【ジュラシック・ワールド/炎の王国】Welcome to ようこそジュラシックワールド!(感想:ネタバレあり)
いきなりネタバレます。
どったんばったん大騒ぎ。見てきたので、簡単に感想を書きます。
タイトルが「ジュラシックワールド」たる所以がラストシーンで判明するわけだが、「なるほど上手だなあ」と思った。
前作はテーマパークの名前が「ジュラシックワールド」だったけれど、本作はこの世界こそがジュラシックワールドという意味だったんだね。「Fallen Kingdom」を活火山で沈んだ島を指すのか、我々人間一強の世界を指すのか、ここは邦題の見せだったけれど、「炎の王国」と訳したってことは前者って解釈だったんだねえ。
軽くネタバレしながら面白かったポイントを書いていくぞ。
一言で言うと、「だいたい思った通りのジュラシックワールド。でも、前作の方が好き。2作で合わせてみると、二作とも好き。」
って感じ。
400字のあらすじ
前作のジュラシックワールドは閉鎖。島での活火山の影響で、そこに住んでいた恐竜たちが絶滅の危機に。
恐竜大好き財団の協力を得て、彼らを救おうとクリスプラットらは島に向かったが、それは恐竜大好き財団の罠だった!
財団の悪い人々は、島から恐竜達を巨大な屋敷に連れて帰り、オークションを始める。そこには遺伝子工学でラプトルの頭脳とインドなんとかの狂暴性を兼ね備えた「インドラプトル」もいた。そのインドラプトルが檻から出てきて大変なことに!
色々あったけれど、島から拉致されてきたラプトル(前作からクリスプラットが手懐けていた味方ポジション)と協力して、インドラプトルを撃破。
オークションのために拉致られた恐竜達は屋敷から世間に解放され(毒ガスにまみれて死にそうになっていたので、女の子が助けた)、我々人間の住む世界が、恐竜と共存する世界、あるいは恐竜に支配されるかもしれない世界になってしまいました。
って感じ。
タイトルや予告映像の影響で「火山で飲み込まれそうな前作の島が舞台なんだな」と勝手に想像していたけれど、序盤で島からは脱出して、物語のほとんどは恐竜たちが拉致された先の屋敷内で展開される。本作の凶悪な敵ポジションであるインドラプトルとの追いかけっこの舞台もだ。
映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』日本独占!【最終予告】
↑この感じはさぁ・・・。確かにインドラプトルのシーンは全部人工物っぽいけれど、やっぱりジャングルとか火山とかを期待しちゃうよね。ラストカットが島で吠えるTレックスだし。
「ジュラシックワールド」シリーズとして見たときの完成度の高さ
前作は「自然の中に恐竜が生活していて、その近くに人間が観光できるような人工施設がある」という舞台設定だが、本作は「人口施設の中に自然(=恐竜)を持ち込み、その中で恐竜が大暴れする」という設定。
これについては完全に好みの問題だが、ジュラシックワールドに僕が期待していたのは「大自然の中で生きる恐竜達と太刀打ちできない人間」という前作っぽい内容だったので、少々期待外れではあった。
しかし、「本作だけで見たら、ちょっと残念という」だけだ。
もちろん僕らがジュラシックワールドに求める要素は余すことなく盛り込まれていたので、「こんなのジュラシックワールドじゃない!」と思うことはないから安心してほしい。本作単独で見ても、十分面白いんだ。
しかし、本作の本領は「ジュラシックワールド」の続編としての「ジュラシックワールド/炎の大国」という立ち位置の下発揮される。しっかりセットで見るべき作品なのだ。
私が感心したのは4作目「ジュラシックワールド」から5作目「ジュラシックワールド/炎の大国」のストーリーの流れである。5作目で4作目から描いでいたテーマを回収してきたなぁと感心した。
確かジュラシックワールドでも人間が遺伝子操作をして過去の動物を生み出すという行為に対する傲慢さを描いていたと思うけれど、本作についてもそのテーマは一貫していて、本作のオチで「人間が管理するのではなく、恐竜と人間が同じ世界を生きる」という形で傲慢さの行きつく果てを描いていた。
