【掟上今日子の婚姻届】ころころ態度が変わる今日子さん(感想:ちょっとネタバレ)
読んだ。なんなら、再読してしまった。
忘却探偵シリーズで一番好きな作品が、「婚姻届」である。
数多くある西尾維新作品シリーズの中でも、最も一般受けしたと言えるのが「忘却探偵シリーズ」だと思っている。他のシリーズに比べてキャラクターや文体の癖も強すぎず誰もが読みやすいし、事実ガッキー主演で週ドラ化もしている(僕はドラマは見ていないので、視聴率がどうこうみたいのは分からない)。
他のシリーズのメディアミックスと言ったら「アニメ化」だが(物語も、刀語も、戯言も)、忘却探偵シリーズは実写化に耐えうる作品だとお偉いさん方に判断されたのだろう。
なぜ、「婚姻届」の話をする前に「メディアミックスがー、一般受けがー」みたいな話をしたのかと言うと、一般受けする(=多くの人が耐えうる)作品の条件の一つに、「恋愛要素があること」があると考えているからだ。
特に、推理小説という分野は、読み手を選びそうだし、そのハードルをぶっ壊せるだけの要素を物語に混ぜ込まないといけない。その「要素」として分かりやすいのが、「恋愛」だと思っている。
忘却探偵シリーズにもそういう男女を意識させるような描写がいくつも盛り込まれるのだろうなあと、僕は読み始める前はそう思っていた(僕はドラマ化が決定してから「忘却探偵シリーズ」を読み始めた)。
しかし、忘却探偵シリーズは、恋愛とは相性が悪かった。今日子さんには、今日しかないし、彼女に(密かに)思いを寄せている隠館氏は万年容疑者であり恋愛映えしない。なんなら、その隠館氏はレギュラーメンバーではなく、出演しない話も多い。
二人の仲の進展はないものの、じれったい「きゅん」要素を織り込みつつ、忘却探偵シリーズは巻を重ねてきたが・・・。
ようやく、「婚姻届」が発売されたのである。私は胸を躍らせた。私もまた、ミーハー精神の塊のような人間である。恋が好きである。今日子さんが好きである。今日子さんには恋愛をしてほしいと思っている。婚姻届というぐらいだから、きっときゅんとする何かが起こり得るはずだ。表紙のウェディングドレス姿の今日子さんも素敵だ。
きっと、恋愛が主題になるのだろう。ならなかったらおかしい、いや西尾維新作品なら容易にありうる・・・。
そんな期待と疑念を抱きながら、私は「婚姻届」を読み始めたのだった。
で、その内容は期待通りだった。あるいはそれ以上だった。
初めて明確に、というか露骨に今日子さんの「ツン」と「デレ」を楽しめるのが「婚姻届」。今日子さんファン必読の一冊である。
というわけで、感想に移りたい。解決篇は書かないけれど、話のこまごまとした要素はネタバレありなので、注意していただきたい。
あらすじ
アマゾンの内容紹介から引用させていただく。
忘却探偵・掟上今日子、「はじめて」の講演会。檀上の今日子さんに投げかけられた危うい恋の質問をきっかけに、冤罪体質の青年・隠館厄介は思わぬプロポーズを受けることとなり……。
美しき忘却探偵は、呪われた結婚を阻止できるのか!?
主語が書かれていない上手な内容紹介ですね。まぁ文脈的に今日子さんと隠館氏が結婚云々の関係になるわけではないということは分かるとは思いますが。。。
話の流れはこんな感じです。
①今日子さんの講演会で、ジャーナリストの囲井都市子さんが「どんな男性が好きですか?」という質問をする(これがアマゾン内容紹介の「講演会」に当たる部分)。それに対して今日子さんは「男なんてどいつもこいつもみんな一緒」と答える。
②後日、隠館氏が冤罪体質について、囲井さんから取材を受ける。その際、プロポーズされる。
うん、唐突にどうした?って感じだと思うんですけど、囲井さんは好きになった男性が全員不幸に見舞われる体質であるらしく、元々不幸な隠館氏となら幸せになれるという文脈でプロポーズしたって感じ。
③隠館氏、当然プロポーズなんて受けられない。囲井さんの「好きな人が不幸になる」説をひっくり返すために、今日子さんに囲井さんの身元調査を依頼する。
④「不幸になる」説が成り立たないと今日子さんに立証してもらい、囲井さんに電話で説明するも、囲井さんが激怒。インタビュー原稿を渡すまでに適切なプロポーズの断り文句を考えておかないと破滅させると脅される。
⑤「気になることがある」と今日子さんが深夜に隠館氏の家に来訪。「気になること」は解決篇の内容に踏み込んでしまうので、割愛。その「気になること」を明らかにするために、今日子さんは一度寝ることにする(人格・記憶のリセット)。
⑥無事に「気になること」を解決し、隠館氏は囲井さんの「好きな人が不幸になる説」の隠された真実を言及。プロポーズの話はなかったことになる。
といった流れだ。
まぁ事件の流れは僕の書きたいことの本題ではない。
今日子さんの魅力について書きたいんだ僕は。
キライな今日子さんと、好きな今日子さん
今回は、"2人"の今日子さんが登場する。
1人目は、隠館氏が初日に仕事の依頼をした今日子さん。
2人目は、一度記憶をリセットするべく、隠館氏の家で眠った翌日の今日子さん
その2人の今日子さんの態度の変貌っぷりが楽しい。これが、「婚姻届」の魅力である。
1日目の今日子さんは、隠館氏に対して嫌悪感を抱いている。若い女性の身元調査を若い女性に依頼している隠館氏を変質者だと思ってしまったのだろう。ありとあらゆる方法で嫌悪感を隠館氏に伝える今日子さんが可愛い。
