定時後に映画館

仕事の片手間に映画の話をします。

【映画ドラえもん のび太の宝島】HPがエイプリルフールで幽霊船になってやがる(感想:ネタバレあり)

doraeiga.com

 

うわあああああ

 

感想を書こうとしたら、公式HPの帆船が幽霊船になってるじゃねえか‼

エイプリルフールかな?

 

脚本が川村元気氏というわけで気になっていたので、久々に劇場でドラえもん見てきた。

 

というわけで、容赦なく大人の目線で子ども向け映画を語りたいと思う。

全体的にキャラクターが良く動いているし、音楽も良かったし、シナリオも大まかにはわくわくして良い内容だったと思うのだけれど・・・。

細かいところがなあ。

 

全体の総括(いきなりネタバレ)

のび太がパパと謎の喧嘩して出ていったから、父親と子どもというテーマとなるんじゃないかなと思って見ていたら、想像通り映画オリジナルキャラクターのフロック・セーラの父親が今回のヴィランで、物語の最後には和解エンドとなっていた。

 

「宝島」とあったので、やはり想像するのは冒険・宝探し・海賊というわけだったのだが、肝心の「島」が移動する未来の船(長編ドラえもんでは未来の敵が現代に現れるのはよくあることだが)というのがまず少し残念。このテーマなら、「宝島」でやらなくてもいいんじゃないかと思ってしまった。

「宝物は金銀財宝ではなく、家族の絆」的なまとめ方はとても良いし、シルバーとフロック、セーラが和解したシーンは涙目になってしまったが、そこに至るまでに過程に結構大き目の穴がぼこぼこ空いていて、物語に集中できないレベルだったのが哀しいところ。子ども向けと言えど、ある程度の整合性が担保されていないと流石に苦しい。

 

例えば、すごく気になったのは以下の点。

①そもそも宇宙に旅立つために、海賊行為をする必要がないのではないか。宇宙に金銀財宝持っていこうとする人がいるのか?物語に海賊という要素を盛り込み、「金銀財宝よりも大切なものはね」的な展開に持ち込みたいがゆえの舞台装置感がすごい。

 

②地球の火山エネルギーを凝縮した塊に生身ののび太が突っ込んで大丈夫なのか。ここはひみつ道具使ったほうが疑問が生まれなかったのではないだろうか。まぁ道具を使わず打算ではなく感情で動くのび太のほうが観客が感情移入しやすいって狙いはあるかもしれないけれど。

 

要は、見せたい場面やシーン、メッセージ性がはっきりしているので、パーツとしてはとても良く、全体を通してみている分には「面白かったなあ」とは思えるのだけれど、設定ディテールが全然詰められていなくて一度疑問を持ってしまうとそれがずるずると引きずられてしまうような作品だった。

 

クイズが作品のペースを乱していく

作中に登場するクイズというオウム型ロボットがいるのだが、彼はなぞなぞをだして会話をするというなかなかクレイジーな設定を持ち合わせており、彼が話す度にその他の面々が回答を考えるというシーンを挟まなければならないため、相当物語のテンポが悪かった。

劇場版名探偵コナンの博士のなぞなぞぐらいがちょうどいいと思う。子ども達のお楽しみタイムは1度でいいのだ。

 

ちなみに、クイズがいなくてもこの作品は結構中だるみしている。序盤にしずかちゃんが攫われてからはのび太パートとしずかパートが同時に進んでいくから、明らかに物語の展開が遅くなっており、しずかちゃんと合流するまでが非常に長く感じてしまった。

 

海賊らしい戦闘があまり見れていない

最初の海賊たちの襲撃では船上での戦いがあり面白かったが、それ以外ではそういう海賊っぽい闘いは見られなかった。特に物語中盤「何をやってもダメ」とへこんでいる素振りを見せているのび太が、終盤になっても活躍する機会なく(ドラえもんを身を挺して助けたことぐらいか)物語が終わってしまうのも残念

「昼寝とあやとりじゃ・・・しずかちゃんを助けられないよねえ」

みたいなことを劇中でのび太君が言っていたのだけれど、そこは!!!射撃あるじゃないか!!!射撃でかっこいい見せ場を作ってやれよ!!!

と思いました。

ロボットに対して早打ち決めてるシーンあるけれど、すぐ復活しちゃってたしなー。

ヴィランとの和解エンドとなると、のび太銃口向けさせるのは厳しいし、仕方がないのだけれど、そういうことをやりたいのなら最初から「宝島」という戦闘を期待させるテーマでこの家族の物語を描く必要はないのではないかと思った。

 

 小ネタが好き。

「金曜ドラでしょう」というポスターがのび太の押し入れに貼っているが、おそらく本作のヴィランの中の人が大泉洋だからそんなのがあったのだと思う。

僕はここしか見つけられなかったけれど、他にも遊び心でそういったネタがあるかもしれない。

 

 来年は・・・

毎年楽しみな来年の予告。

来年はコミック原作「異説クラブメンバーズバッジ」の映画版、つまりはリメイクではないオリジナル作品となるみたいだよ。

 

合コン2次会のカラオケでWANIMA「いいから」を歌うとどうなるのか。

空気を読まないカラオケは楽しい。

 