恐竜の前に成す術がない人間を散々見せつけた後、人間界に恐竜が当たり前にいる世界を描写するインパクトは結構なものだ。クリスプラットはラストシーンで神妙な顔をしていたけれど、まともな人間ならそんな余裕ではいられない。
もし続編が創られるのならば、今度は限られた人間が作り出した建物の中だけではなく、世界中がジュラシックワールドとして描かれた物語になるだろう。それはそれで楽しみなので、「3部作で完成する傑作」になりえることを僕は楽しみにしている。
今回のオチ
なんてことを書いていた割には、ジュラシックワールドは劇場で見たっきり復讐してないので、鮮明に覚えていないのがこの記事を書く上での最大の問題。
きっと、前作の記憶を鮮明にさせたほうがもっとの楽しめるので、ぜひDVDで「ジュラシックワールド」を見た直後に「炎の大国」を観よう。
【劇場版ポケットモンスター みんなの物語】今年のポケモン映画は一味違うぞ!(感想:ネタバレほぼなし)
見てきた。
昨年の「キミにきめた!」に引き続き、TV本編とは全く関係のない設定で展開される本作。昨年の出来が良く、右肩下がりであった興行収入を立て直したこともあり、今年の映画にも期待している人は多かったのではないだろうか。
↑TV放送されたときはこの記事へのアクセスが爆発的に伸びた。やはりみんな注目していた作品なのだろう。
「みんなの物語」は今までのポケモン映画と違ったベクトルで楽しめる、個人的には好きな映画だった。
「みんなの物語」というだけあり、従来のサトシとピカチュウを主人公とした、伝説のポケモンとのドンパチを通じて一つのテーマを描く物語とは全く違った構成となっている。映画のオリジナルキャラクターがポケモンとの触れ合いを通じて成長する群像劇に近しい物語であった。
ぼちぼち感想を書いていくぞ。
◆サトシだけが主人公ではない。
前述したが、この映画は従来のポケモン映画とは全く違う構成をしている。
物語の中心に常にサトシがいるわけではなく、サトシはあくまでもポケモンとの絆を他のトレーナーよりもうまく築けているモデル的なトレーナーであり、一人の登場人物に過ぎない。
キャラクター|ポケモン映画公式サイト「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」
登場人物紹介のところを見ていただければわかるが、顔なじみのキャラクターはサトシとロケット団のみ。
いつもの劇場版ならばサトシに達の周りにちょこまかついているモブっぽいキャラクターが多いように見えるが、彼らが全員主役級の活躍を見せる。
これが今作で一番思い切ったところだった。サトシを中心とした物語ではなく、ポケモンとの関わりを持つ人々の普遍的な物語。各々のバックグラウンドを持った登場人物がポケモンとの関わりを通じて成長していく、いわば全員が主人公の物語となっている。
とは言ったものの、キッズがちゃんと楽しめるように、ちゃんと起承転結があるストーリーになっている。決して、例えば「トレーナー、リサの場合」と言ったようにショートエピソードがいくつも連なっているような構成ではない。
様々なトレーナーがポケモンと協力しながら、街で起きた事件の解決に臨むという大きな筋書きはあるし、その筋書きは破綻せずしっかりと視聴者の気持ちを掴んでいる。その大きな筋書の中で、各トレーナーの人物像や彼らの心情を丁寧に描ききった(サトシ含めてメインキャラクターは6人近くいる。並大抵なことではない)ことが、本作の魅力に繋がっている。
◆ポケモンパワーはすごい。
メインキャラクター6名全員が主人公とはいったものの、大ベテラントレーナーのサトシと相棒ピカチュウの立ち位置はやはり別格である。トレーナーとポケモンの理想の関係を築いた彼らは本作における他の登場人物にとってのロールモデルであり、英雄的な存在となっている。
ピカチュウとの硬い絆で結ばれたサトシによる「一人じゃ出来ないことも、ポケモンと一緒ならやれる!※」という言葉が他の登場人物5名の気持ちを変えていく。
※このことを、劇中で「ポケモンパワー」とサトシが名付けた。絶妙なダサさがたまらん。