隠館氏の発言のすべてに対し、悪意をもった解釈をしている今日子さん。
ビルの警備員(守さん)に出動の可能性があると注意を促す今日子さん。
保育園に一人娘を預けているという露骨な嘘をつく今日子さん。
しかしさすがは西尾維新である。このままでは終わらせない。「ツン」がきたら、次は「デレ」が来るのが物語における女性の描き方のセオリーだ。
で、2日目の今日子さんの話に移る。謎が謎のままうつらうつらとしている1日目深夜の今日子さんは、翌日の今日子さんに解決篇を託すこととする。
で、その際にある仕掛けを施す。シリーズお馴染みの身体へのメモトリックである。
リセットされた状態の記憶に新しい情報を刷り込むために使うのだが、そのメモに「隠館厄介大好き」と施しておいたのだ。モチベーションが上がった状態の方が謎の解決に近づけると思ったからとのこと。
で、その翌日の今日子さんがすごい。
顔は赤らめる。度重なるスキンシップ。言葉の端々に織り交ぜられた好意。
基本的に他人行儀な今日子さんが(そりゃ彼女にとって誰しもが初対面なのだから、当たり前だ)、心を完全に開いて、好意を示しているのである。隠館氏は「努力とは無関係に夢が叶うと空々しい」と言っているが、読者にとっては関係ない。
とにかく、女性として男性に接する今日子さんが見られるのである。
つんとした取っつきにくいクラスのアイドルが、急に女の子らしい仕草を見せたときの感動に近しいものがあった(学生時代にこういう例えをしたかった。もう僕は社会人だ)。
ディテールは書かないが、ツンからデレに急落する今日子さんを楽しめるのが「婚姻届」。それだけ頭に入れておいてほしい。
オチも秀逸
まぁ今日子さんが可愛いということが言えればこの記事の目的は達成したも同然なんだけどさ。西尾維新作品ってオチの一文が秀逸なことが多いんだけれど、「婚姻届」もとても良い一文で〆られていた。
保育園にいる一人娘の嘘について前述したが、それについて隠館氏の「もうあんなに悲しい嘘はつかせない」という決意で幕を閉じる。
当然っちゃ当然なのだが、デレモードの2日目の今日子さんは、隠館氏を好きな演技をしていた。そりゃ文字情報で自らの感情までは支配できないだろう。
つまり、実は「婚姻届」で隠館氏が接していた今日子さんは、1日目も2日目も共通して嘘で塗り固められた人物だったということ。それに対して、この物語の総括として、「あんな嘘だけは聞くのはごめんだ」と締めくくっている。
隠館氏、イケメンである。実は囲井さんへのプロポーズの断わり方も、なかなかカッコいいのでこちらも刮目していただきたい。
「婚姻届」では報われなかったけれど、「旅行記」でやることやってるっぽいから、まぁ彼も決して不幸なだけな男ではないよね。
今日子さんも魅力的だったし、隠館氏もかっこいい。偽りではあったけれど、恋やら愛やらは人の魅力を引き立たせる力があるもんなんでしょうね。
というわけで、「掟上今日子の婚姻届」感想でした。
【劇場版ポケットモンスター キミにきめた!】ピカチュウが喋った。(感想:ややネタバレあり)
久々にポケモンの映画を見てきた。最後に見たのはディアンシーの映画だったかな?
アニポケは初代を放送当時に見ていて、DPのポケモンリーグだけしっかり見てて、それ以外はほぼ見ていない。
初代をリアルタイムで見ていた少年が、くたびれた大人になって劇場に足を運んだ形となる。「すべてのポケモンファンへ」何て言われたら、そりゃ見に行きたくなるよね。
実際見に行ったらなかなか感慨深いものがあった。
ざっと感想を書きます。ストーリー展開とかはネタバレしないけれど、ポイントポイントで要素のネタバレがあるから気を付けて。
物語の前提
この映画が公開する前から「俺たちのタケシとカスミを返せ」という声が噴出していたが、まぁ無理もない。旅の仲間がオリジナルキャラクターになっている。
ポケモン・キャラクター|ポケモン映画公式サイト「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」
↑ソウジとマコトが旅の仲間になっている。
で、何で僕らのタケシとカスミがいなくなってしまったのかというと、「キミに決めた」はテレビ版のifストーリーだからだ。
テレビ版の1話でサトシとピカチュウは和解し、ホウオウの姿を見たが、ジョウト地方に行くまでそれっきり。
それに対して「キミに決めた」では、ホウオウが落とした「虹色の羽根」をサトシは手に入れる。その結果、TV版とは違った物語となっている。「キミに決めた」では、ホウオウに再会し、バトルすることが目的になっている(もちろんサトシの旅の目的「ポケモンマスターになること」がぶれていないが)。
↑こんな感じ(「羽」は正確には「羽根」だけど、作り直すの面倒だから許して)。
なので、TV版と違うのは当たり前。リメイクと思ってみるとちょっとがっかりするかも。
ちなみに、「キミに決めた!」のサトシの手持ちはピカチュウ、ヒトカゲ(後のリザードン)、キャタピー(後のバタフリー)の3匹のみで、お馴染みのフシギダネとかゼニガメはゲットしない。公開前に登場することが判明していて盛り上がっていたオコリザルも、完全にモブキャラでサトシの手持ちにはならない。
お馴染みのポケモン達と再会できる!って感じではないから注意しよう。そんな皆さんはTV版のポケモンリーグ編で再登場することを待とうな!
