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アルキメデスの大戦から学ぶデキる営業マンの極意(感想:ネタバレあり)

普段は戦争をモチーフにした作品はあまり見ないのだが、友人に勧められ作品を観たところ滅茶苦茶面白かった。現在絶賛ドラクエ実写映画が炎上しているが、怒りを感じた視聴者はこちらを見て心を落ち着かせてほしい。同じ監督。作品が悪くても監督は悪くはない。

https://archimedes-movie.jp

 

海軍の派閥が2つあり、片方は戦艦大和を、もう片方は空母を創りたいと考えているのだが、大和派閥が激安見積もりを出してきたので、空母派閥が「いやこれおかしいっしょ?おかしいって指摘できれば空母案通るんじゃね?」と数学の天才菅田将暉に依頼し、見積もりの穴を見つけてもらう、というのが大筋。

 

この作品の魅力は天才菅田将暉が圧倒的に不利な条件から敵陣営の大和の見積もりを足と頭脳で算出していく様と、菅田将暉を利用した海軍内の政治なのだけれど、最大のポイントはこれは決してかつての日本の出来事ではなく、現代の日本の組織でも起きている人間同士の争いとその末に訪れる組織の顛末を描いた物語であること。

私も組織に属し働く社会的な人間である。滅茶苦茶感情移入してしまった。

 

まあ普通に感想を書いてもいいんだが(書きたいことは上の段落で終わっているのでもう書くこともないのだが)、物語の内容に沿って営業マンになって3か月程度の私が「ほえ~勉強になるぜ~」って思ったことを述べていきたい。ちなみに、普通にネタバレをしていく。

 

①足で稼ぐ

菅田将暉演じる櫂直は舘ひろし演じる山本五十六にスカウトされ、海軍の少佐に。柄本佑演じる田中正二郎が唯一の部下となり、実質2名、2週間足らずの時間で見積もりを算出するという難題に挑むことに。

早速見積もり算出に動こうとするが、手元にまともな資料がなく、見積もりを算出するのに必要な設計図や原価表は機密事項(=軍機)として閲覧できない状況にある。

普通の人は(=作中序盤の田中正二郎がまさしくその"普通の人"なのだが)「いやソースがないんだから無理でしょ。」とあきらめてしまうところだし、ただ頭が回る人でも「いやソース出してくれれば計算できるけどね」といって他力本願してしまうところかもしれない。

 

だが、俺たちの菅田将暉は、櫂直は、違うんだ。

 

彼は軍機と知っていながらも数回書類を観ようとアタック。当然不可能なので今度は実際に軍艦を観に行くという。そして乗り込んだ先で軍艦の大本の設計図を書き写し、足りなかった部分は自ら軍艦内を動き回りメジャーと歩測を用いて補った。

考える材料がないなら、自ら材料を探す。

頭だけが回る天才ではなく、自ら汗をかいて解決のための手段を択ばない。彼は営業である。私はその時悟ったのだ。

 

②部下よりも動く、背中で教える

本作では天才の櫂直だけでなく、その部下の田中も良いキャラクターをしており、最初は櫂直に敵対心満々であったが、彼の真摯な気持ちに影響され終盤には大きな戦力として活躍する用になる。

 

そうなったのも、そう、俺たちの菅田将暉、櫂直のお陰なんだ。

 

前述したように、田中はガチガチの海軍所属の人間なので、「軍機だから無理ですよ」、「アポなしで軍艦にいきなり乗り込むなんて無理ですよ」とできない理由を探しがちだった。

しかし、櫂直の「君はやる前に無理だと決めつけるのが悪い癖だ」と言われてから、彼の行動は徐々に大胆に、目的達成のために動ける人間へと変わっていく。

もし、櫂直が自ら無理だと決めつけ動かない人間であったらどうだろうか?きっと田中にその言葉は響かなかっただろう。

櫂直本人が動き、そして常に部下よりもリスクをとり続けたからこそ(軍機の資料を書き写すなどの無茶は常に彼が行っていた)、田中も変わろうと決心したのだ。

 

ちなみに本作、2週間という短期間で大きなプロジェクトを達成しないといけないということで、結構な頻度で徹夜の描写が現れる。その時、田中が寝ているときに櫂直が寝ていることはなかった。つまり、櫂直は体力お化けであるだけでなく、部下に働かせるよりも自らが最も働く最高の上司だったということである。大好き。

 

③プライベートであろうと徹底的に人脈を使う

無事設計図を完成させた櫂直。この後金額を算出するには、設計図に使われた原材料の量・単価、そして人件費を調べなけえればならない。

しかしここでも軍機の壁が。そこで彼らは軍から発注を受けているメーカーから情報を手に入れようとする。しかし、当然軍の息がかかっているので、簡単には手に入らない。

 

だが、俺たちの菅田将暉は、櫂直は諦めない。

 

かつて恋仲であった浜辺美波(可愛い)演じる尾崎鏡子は、軍艦のメーカーの娘であった。彼女なら何か知っているかもしれない。

 

櫂直は悪い男だ。自分が好意を持たれていることをおそらく彼は分かっていた。なのに優しい言葉をかけて仕事と全く関係のない女から情報を手に入れようとする。

 

で、結果的にかつて付き合いがあった大阪の下請けがその情報を提供してくれるかもしれないと成果をちゃっかり上げている。いつの時代も仕事ができる男はモテるんだな、と思った。ちなみに本作の菅田将暉、前髪が一々エロイ。

 

営業マンは今すぐ髪型を整え、眼鏡をコンタクトに変え、清潔感を身に着けよう。そして、仕事であろうとなかろうと人に好かれる人間になり、ピンチの時にはしっかり頼るのだ。俺たちには、菅田将暉になれる希望が、まだある。

 

④憑依芸に情熱を乗せる。

所詮彼は数学を専攻する学生でしかなく、処世術に長けているわけではない。だから彼は欲望がままに、やるべきこととやりたいことを足と頭脳を用いて遂行していく。

しかしどうしても人の協力が必要なタイミングがある。まず1人目は尾崎鏡子だった(正確には軍艦乗船で協力してもらっているが、まああれは山本のつてだからノーカン)。しかし彼女はすでに彼の手中に落ちていたから、新たに協力者を増やすという行為には至っていない。

 

しかし、遂にその時が訪れる。櫂直、最大の試練の時だ。

 

尾崎鏡子に紹介された大阪の下請け業者のオーナー、笑福亭鶴瓶演じる大里清に原価の情報を貰おうと粘るが、彼は全く応じない。そこで、彼は切り札を用いる。

 

「戦争が起きます」

 

これ!最初「軍人は嫌いじゃ!」と山本さんのお願いを退いた櫂直が、心を揺るがせ、結果的に協力することになった殺し文句なんですよ!

 

いやー使ってきましたよ、人の必殺技を自分のモノの様に。でもただ言葉尻だけいってもしょうがないんですよね。彼の感情が乗っていたからこそ、その一言が一瞬だけ大里清の気持ちを動かした。

 

営業は会社のフロントとして、ある時はSEの、ある時は技術者の、ある時は企画の意見を自分のことのように言わなければいけない。その時大切なのはその再現度と、語り手である自分の感情が乗っていることだ。菅田将暉はそれができていた。

 

ま、結果的には東京から大阪までに追ってきた浜辺美波の交渉で協力が決定したんですけどね、結果的に女かーい!