かつて陸上競技に打ち込んでいたが、ケガをきっかけに走れなくなってしまったリサ
研究者としての能力が高いが、自信がなく物事をはっきり言えないトリト
姪を喜ばせるために嘘をつき続けるカガチ
かつて愛するポケモンを失ったヒスイ
※メインキャラクターのうちの1名、ラルゴについては後述。
彼らが一つの事件を解決するために一致団結し、ポケモンの後押しで変わっていく様を劇場で見せつけられるのである。見せ場が4回もあるんだぞ、こんなに贅沢な映画があるか。
繰り返しになるがこれまでの映画は基本的には「サトシを中心としたメインキャラクターとポケモンの絆」がテーマであったが、本作は"みんなの物語"とすることで「トレーナーとポケモンの絆」を描いていた。
自分とは違う主人公とポケモンの物語ではなく、「ポケモンの世界にいる自分かもしれない誰か」とポケモンの物語なのだ。だからこそ普遍的なポケモン世界を生きるトレーナーとポケモンの物語になっていたし、感情移入もしやすい内容になっていると思う。
僕は今年、初めてポケモン映画を見て涙ぐんでしまった。カガチが・・・カガチとウソッキーが良いキャラしてるんだ・・・
◆ゼラオラのちょうどいい扱い
ポケモン映画と言えば幻のポケモンの活躍だが、本作の幻枠であるゼラオラもなかなか良いキャラクターをしていた。
ある事件をきっかけに人間を信頼しなくなったゼラオラが、ラルゴという女の子との交流を通じて心を開き、最後には人間と和解、街で起きた事件を一緒に解決するというのが彼にまつわる本作の大まかな話の流れである。
ポケモン映画ではありがちな展開だが、本作における彼の役割、というかラルゴと彼の関係性が持つ役割は大きい。
本作のテーマは、前述したポケモンパワーに凝縮されており、要は「1人じゃ出来なくても、ポケモンと一緒なら頑張れる!前に進める!」であり、そのテーマを様々な人間とポケモンとの交流の中で描いてきたわけだが、ラルゴとゼラオラの関係においては主体が逆なのだ。
ラルゴが終盤に「トレーナーは、ポケモンと一緒に居ると頑張れる。ポケモンも、トレーナーと一緒に居ることで幸せになれたらいいなぁ」(ごめん、正確なセリフは忘れた。)的なことを言うのだ。そして、クライマックスでゼラオラは人間の皆の声援を受けながら、力を振り絞って鉄柱と闘う(詳細は劇場で見てください、適切な表現が思い浮かばない)。
つ、ま、り、ラルゴとゼラオラの関係はあくまでもポケモンが主体になっており、彼らの視点があるからこそ、トレーナーにとってのポケモンの立ち位置を一方的に語っている独りよがりの映画にならず、トレーナーとポケモンがパートナーであることをしっかりと印象付けることが出来ているのだ。
去年のマーシャドーに比べると、本作のゼラオラはしっかりと物語の中で役割を持てていた印象。メインの伝説ポケモンと幻のポケモンの扱いで物語に歪が生まれている作品もそこそこあるので、本作はとてもうまく構成していたと言えよう。脚本完璧なんだよなあ。
◆おまけ
まぁもはやポケモン映画は心配することないけれど、今年も声優の皆様は違和感なく仕事をしてくださっていました。個人的には濱田岳の優しい声が好き。
来年はミュウツーの逆襲のリメイクもしくはリブート版みたいだ。今年から監督が変わったけど、本作を創った人なら期待できる。ぜひ頑張ってほしい。
【未来のミライ】ホームビデオ感(感想:ネタバレあり)
見てきた。
細田守監督作品は「時をかける少女」から「バケモノの子」まで見ていて、「サマーウォーズ」までは好きだったけれど、以降は「やりたいことは分かるけど・・・分かるけど!」といった印象。
で、満を持して「未来のミライ」を視聴してきたわけだが、これがとてもよかった。
スタジオ地図作品の中では、一番シンプルで、物語が分かりやすい。
「時かけ」や「サマーウォーズ」のようなSFではないし、「バケモノの子」や「おおかみこども」のようなファンタジー的な特殊な設定もない。
端的に言ってしまうと、家族の日常を切り取り、主人公のくんちゃんが少しずつ成長していく話なのだが、その成長のファクターとして、くんちゃんと「未来のミライちゃん」をはじめとしたさまざまなキャラクターとの関わりが描かれている。