当然20年近くの時を経て制作されたというメタ的な前提もあるが、TV版と劇場版では物語だけでなく世界観もかなり異なる。
キャラクター紹介を見れば分かるが、カントー地方にも他の地方のポケモンがうじゃうじゃいるし、ジムの回り方も自由になっている(エリカ様と戦闘するシーンがちょっとだけ挟まるのだけれど、勝利したときサトシが「3つ目のジムバッジ」と言っていた)。
初代の雰囲気がある別物として見たほうが楽しめるだろうね。
それでも初代を見ていた僕らが「懐かしい!」と思える
のが、素晴らしいと思う。ちゃんと「ポケモンってこれだよね!」というのが伝わってくるのが良い。
おおよそ1.5~2hの劇場版で、以下の要素をしっかりと抑えている。
◇ピカチュウとの友情
オニスズメの件はしっかりとやってのけた。
劇場版オリジナルの要素として、ピカチュウとの一時的な別離と再会も描いている。
(TV版で言うところの「ピカチュウの森」とか、劇場版1作目の「ミュウツーの逆襲」に近しいサトシとピカチュウの関係)
◇敗北とポケモンの進化
今回の悪役的トレーナーはクロスというガオガエンとルガルガン(夜)を使う「強さ史上主義、友情何て糞くらえ」なキャラクターなんだけれど、ヒトカゲはクロスに捨てられた設定になっている。
雨の中ヒトカゲがトレーナーを待っていて、サトシが救出、彼のポケモンになるという大きな流れは変わらない。
その後、クロスのガオガエンとリザードがバトル。敗北して、サトシがいじける。仲間たちの励みによって立ち直ったサトシが、クロスと再戦。バトル中にリザードがリザードンに進化し、見事ガオガエンを倒す、といった熱いテンプレ展開を堂々とやってのけている。
※ちなみに「キミに決めた」のリザードとリザードンはちゃんとサトシの指示に忠実ないい子だ。
敗北からの成長。ポケモンらしい要素が微塵も歪められることなく描けていたのは評価が高い。
◇ポケモンとの別れ
TV版の「バイバイバタフリー」は「キミに決めた!」でも健在。一緒に居た描写が短く溜めが少ない感は否めないが、一緒に旅をしてきた友達との別れの辛さ、そしてそれでも前を向くサトシには思わずうるっとくる。
まぁこれだけあればポケモンの要素はちゃんと満たせている気がするので、僕としては満足だった。劇場版特有の幻ポケモンとの別れ的な感動はなかったけれど、本来ポケットモンスターというシリーズにおいて大事にしている(あるいは視聴者がポケモンってこれだよね!って思っている)ものがちゃんと詰め込まれているんだよね。
色々な疑問に「答え 」が
20周年記念作品ということもあり、ポケットモンスターというシリーズ全体で共通するテーマへの回答が用意されている。
ピカチュウがボールに入らない理由を、ピカチュウ本人が日本語を使ってサトシに伝えるシーンがある。マーシャドーに襲われてサトシが意識朦朧としている場面なので、ニャースのように本当に喋っているというよりは、「心が通じ合った」と解釈するのが自然だろうが、とにかくピカチュウがサトシに日本語で話したのだ。
「いつもいっしょにいたいから」と。
既にピカチュウはボールに入らず常に一緒にいるのは当たり前となってしまっていたが、改めて作品でその理由を語られると感慨深いものがある。サトシとピカチュウの絆が明示された瞬間だった。
あとは、ポケモンマスターって何だよ、という話。我々視聴者が持つ共通の疑問を、劇場版オリジナルキャラクターが代弁してくれていた。「なによそれ」と。で、それに対して明確な答えをサトシは口にはしていなかったのだけれど、それに準ずる答えをサトシの口から聞けたと思っている。
クライマックスシーンで、サトシ本人がポケモンをゲットし、バトルする理由を、「友達になりたいから」と答えていた。彼が目指すポケモンマスターというのは、それの延長線上にあるんだろうなあ、と僕は個人的に納得した。
話はずれるけれど、サトシとピカチュウが喧嘩した時に、マーシャドーがサトシに幻覚を見せるシーンがある。「もしサトシの住む世界にポケモンがいなかったら?」が結構長めな尺で描かれているのだけれど(サトシが普通に学校に登校している笑)、その時にも彼は「あの先には何があるんだろう」と旅への意欲を捨ててなかったんだよね。
こういうシーンの積み重ねで、やっぱりポケモンシリーズの原点は旅と友情なんだね、と再認識できた良作でした。
ちなみに来年も劇場版が公開するらしいよ。予告映像では伝説のポケモンは現れず、リーグ戦の会場みたいなものが遠目に映されていただけだった。アニポケサン・ムーンは一切見ていないんだけれど、劇場版には向いてない作風らしいから、来年も引き続きTV版とは離れた作品を作るのかもね。
以上、久々の劇場版ポケモンでした。
【メアリと魔女の花】丁寧なキャラクター描写(感想:ネタバレあり)
これも見てきた。
「思い出のマーニー」が滅茶苦茶好きで、その感じを求めて見に行った作品。
まぁもちろん魔女でちょっとした冒険ものだから、テイストは全然違うのだけれど、米山監督の作品の核みたいのはちゃんと存在していて、好きな作品でした。
タイトルに書いたけど、メアリの描写が細やか。キャラクターの心の変化や成長を描くのがとても上手だとおもう。
そんなこんなについて、語ります。
大体のストーリーの流れ(ネタバレ)
やはりもともとジブリに所属していたこともあり、非常に内容が明瞭で分かりやすい。子どもでも難しくないストーリー構成にしつつ、大人でも楽しめるような作品を作れるのは流石だ。
簡単に言うと、
①メアリが引っ越してくる
②メアリが、魔女の力を手に入れることが出来る魔女の花「夜間飛行」を見つける。「夜間飛行」の力で、時間限定の魔女に。
③箒に導かれるがまま、メアリは魔女の大学「エンドア大学」に侵入。1日を過ごし、無事に帰宅。