 

⑤視点を変える

順調に原価の計算を勧めようとした矢先、東京から電報が届き、見積上申会議の日付が翌日になったことを知らされる。

時間が無くなった櫂直。普通に原価計算をしていれば間に合わない。

そこで、彼は機転を利かせ、別のアプローチで原価を計算する方程式を考えつく。その方程式があれば鉄の量さえわかれば製造総額が分かるとのことだ。

 

この発想力よ。普通の人なら、会議の日付をずらされた時点で「万策尽きた~」と「まあここまで頑張ったからいいよね」と「僕のせいじゃないよね」とあきらめてしまうところだ。

 

しかし、日本の菅田将暉は、櫂直は違う。

 

彼がやらなければいけないミッションは見積もり算出を上申会議までに間に合わせ、大和製造を阻止すること。その目的のために、手段を問わないし、それが達成するために、何があっても諦めない。

今まで辿ってきた道筋はその一つの手法でしかなく、時間が足りないというならば別の手段にその場でシフトチェンジする。その目的を忘れない気持ちと機転を利かせされる柔軟な頭。

目的は、アポをとることではなく、上司に言われたことをこなすためではなく、会社が推奨する商材を売ることではなく、数字を稼ぐことである。そのための手段を柔軟に変えながらゴールに目指す。

ここまでできればスーパー営業マンだ。

 

ちなみにそれでも移動しながら鉄の量の計算を続ける必要がある。ここでも浜辺美波の協力があった。もはや部下じゃん。え?なんなの?仕事とプライベートわけなよ?

 

⑥上司を変える

ここから先はクリティカルなネタバレになるので避けるが、物語のクライマックスの上伸会議にて見積もりの不備を暴き、いろいろ議論があり、大和案は却下された。

 

が、世界の菅田将暉は、櫂直は、視点が違う。

 

なんと、ここから自らが当初描いた「戦争を止めたい」というビジョンを変え、「戦争の被害を最小限にとどめたい」と考えた。そして、戦艦大和を製造する陣営に寝返るのだ。

 

まあここのディテールは映画館で楽しんでほしい。

ここで言いたいのは、自らの考えが変われば上司も変えるべきだということ。

営業マンとして売りたいものが変わったら、やりたいことが変わったら、当然自らの才能を腐らせないためにも別の場に移るべきだ。義理も人情も必要ない。なぜなら、上司もまた、自らの欲望のために部下を動かしているのだから。

 

君も、やめたかったら今すぐ辞めよう。僕も、転職サイトからのメールを日々大量に受け取っている。

 

※余談だが、櫂直ほどの天才でも、上の立場の人間の言うことには言いくるめられてしまうということは皮肉な事実として残っている。ビジョンを変えるのは良いが、彼は簡単に影響されてしまうというある種の弱さも持っていた(彼の考えは正しいのだろうが、プロセスが簡易的過ぎて鵜呑みにしているように見えた)。

だが、我々が生きる世界はそんなに簡単ではない。自らが目指したい世界は自らが決めないといけないのだ。一組織の営業マンであったとしても。

 

本日のまとめ

菅田将暉はイケメンだし、可愛い浜辺美波が協力してくれるし、営業マンとして大成とかどうでもいいから、僕も菅田将暉になりたい。

 

【トイ・ストーリー4】トイ・ストーリー最高傑作かつ最終回にふさわしい(感想:ネタバレあり)

https://www.disney.co.jp/movieoy4.html

 

前作「トイ・ストーリー3」でウッディ一行がアンディからボニーに引き取られ、おもちゃとしてあるべき姿を作品として明示し、完璧なエンディングを迎えたと思ったら、続編の制作が決定。

アカデミー賞長編アニメーション賞も受賞し、記録的な興行収入も達成し、物語としても非の打ちどころがない「3」の続編が蛇足にならないか不安になったファンも多いかと思うが、私は「4」は「3」のクオリティと我々の抱く期待を上回っていたと感じる。

 

この作品を作ってしまったら、これ以上の続編を創るのは流石に難しいのではなか?という集大成的作品であったと思う。(スピンオフはいくらでもやってくれていいけどさ)

 

ネタバレをしながら魅力を書いていくよ。

 

おもちゃそれぞれの価値観

3は「おもちゃは子どもに遊ばれてなんぼでしょ」というウッディの決断が作品のテーマそのものであったように思えるが、本作はそれをひっくり返す、というか「それが絶対的な正しさではなく、それぞれの価値観で自分の人生を生きなよ」みたいな多様性がテーマになっているように思えた。

トイ・ストーリー4は主要キャラクターが「やるべき役割」と、「自分の考え」の乖離をどのように見つめ、修正していくかを奮闘する物語である。「多様性」が昨今の時世では重要とされる中、ディズニーらしくど真ん中のテーマを持ってきたという印象だ。

 

本作のキーキャラクターは以下の3名で、彼らの「価値観」の変化がストーリーラインそのものとなっている。三者三様の考え方があり、すべてを否定せず各々が自らの答えを導き出しており、誰が見ても傷つかない、何かしらの共感を覚えられるような、作品となっている。従来の「トイ・ストーリー」シリーズのように、明確に懲らしめられるヴィラン(悪役)のポジションがいないのも、子ども向けの優しい物語としてポイントが高い。

 

①ウッディ

「1」からの主人公。彼が最も「おもちゃ」としての役割に強いこだわりを持っていたのだが、既におもちゃとしてアンティークショップに並べられる生活を脱していたかつての仲間ボーの価値観に影響され、ボニーのおもちゃとして生きることを辞め、世界を旅するおもちゃとして生きることを決断した。

私が本作を最終回であるべきと言っているのはそれが大きな原因で、つまりは「4」でウッディは、バズやジェシーやその他1からのイツメン、そして持ち主のボニーと別れることを決めたのである。これで再開など果たしたらそれこそ蛇足になってしまうだろう。

 

物語の序盤、ボニーの成長を見守り、彼女の幸せを守ることこそがおもちゃの役目だと思っていたが、ボニーのお気に入りおもちゃからはすでに外されている。

そこで幼稚園でボニーがつくったお気に入りの「フォーキー」を守ることで、間接的にボニーを笑顔にすることを使命だと躍起になる。が、かつて惹かれていたおもちゃのボーと再会し、彼女の「子どものために生きるのではなく、広い世界を見てみたい」という価値観に影響され、結果的にボニーの元から離れることを決めたのだ。

 

彼はおもちゃとしての役割に非常にこだわるキャラクターだったが(しかも過去3作も続くシリーズ作の主役)、彼がその確固たる価値観を捨て、自分のこころの声に従い、やりたいことに踏み出した。

それだけでも物語として大きな力を持つし、本作のこの決断は過去3作ブレないキャラクター像が確立しているからこそ映えるものであった。シリーズ物の積み重ねの威力を存分に発揮した結果であったといえる。

※もちろん「4」の作中でも序盤はボニーおよびフォーキーへの過保護っぷりから、中盤はギャビー・ギャビーからフォーキーを救うために結成されたチームの仲間の反対を押し切ってまでも、ギャビー・ギャビーの元に一人で戻っていく様から、ウッディの強い正義感とおもちゃとしての使命感を描いている。シリーズものとしての妥協をしないのも本作のよいところだ。

 

②フォーキー

本作の予告編ではボニーが幼稚園で手作りした「フォーキー」が大いに取り上げられているが、かなり序盤に彼個人の役割は終え、中盤にはギャビー・ギャビーに囚われる舞台装置となってしまった印象が強い。


「トイ・ストーリー4」日本版予告

 

彼はボニーにとって大切なおもちゃでありながらも、自らはゴミであるという認識が強く、何度もボニーの元からゴミ箱に逃げ帰ろうとする。それをウッディは「君はボニーにとって大切なおもちゃである」と何度も諭し、物語中盤には既に「ボニーの元に帰りたい」とマインドリセットされている。