僕が劇場で見た予告映像から勝手に想像していた物語とは大幅にずれていたわけだ。
「くんちゃんが生きる世界(現代)」⇒「未来のミライちゃんとくんちゃんが時間・空間を超えた大冒険に出る」⇒「くんちゃんが成長して元の世界に戻ってくる」
ってシナリオなんだろなーと勝手に想像していたのだけれど、ハズレ。
むしろこの物語の主軸はくんちゃんが生きている現代にあって、
「現代」⇒「くんちゃんの空想?の世界(=未来のミライちゃんや、子どもの頃のお母さん、などなど)」⇒「現代」を繰り返していく構図。
したがって、少々メリハリのない印象を持ってしまい、多少退屈してしまう一面もあったのだが、そこら辺はアニメーションならではのキャラクターの豊かな表情だとか、コメディ要素だとか、絵の美しさ(未来の東京駅のシーンの描写は度肝を抜かれた)とかで、補えていたと思う。
しっかり起承転結で構成されている物語っていうよりも、家族の関係をリアルに丁寧に描写したシーンが連続しているホームビデオのような印象。結婚式で流れる新郎新婦の生い立ち映像を見ているような温かな感動を覚えた。
以下ネタバレ込みで細かいツボポイントを書いていくぞ。
演出力
あまり詳しいわけじゃないので、ざくっとしたことしか言えないけれど、人の感情を表情や動きで描写したり、時間の経過や小さい子どもがいる家庭における家事の慌ただしさをカメラワークで表現するのが抜群に上手い。
起承転結的な構成をしていないと前述したけれど、なのに面白い、魅力的な作品に仕上がっているのは、この演出の力にあると思う。
くんちゃんの家族が住んでいる家はざっくりこんな感じなのだけれど、各階の様子を横から映したカメラをせわしなく動かして、忙しさ、慌ただしさを表現しているところがあって、とても好き。
庭が過去や未来に繋がっている
くんちゃんが庭に行くと、空想モードがスタートする。
くんちゃんは作中、時を超えて色んな場所に冒険に行くわけだが、「これおかしくね?」という風にならないのは、起点が庭にあることに終始しており、「まぁ小さい男の子の想像の世界なんだな」となんとなく合点がいくから。
飼い犬が擬人化されたり、未来のミライちゃんが現れたり、子どもの頃のお母さんの家に遊びに行ったり、青年時代のひいおじいさんとバイクに乗ったり、未来の自分自身に出逢ったり。
とにかく、くんちゃんは時空を超えて自らの家族との出会いを重ね、その結果少しだけ成長して元の世界(空想ではない現実)に帰ってくる。
分かりやすいところで言うと、例えば自転車に乗れなかったくんちゃんが、空想の世界でひいじいさんとバイクに乗った後、現実世界で自転車に乗れるようになっている、とか。そういう親から見て子どもがちょっと成長したな、と思えるような小さなエピソードの背景を、庭の空想世界が補っているような形だ。あくまでも現実世界で起こっている出来事は、「こんなことないでしょ」と違和感を持つようなものではなく、ちゃんとリアリティあるものに終始しているのがポイント高い。
この作品のテーマは分かりやすくて、家族の絆、とか家族のつながり、とかそういったものだ。それを未来と過去の家族に出逢うエピソードを重ねることで表現したのがこの映画。
物語のクライマックスはくんちゃんが未来の東京駅で迷子になってしまい、未来のミライちゃんが助けに来た後「家族の記憶」がアーカイブされた空間を二人で眺める場面なのだけれど、その時のミライちゃんのセリフが、細田守監督が描きたかったテーマそのものだ。
言葉にしなくても視聴者なら大体わかるのに、とは思ったけれど、言いたいことをすべて説明してしまうのが近年の映画の傾向だからしょうがないかな。
(おまけ)声優について
名だたる有名俳優が本作の声をあてているが、違和感は全くなかったので、そちらについてはご安心を。
まとめ
時かけやサマーウォーズには及ばないものの、物語に矛盾や違和感を生じさせない(まぁそもそも今作は起承転結から外れたのっぺりした物語だったという前提はあるが)とう意味では、スタジオ地図作品の中では3番目に好きな作品でした。