④しかし、大学の校長に本物の魔女じゃないことが露呈。「夜間飛行」を利用し、すべての魔法を使えるようになる人間を造ることを野望として抱える校長は、メアリに「夜間飛行」を差し出すように仕向ける。メアリが言った些細な嘘をきっかけに、ご近所さんのピーターが人質にとられていた。メアリは彼を救うため、再びエンドア大学へ。
④メアリは「夜間飛行」を校長に差し出すが、囚われてしまう。ピーターと一緒に脱出を試みるが、ピーターのみ脱出失敗。メアリは箒に導かれ、シャーロット(メアリが引っ越してきた先に住んでいた大叔母、かつて夜間飛行をエンドア大学から盗んだ人)がかつて住んでいた家に逃げてくる。そこで、メアリはシャーロットから校長の陰謀を聞かされ、ピーターを助けに再びエンドア大学へ。
⑤ピーターを触媒に、全能の魔法を使える人間を造る実験が始まってしまう。ピーターは青色のスライムのような化物に飲み込まれた。既にメアリは夜間飛行の能力を失っていたが、ピーターは魔法の力を宿している。彼の手にメアリが大学から盗み出した魔導書を押し当て、「すべての魔法をなかったことにする」魔法を唱え、スライム撃退。二人で仲良く家に帰る。
途中端折っているが、大体上記の通りだ。
「王道」という言葉で片付けたくはないのだけれど、「魔法や冒険のワクワク感」は十二分に伝わる内容だったし、物語の展開も小難しいことをやらずに、すんなりと視聴者が納得行く形になっている。なにより、物語が進展していくにつれて、メアリの心情がどのように変化していくのかがしっかりと視聴者に伝わるから、感情移入もしやすい。
非常に完成度の高い作品だったなぁ。
メアリの感情の変化
本作のヒロイン、メアリ。挙動の一つひとつがなんというか生々しくて、本当に生きているような印象を持つキャラクターだったことに感動した。
ま、流石僕の大好きな杉咲花さんが声優をしているだけある。
猫をあやす声とかスゲー可愛くてびっくりしたわ。
自分の赤毛にコンプレックスを持っている⇒赤毛の人は魔法の才能があると言われて分かりやすく照れて、調子に乗る⇒校長に詰められて、友達を危険にさらしてしまい、目が覚める⇒ピーターを助けようと再三校長に立ち向かい、心情に変化が生まれていく。⇒冒険の最後、自分には魔法は必要ないと悟り、エンディング。
物語の進行に合わせて、メアリがどういう心情を抱いているのかがよく分かるように、表情や仕草が非常に徹底されていた。
髪の毛はその典型で、二度目のエンドア大学に箒で不時着したときに、決意を固めるように髪の毛を止めていたゴムを外し、シャーロットが赤毛の魔女だった頃の姿に近しい髪型に変えるところとか、結構好き。あとは、エンディングで今まで見せてなかった全く新しい髪型(後ろで結ってたね)に変わっていたのも、分かりやすく彼女の心境の変化を伝えている描写の一つだと思う。
その他、常にコロコロ変わるメアリの表情を見ているのはとても楽しかったのだけれど、1度しか見ていない映画について詳しく言及するのは無理があるので、ここでとどめておく。彼女の仕草に注目しながら見ると、よりこの映画を楽しめるかもしれない。
監督のメッセージが染みる
ぜひ読んでみてほしい。
ドキドキとワクワクを提供できるエンタメ作品を目指す、と書いてあると同時に、魔法を信じられない世界で生きる我々自身のための物語であるとも書かれている。
前者のドキドキ、ワクワクについては文句のつけようがない。「夜間飛行」から青色のまばゆい光が広がり、メアリが魔法を手に入れたシーン。エンドア大学での魔法が日常的に使われている世界の描写は素晴らしかった。
そして、後者。魔法を信じられない世界で生きる我々という部分。夢幻想を信じられないって意味なんだろうけど、それでも信じたいじゃないですか。でも信じられないんですよね、なんとなく分かっているけれど。
しかし、そういう我々にも、この作品は救いを与えてくれていると思っている。メアリがこの物語の中で、確かに成長しながら大切なモノを取り戻していく過程を見ていると、「魔法なんていらない」と最後にメアリが言い放ったのもよく分かる。着実に行動が伴う冒険に出たメアリが得たものは、魔法みたいなものでは代替の利かない大切なモノだったということ。それって、なんとなく日々を生きている我々にとっても救いになるような気がするんですよね。魔法なんてなくても、動けば大切なものが見つかるんですから。
みたいなことを、このメッセージを読んで考えました。いい作品だったなあ。
短文かつ、ちょっと文が荒いけど、今日はこれで投稿。もしかしたら後日改定するかもしれません。
【銀魂(実写映画)】菅田将暉の新しい一面(感想:ネタバレあり)
せっかく有給をとったので、公開初日に話題の映画を見てきた。
銀魂。僕は漫画作品・アニメ作品の実写映画化を無条件に嫌うような人間ではないけれど、少々「銀魂」を実写でやるのは寒くなってしまう可能性が高いのではないか?と見る前は思っていた。
しかし、想像していたよりもずっと楽しむことが出来たので、称賛の感想を書き綴りたい。
なお、一応銀魂についての思い入れについて説明しておくと、
◇原作は毎日無料のアプリで、現在34巻まで読んでいる(結野アナの陰陽師大戦辺り)。
◇アニメは一切見たことがない。
◇劇場版は2作目、「銀魂完結編」のみ視聴。
つまり、知っている程度で熱狂的なファンではないということだ。
そういう人の視点で、実写版銀魂を語るのでご承知願いたい。
当日の劇場について
7月14日、公開初日、TOHOシネマズ新宿13時からの回を見たんだけど、平日にも拘らず満席状態。女性が大半だった気がする。僕の左右は全員女子のグループだった。右の女の子達2人、岡田将生のヅラがカッコいいからって、上映中は話しちゃダメなんだぞ。コメディ映画だからって、話して良いわけじゃないんだからな。
ちなみに朝の8時40分から新宿ピカデリーで別の映画を見ていたのだけれど、8時20分、まだ劇場が開いていない時間から扉の前でお姉さん方がちらほらと開場町待ちをいていた。あの方々は、多分銀魂を見に行く人たちだと思う・・・。
なんか、ヒットしそうだなあって感じでした。