※つまり、彼の気持ちの変化に大きなドラマ性はない。

 

しかし彼も大切な役割を持ったキャラクターの一人ではある。

「私はゴミである」という役割に固執しているが、「ボニーにとって大切なものである」という理由から、自らを「おもちゃ」として認識しなおした非常に思考に柔軟性を持ったキャラクターが、フォーキーだ。その変化を起こしたのはウッディである。

ウッディはフォーキーと同じように、他の人に諭されながらも自らの役割を変える決断をするのだが、フォーキーが物語中先んじてその決断を軽々と行うこと、そしてその原因がウッディにあること、それが少なからずウッディの大きな決断の唐突感を減らしているような気がしている。

 

③ギャビー・ギャビー

本作のヴィラン的な役割を持つキャラクター。かつてボーもいたアンティークショップの棚に並べられているおもちゃ。

ウッディにも内蔵されているボイス・ボックスを持っているが、壊れているため、ちゃんとした音が鳴らない。それゆえにアンティークショップに遊びに来る店主の孫娘ハーモニーに見向きもされないと思っている。ハーモニーと一緒に遊ぶことが彼女の夢で、アンティークショップに現れたウッディのボイスボックスを手に入れようとして、フォーキーをアンティークショップに幽閉した。

 

彼女はおもちゃとしての役割を果たしたいが果たせない悲しい登場人物だ。ウッディたちと中盤までは対立していたが、結果的には暴力的な手段ではなく、ウッディとの話し合いで彼女はウッディのボイスボックスを手に入れることになる。

ウッディは今までアンディとボニーにたくさん遊んでもらっているが、ギャビー・ギャビーは棚に飾られたまま。ウッディ本人が序盤にフォーキーに対して「子どもに遊んでもらえることは幸せなこと」と諭しているだけあって、ギャビー・ギャビーから「役割を譲ってほしい」と嘆願されたら、彼としては受け入れざるを得ないだろう。

 

ギャビー・ギャビーはボイスボックスを手に入れたが、ハーモニーには見向きもされないままだった。彼女は絶望するが、ウッディがボニーの元に一緒に行くことを提案する。しかし最終的には移動遊園地で迷子になっている女の子(=今まで役割を見つけられずにいたギャビー・ギャビーと重なるものがあったのだろう)に拾われることを決断し、彼女の友人として引き取られることになる。

 

彼女は子どもの友達になるという本来の役割を果たしたいけれど、果たしきれなかったおもちゃであり、彼女はその役割に固執し、結果的にはその役割を手に入れた。

彼女がいたおかげで「今までのウッディの考えは何なの?」という過去作の否定に本作が結びついておらず、しかも中盤までに疑似的に対立関係を生んだうえで和解させたことで、より視聴者に寄り添った作品として仕上がったのだと僕は思っている。

 

ただしその「おもちゃの役割」にもレイヤーがあり、「ある特定の子供」の役に立ちたいなのか、「世の中の多くいる中の誰かひとり」の役に立ちたいなのかでかなり考え方は異なる。ウッディは比較的持ち主に厳格なおもちゃだったので、前者に寄っており、当然ギャビー・ギャビーもハーモニーと遊びたいという思いが強かったので、前者寄りだった。

しかしウッディはアンディからボニーへと別の子どもの元に行く経験をしており、それゆえにギャビー・ギャビーに別の子どもの元で役割を果たすという道を示すことができたわけだ。

良い意味でウッディはギャビー・ギャビーの人生の師になっているし、ウッディ自身もギャビー・ギャビーと対話することで、ボニーの元に居続ける必要性がもはや少ないということを自覚していく。

 

ウッディが他のキャラクターに影響を与えながらも、自分の価値観を徐々に変えていくという堂々たる主役っぷりを発揮できているのは、価値観を変化させられても違和感がない新キャラクターのフォーキーとギャビー・ギャビーのお陰であるともいえる。

 

良い味を出すサイドキャラクター

本作はウッディとおもちゃたちとの別れで幕を閉じるが、お馴染みの「無限の彼方へ さあ行くぞ!」をバズとウッディが呟き、エンドロールが始まる(ちなみにオープニングは「君はともだち」。最終回にふさわしい出だしとオチである)。

バズは本作の主要キャラクターからは外れているが、シリーズ全体でウッディの相棒として活躍してきた彼はとてもいい役割を担っていた。

序盤にウッディから「心の声に従う」という概念を教えられ、作中はおもちゃ備え付けのボタンを押して出てくる音声を「心の声」と認識して彼は行動していくのだが(=つまりは心の声がよくわかっていない)、ウッディがボーと一緒に生きたいと葛藤を抱きながらもボニーの元に戻ろうとしていくなか、「心の声に従いなよ」と決断を促すのだ。ボーの元に戻りたいとウッディが思っていることを察したうえで、友人のためを思ったときに、ようやく「心の声」の意の本質に気づく、最高の友人ポジションとして機能している。

 

その他ピクサーの芸の細やかさを大いに感じたのだが、例えば序盤にボニーにウッディのバッジを奪われジェシーに付け替えられるシーンがあるのだが、終盤の別れのシーンでウッディが自らジェシーにバッジを託すシーンを挟み「後は任せたよ」を演出していた。そういった点でかつての作品の主要キャラクターであるジェシーも役割を持てていた。

 

新キャラクターでお気に入りなのは「デューク・カブーン」。

コメディアンとして大いに活躍していた。ボーと羊のおもちゃが危険が去った後に慰めあっているシーンの隣で、彼がバイクと慰め合っているのがお気に入り。

ちなみにエンドロール後のお馴染みのPIXARロゴとルクソーjrのアニメーションは、本作においてはルクソーjrの代わりをカブーンが担っており、作中でウッディとハイタッチをし損ねたモブおもちゃがカブーンとハイタッチして終わる。そういった芸の細かさも好きだが、とりあえずスタッフに愛されていることをヒシヒシと感じた。

 

その他余談

良い時間がなく日本語吹き替えで見たのだけれど、声優は全員問題なく演技ができていた。チョコレートプラネットのお二人が声優を務めていたらしいが、全く違和感なく聞き取れたので、日本語吹き替え版もオススメ。

 

アベンジャーズも一つの集大成を迎えたし、トイ・ストーリーも同じように集大成を迎えたと思っている。アラジンもそこそこ伸びてるらしいし、ディズニーは2019年でいくつ伝説を作るつもりなのだろう。

 

 

【アベンジャーズ/エンドゲーム】ホークアイが主人公(感想:ネタバレあり)

marvel.disney.co.jp

もはや説明はいらないと思うが、アイアンマンから続いていたMCU作品群の一つのピリオド、つまり最終作(wikiを見るとスパイダーマン:ファー・フロム・ホームはエンドゲームの後の話でいわゆる「フェーズ4」ではなく「フェーズ3」らしいので、インフィニティストーンをめぐる物語の最終作はファー・フロム・ホーム、という考え方もあるらしい。ちなみに「フェーズ4」で制作発表されているのはGotG3、ブラックパンサー2、ドクターストレンジ2である)であるエンドゲームを見てきた。

 

正直「早くアベンジャーズが揃っているシーンを見たい」という逸る気持ちを抑えられずに、中盤多少間延びしているのではないか?とも思ったが、3h近く尺があるので思い入れのあるキャラクターの掘り下げはばっちりであった。ファンはこの作品を否定など出来ないだろう。

 

長いから目次を作った。

 

 

ネタバレを含むあらすじ

以降の感想を書く上である程度流れをまとめておいた方が良いので、ざっくりと書いておく。

 