もう一度、まったりと家で見たい。
十二大戦対十二大戦 (ちょっとネタバレあり、ざっくり感想)
ようやく続編?の方のこちらも読みました。十二戦士の登場人物は変わらずなのですが、今回は戦士同士の闘いではなく、十二戦士がチームを組み、新登場の「十二戦犯」と闘う十二対十二、計二十四人(双子座の戦犯は二人で一人なので、正確には二十五だけど)のバトルとなっている。
(本作は「子」の能力「ねずみさん」が導き出した一つの可能性の物語。十二戦士が殺しあわず協力して十二戦犯と闘うという立て付けの十二大戦を子の戦士が選んだという立て付け)
物語のボリュームとしては「十二大戦」とほぼ変わらないので、試合展開がものすごく早い。次々と戦士が、戦犯が死んでいく。十二大戦で活躍しきなかった戦士が活躍しており、十二大戦で活躍していた戦士が簡単に死んでいくので、十二大戦とは全く違った楽しみ方が出来る。
例えば、十二戦士の中でもダントツで厄介な圧倒的な戦闘力を持つ丑と死者を使役する兎の戦士は序盤真っ先に死亡するので、前作のような死体が動く泥仕合は展開されず、圧倒的なカリスマである丑の戦士も不在のまま絶望的な展開で試合が始まるのだ。
前作で優勝を果たした子の戦士も、すぐに死んでしまう。死に方はなかなか面白かったので、ぜひ読んでほしい。
ちなみに本作で活躍するのは、前作、割と早いタイミングで亡くなった「亥」「戌」「酉」の戦士。そして前作から割と優遇されている「申」の戦士。
特に前作キャラクターがあまり掘り下げられずに終わった「亥」「戌」は本作にて最後まで生き残る大出世を果たし、彼らのバックグラウンドや信念まで丁寧に描かれている。「酉」もそこそこ生き残るのだが、死亡に至るまでの経緯が十二大戦に似ていて、別の可能性の世界でも人間性は変わらない面白さが彼女にはあった。
「申」の戦士は戦争がテーマの十二大戦にて、「平和裏に殺す」をモットーとする平和主義者という時点で物語に深みを出させるため活用せざるを得ない優秀な素材であることは確かだ。使わない手はない。本作はある種彼女のお陰でその「戦争」というテーマの深堀が前作以上になされていたと思う。彼女の考えが、一言一言が、戦争と平和についての疑問の投げかけとなっている。
「綺麗事なめんなよ」
十二大戦屈指の名言は、本作においても一番の見せ場で発せらた。
ちなみに、本作のオチは「十二戦犯が、今回の十二大戦において何を願ったか」の解明にある。十二戦士には、前作同様「生き残った者の願いを叶える」と伝えられていたが、敵方である十二戦犯の勝利条件および勝利した際のメリットは最後まで分からない。それを申の戦士が探りながら平和的交渉に臨む場面があるのだが、そこら辺がクライマックスで、物語の終わりに十二戦犯が望んだ「願い」が明かされるという構成だ。
まさしく「十二大戦」にふさわしい願いだった。この「願い」が個人的にとても好きで、それゆえに僕は「十二大戦」より「十二大戦対十二大戦」の方が好きだ。ただのバトル小説以上の意味合いを持っていると思う。
十二大戦で「ただのバトルロワイヤルじゃん」と思った人。ぜひ本作も読んでほしい、きっと別の感想を抱くから。
こちらもどうぞ。
【坂道のアポロン】律子が可愛い(ざっくりとした感想)
坂道のアポロン コミック 1-9巻 セット (フラワーコミックス)
- 作者: 小玉ユキ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/05/04
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実写映画化されるし、原作が9巻で完結するという魅力に駆られ、一気読みしてしまった。
青春をこじらせた素直になれない主人公(西見 薫)、がさつに見えて繊細な心を持ち合わせている闇を抱えた親友(川渕 千太郎)、そして親友の幼馴染でTHE 田舎の心豊かな女の子感が満載のヒロイン。
この布陣!彼らがわちゃわちゃしているだけである程度楽しめてしまうずるさがある。僕は結構少女漫画が好きで、キャラクターの心理描写とかよくわからない縺れた人間関係みたいのを永遠と見れられるのが個人的なツボなのだけれど、坂道のアポロンも例にもれずその手の作品であった。期待通りである。