先日女子大生とカラオケをする機会があった。社会人も3年目となると、学生という存在は別の生き物のように感じてしまうようになる。彼女とのやり取りは異文化コミュニケーションに近しいものがあった。

社会人3人と女子学生1人という構成で飲みの後にカラオケに行くことになり、音楽が好きな私は「最近の女子大生はどんな曲を歌うのだろう」と期待していたのだが、いきなり彼女はWANIMAの「いいから」を放り込んできた。

いいから

いいから

  • WANIMA
  • ロック
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

otokake.com

 

要はワンナイトラブを男性視点で歌っている曲だ。隠喩とかではなく、歌詞でホテルに連れ込む男とそれについていく女性を丁寧に描写しているので、誰がどう見ても、あるいは聴いてもワンナイトラブの曲だと分かってしまう、取扱注意曲である。

 

僕はWANIMAの存在は知っていたが、曲はあまり聞いたことがなかったので、その女子大生が歌った「いいから」が初めてのWANIMAソングだったわけだが、メロディの疾走感と男性ならば残念ながら共感してしまう歌詞に一発で惚れこんでしまった。

 

何度も言うが、空気の読まないカラオケは楽しい。僕は「全員が知っている曲」ではなく、「僕が知らないであろう、あなたが本当に好きな曲」を聴きたい。どうせ素人が集まり歌うだけの会ならば、全員が各々好きな曲を歌い「へぇこの曲いいじゃん」と新しい出会いとコミュニケーションが生まれたほうが楽しいと思うのだ。

※もちろん世の中には新しく音楽を開拓するほど音楽に興味がない人の方が多いし、そういう人たちは自分が知ってる曲を歌ってくれないとカラオケはつまらないと思っているであろうことは承知の上で言っている。だから世の中で受容されているカラオケのスタイルは、僕にとってはつまらない。

 

ここで女子大生が社会人3年目世代の我々に標準を合わせ、中学生~高校生の頃に訊いていたであろう懐メロなど入れ始めていたら、私はWANIMAの魅力に気づかなかったし、なんなら「ヤバイTシャツ屋さん」の存在さえ知らないままでいただろう。

 

もちろんWANIMA的なワンチャンなどないまま、その晩私は健全なルートで独り帰宅をし、その後WANIMAの曲を聴き漁った。しかし、結局心の琴線に触れるのは「いいから」だけ。「いいから」をヘビロテする日々がしばらく続く。

それが、第一の失敗である。

 

(ここからが本題)合コン2次会で「いいから」は大丈夫なのか

結論から言うと、当然のごとくダメだったのだが、その経緯を書きたい。

「いいから」は女性が歌うか、完全に男女の関係になりえない場でしか歌ってはいけない曲だということが判明した。

 

私が知らない女性がいて、私が知らない男性もいて、共通の友人が複数いて、男女3:3計6人で、なんとなく男性が多めに金額を払う飲み会を「合コン」と称して良いならば、私は先日合コンに参加してきた。まぁ知り合いが多めでぎらついた雰囲気はなかったので、合コンというと大げさかもしれない。ただの楽しい飲み会だ。

全員同じ25歳なのだが、1次会から山手線ゲームが始まるなかなか面白い展開となり、客観的に見たら「おいおい大丈夫かよ、こいつやべーやつだぜ」と面白くなってしまうぐらい僕は酒をがぶがぶ飲んでいた。

それが、第二の失敗である。

 

このままなし崩れ的にカラオケに行くことになり、「あぁこれは空気を読まないといけないカラオケだな」と静かにしていたのだけれど、

1曲目

愛唄

愛唄

  • provided courtesy of iTunes

2曲目 

おジャ魔女カーニバル!!

おジャ魔女カーニバル!!

  • 茜屋 日海夏・若井 友希・久保田 未夢 from i☆Ris
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

ときて、何だか魔が差した。選曲がつまらない。

 

このまま空気を読み合った曲を入れ続けるカラオケに何の意味があるのか。

・・・的なことになることは想像していたので、今回の飲み会の主催者に「2次会あるなら『いいから』を入れたい」と事前に言っておいた。彼は「いいよ」と答えた。

ある程度盛り上がり、酒も回った状況における「いいから」のポテンシャルを試したかったのだ。おおよそ変な空気になることは予想が出来ていたが、酔っていたら変な空気も打開できるだろうと信じていた。

 

というわけで、いいからを選曲。

しかし2人で歌った「いいから」は、決して「いい」とは言えない結果となってしまった。タンバリンを叩いている女性の楽しげな表情の7割が演技であろうことが透いて見えた。何というか、こう・・・「絶妙な関係の男女が見に行った映画が思ったより際どいシーン多めで、劇場を出た後会話が続かない」みたいな雰囲気になってしまった。

 

空気を読まないカラオケは楽しい、はずだった。

私は気付いた。空気を読まない行為が楽しいわけなく、空気を熟読して好きな曲を入れなければカラオケは破綻する。きっとあの女子大生は、空気を読み切った結果「いいから」を選曲したのだ。私よりもずっと社会的な生き物として完成している年下の女性に私は敬意を抱いた。私にはそれが出来なかった。

人間社会同様、カラオケボックスでさえも空気が支配する。何と息苦しい。

私には難しい。カラオケは、難しすぎる。

 