前作インフィニティウォーで生き残ったヒーロー達でサノスの討伐(=半分に減った世界を元に戻す)に行くが、サノスは既にインフィニティストーンを破壊しており、「指パッチンアゲイン」は不可能な状態に。激昂したソーに首をはねられ、サノスは死亡。

ちなみに宇宙組の生き残りだったアイアンマンとネビュラはキャプテンマーベルに救われて地球に帰還。スタークの悪い癖が出て、討伐には彼は参加せず。ちなみに本作はホークアイの家族が指パッチンで消されるシーンから始まるのだが、この段階ではまだホークアイは合流していない。

 

5年後、アントマン&ワスプの最後で量子世界に閉じ込められていたアントマンが、ネズミが偶然スイッチを押したことでこの世界に帰還。量子世界と現実世界の時間の歪みを利用して、サノスが指パッチンをする前に戻ることで、この世界をやり直すことを提案。

midoumairu.hatenablog.com

 キャップとブラックウィドウアントマンで天才スタークの元を訪ねるが、彼はペッパーと結婚し子どももいる立場。危険に立ち向かうことを拒む。しかし、指パッチンで消えたスパイダーマンことピーターパーカーを思い、タイムトラベルの方法を導き出し、キャップたちと合流。合流時にキャップの象徴である例の盾が手渡され、ようやく二人が和解した瞬間だった。

なお、一度トニーに断られたキャップたちはハルク状態でも理性を保てるようになった第二の天才ブルース・バナーを頼ることになるのだが、彼らだけではタイムトラベルの方法は導き出せなかった。流石トニースターク。

 

作戦を立てた結果、

①キャップ・アイアンマン・アントマン⇒映画「アベンジャーズ」の時期にタイムトラベルし、マインドストーンとタイムストーンを回収。スペースストーンの回収に失敗したため、キャップとアイアンマンは更に過去に戻り(キャップの恋人が現存しており、スタークの父が生きていた時代)、スペースストーンを回収。

 

②ソー・ロケット⇒映画「マイティ・ソー/ダークワールド」の時代にタイムトラベルし、リアリティストーンを回収。その際、ムジョルニアも回収して現代へ。

 

ブラックウィドウホークアイ⇒映画「GotG」の序盤の時間にタイムトラベルし、ソウルストーン回収。インフィニティウォーではガモーラが犠牲になったが、今作はブラックウィドウが犠牲になった。

 

④ジェームズ(ウォーマシンの人)・ネビュラ⇒映画「GotG」の序盤の時間にタイムトラベルし、パワーストーン回収。しかし、この時代の改心前のネビュラの企みがばれ、この時代のサノス・ガモーラ・ネビュラを現代にタイムトラベルさせるきっかけを作ってしまう。

 

と言った形ですべてのインフィニティストーンを回収。キャプテンマーベルは現存組だったが、全宇宙を守る立場だからか、過去に行くメンバーとしては参加せず、クライマックスの総力戦で地球に戻ってきた。

ハルクの指パッチンで、半分に減ってしまった人類を復活させるが、その直後に過去から現れたサノスに急襲される。

その後はお決まりの復活したヒーローも含めた総力戦。最後はアイアンマンが指パッチンによりサノス軍をせん滅し、その代償として彼が命を落とす。

 

その後はエピローグ。インフィニティストーンを元の時代に戻しに過去に行ったキャップは、過去で歳を重ねて老人になって帰ってきた。みんな大好きファルコンに盾を託し、彼もヒーローを引退することとなった。

 

あらすじを書くだけで既に2000文字に近い文章を書いている。

我々が望んでいたアベンジャーズ大集合まで時間がかかったもののの、集大成らしくインフィニティストーンの回収を立て付けに今までの経緯をビジュアルと話でなぞりつつ、キャラクターの過去を掘り下げるという手法はなかなかいいなあと思ってみていた。

さて、ようやくツボポイントをかけるぞ。

キャプテンアメリカとアイアンマンが完成し、アベンジャーズが終わった。

本作はアベンジャーズが終わる物語なのだが、やはりその中心的人物であったキャップとアイアンマンがヒーローとして完成したからこそ成り立つ「終わり」であったとひしひしと感じた。初代アベンジャーズの主要メンバーは全員本作で輝いていたものの、本作の主役は間違いなくこの2名である。

アイアンマン過去作を見るとある種のビジネスマンらしい冷酷さと我儘な部分が全面に出てしまっていたが(キャップと比べると"ヒーロー"というには利己的な部分が強く出ていた)、本作では家庭という第一優先で守るべきものを持ちながら、消滅したピーターパーカーを思いタイムトラベルに力を貸し、最終的には自らの身が危険に晒されることが分かっていながらも、「私はアイアンマンだ」とサノスに言い放ち指パッチンし、最愛の妻に見届けられながら命を落とす。彼の葬式には多くの仲間が訪れ「彼にも心がある」とメッセージが添えられていた。まさしく正真正銘の愛すべきヒーローになってアイアンマンは終わったのである。今までの社長を目の当たりにしていた我々にとっては、信じられないほどの成長であり、そんな彼がいなくなってしまうことがたまらなく切ない。

キャップに関しては元より彼なりの信念を貫くヒーローらしきヒーローではあったものの、己の信念、信じる正義が国やマジョリティから外れてしまうことが多く、今となっては国を背負うヒーローではなくなってしまっていた。しかしサノスとの闘いの中で高潔な心を持ち、王の素質がある人しか持てないムジョルニアを駆使して闘ったことで、彼の正義を、彼が真のヒーローであることを証明してみせた。

 

アイアンマンは愛されるヒーローになって死に、大義のために闘い続けたキャップは自らの人生を歩みヒーローを辞めた。お互いに反発しあっていた2人が、大切なものを手に入れて終了という最高のエンディングは今までの積み重ねがないと成り立たない。

ちなみに本作の最後のカットはスティーブと彼の恋人ペギー・カーターとのダンスのシーン。彼の願望はしっかりと叶っている。

 

ホークアイが主人公でブラックウィドウがヒロイン

主役作品がないものの初期からの主要メンバーで「アベンジャーズ」と冠がつく作品での活躍をいつも期待されていたホークアイブラックウィドウ

本作は失った仲間を取り戻す逆襲の物語ということもあり、エイジオブウルトロンから家族が大切にしていた父親としての側面を見せていたホークアイと、家族を持たずともアベンジャーズというチームに愛着を持ち、平和を守るために闘ってきたブラックウィドウはそれぞれ大きな役割を担っていた。もはやソーとかハルクとかも喰ってるぐらい。

※ソーも最初から最後まで彼らしく、サノスへの敗北というトラウマを乗り越え、総力戦の前にはキャップ、アイアンマンと並びサノスと闘うというなかなかの主人公っぷりを発揮していたが、あくまでも従来の彼としてのヒーロー像に「敗北」という今までにない味付けがされたという印象だったので、どうしても他のヒーローに比べると目立ちにくいところではあった。ブルースはハルクと和解してしまったことでハプニング性がなくなってしまったのが少しだけ残念。

 

特にホークアイはすごい。本作の最初のカットはホークアイの家族が指パッチンで消滅するシーンだし、以降自棄になり殺し屋稼業に首を突っ込み、過去を取り戻せると知ってからは過去へのテストジャンプに自ら立候補するなど積極性を見せつけ、目の前でブラックウィドウという大切な仲間を失い、ハルクによる指パッチン後に消滅した人間の復活を確認するのも彼の妻からの電話で、インフィニティガントレットを最初に回収し、仲間に託す。物語の大きな起点となるシーンはすべてホークアイを中心としており、もはや主人公と言っても過言ではない活躍っぷりであった。

