モーガンも終盤のアンダレーシアに落とされる前まではファンタジー世界のヒロイン的人格になっているので、家族愛を主題にしている割には元の世界にいた頃の人格のまま家族を再構築させるという動きが全く取れていないのである。
回りくどくなったが、結果的に家族が再構築されたきっかけとなった家族の思い出と向き合ったのはアンダレーシアに行った後のまともなモーガンだけであり、彼女が一方的に家族に歩み寄って家族再結成(しかも歩み寄るという描写がものすごく短い、ファンタジー世界の尺が長すぎるから仕方がないのだが)というのがもったいない。
ジゼルとロバートを別人にした意味はあるのだろうか。世界がファンタジーになろうとも、ジゼルとロバートの人格はそのままにしたほうが”家族愛”はしっかりと描けたのではないだろうか?と視聴途中からずっとモヤモヤしてしまって、後半以降がすべて茶番に見えてしまった。
感想②ダブルヴィランという構図は面白い
が、”魔法にかけられて”でアニメーション世界のヒロインが現実でわちゃわちゃする・・・という革新的な設定を持ち出してヒットしたように、本作でも面白い試みがなされている。
ディズニー作品は作品が複雑化しすぎないようにシンプルな構成になっていることが非常に多いが(映画慣れしていると大体起承転結の流れが分かるようになってしまう)、魔法にかけられて2はそのお決まりから脱しようという試みがあったことは感じられた。
具体的には前述した通りでファンタジー化した現実世界でジゼル本人がヴィランになり、かつ物語全体としてのヴィラン(女王のこと)も存在する中で、ヴィランVSヴィランというディズニー世界では珍しい構図が拝めたのは楽しかった。まあ、良かったのは逆に言うとそこだけなのだが・・・。
↑の構図が出来たのは終盤にかけて物語の主役をモーガンにスムーズに移行できたからであり、そのバトンタッチは上手くやっていたと思うが、家族をテーマにするならば主役はバトンタッチしないで両立させないといけないと感じたのは、まあこれも前述通りである。
感想③歌はまあ頑張っていた
クライマックス(モーガンが家族の愛を取り戻す場面)で、前作でアンダレーシアに嫁いでいったナンシーが歌う曲があるのだが、あれは力を感じた曲だった。
ちなみにナンシーを演じたイディナ・メンゼルはアナ雪でエルサの声優を務めた方である。クライマックスの歌を彼女に託した采配はグレート(モーガンやジゼルにしない割り切りは評価に値する)。
総評:つまらなくはないけど期待は下回った
1作目が良すぎたのが悪いね。
ノンクレジットアニメOP/ED映像がyoutubeで見れる社会っていいよね。
久々に毎週放送されるタイプのアニメーションを今期は楽しんでいるんだけど、最近はyoutubeでノンクレジットのOP映像やED映像が見られるじゃない?
あれっていいよね。
昨今の風潮として”曲が長すぎると聞かれない””いきなりサビじゃないとスキップされる”みたいなものがあるでしょ。
サブスクが音楽視聴の媒体としてメインになって聴ける音楽が溢れかえっているから仕方がないのだと思うけれど、そんな風潮がある中で”じゃあ初見でも聴いてもらえるような曲にするか”とミュージシャン側がその風潮に迎合してしまっては多様性が失われてしまって市場としてはつまらない方向に向かってしまう。
それを避ける方法のうちの一つがMVなのさ。
音楽は移動中とか作業中とかながら視聴が前提になるからあまり腰を据えて聴くって文化がなかなか根付かない中で、MVというコンテンツ力の付加があると、その作品にどっぷりと浸ってもらえる可能性が生まれる。そうなったら”イントロがなげえよ”とか”サビがおせえよ”という理由で切られてしまうことも避けられるわけさ。
サブスクが流行する前のyoutubeに公開されているMVって1本の作品としてリリースされていないで、1番だけちゃんと聞かせて2番はカットとかリリース情報とかになってなかった?
昔
今
昔
今
それが最近はMV1本丸々作品としてアップされてるでしょ。音楽の世界の偉い人も↑のようなことを考えて力を入れ始めているような気がするのよね。
ただ、MVを強力な誘因にするのも結構難しくて、アーティストあるいは曲の世界観を描いたものだからどうしてもそのアーティストor曲そのものに興味を持っている人が触ってより楽しいという性質が強い。
そこで古くから使われているタイアップという仕組みにショートMVとしてのタイアップアニメーションのOPとEDを組み合わせて、知らない人が曲を聴くきっかけにもなるし、アニメ作品の顔になっているOP EDという強力なコンテンツが曲を聴ききることを後押ししてくれるというわけだ。裾野も広げられるしちゃんと曲を聴いてくれるきっかけも作れるというわけだね。
タイアップだけだとそうはいかなくて”この作品が好きだから聞いてみるか”だけでなく、”この作品は興味あるけど本編は見ていない。でもOPとかEDは綺麗だから見てみるか”というぐらいのうっすい思い入れの人も曲の方に引っ張ってこれるのがいいところ。
チェンソーマンがED毎週変えて放送しているけど、”本編はあまり熱を持ってないけどEDを楽しみに見ている”という知り合いはいたので、裾野広く誘引できるってのは読みとして見当違いってことはなさそうだ。
ま、とにかく効果がありそうだし、僕としても好きだからよ。今後も惜しみなくやってくれよな。
※僕が今見ているチェンソーマンとうる星やつら以外もノンクレジット後悔しているのか不安になったので検索してみたらちゃんとやっていた。米津⇒YOASOBI⇒BUMP⇒UNISON⇒Mrsという順で上から出てきたんだけど、UNISONこんな位置につけるんだな。頑張ってる。
ヤミラミによるポケモンユナイトの引退
スマホ版リリースからプレイしているポケモンユナイトというゲームだが、飽きが来たら辞めるし、環境が良くなったら続けるしみたいな形でのプレイを続けていたのだが、ヤミラミの登場で本格的な引退を検討している。というかもうやめる。
要はどういうキャラクターなのかというと、
①相手から姿が見えない時間が存在する(技を使うと見えなくなるかつ足も速いので補足してもキルしきれないことが多い。これが一番ストレスがたまる)
②技を当てられると混乱状態になり近くの味方や野生ポケモンを勝手に攻撃してしまう
という仕様なのだが、これがいるだけで気持ちよくプレイが出来ない(ヤミラミだけローリスクハイリターンの動きが永遠に出来るのでそりゃバランスがぶっ壊れるに違いないわな)。
ポケモンユナイトはキャラクターのバランス調整をミスりがちで遥か昔から目も当てられないような環境に度々なっているのだが、現環境は比較的キャラクターのバランスが取れている。しかし、ヤミラミがただうざくて相手チームでピックされていないことを祈りながらプレイをしないといけないストレスが楽しさを上回ってしまった。
で、さらに絶望的なのが、キャラクターのバランス調整でヤミラミの姿を消すとか混乱するという仕様が弱体化することはあろうとも、無くなる可能性はほぼ0であろう(誰かが課金して購入したキャラクターである以上使えなくなる可能性はない)。一キャラクターだけローリスクハイリターンの動きが出来てしまうという事象自体が私は気にくわないので、弱くなるとか強くなるとかそういう次元の話ではないのだ。
というわけで長い間暇つぶしとして活用させていただいたポケモンユナイトを二度とプレイしないことをここに宣言しておく。ポケモンユナイト、変なキャラクターを登場したばっかりにユーザーが減ってサービス終了するオチを僕は祈っている。
さようなら。