「いいから」を歌った直後、久々にトイレで戻した。そういえば1次会の時、ハガレン好きって言ってた人いたし、普通に「ホログラム」とか歌っておけば良かったとようやく冷静に後悔した。でもそれもまた全員には刺さらないんだろうなと思った。「メリッサ」ならいいのか、「リライト」ならいいのか。

戻ってきたら「プレゼント」が流れており、「大好きだったけど彼女がいたなんて」と彼女がいない僕が煽られ、グラス1杯分の酒を胃袋に収めた。

 

空気は読んだ方が楽しい。しかしそれにも限界がある。

 

【リメンバー・ミー】家族の絆と死の救い(感想:ネタバレあり)

www.disney.co.jp

 

ほいほい見てきました。ディズニーピクサー作品の最新作ですね。

爆発的なヒットを生んだ「トイ・ストーリー3」の監督の作品ということで、期待していたのですが、なかなか良かったですよ。

 

あらすじ

公式から引用

主人公は、ミュージシャンを夢見る、ギターの天才少年ミゲル。しかし、厳格な《家族の掟》によって、ギターを弾くどころか音楽を聴くことすら禁じられていた…。ある日、ミゲルは古い家族写真をきっかけに、自分のひいひいおじいちゃんが伝説のミュージシャン、デラクルスではないかと推測。彼のお墓に忍び込み美しいギターを手にした、その瞬間──先祖たちが暮らす“死者の国”に迷い込んでしまった!

そこは、夢のように美しく、ガイコツたちが楽しく暮らすテーマパークのような世界。しかし、日の出までに元の世界に帰らないと、ミゲルの体は消え、永遠に家族と会えなくなってしまう…。唯一の頼りは、家族に会いたいと願う、陽気だけど孤独なガイコツのヘクター。だが、彼にも「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える」という運命が待ち受けていた…。絶体絶命のふたりと家族をつなぐ唯一の鍵は、ミゲルが大好きな曲、“リメンバー・ミー”。不思議な力を秘めたこの曲が、時を超えていま奇跡を巻き起こす!

 死と家族をテーマにした作品ですね。

これは感動間違いなし。

 

音楽が強い

私はディズニー作品が結構好きで、ディズニー長編アニメーションおよびピクサー長編作品は余すことなく全て見ているのだけれど、もう映画のイントロの音楽聞くだけで感動してしまうんだよね。あの瞬間が一つのピークになっている。

www.youtube.com

↑これね。

 

このイントロって作品によってアレンジがされているのだけれど、本作はメキシカンなアレンジに変更されていて、もはやここから世界観を作り上げているわけですよ。こういう演出が大好きなんですよね。

 

本編も当然音楽をテーマにした作品なので、愉快な音楽・劇中歌が結構な頻度で流れていて、ミュージカルのような楽しさがある(ディズニー作品やピクサー作品は音楽で演出することに長けていて、大体の作品はミュージカル調ではあるのだけれど、特に本作は音楽の使い方・劇中のシチュエーションとのかみ合わせ方に長けていた)。あとは全体的に死の国がきらきらしてるから、画面映えがすごい。

 

日本語版でのタイトルにもなっている「リメンバー・ミー」もただの挿入歌ではなく、物語のカギとなる詩も含めて意味がある曲になっていて、音楽を中心に組み立てられた作品だということを強く感じた。

 

タイトル「Coco」が秀逸

基本的に邦題が好きではないのだけれど、本作に限っては「リメンバー・ミー」を邦題としたのは正解。本作のテーマは全てその曲が担っているので、何ら違和感がない。

 

だが、原題も素晴らしい。Cocoはミゲルと死の国で出会う彼のご先祖様ヘクターを繋ぐ人物であり、家族の要である人物。主人公二人にとって大切な人物である彼女の名をタイトルにしたことからも、"家族愛"を感じ取れてしまう。

娘であるココに忘れられてしまうと死の国からも消滅してしまうヘクターの思いを代弁し、死の国から帰還したミゲルが「リメンバー・ミー」を歌うシーンのクライマックス感※。この最高のオチに向かって脚本が収束していく感覚は、精緻で無駄のないディズニー・ピクサー作品ならではだと思う。

 

やっぱりデラクルス・・・

残念ながら大人になってしまうと、そしてディズニーピクサー作品に浸っていると、ある程度・・・ある程度先が読めてしまうことが多い。それでも面白いから問題はないのだけれど。デラクルスが黒いと、登場したその瞬間から感じ取ってしまった。滲み出る悪さ、素晴らしいじゃないか。

ヘクターを毒殺し、彼が作曲した曲でスターとなったデラクルスが良いキャラをしているんだ。彼は目的のために手段を択ばない男として一貫しており、ディズニー作品なら彼の家族とのエピソードを描き、彼が悪堕ちした理由を懇切丁寧に説明することもあり得るんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。やったぜデラクルス。

 

この作品のテーマは家族と死だと見終えた僕は個人的に思っているけれど、作品の前半段階では自分の夢を追い家を出ていくことと、家族を大切にすることを天秤にかけるような話になるのではないかと思っていた。

そういう展開になっていたら、それはそれで面白かったと思うが(ディズニーピクサーがこの難しいテーマをどのように描くかが単純に気になる)、早々にミゲルが「夢を追いかける自分のことを応援してくれない家族って何なんだろう?」と疑問を投げかけることで、その天秤の問題には終止符が打たれているし、その後のデラクルスの悪役っぷりによって、家族との絆が作品の中で際立つようになった。やったぜデラクルス。