 

ブラックウィドウは大切なものと引き換えにしか手に入らない石ソウルストーンのために自ら犠牲となったが、お互いが迷うことなく自分が犠牲になろうと崖から飛び込もうとしたことから、アベンジャーズという組織が彼らにとって、特に家族もなくエージェントとしての人生を全うすることしか残っていなかったブラックウィドウにとって、家族同然の大切なものであるということがひしひしと伝わってくる。

ソウルストーンは家族がいない彼女が愛されていたという証明でもあり、彼女が飛んだということは彼女自身がそれを信じていたということであり、彼女の死に方はガモーラとは違い幸せなものだったように思える。彼女も本作において、キャップやアイアンマンと同じように、大切なものを手に入れて引退したヒーローの一人だろう。

 

総力戦が熱い

言うまでもないが、敵と味方の総力戦が本作の最高の盛り上がりポイントである。キャップの「アベンジャーズ・アッセンブル」をどれだけ待ち望んだか。あの瞬間の興奮はもはや忘れられない。

各ヒーローともしっかりと活躍しておりとても良いシーンだったのだけれど、僕はキャプテンマーベルの圧倒的な力とヒーローとしてはか弱いピーターパーカーを守ろうと大集合する女性陣が個人的なツボ。ペッパー・ポッツ、しっかりとアイアンスーツ着て登場してて頼もしいなあって思った。

 

今後について

MCUお馴染みのエンドロール途中に流れる映像と「〇〇は帰ってくる」だが、今回は映像もその表記もなく終わった。まさしく最終作、といった印象が強くなるが、次回作のファー・フロム・ホームにおけるアイアンマンとキャップが不在の世界で、一番未熟だったヒーローであるスパイダーマンが、本物のヒーローとなるのが「本当の終わり」なのだろう。フェーズ3が本作ではなく、「ファー・フロム・ホーム」で終わるのもそれなら合点がいく。

次回作が決まっているGotG3で気になるのは、この時空においてガモーラは生き返ったものの(ガモーラが死ぬ前の過去から現在にタイムトラベルしたまま、彼女はおそらく死んでいない)、GotG1で築いたガーディアンズとの絆は一切なかったことになってしまっているということ。代わりにネビュラとソー(アスガルドの王はヴァルキリーに任せた)が仲間入りしているので、彼らが登場するのかも気になる。コメディ色強めなGotGシリーズへのネビュラの加入は絶対に面白いが、ソーはなかなかキャラクターが濃いので収拾がつかなくなりそう。もしかしたら序盤で「ソーはどこかで下ろした」みたいな感じで説明が入って本作にはあまり出てこないということもありそうだ。

フェーズ4もおそらく大きな目標に向けたストーリー展開になると思われるので、どこに着地を指せるのかがとても気になる。

まとめ

このシリーズを追い続けてよかったと思える最高の作品であった。KINENOTEの点数が本日時点で90点を超えていたのだが、それだけの点数がつくのも納得がいく内容だ。

ぜひ劇場で見てほしい。

 

 

ずっと真夜中でいいのに。東名阪ツアー「1st LIVE〜まだまだ偽りでありんす。〜」@名古屋 備忘録としての感想

zutomayo.com

 

「秒針を噛む」からハマって、数回ライブを申し込んだが一度も当たらず、ようやく東名阪ライブの名古屋公演を当てて、ライブに参加することが出来た。

とても楽しかったので何が起きたのか、そしてこの感情を残しておきたい。

ちなみに、記載内容に自信があまりない。これまでもライブ実施の度にしっかりとしたライターがレポートを書いてHPに掲載してくれているので、正しい情報はツアーが終わったあとにそちらを確認してくれるといいと思う。

 

会場は名古屋ダイヤモンドホール。会場のキャパはスタンドで1000名で、僕の番号が750番台だったので、やや会場中央よりも後ろよりで参加。前方にステージが、右手にモニターが配置されている箱。

ステージには工場を思わせるようなパイプといくつかの時計。時刻は現実のものとは異なり、アナログとデジタル。逆さまに配置されていうものもある。中央には鳥かごのようなものに、オレンジ色のランプが閉じ込められている。

 

開演時刻になると、モニターに「秒針を噛む」のイントロとMVを彷彿させるいくつかの映像の断片がダイジェストのように流れ、ガラスが割れたような音とともに、映像が粉々に散る。そしていくつかのMVに登場しているハリネズミ(うにぐりくんというらしい。ずとまよには「雲丹と栗」という可愛らしい楽曲があるが、それを彷彿させるナイスなネーミングだと思う。可愛い。)が左右交互に手をあげるアニメーションの横に、「お手元の眼鏡をかけてください」的な文字が。会場に入る際に、紙製の眼鏡が配られていたのだ。ツルにあたる部分に「ずっと真夜中でいいのに。」のロゴタイプ、そして視線を遮るように縦長の「目」がレンズに当たる部分にあしらわれている。

かけると、当然なにも見えない。すると、そのまま「秒針を噛む」のイントロが流れてくる。おそらく、目の前にACAねちゃんがいるのだろうが、見えない。そのまま、眼鏡をかけた状態で歌が始まる。実は去年、アルバムが発売される前に行われたミニライブのライブレポートを読んでいたので、わざわざ今回もメガネが配布されたときのためにコンタクトを付けてきたのだけれど、「このままメガネをかけたままなのだろうか」という不安と、MVを幾度も視聴し、購入した「正しい偽りからの起床」で何度も聞いた曲が生で展開されていることへの興奮、期待が入り混じって、あの時の感情は正確には言い表せない。正直、混乱していたと思う。だから、ACAねに「めがねとっていいよ」と言われたのも、どのタイミングだったかよく覚えてない(多分1番のサビが始まる前には言われていたと思うけれど)。彼女の一言で会場が沸いて、僕も同じように沸いて、目の前にライトを背面から浴びて歌っているACAねがいる、ということが途轍もなく幸せなことのように感じた。本人曰く「桜の時期だから」と髪の毛をピンク色に染めていた。かなり遠めだし、後ろからライトが照らされている場面が多かったので、彼女の姿をしっかりと見ることは出来なかったが、どちらかというとそういうことよりは、普段姿を現さず音楽だけを公開してきた謎に包まれた人物が目の前にいることが重要であって、むしろビジュアルを前面に押し出そうとも隠そうともしない姿勢が好きだ。サポートメンバーは左手にギター、奥にドラム、右手奥にベース、一番右手にキーボードという配置。なお、最初の「秒針を噛む」に限らず、ギターの方は終始楽しそうに弾いていたので彼を見ているのも楽しかった。

 

「秒針を噛む」に限らず、すべての楽曲について、生で歌っていながらCD音源に劣らぬ歌唱力だった。歌唱した曲は、正確にはカウントしていないけれど、「正しい偽りからの起床」に収録されている6曲とMVが後悔されている「眩しいDNAだけ」を我々が訊いたことがある曲だとすると(漏れていたら申し訳ない)、聞いたことがある曲と聞いたことがない曲が半分ずつぐらいだったと思う。2曲目は確か「ヒューマノイド」、3曲目には聞いたことがない曲が始まった(ハゼの曲?)。

新曲は疾走感あふれるアニソンっぽい曲からバラード調のものまでさまざま。歌詞もしっかりとストーリー立てて構成されているものから(これが意外だった、こういう詩も書くのか、と)、まさしく「詩」なものまで。一度しか聞いたことがない曲についてレポートを書けるほど筆力が高くないのが残念だが、「正しい偽りからの起床」でも方向性が違う楽曲6曲が揃っている中で、さらに新しいずとまよの世界が広がったような印象を受けた。手元で聞けるようになるのが楽しみだ。