ストーリーについて(以下徐々にネタバレ)
登場キャラクターを見れば分かるが、「紅桜篇」を実写化したものだ。大まかな流れは変更なく、原作の流れをほぼ再現した形。
キャラクター紹介を兼ねて、原作における将軍の黄金のカブトムシを捕まえるエピソードを序盤に刺し込んでいる。原作ではヅラはいなかった記憶があるけれど、ヅラと新選組モブとの殺陣シーンも実写映画では挿入。
ちなみに、さらにカブトムシの前に、銀魂自体の設定を新八(菅田将暉)が説明するシーンと、カウントダウンTV風楽屋トークっぽいシーンが挟まる。
↑特報映像の最後のほうにもあった、あのテイストで。
菅田くんのグラブルネタと、橋本環奈ちゃんの千年に一度の美少女ネタは面白かった。役者のメタネタが出来るのは、実写映画の良さだね。
攻めのパロディ映画
福田雄一監督の作品ということもあり、やはり笑いを起こすのがお上手。実写映画だからこそできるようなネタも結構仕込んでいた。エリザベス
特に、パロディがひどい。というか面白かったシーンの多くはパロディネタ。銀魂らしいと言えば銀魂らしいのだけれど、流石にやりすぎなんじゃないかって言うぐらい、他の作品が出てくるわ出てくるわ。
覚えているだけでも、以下のネタがあった。
◇ガンダム(シャアとザクが出演)
◇ナウシカ(本人に酷似した人物と飛ぶための飛行機?みたいなのが登場)
◇ワンピース(ゴムゴムの実っぽいものが登場)
◇寄生獣
特にナウシカは頑張りすぎだと思う。詳細は劇場で確認してみてくれ。
ある意味、役者映画
主要キャラクター全員にちゃんと見せ場があり、バランスよく映画が構成されている。「このキャラクターにこの役者はないでしょ・・・」って配役がなく、全員ともはまり役だったので、「普段はっちゃけない役者さんたちが、こんなコントみたいな映画に出てる!!!」という楽しみがあった。
タイトルにも書いたけれど、僕が大好きな菅田将暉くんは新八として超がんばってた。
◇眼鏡にちゃんと度が入っている。
伊達じゃない。眼鏡ユーザーとしては嬉しい。しっかりと眼鏡だった。
◇珍しく、徹底的に「幼さ」を演じている。
神楽ちゃん助けようとして単身船に乗り込んできたシーンは最高だった。
完全にあやされている子ども。
◇新八らしいツッコミを頑張っていた。
実際に口に行ってみると少し重たい印象になりがちな銀魂風ツッコミを使いこなす。
顔芸もばっちり。
あとは・・・長澤まさみのお妙さんも見てて楽しかった。おしとやか風クレイジーをちゃんと演じている。ドラゴンボールの音読のシーン、好き。
岡田将生もカッコよかったな。一番のはまり役だったと思っている。
シリアスなシーンは・・・
原作の感想でも良く聞くのが、「ギャグは面白くて、長編は食傷気味になる」という意見。実写版銀魂を見る前に一番不安だったのが、シリアスなシーンが冗長にならないか、ということ。
で、実際見てみると、やっぱりシリアスなシーンが続き気持ちが離れる場面があった。ギャグとシリアスのバランスを保つのが、漫画よりも実写の方が難しいんだと思う。シリアスな場面になったとき、「次のネタはいつくるんだ・・・」と身構えてしまう。銀さんのカッコいいセリフが右から左に流れていってしまう!
まぁでも悪いことではない。コメディ映画としてクオリティが高すぎるからこういうことになってしまうのだ。僕の集中力のなさの問題かもしれない。
あと、殺陣のシーンなんだけど、格闘ゲームみたいなエフェクトが刀がぶつかり合う度に発生していて、そこはもうちょっとシンプルでもいいかなって思った。撮り方についてはあまり詳しくないけれど、多分動画の早送り+エフェクトでアクションシーンの勢いをつけているんだと思う・・・。
2日前にジョンウィックを見ちゃったのが問題だったかもしれない。比較対象が悪いな、これも。
ま、最後にネガティブ目なことも言ったけれど、それをもってしても有り余るほどの面白さだったよ。完璧なコメディ映画であり、役者が存分に光っていた漫画の実写化としてはかなりのクオリティの高さだったと思う。原作ファンも楽しめると思うので、ぜひとも劇場に足を運んでほしい。
ちなみに・・・
原作で九ちゃんの誕生日パーティする回があったけど、「小栗旬之助」ってキャラクター出てきたよね。東城が来場者を追い払った後も、ちゃっかりと居残って銀魂レギュラーメンバーと一緒に九ちゃんを祝っていたのが印象的。
小栗旬が銀さんを演じるって決まったとき、にやりとしてしまった。まぁ、そういう思惑もあるんだろうな、とか思いつつ。今回のオチとします。
【ジョン・ウィック:チャプター2】鮮やかなペン殺し(感想:ネタバレあり)
見てきた。最高だったぞ。
「ジョン・ウィック」を見ていない人に、このシリーズの魅力を一言で説明すると、「キアヌ・リーブスが鮮やかに人を殺しまくること」なんだけど、しっかりとチャプター2でもその魅力を大いに披露してくれていた。
なので、1を見て楽しかった人は、2も確実に楽しめると思う。
ストーリーのネタバレは最後に書くとして、あらすじ⇒熱いアクションシーン⇒ネタバレという順番で語っていくぞ。
あらすじ
まぁここを見てほしい。なんと、前作から5日しか経っていない。
STORY|映画『ジョン・ウィック:チャプター2』オフィシャルサイト
簡単に言うと、前作で強奪された愛車を取り戻し、今度こそ引退しようと思った矢先に、マフィアのサンティーノさんから姉殺しの依頼を受ける。血の刻印?という契約をしていたがゆえに、ジョンはその依頼を断れない(一度断ったら、サンティーノに家を爆破された)。で、サンティーノの姉(ジアナ)殺しおよびサンティーノへの復讐を開始するって話。
何が哀しいって、また妻との思い出を奪われてしまったことなんだよなあ。前作は愛犬と愛車(本作で明らかになるけど、これにも妻との愛しい思い出が詰まっていた)。で、今作は家(=妻との思い出の品は全て燃えつくされてしまう)。殺し屋の悲しい性を見ているようだね。
鮮やかな殺し(以下ネタバレ)