 

最高のエンドロール

おそらく既に他界されているであろうディズニーピクサーに関わったと思われるクリエイターたちの写真がスクリーン一杯に映し出され、彼らへの敬意を表している。

亡くなった人間のことを偲ぶ意味を本作で謳っていたが、それを体現してしまうとは恐れいる。説得力抜群だ。

「忘れない」ということが死者にとって、残された人間にとっての幸せだということをエンドロール含めて我々に教えてくれた。

アナと雪の女王の新作もあるよ

確か数年前に他のディズニー作品の同時上映として、アナ雪の続編(凄い短いけど)が公開されていたけれど、また新作が見れます。

今回はものすごく長い。ビックリするほど長い、短編というより中編ぐらいあったかと思う。体感的に20分ぐらいあった。

オラフが家族の絆を繋いでいたよ、という心温まるストーリー。クリスマスの話なんだけど、多分全米公開が12月付近だったんだろうね。

確か「リメンバー・ミー」、日本でも去年の冬に公開の予定だった気がするんだけど、なぜか3月に先延ばしされたよね。スターウォーズと被るから大き目の弾は分散させようとしたのかな、とか勝手に考えてたけど、ターゲットあまり被らなさそうだしなぁ。

 

長編アニメーションの制作も決まっているし、アナ雪のビックコンテンツっぷりには脱帽ですね。個人的には同じく続編が決まっている「シュガーラッシュ」の方が好きなんですが。

 

 

【透明人間の骨】完結してしまった。(感想:ネタバレあり)

shonenjumpplus.com

 

ジャンプ+で愛読していた「透明人間の骨」が本日の更新を持って完結した。

昨今長い漫画が多い中、二十二話という短い話数で引き伸ばすことなく美しい最終話を迎えたこの漫画に賞賛を送りたい。

 

あらすじ

来宮家では、日頃から母に手を挙げる父。我関せずを貫く兄。幼き日の主人公・花(あや)が「ここに居たくない」と念じた矢先、“透明になる”力を得る。時は流れ、15歳になった花はある日・ある出来事を契機に決意を固め…。

 ジャンプ+公式から引用。

 

「透明になる力」という非現実的なギミックはあるものの、ファンタジックな内容ではなく、心に闇を抱えた女の子の生き方を丁寧に描いている青春ものだ。

「ここに居たくない」と念じることで透明になる能力が、漫画として効果的に作用しており、その能力を通じた描写で主人公花の心情が分かりやすく読者に伝わってくるので、「よく考えらているなぁ」と感心してしまった。

それぐらい「透明になる力」は違和感なく作品に馴染んでいるし、能力が花を取り巻く人間関係や彼女らの心情のリアリティに水を差すこともない。

 

「透明になる能力」による演出力

あらすじでは書かれていないが、花は母親に暴力をふるう父親を刺殺する。透明になる能力を使っていたので、犯人としては検挙されない。

花は殺したという罪に苛まれながら家を出て高校生活を始めるが、彼女にも友人が出来、やがて「ここに居たくない」という意識や自らを卑下する考え方が少しずつ改められていく。誰かといる楽しさを知った花は、ここに居たくないと思えなくなり、「透明になる能力」を失う。透明になって誰かの写真を撮る趣味を持っていた花が、透明になっていたつもりなのにクラスメイトに見つかるシーンが印象的だ。第三者として撮るのではなく、この空間に居たいと思っている彼女の心情の変化が分かりやすく描かれている。

 

当然最終話に至るまでにいろいろな出来事があり、彼女が「誰かと一緒に過ごす楽しさ」を享受し続けるわけではない。物語の中盤「友人から自分は離れているべきだ」と花を絶望させる事件が起き、その後花は孤独になろうと「透明になる能力」で行方を眩ませた。つい最近まで友人と仲良くして少しずつ生きることの楽しさを知っていた少女が、ふっと空間から消えてしまう描写は読者の胸を突き刺す。ぽろぽろと涙を流したり、絶望的な脳内のセリフをコマに垂れ流すことも出来るのだが、「彼女が消えたいと望み、実際に風景から存在そのものが消し去られてしまう」というインパクトには敵わない。

 

結果的に、彼女は友人に見つかり、また人との関係を築いていくことを決意するのだが、終盤からの展開が熱いのだ。

 

闇を抱きながらも光を見出そうとする花の強さ

物語終盤、彼女は自首することを決める。実の父を殺し、自分の周りで友人が不幸になり、自分の人生に付きまとう闇と散々向き合った花が、他者との交わりの中で感じる幸せな時間を享受したうえで出した結論が、「自首」。

 

自首を決意した後、彼女は母親や兄、殺害した父親の父親(つまりは花の祖父だ)に自らの罪を告白していく。当然彼女に人生の楽しさを教えてくれた友人にも、その事実は伝えている。贖罪のようで、一概にそうとは言えない。祖父に自らの罪を告白した花は、謝罪をしたうえで「父を許さない」とはっきりと言う。そもそも「父を殺してすいません」なんて言っていない。自分の当たり前の幸せを壊した父親を殺害したこと自体への後悔ゆえの行動ではないと思われる。

 