ちなみに既存曲で一番印象に残ったのは・・・、ライブ特有のCメロ後の「満たされていたくないだけ」の伸びが気持ちよかった「眩しいDNAだけ」もよかったけれど・・・、やはり一番は「雲丹と栗」。twitterで音が出る黄色い鳥の写真をアップしていたが、あれも演奏に使われたのだ。他にも、例えばACAねが持っていたのはフライパン?(もしくは中華鍋?というのだろうか?)とオタマだったし、その類の音の鳴る道具(正確に見えていない・・・)を会場の最前列にいる客に配って、手拍子の代わりに音を鳴らしていた。その他大勢の客は全員手拍子で曲に参加したのだけれど、キャッチーで可愛らしい曲にそういった面白い鳴り物を用意して、皆で少しサビを歌ったりしながら参加する一体感が生まれる曲があるのは楽しい。

他にもACAね本人が大き目のライトを持って暗くなった会場をぐるぐると照らしたり、アンコール前の最後の楽曲だった「脳裏上のクラッカー」でクラッカーを鳴らしたり、彼女自身が全力でライブを楽しもうとしているのが伝わってくるライブだった。

 

MCも数回挟んで、楽曲に対する思いを話したり、初めてだという名古屋でのエピソードを話していた。会場は26になる僕よりも明らかに年下かと思われる人が多く、男女も半々。年齢層が若いこともあってかACAねからの問いかけに応える声、声援も多く、それに丁寧に答えるACAねが印象的だった。静かに息をつくようにゆったりと話す喋り方がとても聞き手を安心させる。ちょっと外れたボケをかます若い男性は良くライブ会場で見かけるが、そういった声へのツッコミもものすごく優しい感じがして良い。かなり会場の雰囲気も良く、ACAねが「ありがとう」というと会場からもいくつもの「ありがとう」が返ってくる優しい空間が展開されていた。僕はグッズを買わないタイプの非模範的な参加者なので結果購入はしなかったけれど、アンコール後のMCでしっかりとグッズのこだわりについても話していた。

話はそれるが、ACAねさんの安心させるゆったりとした話方の中に、妙な色っぽさもあるアンバランスさがとても好きだ。打って変わって歌っているときの力強い声も。ライブならではのトークが、曲を聴いているだけでは気付けない彼女の声の良さに気付かせてくれた。

 

後は印象的だったのは、「秒針を噛む」を1曲目に演奏をしていながら、アンコールでも「秒針を噛む」を演奏したこと。つまり、1回のライブで同じ楽曲を2回演奏したことになる。が、正直彼女、というかずっと真夜中でいいのに。のスタートがこの楽曲にあり、ずとまよを飛躍させたのもその楽曲の異例の再生回数と話題性であり、おそらく会場にいる多くの人間がその楽曲を待ち望みにしていたであろうことを考えると、「同じ楽曲は2回演奏しない」という常識にとらわれた僕や、もしかしたら他の人にとっても、とても良いサプライズになったのではないだろうか。「このまま奪って隠して忘れたい」を会場皆で歌う、というのもグランドフィナーレ感があってとても良かった。

アンコールは「秒針を噛む」1曲だったが、その後モニターにフジロック出演決定の告知とサポートメンバーの紹介、そしてACAねのメッセージが掲載されてライブは終了。

どうやら今回、名古屋から参加した人と名古屋以外から参加した人は半々ぐらいで、僕も有給をとり東京から遠路はるばるバスを使って参加したのだが、そこまでしてでも参加出来てとても良かったと思っている。ツイッターで検索すると、中には名古屋の翌日の大阪公演にも参加し、「雲丹と栗」で使うために自前の食器を持ってきた人もいたようだ。

 

ずとまよは何というか「隠す」のが上手い。ACAねの素性は一切わかっていないし、ライブで初めて我々が耳にするような楽曲がいくつもあり、定期的に、少しずつ展開されていく。youtubeSNSディスコグラフィで高められた欲求が、気持ちいい形で発散されるライブという場。ずとまよのキャラクター性もあり、会場の雰囲気も熱気がありながらも穏やかで、徐々に高まってきたものが綺麗に花開くような印象があった。「ライブに行って生で聞くのが当たり前」という感覚で日々色々なミュージシャンのライブに参加している身としては、今回のライブは「溜め」がすごくあったし、感慨深い一夜にすることができた。

本当に、終わったその日は、ずっと真夜中でいいのに。と思った、今日が終わらればよいと。

また参加したい。フジロックは真昼間だよね?また雰囲気が違いそうで面白そう。

 

 

【スパイダーマン: スパイダーバース】スパイダーマンは1人じゃない(感想:ネタバレあり)

www.spider-verse.jp

第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞とのことで、というか受賞していなくても見に行くんだけど、見てきた。

 

僕はMCUが好きで、アメイジングスパイダーマンが(監督のマークウェブが好きなので)好きで、スパイダーマンに対しては「ファンではないけど、好意的」程度の立ち位置だと認識してほしい。アメコミを読んだことはないし、予告で出てくるスパイダーマン達を見てピンとくる人はピーターパーカーしかいない。


映画『スパイダーマン:スパイダーバース』本編映像<スパイダーマンは1人じゃない編>(3/8全国公開)

 

が、とても面白かった。スパイダーマンをかじっている私でも幾度もの実写作品で刷り込まれた「スパイダーマンってこういう映画だよね」という感覚は持ち合わせていて、それを忠実に再現したアニメーション作品であり、何と言うか今までアニメーションで動いているスパイダーマンを見てこなかった僕からすると「ようやく原典に出逢えた」といった印象だ。

 

本作は簡単に言うと、本作のヴィランが創った"凄い装置"で、時空の歪みが生じ、別の世界のスパイダーマン達が一堂に会する夢の作品。

主人公はただの13歳男子のマイルス。彼が生きる時空が本作の舞台で、ピーターパーカーは物語の序盤(マイルスが蜘蛛に噛まれスーパーパワーに目覚めた直後)にヴィランに敗れ死亡する。この時空のピーターパーカーは時空の歪みを生じさせる装置の発動を阻止することは出来なかった。ただ、死に際にマイルスにその望みを託す。

その後、別の時空から「マイルスの時空」へ巻き込まれた、中年になったピーターパーカー、その他スパイダーマン達(ヒロインのクヴェン、ノワール、ペニーパーカー、スパイダーハム)と力を合わせ、ヴィランが"凄い装置"をもう一度利用するのを阻止、元の時空に帰ろう!というのが本作の大筋。

ついさっきまで一般人だったマイルスが、様々な時空の"プロスパイダーマン"達と同様のパフォーマンスを披露することが出来るわけがない。ただ、視聴者が想像する通り、彼はスーパーヒーローになって終盤大活躍するわけだ。本作は、第二のスパイダーマンが誕生するまでの物語なのである。

 

「ヒーローがヒーローになる物語」は既存のスパイダーマンも含めこの世の中にいくらでも溢れているのだが、中でも「スパイダーバース」の良いところは、ヒーローになるきっかけがスパイダーマンらしくあること(「スパイダーマン」という作品である必然性)と、そして「13歳」なだけあって、ヒーローとして育っていく過程が物語の大半を占めていること(ピーターパーカーのスパイダーマンでは描けない独自性)だと思う。

 

