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「魔法にかけられて2」のネタバレ感想(残

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みました。残念でした。

魔法にかけられて」はディズニーアニメーションの世界のプリンセスが現実の世界に迷い込んでしまったが、現実世界の”現実的な”考えを持つサラリーマンと恋に落ちて結婚して現実世界で暮らすというオチであった。

1作目は何はともかく、アニメーション世界のゆるふわプリンセスが持ち前のアニメーション思考で現実世界の人々の価値観に影響を与えていく・・・というストーリーとアイデアが抜群によく、伝説的な作品として扱われている印象があるが・・・。まあ僕も見たけど面白かった。

 

んで、ディスニー+のオリジナル作品として結構間が空いたけど続編がリリースされたわけですね。最近だと「ホーカスポーカス」の続編が数十年ぶりにリリースされたりして、ディズニー+では過去の名作をリメイクすることが流行っているようです。ホーカスポーカスは無印は流石に昔の作品ということもあって退屈だったけれど、2は原題風にリメイクされていて最高によかった作品だったのだが・・・。

 

魔法にかけられて2」は残念ながら駄作だと思いました。これだったら作らなくても良かったかなという印象。

では感想を書いていきましょう。

 

あらすじ

NYの生活に疲れたジゼルファミリー(モーガンティーンエイジャーになっているから作中で結構時間は経った状態でスタート)はニューヨーク郊外に引っ越してくる。

が、娘モーガンとの関係が上手くいかず、モーガンに「あなたは継母だろうが!」と悪態をつかれてしまう。

そこで現実に嫌気がさしたジゼルは魔法の杖(アンダレーシアの人じゃないと使えないという分かりやすい設定)で”現実世界が魔法の世界になれば”と願う。すると、街の登場人物から世界観からが全てファンタジーの世界に代わってしまい(実写で表現されている)、ジゼル以外の人物もファンタジー世界の住人となって元の記憶すらなくなってしまう(重要だから赤)。

更に問題があり、魔法をかけたジゼル本人もいわゆるファンタジーの世界で定番とされる”嫌な継母”に人格が変わっていってしまう。真夜中12時の鐘が鳴ると完全に世界がファンタジー世界に飲み込まれてしまう・・・、という状況の中、ジゼルは世界を救うために最後の望みをかけてモーガンをアンダレーシアの世界に突き落とす。

 

アンダレーシアの世界に行ったモーガンは元の記憶(魔法がかかる前の現実世界の記憶)をなぜか取り戻し、ファミリーの思い出の力を携え現実世界に戻り、色々あってモーガンが魔法の杖で元の世界に戻して(要はモーガンは血縁上ジゼルの娘ではないが、本当の娘なのよ的なくだりがあったのちに杖を使うことで家族愛を表現している)ハッピーエンド。

 

↑これは大分端折っているが、魔法をかけて後のファンタジー現実世界におけるヴィラン(女王)もしっかり登場しており、悪落ちしていくジゼルVS悪の女王という構図は面白かった。が、本筋としてはあまり重要ではないので省いている。

 

感想① なぜ、別人格にしてしまったのか

この作品の主題は家族愛であり、継母であるジゼルとモーガンが愛を取り戻す物語である。分かりやすく”アンダレーシア人しか使えない杖”を登場させて、家族であるという証明をクライマックスに持ってきているのが分かりやすい証拠で、まあディズニーに期待するアプローチそのものなのでテーマは良い。

中盤以降の”現実世界をジゼルが魔法によってファンタジー世界に変えてしまう”という展開自体は良いのだが、その中身がかなり勿体ない。ジゼルは自分の意思に反して嫌な継母に”魔法の力”で変わっていってしまうという状況で、パートナーのロバートもファンタジーナイズドされたアホな性格になってしまっており、モーガンも終盤のアンダレーシアに落とされる前まではファンタジー世界のヒロイン的人格になっているので、家族愛を主題にしている割には元の世界にいた頃の人格のまま家族を再構築させるという動きが全く取れていないのである。

回りくどくなったが、結果的に家族が再構築されたきっかけとなった家族の思い出と向き合ったのはアンダレーシアに行った後のまともなモーガンだけであり、彼女が一方的に家族に歩み寄って家族再結成(しかも歩み寄るという描写がものすごく短い、ファンタジー世界の尺が長すぎるから仕方がないのだが)というのがもったいない。

ジゼルとロバートを別人にした意味はあるのだろうか。世界がファンタジーになろうとも、ジゼルとロバートの人格はそのままにしたほうが”家族愛”はしっかりと描けたのではないだろうか?と視聴途中からずっとモヤモヤしてしまって、後半以降がすべて茶番に見えてしまった。

 

感想②ダブルヴィランという構図は面白い

が、”魔法にかけられて”でアニメーション世界のヒロインが現実でわちゃわちゃする・・・という革新的な設定を持ち出してヒットしたように、本作でも面白い試みがなされている。

ディズニー作品は作品が複雑化しすぎないようにシンプルな構成になっていることが非常に多いが(映画慣れしていると大体起承転結の流れが分かるようになってしまう)、魔法にかけられて2はそのお決まりから脱しようという試みがあったことは感じられた。

具体的には前述した通りでファンタジー化した現実世界でジゼル本人がヴィランになり、かつ物語全体としてのヴィラン(女王のこと)も存在する中で、ヴィランVSヴィランというディズニー世界では珍しい構図が拝めたのは楽しかった。まあ、良かったのは逆に言うとそこだけなのだが・・・。

↑の構図が出来たのは終盤にかけて物語の主役をモーガンにスムーズに移行できたからであり、そのバトンタッチは上手くやっていたと思うが、家族をテーマにするならば主役はバトンタッチしないで両立させないといけないと感じたのは、まあこれも前述通りである。

 

感想③歌はまあ頑張っていた

クライマックス(モーガンが家族の愛を取り戻す場面)で、前作でアンダレーシアに嫁いでいったナンシーが歌う曲があるのだが、あれは力を感じた曲だった。

ちなみにナンシーを演じたイディナ・メンゼルはアナ雪でエルサの声優を務めた方である。クライマックスの歌を彼女に託した采配はグレート(モーガンやジゼルにしない割り切りは評価に値する)。

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総評:つまらなくはないけど期待は下回った

1作目が良すぎたのが悪いね。