ではなぜ自首するのか。最終話で彼女が自首する理由を、友人に吐露する場面があるのだが、それがぐっとくる。

まぁ読んでほしいのだが、花はいくら幸せな時間を味わうことが出来たとしても、変えることのできない過去が付きまとうことを、学んできたのだ。その結果、彼女は闇と向き合い、振り払わないと、大切な人と過ごす本当の幸せを手にすることが出来ないと悟ったのだ。

「ここに居たい」と願ったが、故の決意が自首。どうしようもない不幸に見舞われてしまった主人公が、束の間の幸せと、それを知ってしまったが故の不幸を味わう。そのうえで、自らを罰することを決意する。

何とも切ない終わり方ではあるが、「人間の強さ」が本作の花ちゃんの生き様からヒシヒシと伝わってくる。強い感情が込められた重厚な作品で、毎週読むのが楽しみで仕方がなかった。

まとめ

これ毎週感想書いてりゃよかったな。全部まとめて書くには1話1話が濃厚過ぎるんだ、まとまりのない感想になった。

とにかく、連載お疲れさまでした。

 

【スリー・ビルボード】フランシス・マクドーマンドが主演女優賞獲ったから感想(感想:ネタバレあり)

eigaz.net

 

第90回アカデミー賞・主演女優賞を「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドが獲得した。確かに彼女の”復讐に取り憑かれた狂気”の演技は迫真であった。

2週間ほど前に見ていたのだけれど、重たかったので感想が書きにくく放置をしていたのだが、改めて記憶を探りながら書いてみようと思う。

 

あらすじ

公式サイトから引用。

舞台は、アメリカのミズーリ州。田舎町を貫く道路に並ぶ3枚の広告看板に、地元警察を批判するメッセージを出したのは、7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッド・ヘイズ。何の進展もない捜査状況に腹を立てたミルドレッドがケンカを売ったのだ。町の人々から嫌がらせや抗議を受けても、一歩も引かないミルドレッド。その日を境に次々と不穏な事件が起こり始め、町に激震が走るなか、思いがけない展開が待ち受ける──。

 

ちなみに、3枚の広告看板の内容は、地元警察の署長であるウィロビーを名指しで批判したもの(ミルドレッドによると「管理職が責任を取るべき」とのこと)。街の住人に敬愛される彼を批判してしまったがゆえに、ミルドレッドは悪意を受けることとなってしまう。更にウィロビーは病人であり、先が長くない。それを知った上でミルドレッドは広告を出稿しているわけだから、明確な”悪意”があると第三者から見たら捉えられる。

 

だが、それは”悪意”なのだろうか?というのが「スリー・ビルボード」の肝である。

 

勘違いと正義感による攻撃の連鎖(以降ネタバレ)

スリー・ビルボード」は重たい。私が見終えた後抱いた感想は、「登場人物誰もが不幸じゃねえか」である。

ミルドレッドの広告出稿を機に、小さな町の中で登場人物の不幸の連鎖が始まる。

端折った上で物語中盤のネタバレをしてしまうが、

 

◆ウィロビーが自害する

ミルドレッドの広告が原因ではないことは遺書で明らかになっているが、当然彼の家族や部下たちは、ミルドレッドの行為が不届きであるという印象を持つことになる。

 

◆ウィロビーの部下(ディクソン)が、看板の広告枠の持ち主(レッド・ウェルビー)に暴行

ウィロビーの自害を知り、彼を慕っていたディクソンが、半ば八つ当たりに近しい形で、広告出稿を許した代理店オーナーのレッドに大けがを負わせる。ディクソンはその事件をきっかけに、解雇される。

 

◆3枚の広告が燃やされ、激昂したミルドレッドが警察署に放火

ディクソンが解雇された晩、3枚の広告が放火される。警察による仕業だと勘違いしたミルドレッド(後にミルドレッドの元夫が放火したことが判明)は、警察署に放火を行う。

間が悪いことに、警察署にディクソンが忍び込んでおり、ディクソンも火傷の重症を負う

 

・・・といった感じで、強い行き場のない悲しみに囚われたミルドレッドを起点に、登場人物の盲目的な信念の掛け違いによって、更なる悲劇が重なっていく形で物語は進行する。

ミルドレッドの娘をレイプした犯人こそが悪人であるはずなのに、罪なき登場人物たちが罪を重ねてしまう。その”救いようのなさ”が、観客としては苦しくてしょうがない。

 

それでも人は善意を持ち合わせている。

この物語の登場人物たちは自らの信念の元、他者を攻撃してしまう。自らが責められたら、防衛本能的に敵を攻撃してしまうイメージに近しいと思う。

自分がこういう状態に陥ったときのことを想像してほしいのだけれど、冷静になってみると「そんなに責める理由なんてなかったな」と思うことがある。決して攻撃対象を憎んでいるわけではないのだ。

 

この物語が持ち合わせている唯一の救いが、攻撃しあっているが、決して悪人ではないということ。要所要所で、人の善意を感じる場面、復讐に囚われていた人間が考えを改める場面が訪れる。

 

ミルドレッドが、口論中に吐血したウィロビーを気遣う場面(ここで「ざまあみろ」なんて言ったら興ざめだ)。

 

火傷を負い入院したディクソンに対して、レッドがオレンジジュースを差し出し気遣う場面(ディクソンに大けがを負わされたのに)。

 