作中でマイルスは、目の前で象徴的なヒーロー(ピーターパーカー)を失い、さらに親愛する叔父も亡くすこととなる。街を守る存在の欠落と、自らを愛する者を失う悲しみは、スパイダーマンが生まれる理由に説得力を持たせている。物語の終盤まで気持ちはただの子どもであったマイルスが、ヒーローにならなければならないという使命感を抱く動機付けがしっかりしている。ピーターパーカーや他のスパイダーマンと同じように、「大切な人を失う」というターニングポイントがないがしろにされていないのが良い。

また、彼をヒーローとして成長させる師にあたる中年ピーターパーカーやメイおばさんの存在が、本作のプロモーションで散々使われているコピー「スパイダーマンは1人じゃない」を体現しており、これが本作のオリジナリティに繋がっている。

僕が良く知っている中にピーターパーカーが入っているスパイダーマンはあくまでも一人で強くなっていっている印象が強い。そんな中、マイルスには師がおり、同じスパイダーマンの仲間がいる。彼らとの交流を通じて、マイルスがじわじわと成長していき(本作の尺はほぼマイルスの成長物語で使われている)、最後プロスパイダーマン達のピンチに成長した彼が現れるという最高のクライマックスを迎えるわけだ。

多くのヒーローものは「ヒーローものらしい映画」にするため、ヒーローになるまでの尺は生前前半まで、後半は自覚を持った強いヒーローがヴィランとドンパチする構成だと思う。だが、本作はヒーローであるスパイダーマンが複数人既におり、彼らの背中を見ながら主人公が成長していく物語なので、マイルスの成長の過程を丁寧に描けるし、かつお手本となるヒーローのカッコいい姿も描けているのがポイントだ。

 

作中でカメオ出演している故スタンリー氏が、ピーターパーカーが死亡し、スパイダーマンにならないといけないという使命に燃えているマイルスを励ますシーンがある。そして、本作のエンドクレジット中には、「目の前の困っている人に手を差し伸べることが出来るのがヒーローである」(正確な言葉ではないが、そういう類の文章だ)というスタンリーの言葉と一緒に、彼への追悼が。「スパイダーマンは1人ではない」は文字通りスーパーヒーローは1人ではないということだけではなく、我々一般人もヒーローになれるという熱いメッセージでもあるわけだ。それを、ただの13歳であったマイルスが体現してくれているわけである。

 

「ヒーローになるまでの物語」が丁寧に描かれているのが、本作の最大の魅力であったと思う。そして、その物語を彩るアニメーション表現。これは見てくれとしか言いようがないが、アメコミを映像に落とし込んだらこういう演出があって然るべきという期待を見事に体現してくれていた。ふきだしや効果音、その全てがカッコいい。

そして、別の時空のスパイダーマン、モノクロのノワールや日本的なペニーパーカー、よりコミカルなスパイダーハムとのギャップも楽しい。僕は字幕で本作を見たのだけれど、日本人あるある「外国のキャラクターが日本語をしゃべると嬉しい」ではとどまらず、「外国の世界観で日本的アニメーションが馴染んでいる感動」を楽しませてくれた。

 

アカデミー賞は私がとても好きだった「インクレディブル・ファミリー」が受賞してほしかったと思っていたが、本作ならば作品賞受賞も納得である。映像もこの作品の楽しみの一つなので、ぜひ劇場で見てほしい。

 

【天才作家の妻 40年目の真実】身勝手な男と賢い女(感想:ネタバレあり)

ten-tsuma.jp

公式URLが「ten-tsuma」なの、最高にウケますね。

グレン・クローズさんが第91回アカデミー賞主演女優賞ノミネートした「天才作家の妻」見てきました。

 

女性は「こういう身勝手な男、いるわ~」、男性は「うっわ身勝手だわ気を付けよ」になる、我々の生き方に大いに貢献してくれる作品だったので、感想を書きます。

これはネタバレをしないとまともに感想を書けないので、いきなりオチを書きます。どちらかというオチが大事というよりは過程を楽しむ映画です。

あらすじ

簡単に物語の流れを説明してしまうと、

①ジョゼフ・キャッスルマンがノーベル文学賞を受賞。妻のジョーンと息子のデビッドも授賞式に同行することに。

②記者のナサニエルが、妻ジョーンがジョゼフの作品を代筆していると推測。ジョーンやデビッドに揺すりをかける。

③ジョーンは当然否定。しかし、真実は物語の構成力があるジョゼフが初稿を書き、文章力・表現力に秀でているジョーンが完成させる共同著作であった(過去を回想する形での描写なので、物語中ジョーンは一切デビッドやナサニエルに真実は告げていない。)。

④ジョゼフの度重なる身勝手な行動にジョーンが激怒。喧嘩になり、ジョーンは離婚を言い渡す。喧嘩中にジョゼフが心臓発作となり死亡。

⑤帰りの飛行機でナサニエルに「夫の名誉を傷つけるような記事を書いたら訴える」と伝え、隣にいたデビッドには「真実を帰ったら話すわ」と伝えてエンド。

と言った感じ。

この作品の面白さは、作中の至る所に夫ジョゼフのクズ感を散りばめているところと、それを踏まえたジョーンの決断にある。

 

さぁ、ジョゼフのクズっぷりを振り返っていこう!

①浮気癖

そもそも、ジョゼフとジョーンが結婚したのも、浮気がきっかけ。既に妻子持ちのジョゼフがジョーンを誘惑、ジョーンが寝とる形で結婚した。

作中ナサニエルとジョーンが酒を飲むシーンがあるのだが、その時ジョゼフの元妻の話となる。

ジョゼフの元妻は「あの夫を引き留めてくれてありがとう」とジョーンに伝えてくれと言ったそうだ。

 

ちなみに、それだけでなくノーベル賞授賞式に同行していた若い専属カメラマンとも浮気しようとした始末。それもジョーンにばれて喧嘩になりかけるが、孫が生まれた報告の電話が都合よくかかってきて、喧嘩は収まる。その時のジョゼフのセリフが「つまらない喧嘩はやめて」だからもう救えない。いや、お前の浮気が原因だろうと。

 

なお、それ以前にも何度もジョゼフは浮気を繰り返しており、その度にジョーンはそのやり場のない怒りや悲しみを自らの作品に投影することで感情のセーブをしてきたとのこと。ジョゼフが彼女にそれを強要したかどうかはジョーンが激怒状態での主張なので定かではないが、そもそも浮気を繰り返している時点で問題ありである。

②自らの作品という意識

ジョゼフが売れるきっかけとなった作品は、はじめてジョゼフが初稿を完成させ、ジョーンが推敲・編集をした作品であった。その時は「僕たちが書いた」と言って二人で喜び合っていたのだが、物語序盤でノーベル賞受賞の電話を受け取ったときには「僕が書いた」と喜んでいる。

作品内で描かれている順番はノーベル賞受賞のシーン→過去の回想シーンなので、最初見たときに違和感はなかったのだが、あとから思い返すと「僕がノーベル賞を取った」と言って手を取り合って喜んでいるシーンの直後、我に返ったように冷静になるジョーンには含みがある様にも見えたかもしれない。

 

また、予告編にもあるが、夫は「妻は書かないよ」と平然と言ってのけている。妻の前で。


映画『天才作家の妻 -40年目の真実-』予告編

 

③熱い手のひら返し

物語の中盤、ジョゼフが自らに疑惑の目が向けられていることを知ったのだが、それ以降の態度の変わりっぷりが清々しい。

②で記載したとおり、自らの作品であることを主張していたのに、「詐欺」と疑いをかけられてから急になよなよとしだし、ジョーンがあらかじめ「挨拶では私のことに触れないで」と言われていたのに、自らの挨拶を全てジョーンへの賛辞で使い果たしてしまう。(これが原因でジョーンは激怒した)。

 