まぁストーリーはあまり大事ではないと思っている、この映画については。
大切なのは、いかに鮮やかにジョンが殺しを行うか。
大まかに分けると、こんな感じで殺しのシーンがある。どれもクールだったから、退屈な時間が一切なかった。最高かよ。
①冒頭、愛車を取り戻すシーン
カーチェイスと肉弾戦が主。
追ってきたバイクを、車の扉を開けて巻き込ませることで撃退したシーンは痺れた。車の扉、なくなってたけれど。
②ジアナ殺し
彼女の邸宅?@ローマ に侵入し、ジアナを殺す。その後、ジアナの護衛に追われつつ、さらにサンティーノの部下にも殺されそうになりつつも、脱出。
殺しを行う前に、ジョンが武器と衣服を用意するシーンがあるんだけど、そこがまたカッコいい。銃の構え方とチェックの仕方が鮮やか過ぎる。
脱出するルートにあらかじめ武器を仕込んでおいて、敵に襲われたらその武器を利用して殺すという知略を披露していた。
脱出した後も、ジアナの護衛の「カシアン」(なかなか強い)に襲われるけれど、コンチネンタル(仲では一切殺しを行えないルールがある)に窓を破って侵入してしまったがために、戦闘は中断。
③NY中の殺し屋に狙われる
サンティーノが700万ドルの賞金をジョンの首にかけ、NY中の殺し屋がジョンを狙う。
不意打ちで腹を撃ち抜かれつつも、襲ってきた殺し屋を次々と撃退。
このシーンが一番の見どころだと思う。
「ジョンがペン1本で3人を殺した伝説がある」というのは前作から言われているけれど、その再現を殺し屋2人に対して行ってみせた。駅?のカウンターのようなところに待機していた2人が殺し屋だと察知したジョンが、先制攻撃をしかけるが武器がない。なので、手元にあったペンで敵の急所をつき、絶命させる。
「あぁ、こうやってやるんだ」とある種の感動を覚えた。耳を刺したり、首を刺したり。まぁ詳細は劇場で確認してくれ。
なお、その流れで乗車した地下鉄にて、カシアンとの決着もつく。
地下鉄に至るまで、カシアンはジョンのことをずっと追っていたのだけれど(あくまで走ったりせず、二人とも早歩き程度なのがスマートでかっこいい)、その間に人に気づかれないようにサプレッサーつけた銃で威嚇射撃をしあうシーンが好き。
ジョンが地上を、カシアンが上階を歩いているのだけれど、何食わぬ顔でピュンピュン言わせながら互いを狙って撃つ。歩きは止めない。で、お互いが歩いている付近の壁や柱がえぐれる。
最高のチェイスシーンだった。
④サンティーノ殺し
サンティーノ本人を殺すために、彼の所有する美術館に潜入。武器が限られていたので、敵の武器を奪いながら殺しを進めていった。
面白かったのは、全面鏡張りの部屋での銃撃シーン。ジョンは確実に少ない弾数で敵を殺していくのが特徴だけれど(一発目着弾の直後、すぐに二発目を敵の頭に発砲し絶命させる)、鏡があるとそうはいかない。
鏡に映った敵をまず撃つ⇒瞬時に鏡であるということに気付く⇒本体を撃ち抜き⇒直後に頭を撃ち抜く
上記の流れがほんの数秒のうちに行われる。改めてジョンの殺しの腕を見せつけられた気分だ。
美術館にて、サンティーノの直近の女性との戦闘があるのだけれど、序盤から出ていた割にはあっけなく敗れてしまったので、VSカシアンを見てからだと物足りなかった。なので、そこについての描写は割愛。
オチ、復讐に取りつかれたジョン
結果的に、ジョンはサンティーノを逃してしまう。サンティーノはコンチネンタルに逃げ込むが、ジョンもその後を追う。
コンチネンタル内での殺しは厳禁。にも拘らず、ジョンはコンチネンタル内でサンティーノを殺してしまう。
ウィンストン(コンチネンタルのオーナー)「なんてことをしたんだ」
ジョン「終わらせたんだ」
(自らの人生を)終わらせたのかと思ったよ僕は。
サンティーノを殺した後、ジョンは焼けた自宅に愛犬と一緒に帰り、妻との思い出の品を探しあてる。しかし燃えていたり、汚れていたり。その後ウィンストンに呼び出され、コンチネンタルからの追放を言い渡される。当然その報は多くの殺し屋連中に届けられる。ある意味ジョンを守るものがなくなってしまったわけだから、この後多くの殺し屋に狙われることになるのだろう。
追放される間際にウィンストンに告げたジョンの言葉が、予告編のこれ。
ジョン「誰が来ようと全員殺す。全員な」
そして、街中にいる人々のケータイが鳴っているのを気にしながら、逃げるかのように愛犬と一緒に走り去っていって、話は終わり。
サンティーノが美術館で逃げていたときにジョンに言ったセリフで、「お前は復讐に取りつかれている」みたいなのがあって、まさしくそうなんだろうなと思った。コンチネンタル内で殺しを働いてしまうほど、頭に血が上っていたのだろう(冷静な顔していたくせして)。
終わらせたくてしょうがなかったんだろうな、妻との思い出を汚した人間への復讐を。結果的に自分は狙われる立場となってしまったが、妻に関する清算は済んだ。ジョンにとっては、そっちの方が大切ということだろう。殺しに戻った理由も妻だったし、ある意味彼の価値観は一貫していると思う。
にしても、最後には追放だもんなあ。次回作にも繋げられそうな終わり方なので、チャプター3を期待しておきます。
【傷物語<Ⅰ鉄血篇>】来場者特典④混物語まゆみレッドアイ(感想:ネタバレだらけ)
はるか昔、こんな映画が上映していた。
鉄血篇、熱血篇、冷血篇と三部作で公開されていた傷物語。第一部の鉄血篇が公開されたのは2016年の年始だった気がする。今日は、今更ながら一年以上の時を超えて、鉄血篇の、正確には鉄血篇の来場者特典であった「混物語 まゆみレッドアイ」の話をしたい。
「混物語」とは、物語シリーズの登場人物と他の西尾維新作品の登場人物によるクロスオーバー作品なのだが、まぁ細かい情報は以下の記事を参考にしてほしい。
僕は「美少年シリーズ」が西尾維新作品の中でも結構好きな方なのだが、読み始めたきっかけは「まゆみレッドアイ」にある。
↑いちおう、本編の感想もちょくちょくこのブログで書いてる。