広告を燃やした元夫を罵るのではなく、ワインを差し出してその場を去るというミルドレッドの大人な対応。これは放火した彼女を庇ったジェームズを傷つけてしまった罪滅ぼし的な意味合いが強いと思うが、それでも彼女の心情に変化が表れているのは明確である。

 

あとは敬愛するウィロビーの遺書を受け取り、考えを改めたディクソンが、ミルドレッドの娘を殺害した真犯人を探そうと努めたところだろうか。

正確には遺書を夜の警察署で読んでいたところ、ミルドレッドの放火により重傷を負い、その後犯人捜しに動くのだが、彼がミルドレッドによる放火であることを認識したうえで犯人捜しを行ったのが彼の最大の改心ポイントである。

 

このように、復讐に取りつかれ他者を傷つけてきた登場人物たちが、他者の許しを得たり、他者の傷を理解することで、真っ当な精神性を取り戻していく。罵り合いの果てに、人間の善意が垣間見れるのが、この物語の唯一の救いであり、言い方を変えれば、そういった絶望的な状況の中での善意だからこそ輝かしく見えるのだ。

 

"不幸中の幸い"なオチ

物語の結末を書いてしまうと、改心したディクソンは町のバーで遭遇したレイプ殺人犯と思われる人物のDNAの採取を行う。しかし、その男のDNAはミルドレッドの娘を殺害した人物ではなかった。

落胆するミルドレッドとディクソン。しかしディクソンは、ミルドレッドの娘は殺害してなくても、誰かをレイプし殺人した人間であると思われるその男の元に向かうことにする。ミルドレッドも同行することに。

道中、ミルドレッドが警察署に放火したことを告白。それに対してディクソンは「知っていた」と回答。彼らはそのレイプ殺人犯を殺すかどうかの話に移るが、「どうするかは道中考えれば良い」と結論付け、物語は終わる。

 

つまり、ディクソンとミルドレッドはレイプ犯の元に行くことを決意したものの、殺害するかどうかは決めていないのだ。物語として、その結論は出していない。

 

自らが傷つき、他者を傷つけ、傷つけるべき対象が違うと物語を通じて悟ったミルドレッドとディクソンが、初めて「明確に傷つけるべき相手」を見つけたのだ。彼らにとっては鬱憤を晴らすための恰好の攻撃対象なのだ。

しかし、道中で「彼を殺すかどうかはあとで決めればよい」と語り合っている。その後どうなるかわからないが、”この時点で殺意を抱いていない”ということがこの物語が伝えたいことなのだろう。物語中盤の精神状態であったら、ミルドレッドもディクソンもこの時点で殺意満々になっているはずである。彼らも彼らなりに変わったということがこのシーンで明確になっているのだ。だからこそ、結論付けない終わり方をしたのだと思う。

 

自らを邪道に走らせない自律した精神性を取り戻し、互いを理解し許しあえる人間を得たことが、ミルドレッドとディクソンへの救いであり、"不幸中の幸い"だったのではないだろうか。

 

 

母親に「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」をオススメされる息子の気持ち

※この投稿はライトな下ネタを含みます。ご注意。

 

movies.yahoo.co.jp

この映画をご存じだろうか。

 

「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」という映画である。恋愛小説原作の3部作で、既に2作目の「フィフティ・シェイズ・ダーカー」まで実写化されている。

Wikipedia曰く「女子大生の主人公が、若く有能だがサディストの性的嗜好を持つ大富豪の男性と知り合い、BDSM(SM)の主従契約を結ぶという内容」とのこと。ずいぶん過激な内容である。当然のごとくR18である。

 

私も健全な成人男性なので「R18」という表記に全く心が躍らないかと言ったら嘘になってしまうが、この作品は見たことがない。というか、R18作品をレンタルビデオ店で借りてみたことが一切ない。「R18の作品を借りたら、R18な描写を目的に借りているのではないか」という自意識が作品との出会いの邪魔をする。変に洒落ているがゆえに、何だかアダルトビデオを借りるより恥ずかしい。

 

「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」についての印象はこうだ。

 

強烈に見たいわけではないが、見たらまぁそこそこ面白いであろうことは予想できる。しかしR18がゆえに手を伸ばしにくい。わざわざこの作品を見るのであれば、別にみるべき作品があるはずだ。

 

おそらく私の生涯はこの映画を見ることのないまま終わるのだろう。

そう思っていた。

 

さてここからが本題である。

私は齢25となるのだが、情けないことに未だに実家暮らしをしている(東京は家賃が高いし、給料は低いし仕方がない)。一般的な家庭である。必要以上に仲が良いわけでもなく、険悪なわけでもない。ただ家族として生活を営んでいる。

そんな当たり障りのない生活を共に過ごしていたはずの母親が、R18作品「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」を視聴することを強烈に推薦してきたらどうだろうか。

 

ある日突然、親子冷戦の火蓋は切って落とされた(明確な喧嘩ではないが対立しているという意味で冷戦である)。リビングで二人で食事をとっていたときの出来事である。

 

「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイって映画が面白いのよ。日曜日返却だから、まだ見る時間あるでしょ」

 