その後ホテルに戻った後の迫真の夫婦喧嘩でも、結果「ではなぜ僕と結婚した」と妻に責任転嫁(まさしく転"嫁")する始末。どうしようもない。

 

まぁ、このように、作中でどんどんジョゼフの屑っぷりが露呈していくのだが、対してジョーンはひたすらに賢いのだ。

自らのプライドを胸にしまい、決して対外的に自らの功績を公表しようとしない。なぜなら、それをしたところで自分が得するわけがないから(自らが書いた作品がノーベル賞を受賞したのに、その名誉さえも汚されてしまう)。

だが、ラストシーンの描写を見る限り、彼女にとって大切な家族にはおそらく真実を話すのだろう。自らのプライドを保つための、行動を最適化する頭の良さ、計算深さを僕は終始感じていた。しかし一方で、ジョゼフがいなければ自らが著作で大成することはなかったと分かっているし、長年連れ添った彼に対して愛情を感じているからこそ、ジョゼフに敬意を払っている。

あまりにジョーンの人間が出来すぎており、たいしてジョゼフが屑過ぎて「ちょっとこれは仕組まれた感が強いな」と冷静に考えようとするのだが、問題は、ジョゼフの屑っぷりも、それに対しての彼女の反応もあまりにリアリティがありすぎて、「これって普遍的な夫婦が抱えている問題だよな」と深刻に考えてしまうところにある(その"問題"こそが本作の最大の魅力なのだが)。

 

決して心が晴れる作品ではない。だが、人間が抱える自尊心や夫婦関係の闇などをリアルに描いた素晴らしい作品だ。

僕からの警告を1点。絶対に恋人や家族とは見に行かないほうが良い。僕は一人で見に行って良かったと心から思っている。

 

 

【ファースト・マン】ワーカーホリック・ゴズリング(感想 : ネタバレあり)

firstman.jp

 

見てきたぜ。

ラ・ラ・ランドデイミアン・チャゼル監督×ライアン・ゴズリングな作品。

本作は人類で初めて月面に降り立った人物「ニール・アームストロング」を主演のライアン・ゴズリングが演じており、おおよそ史実に基づいた作品となっている(史実を正確に知らないので、どこまで脚色されているかはわからない)。

 

なので(というのが正確なのかは定かではないが)、「セッション」や「ラ・ラ・ランド」のようにドラマチックな見せ場はない分、とても手堅い作品になっている。「ニール・アームストロング」という人物と、彼の周囲(特に家族)との関係が濃密に描かれていて、ライアン・ゴズリングの演技に酔いしれるような作品になっていた。

とはいっても、広大な宇宙の世界を描く映画である。第91回アカデミー賞の録音賞・音響編集賞・視覚効果賞・美術賞を受賞しているだけあって、ビジュアルや音響も楽しめる映画だった。僕の趣味バイアスは間違いなくかかっているのだけれど、音の使い方も素敵。

 

ということで、ぼちぼち感想を書く。ネタバレありです。

ちなみに公式サイトの「ストーリー」に本作のあらすじが丁寧に書かれているので、

 

周囲の人間の死を重ねて目が死んでいくライアン・ゴズリング

ニールがNASAジェミニ計画(簡単に言うと、月面に降り立つ「アポロ計画」の布石となった宇宙に人を送り込む計画、詳細はググって。)に応募するところから物語が始まる。

アポロ計画を成功させ、地球に降りたって家族と再会して物語は終わるのだが、その過程でニールの心の弾性がどんどん失われていく。本作の一番の見どころは、彼の人間性の変化だと僕は思う。

 

ニールは壮大な宇宙への計画を二度も成功させる幸運な人物でありながらも、その分抱えている影が濃い。ジェミニ計画に応募する直前、彼が愛する娘カレンを病気で失い、以降も職業柄親しかった同僚を次々と失っていく。

当然カレンを失った際に彼は涙を流し、ジェミニ計画の直前に同僚を失った際にも葬儀の場で故人の悪口を言う男に怒りを向けるなど、大切な人間の死と向き合う心がしっかりとあったのだが、アポロ計画で3人の宇宙飛行士が亡くなったときから彼の表情が明確に変わる。

アポロ計画の悲劇を電話で聞いたニールは、無意識に力が入ってしまい手に持っていたグラスを割ってしまうのだが、流血した手を冷静にナフキンで処理するところから完璧にスイッチが入っていた。

税金の無駄遣いという世間の逆風も取り合わず、訓練中にケガをしても大したことないと切り捨て、犠牲を払うことについての意見は「この段階で考えるには遅すぎる(既に多くの犠牲が出ていたため)」。極めつけはアポロ11号で月に向かう前、家族との会話をせずに淡々と家から出ていこうとする。

もはやニールが見ているのは月に向かうというミッションだけだった。死んだ目で淡々とミッションをこなす様、前半と後半での人間性の違いを綺麗に演じきったライアンゴズリングは見ていて気持ちが良かった。

 

「セッション」「ラ・ラ・ランド」と目標に向けて大切なものを犠牲にする作品を生み出してきたデイミアン・チャゼル監督の強みがここでも発揮されていたな、と感心しながら見ていたのだが、彼の本領はこれだけではない。

「セッション」ではラストの講演で主人公が指揮者を演奏で従えたように、

ラ・ラ・ランド」ではすれ違いつづけた男女が夢見る最良のifストーリーをクライマックスに据えたように、

ファースト・マン」でも「いやこの流れでこう来ますか」という視聴者の感情を揺さぶるような場面をしっかりと組み込んでいた。

 

あまりにも素晴らしかったので、ここで書いてしまうが、あれだけ月へのミッションに固執していたと思われるニールが、月面に持参し、その場に置いてきたのは失った娘カレンの名があしらわれたブレスレットだったのだ(ちなみにそのブレスレットは序盤のカレンの葬式の時に机の引き出しにしまってから作中で一回も出ていない、完璧な伏線として機能している)。

これ凄いなって心から感心していて、僕はバカな視聴者だから完全にニールの心は家族から離れてもはや月に行くことしか念頭にない状態になっているのかと思ってしまっていたわけ。彼の行動は家族から遠ざかっていたし、それに対して妻も激怒してぎくしゃくしていたわけだし。

しかしまぁ気付く人は気付くと思っていて、なんだかんだ言って妻との思い出の曲のカセットテープを宇宙船に持参して宇宙で聞いたりしているわけだよ。いきなりカレンブレスレットを登場させずじわじわと家族を想起させるような創りにしているのも本当に上手い。

 

本作のラストシーンも隔離された(免疫検査期間は隔離される)ニールと妻がガラス越しに手を合わせるところで終わっていて、この作品のテーマが月に邁進する偉大な男でありそうなのだけれど、結果家族であることをちゃんと明示している。ワーカーホリック男に成り下がってしまった、かと思いきややっぱり家族だったか、という静かなどんでん返しが気持ちよくてたまらん。

ここらの「ラスト〇〇分の衝撃・・・!」映画よりずっと心が震えたよ。

 

映画館で見る価値

私、映画館の音響は素晴らしいなって思いつつも、映画館だからこそ感じられる静寂も好きなんです。宇宙船から月への扉が開かれたとき、結構な時間無音だったのよ(宇宙の分かりやすい表現だね)。宇宙飛行士の話だから当然このシーン以外にも宇宙を描写しているところはたくさんあるのだが、音楽と効果音と静寂のバランスがとても気持ち良かったからDVDで見るのはちょっともったいない。

ぜひ映画館で見て。

 

今回のオチ

J・K・シモンズさん、今回も出演するかな、って期待してたんだけど、今回は出ませんでした。残念。