何も考えずに鉄血篇を見に行ったら、たまたま「まゆみレッドアイ」がもらえた。なんだか、知らないキャラクターだった(流石に知らないキャラクターとのクロスオーバー作品は楽しめないだろうと思い、その場で冊子を閉じた)。後日美少年シリーズの既刊を読破し、「まゆみレッドアイ」を読んだら、ますますまゆみちゃんが好きになった。
という流れ。
要は、「まゆみレッドアイ」にはまゆみちゃんの魅力が存分に詰まっている、あるいは我らが阿良々木暦が魅力を存分に引き出してくれている、のである。というわけで、一年程度の遅れをもってして、ようやく感想を書いてみたい。ネタバレありだ、もちろん。
あらすじ
計40ページの掌編、全7章で構成。
一人称は阿良々木暦。ヒロインは当然、瞳島眉美。阿良々木暦視点での、まゆみの紹介から始まり、本編に移っていく。
暦いわく、「根暗というより陰湿でさえあった」。そこは本編との印象と相違がないようで、安心である。
暦がひたぎの誕生日(7/7)を祝うための、七夕星空観測デートの下見に北白蛇神社を訪れたのが物語の始まり。時系列的には、「化」と「偽」の間ということになるかな。
神社の社の階段でまゆみが頭を抱えているのを暦が見つける。まゆみの良すぎる視力を抑えるための眼鏡をなくしてしまった上に、何やら「ピラニア」が町の上空を泳いでいるのが見えてしまい、怖くて一人で下に降りれないとのこと(可愛い)。暦が付き添う形で、二人は山から下りて町に繰り出る。
その道中で暦がまゆみに対して度重なるセクハラ行為をするのだけれど、それについては後述。
本作のオチは、雨が降ってきたタイミングで、まゆみが女性であったことが判明したこと。
暦「君は女の子だったのかい!?」
まゆみ「いや絶対途中で気付いていたでしょ」
セクハラし放題だったからしょうがないね。
そして、道中にあった住宅地図の前にもピラニアが見えたこと、雨が降ったのと同時にピラニアがいなくなったことから、まゆみが見ていたピラニアの正体が判明したというのがもう一つのオチ。まゆみが良過ぎる視力を持っているがゆえに、町の鳥瞰図をランダムドット・ステレオグラフ(立体視の一種)として捉えてしまった、とのこと。
※ランダム・ドット・ステレオグラム (英: Random dot stereogram, RDS) は、一見ノイズのようにしか見えない画像だが、うまく焦点を合わせると立体が浮かび上がってくる画像である(wikipediaより引用)。
雨が降って見れなくなったのは、視界が雨で途切れたから。立体視するための空白がなくなってしまったから、とのこと。
なんで町に降りた後も上空にピラニアが見れていたんだろう?という疑問は残ったが(書いてあるのかもしれないけれど、僕には読み取れなかった)、良すぎる視力を活かしたトリックなのは良かったね。
ま、しかしピラニアの方のオチは割とどうでもいい。
大切なのは、まゆみの魅力が爆発しているところなのだ。
阿良々木君のセクハラ
年下の女性に対して容赦なくセクハラをこなす本編の阿良々木君が容赦なく「まゆみレッドアイ」でも活躍している。
いきなりハグをする、肩を組む、頬をさする、ポケットの中をまさぐろうとする、膝の上にのせる、口の中を観察する、こけたまゆみの身体を触診する、傷口をなめる、一緒にお風呂に入ろうとする、再度こけたまゆみのお尻の砂を払おうとする、
などなど。原作中で真宵にしでかしたセクハラよりもさらに酷い気がする。
暦「いやいや、君が女の子だったらもっと・・・」
まゆみ(ぶるぶる・・・)
みたいなやり取りが随所にみられるのも面白いところ。暦はまゆみのことを徹底して男性として見ているが、まゆみの正体は暦が大好きな年下女性なので、まゆみとしてはさらなる変態行為の鱗片を見せられ恐怖するしかないという構図。とても面白い。
あとは暦のキャラクター(年下女性には徹底的にセクハラする)を考えると、暦はまゆみを男性として認識してはいるが、「本当は女の子だとわかっていたんじゃないか」と読者が明らかに分かるのが面白い。その気持ちは前述したように、まゆみがオチで代弁してくれた。
美少年探偵団の外のまゆみ
美少年シリーズはまゆみの一人称小説。なので、第三者的なまゆみというのがあまり見れない。だから、阿良々木君(第三者)視点のまゆみが見れたのも、本作の魅力。
まゆみは自称、「性格が悪い」女の子ではあるが、第三者的にもしっかりとひねくれているようで、そこは安心。まゆみのひねくれた発言に対して、高校三年生の余裕を見せつける阿良々木君を楽しむことが出来た。彼的にも、「中学生が言っていると可愛いもの」らしいので、まゆみの自称「性格が悪い」が、第三者的にはそこまで度が過ぎているものではないということが分かる。
そしてもう一つ、まゆみが第三者に対して美少年探偵団をどう思っているかを語るシーンが入るのも魅力。まゆみは誇らしげに、絶対にあきらめない精神を持っている連中を知っていて、自分もそのメンバーの一人であることを暦に告げる。
本作では美少年探偵団の面々を明らかに軽視している発言が目立つが、しっかりと探偵団のことを愛している様が伝わってくるのが微笑ましい。
次回作への伏線?
本作の〆は、半年後に『美学のマナブ』と冒険することになる、といった次回作を匂わせるような形だったのだが、気になる点が一つ。
「双頭院学というとびっきりの美少女」と書かれているのだ。それも、美少女のところに傍点まで打ってある。
流石にマナブが実は女の子という可能性は考えにくい。「押絵と旅する美少年」のオチが不可解なものとなってしまう(まぁ本人以外の全員が性別を勘違いしていたなら、話は通るけれど)。
考えうる可能性としては、「まゆみレッドアイ」同様、マナブの性別を間違えるという展開。しかし美少年探偵団のリーダーと訊いておきながら、わざわざ暦が「美少女」と称する理由が分からない。
って書いてたけど、彼普通に作中で女装してたね。女装姿で出会ったのかな?