一応私は映画ブログで記事をつらつら書いている人間である。その映画の存在はもちろん知っていた。しかし、その映画は下手に首を突っ込むには、母親と意見を交わすには危険な作品だ。

 

私は、すぐさまその話題を終わらせようとした。

 

「ふーん、面白そうな映画だね。時間があったら見てみるよ」

 

それで終わりでよかったはずなのだ。お茶の間で可愛らしい二次元の女の子が甘いセリフを吐き散らして去っていく15秒間と同じような対処法。恥ずかしがるでも嫌がるでもない、反応しないという最良の選択。


【CM】ガールフレンド(仮) 話題のクロエ・ルメール3本立て

↑母親とテレビを見ているときに反応に困るCMの例。しかし、クロエ・ルメールちゃんは可愛い。

 

しかし母親はこの程度では止まらなかった。

 

「18歳以上なんだからあなたも見れるわよ」

 

2連続で気まずいCMが流れた気分である。お茶の間は冷え冷えだ。

ファーストコンタクトよりはツッコミやすい内容なので、まだマシではあるが話がそういった方向性に進むことはもはや避けられない。


【炎上!放送中止】サントリー 頂 CM 絶頂うまい出張1/6 北海道編

↑「いやこれは狙ってるっしょw」と弄りやすいCMの例。面白いCMだから好きなんだけどね。

 

あなたも見れるわよ、って。人にオススメすることを趣旨とした記事を何本も書いているが一回も使ったことないぞそんなセリフ。小恥ずかしい言葉を使わず端的にR18であることを示した素晴らしい表現ではあるが、それを言われたら余計手を付けるわけにはいかなくなる。

これ以上無視を続けるわけにもいかなくなった私は次の手に出る。

 

「あーそうなんだ。見てみるから内容は言わないでね」

 

これ以上母親からあらぬ発言が飛び出ないようにするための私のファインプレーである。SM的な要素が多少なり含まれるであろう本作の内容について話されたら、たまったものじゃない。母親像が崩れ落ちて灰となり、その灰を吸引した私はアレルギー症状を引き起こすだろう。

 

しかし20年以上生活を共にした家族という存在は厄介である。

私があまり見る気がないことを察したようで、あらぬ方向から攻撃を仕掛けてきた。

 

「アダルトビデオじゃないんだから」

 

その軸でR18映画を語るな!!!

いや、その軸で見てしまうのはよく分かるんだけど、堂々と言うんじゃない!!!

 

おそらく彼女の言葉の後には、「恥ずかしくないわよ」が続くのだろう。

もう私は言葉を濁すしかなかった。「確かにね、ははは」。

アダルトビデオの有用性を語ることも、映画とアダルトビデオの違いを語ることも、頑なに見ないことも、R18を意識しているという私を母親に露呈していることとなり、それはすなわち息子からすると敗北であった。かといって、平気な顔して他の映画と同じようにリビングで視聴することに、私の羞恥心は耐えきれないだろう。それ以前に、映画を見てしまったら「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のR18のシーンが母親と共有されてしまうのだ。何だか、いやなのである。全国の男子諸君は分かっていただけると思うが、何だか、いやなのである。

 

見ても地獄、見ずとも地獄。

私は逃げるようにしてリビングを後にした。

いくつになっても親には敵わないのである。

私の母親は、単に面白い作品を息子に紹介しただけだったのだ。世の中に存在する多くの作品のうちの一つとして。性描写の有無で作品を評価しようとしている私よりもずっと上手である。

 

結局、私はまだ「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」を見ていない。悠長に構えていたら続編「フィフティ・シェイズ・ダーカー」も母親が借りてきた。映画好きな母親が気に入っている以上、きっと面白いはずなのだが、家族という枷が私の視聴の邪魔をする。

 

早く大人になりたい。下らない自意識を捨てられるような大人に。

いつか、このブログで「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」の感想を書けることを信じて、今日も私はアダルトビデオを視聴する。

 

【グレイテスト・ショーマン】成功の光と闇(感想:ややネタバレ)

www.foxmovies-jp.com

見てきました。

ラ・ラ・ランド」の製作チームが贈る!的な触れ込みがあった気がするけど、楽曲が「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞を受賞した方らしい。監督や脚本は別だということを私は見てから知った。

 

あらすじはwikiを見ればしっかり書いてあるので、細かくは書かないが感想を書く上でざっくり内容に触れる必要があるのでその程度のネタバレはご了承いただきたい。

 

ちなみに後からブログを書くために調べた結果知ったのだけれど、主人公のP・T・バーナムは実在した人物らしく、つまりこの映画は「史実に基づく物語」ということになる。

遥か昔に読んだ「実業者の成功物語」的な自己啓発本(タイトルさえ覚えていない)と「グレイテストショーマン」が、全く関係がない作品であるのにも拘らず内容の大筋が似通っていたので、勝手に驚いていたのだが、この世に生まれるいわゆる成功者と言われる人間がが辿る道筋はおおよそ同じようなモノなのだろうと妙に納得してしまった。

 

余談が過ぎたが、本作の魅力を語りたい。

やはりミュージカル映画は見栄えが良い


映画『グレイテスト・ショーマン』予告D

予告も最初10秒の引きがすごいが、まさしく本編もこのシーン・歌から始まり、主人公のバーナムが回想する形で物語が展開されていく。

 