何といっても、律子が可愛い。こんなに可愛い女の子が他にいるだろうか。この、素朴な・・・純粋な感じ!!!癖がない、嫌味でもないただの女の子。行動原理全てに共感が出来る。その魅力をしみじみとかみしめながら僕はこの作品を読み進めていた。
彼女の心の動きは至ってシンプルで、下手にドロドロしていないからとてもすっきりしている。納得のいかない動きもなく、物語を盛り上げるために下手なすれ違いを演じたりしない。単に幼馴染の千太郎が好きだったが、主人公の薫に好意を寄せられ、感情が揺さぶられながらも最後には薫を好きになる。この間両者を汚らしく天秤にかけるような真似はしないし、行ったり来たりもしない。その分かりやすさ、潔さが気持ちよく、可愛らしい。
なぜ、この名ヒロインが誕生したのか。
薫も千太郎も情緒不安定で女々しいので、律子というぶれの少ない存在がいなければ、作品が離散してしまうからだと私は妄想する。
「坂道のアポロン」は三角関係の物語と思わせておいて、実は薫と千太郎の友情がほぼ物語の主軸で、彼らがすれ違いや喧嘩を繰り返しながらも友情を育んでいく物語と言ってしまっても良い。主役は薫と千太郎なのだ。
ゆえに、律子は彼らを乱すような行動を慎まなければならない。読者には彼らの友情に集中してもらいたいから、必要以上のエネルギーを割くようなヒロインであってはならない。彼らのすれ違いの原因でありながらも(三角関係でありながらも)、彼らをまとめあげるポジションを求められる(恋愛故の友情の崩壊を招くわけにはいかない)。
そのためには、純粋に、プラスでもマイナスでもない、物語に波風を絶たせない品行方正なキャラクターである必要がある。恋に積極的になりすぎず、皆でいるのが好きな、必要以上の味付けもされていない、いわゆる良い子。そんな女性が物語の中心に必要だったからこそ、律子という毒なき素朴なヒロインが誕生したのだ。
まぁヒロイン論はどうでもいいのだけれど、前述した通り、全体的に「坂道のアポロン」男性が読む分には「ちょっとこの男子たち女々し過ぎないか?」と思ってしまった。
こう・・・もっと男子はさばさばしているというか、ここまで友情の在り方や人間関係について深く思い悩むことはないような・・・。どちらかというと、女の子同士の友情のやり取りを見ているような気分で、それはそれで微笑ましいなという感じ。まぁ登場人物の心の揺れ動きや特に薫の繊細な感情は伝わってきたし感情移入が出来ないというわけではなかったので、「現実の男はこんなんじゃない!」という意見は野暮なのだが、どうも「これ考えすぎだろうぅ」って部分が引っかかってしまう。そんな作品でもあった。
しかしそんな違和感を正す役割を持っている人物がいる。こんなのおかしいよ!と伝えてくれる女性が。
そう、律子であr(この記事の冒頭に戻る
今回のオチ
ヒロインが最近気になっている小松菜奈さんでびっくりした。でも、律子のイメージとはちょっと違う、ちょっとだけ、ちょっとな。
映画は見ていないんだけど、やっぱり大人になってから過去を振り返る感じの描写は青春映画の王道で、「坂道のアポロン」は原作でも大人になった後のことを描いてるから映画化しやすかっただろうな。
【週刊少年ジャンプ】僕のヒーローアカデミアも下書き:人気作に限って、見せ場に限って下書き掲載する風潮
今更ながら週刊少年ジャンプ2018年24号を読んだ。
先日こんな記事を公開したのだが、
今度は、「僕のヒーローアカデミア」が下書き掲載をしているじゃないか(182話)
しょうがない。僕の持論は忙しい作家さんであるという前提はありながらも、週刊少年ジャンプにお金を払っている人がいる限り、下書き掲載は許されるべきではないというもの。所詮は一読者の意見でしかない。切り捨ててしまっても良いような小さな戯言でしかないと思う。でも、声を大にして言いたい。
にしても!!!先週のブラッククローバーの話をした翌週に、僕のヒーローアカデミアが下書き掲載なんて!!2週連続で人気作品の下書き掲載はないよ!!