なんて謎を残したまま「まゆみレッドアイ」の感想を終えます。
【古典部シリーズ】「氷菓」から「いまさら翼といわれても」まで順番に評価していく。(感想:ネタバレなし)
氷菓が実写化するとニュースで見て、せっかくだしこれを機に古典部シリーズの既刊を読破してみようということで全部読んだ。
高校を舞台とした「日常の謎」を解決するのが本シリーズの基本。人の死なない幸せな推理小説。適度に愛着を持たせてくれる程度の、濃すぎず薄すぎないキャラ付で、シリーズ化やアニメ化に向いている作品だなと思った。
アニメは見てないけど、「えるたそ~」ってやつが流行ってたよね。あの気持ちはよく分かる。
品行方正なお嬢様が好奇心に負けて「気になります!」と爛々と瞳を輝かせる様はギャップ萌えの王道を貫いているからな。
省エネ人間ホータローも巻き込まれ主人公っぽい様相で、一定の人気がありそうな語り部だし。
自ら結論が出せないデータベースを名乗る里志も、ワトソン役として優秀。
摩耶花は・・・テンプレートな高校生らしい高校生を演じてくれている。古典部では一番フラットなキャラクターだと思う。
メインキャラクター4人のバランスがとれていて、読んでいて飽きない。
そしてもう一つ特徴的なのは、結構後ろ暗い話題が多いところ。ホータローはじめ古典部の面々が解決していく謎には、結構ドロドロとした背景があり、決して見ていて心地の良いものではない。特に摩耶花の漫画部関係の話は、ギスギスし過ぎて正直気分が悪かった(気分は悪いが、作品が悪くなるというわけではない)。
高校生がキャッキャウフフしているだけではない、「なんとなくリアルっぽいなぁ」と感じさせてくれる人間の汚さの露呈が結構好きだ。
シリーズ全体の総括はここらにしておいて、作品ごとの感想を手短に書いていこう。
- 作者: 米澤穂信,上杉久代,清水厚
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2001/10/28
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シリーズ1作目。
主要人物4名のキャラクターがしっかりこの1冊で立っており、続編への下地を作ったという意味で素晴らしい作品だった。
章がいくつもあって、各章で細やかな謎を解決しつつも、表題にある「氷菓」の謎という大きなゴールに向かっていく構成。4作目の「遠回りする雛」、6作目の「いまさら翼といわれても」は明確な短編集だが、「氷菓」も短編の連なりで大きな1つの作品となっているという意味では短編的な側面もあり、とっかかりやすい作品である。ノンストレスで読めるのは素晴らしい。
ヒロインえるたその親戚にあたる関谷さんが失踪した理由を探る、というのが「氷菓」のメインテーマ。正直なところを言うと、関谷さんの失踪理由の究明よりは、こまごまとした謎(勝手に部室のカギが閉まった、毎週図書館のある本が借りられている、文集「氷菓」がどこにあるのかを探す)のほうが面白かった。
古典部の文集がなぜ「氷菓」になったのか、が本作のオチなのだが、これを考えながら読み進めると面白いと思う。僕は関谷さんの学校への立ち位置が物語中で明らかになったところで、「氷菓」の意に気づいた。
- 作者: 米澤穂信,高野音彦,清水厚
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2002/07/31
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2作目。脚本が失われたミステリー映画の結末を、途中まで撮影された映像をもとに究明していくというトリッキーな内容。人が死なない系の学園×推理小説ではあまりできない、殺人現場の考察などが盛り込まれており、なるほどこの手で来たかと思わせられた作品。
省エネ人間ホータローが、自ら探偵役に自覚を持つという心の動き、しかし結局のところ人間は変わらないんだなってところが本作の見どころだろうか。映画のオチの考察については、あまり心がそそられなかった。
- 作者: 米澤穂信
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6シリーズ刊行されているが、3作目の「クドリャフカの順番」が最もクオリティが高いと思っている。このシリーズを読み進めてよかった、と思えるほどに傑作だった。
舞台は学祭。古典部の文集「氷菓」を予定より多く刷り過ぎてしまい、それらを販売するために古典部の4人が奮闘する話。かと思いきや、学祭に出店している部活の備品が順に盗まれる「十文字事件」が発生し、さらに摩耶花が兼部している漫画部のいざこざまで扱っている。
素晴らしいのが、これら全要素が互いに影響し合い、全てが解決する形で、一つの結末を迎えること。よく考えられたプロットだなあと感心した。
あとは、一人称がコロコロと変わるのが良い。ホータロー以外の古典部の人物が、一人称視点で何を考え、行動しているのかをしっかりと読めるのは本作が初めてだ。
里志がしっかりとワトソンをこなし、ホータローに解決をパスするチームワークが鮮やか過ぎて称賛を贈りたい。
- 作者: 米澤穂信
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初の短編集。それぞれの話が完全に独立しているので、手軽に読めるのが良い。
表題の「遠回りする雛」と「手作りチョコレート事件」が見どころ。えるたそとホータローの関係の変化、そして里志と摩耶花の曖昧な関係の答えが楽しめる。
- 作者: 米澤穂信
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2年生になったホータロー達。古典部へ仮入部した大日向さんが入部するのをやめた理由をホータローが解明する。
学校の長距離走大会的なものに参加するホータローが、走りながら過去を思い出したり、同じく走っているえるたそや摩耶花、実行委員の里志と話したりしながら、原因を突き止め、最後に大日向さんと合流して答え合わせ・・・って感じの話。
人間関係の暗い部分がそこらに散見され、なかなか気分よく読み進めることが出来ない作品だった。時系列が頻繁に前後するので、頭の悪い僕じゃなかなかうまく読み進められなかったというのもあるけれど。
一番最近に発売された短編集。こちらも全話完全に独立した話。古典部の面々の新しい側面が見れる短編が揃っている。全話面白かった。
収録されている短編は下記の通り
「箱の中の欠落」
ホータローと里志の仲良しシーンが見れちゃう
「鏡には映らない」
ヒーローなホータロー。流石主人公と思える一作。
「連峰は晴れているか」
これもホータローの性格の良さが現れている。
「わたしたちの伝説の一冊」
摩耶花が漫画部を退部したエピソード。彼女の覚悟が見て取れる。
「長い休日」
ホータロー省エネ主義誕生の謎が明かされる。
「いまさら翼といわれても」
えるたそ失踪。彼女の将来への思いが語られる。
こんな感じで、ホータローがどういう人間なのかを掘り下げた作品が多めだろうか。
「鏡には映らない」は今までの短編の中で一番好きだった。よく考えられているし、ホータローの人の好さが滲み出ている。
以上、古典部シリーズの雑感でした。
一応映画の話がメインのブログなので、「氷菓」実写化について言及しておくと、「氷菓」よりも「クドリャフカの順番」の方が映画作品には向いていると思う。
最近の原作がある映画作品にありがちな、「ドラマ形式で別エピソードを配信し、映画も公開する」という形式で実写化すればよいのに。「氷菓」と「愚者のエンドロール」までドラマで配信して、「クドリャフカの順番」を映画化。「氷菓」は短編寄せ集め系長編だから、映画には向かないと思うんだけどなあ・・・。
「クドリャフカの順番」を映画館で見たい。