音楽と役者の動きで魅せる作品はやはり没入感が違う。オープニングの引きが良い作品は勢いで最後まで気持ちよく見ることが出来るが、この作品もその類の映画。

 

また、ショービジネスが物語の根幹にあるので、劇中に幾度も訪れる歌と踊りで構成される"ミュージカル"なシーンは刺激的で楽しい。

バーナムが酒場でフィリップ・カーライルを口説くシーンの、ショットグラスで酒を開けながら交渉を進めるパフォーマンスが一番の好み。ヒュージャックマン演じるバーナムは主人公として圧倒的な存在感を放っていたのだが、ザック・エフロン演じるフィリップ・カーライルも第二の主人公としてかなり見せ場があり、彼が歌っているシーンは総じて良かった印象。空中ブランコ演者のアンと宙を舞いながら歌っている様は圧巻だし、ラストシーンでバーナムから帽子を受け取りステージに躍り出る彼の楽しそうな表情が目に焼き付いている。

 

本作の軸は①「成功」の定義と②個性を武器に闘う人間の在り方

脚本の良いミュージカル映画は無敵である。

グレイテスト・ショーマン」はテーマ性が強い作品であり、作品が伝えたいメッセージが分かりやすい。かつ、我々が期待する結末に向けて物語が進行していく期待を裏切らない盤石な構成をしている。歌と踊りで完成を揺さぶる系の作品は、視聴者の気持ちが離れないように矛盾なく堅実に物語を進めて、期待通りの結末に落ち着くことが大事だと勝手に私は思っているのだが、本作もその類の作品であった。

 

見出しに書いたように、テーマは2つ。

①「成功」の定義

バーナムは貧困層の生まれであることがコンプレックスで、個性と才能に恵まれながら社会から疎外されている人々(公式HPではこのように記載されている)を起用したショービジネスで成功をおさめながらも、上流階層に認められる「本物」のショーを魅せたいという野望を抱き、歌姫ジェニーリンドを起用したショーにのめり込んでいく。

元々家族の幸せのために努力を重ねていたバーナムが、その本来の目的を忘れさらに高みへ高みへと貪欲に邁進していく様は見ていて心が痛かった。(富裕層が集まるパーティからショーのメンバーを締め出したシーンにはイラっと来た観客も多かったのではないだろうか)

 

結果的にジェニーリンドとの恋がこじれてバーナムは失脚、一度は家族を失いかけることとなるが、バーナムが起用したショーの団員に助けられて返り咲く。

家族サービスのために後継者に出番を譲りショーの本番を中座する形で物語は締めくくられるが、人間にとっての幸せや成功の定義に一つの答えを出していてとても救いのある物語だと私は感じた。

 

②個性を武器に闘う人間の生き方

本作主題歌の「THIS IS ME」はバーナムのショーで髭女として活躍しているレティ・ルッツによる劇中歌。歌詞を見れば分かるが、社会的に阻害されていた要因であった個性を才能と再認識しに自らを主張する勇気を得た様を歌っている。

 

現代においては彼女のような身体的に特徴がある方への差別も少なくなってきているが、バーナムが生きた当時は今よりもずっと差別的で、劇中でも彼女らは何度も何度も阻害されている。しかし、ショーのスターとして活躍することで彼女らは自信を得て、自らを隠す必要がないと力強く生きることを決意する。その様を見ているとなんとなく勇気が湧いてくるのだ。

 

だが、本音を書いてしまうと、いわゆる「社会的マイノリティ」(語弊があるかもしれないがこのように表現してしまう。wikiによると「多くの場合、そのグループの一員であることによって社会的な偏見や差別の対象になったり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から損失を被ることを前提とした呼称」とのこと。)をテーマとして扱った作品は重くなりがちだと思う。少なくとも私自身は重いと思ってしまう。

 

「差別的な不必要かもしれない配慮」のようなものをしてしまうのだ。「あぁ気の毒だなあ」という気分で見てしまうのだ、どうしても。作中の差別的な描写が多ければ多いほど、「辛いなあ」という気分が積み重なってしまい、彼らが救われるシーンが訪れたところで、その積み重ねた負の感情が払拭されることはまずない。

 

しかし「グレイテスト・ショーマン」においては、テーマ2つのバランスが上手く取れているので、見てて目を塞ぎたくなるような重さはない。

主人公であるバーナムは基本的にショーを成功させることだけを目的に仲間を募っており、いい意味で彼はショーで活躍する団員達に対して無頓着だ。そのため、彼を中心に展開した物語である以上、「マイノリティが活躍するには・・・」的な説教じみた内容には決してなっていないし、「彼女らが迫害されている」という描写も悲劇的に描かず、彼女らが乗り越えるべき一つの壁程度の扱いにとどまっている。

 

ただ、「THIS IS ME」を彼女らが歌い、その気持ちに我々が共感する。その描写にとどまっているからこそ、不必要な配慮をすることなく、彼女らに感情移入できた。それで十分なのである、歌の力はすごい。

 

まとめ

綺麗にまとまった優等生的な作品。

マイケルグレイシーさんはまだ監督としての実績は浅い方だと思うけれど、これだけ面白い作品が作れるなら次もぜひ見たいと思ったところ・・・『NARUTO -ナルト-』のハリウッド実写映画版の監督をやるらしい。

楽しみだってばよ。