だって、見せ場じゃん!!!
壊理ちゃんが笑う見せ場でしょ!?
週刊連載で1話1話で人気を獲得しないといけないって前提はあるけれど、その中でも今回の話は大切な1話だったじゃん!!!
それを、なぜ下書きに!!!下書きなら、休載して次にしてくれよ!!!感動を完璧な形で味わいたいんだよ!!!
頼むから原稿は完璧にして出してくれ。。。
漫画ファンの願いだ・・・
【週刊少年ジャンプ】ブラッククローバー下書き掲載多すぎ問題
「ブラッククローバー」という週刊少年ジャンプにて連載中の王道少年漫画がある。
私は半年ほど前から週刊少年ジャンプを毎週読むようになって、基本的に掲載している全作品を読むようにしている。
ブラッククローバーは初期の数巻をコミックスで読み、王撰騎士団選出試験の途中からジャンプで追いかけている状態だ。当然間がすっぽり抜けているので、一から十まで楽しんでいるかと言われるとそうでもなく、しかしブラッククローバーは全体のストーリーをばくっとしか把握をしていなくても、各話や各編に手に汗握るような山場を設けており、週刊誌で読むには最高な漫画だと思っている。2018年23号(155話)のアスタとユノの見開きなんて、このページだけでお腹いっぱいになるぐらいじゃない熱い展開じゃないか。
現在のジャンプ連載陣で前後の脈絡なく読んで楽しめるものは「ヒロアカ」と「ぼくたちは勉強ができない」と「ブラッククローバー」ぐらいだと思う。それぐらいの瞬間最高風速を叩きだせる熱い少年漫画だと僕は考えている。
私は漫画を買う習慣がないのだが、週刊誌で追いかけている作品のうち面白いものはやはりコミックスで一気読みをしたいと思っているし、前述した「ヒロアカ」や「僕たちは(ry」は無事に完結してくれたら大切に読み直す予定だ。
しかし!残念ながらブラッククローバーにはまだ心が動かされないのである。
なぜならば、残念ながら「下書き連載」が多すぎるためだ。直近の23号も下書きの部分が一部あったため、この記事を書くのに至った。熱い展開だったのに、どうしてもその部分で水を差されてしまう。本当にもったいない。僕がジャンプをしっかりと毎週読み始めるようになってから、もう数回は下書き掲載をしている(最初魔法の光で顔の輪郭がぼやけているという演出的なものなのかと勘違いしていたが、2回目から違うということにようやく気付いた)。
そりゃ週刊連載だし、タイトなしょうがないという意見はあるかもしれないが、週刊少年ジャンプに掲載される1話1話は全て「コミックスへの準備」ではなく「完成された作品」であるべきだ。週刊少年ジャンプに読者は対価を払っているのだから、プロとして完璧な作品をあげるべきだろう。既にファンになっている人にとってはどうでも良いかもしれないが、週刊少年ジャンプを入口としてコミックスに至る層にとっては休載よりも印象が悪いのではないだろうか。
編集の方も作家をマネジメントして、完璧な作品をあげられないのであれば休載して次号に回すなどの措置が出来ないものだろうか。週刊連載のペースで原稿完成を完璧にマネジメントする難易度の高さは容易に想像できるが、そう何度も下書き掲載をさせるべきではない。明らかなにペースが乱れているので、せめてワンピースぐらいの掲載頻度に下げるべきだ。
せっかく面白い作品が週刊連載に忙殺されたゆえにファンや読者に臨まれない形で世の中に出て行ってしまっていることを僕は悲しく思う。どうにか、どうにか週刊少年ジャンプ読者の私の心の琴線に引っかかるような連載をしてほしい。せっかくの画力や魔法の迫力が一つの下書きで台無しなんだよ・・・。
という愚痴でした。作品自体は面白いのだから、ちゃんと完成された状態で週刊少年ジャンプを盛り上げてほしい。
ちなみに、ブラッククローバーの魅力についてはジャンプ+連載中の「ヒット作のツメアカください!」を読むといいと思う。田畠先生のこだわりや面白さの原点が知れて面白いです。
頑張れ田畠先生。長期休載だけはやめてくれよな。