定時後に映画館

仕事の片手間に映画の話をします。

【グレイテスト・ショーマン】成功の光と闇(感想:ややネタバレ)

www.foxmovies-jp.com

見てきました。

ラ・ラ・ランド」の製作チームが贈る!的な触れ込みがあった気がするけど、楽曲が「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞を受賞した方らしい。監督や脚本は別だということを私は見てから知った。

 

あらすじはwikiを見ればしっかり書いてあるので、細かくは書かないが感想を書く上でざっくり内容に触れる必要があるのでその程度のネタバレはご了承いただきたい。

 

ちなみに後からブログを書くために調べた結果知ったのだけれど、主人公のP・T・バーナムは実在した人物らしく、つまりこの映画は「史実に基づく物語」ということになる。

遥か昔に読んだ「実業者の成功物語」的な自己啓発本(タイトルさえ覚えていない)と「グレイテストショーマン」が、全く関係がない作品であるのにも拘らず内容の大筋が似通っていたので、勝手に驚いていたのだが、この世に生まれるいわゆる成功者と言われる人間がが辿る道筋はおおよそ同じようなモノなのだろうと妙に納得してしまった。

 

余談が過ぎたが、本作の魅力を語りたい。

やはりミュージカル映画は見栄えが良い


映画『グレイテスト・ショーマン』予告D

予告も最初10秒の引きがすごいが、まさしく本編もこのシーン・歌から始まり、主人公のバーナムが回想する形で物語が展開されていく。

 

音楽と役者の動きで魅せる作品はやはり没入感が違う。オープニングの引きが良い作品は勢いで最後まで気持ちよく見ることが出来るが、この作品もその類の映画。

 

また、ショービジネスが物語の根幹にあるので、劇中に幾度も訪れる歌と踊りで構成される"ミュージカル"なシーンは刺激的で楽しい。

バーナムが酒場でフィリップ・カーライルを口説くシーンの、ショットグラスで酒を開けながら交渉を進めるパフォーマンスが一番の好み。ヒュージャックマン演じるバーナムは主人公として圧倒的な存在感を放っていたのだが、ザック・エフロン演じるフィリップ・カーライルも第二の主人公としてかなり見せ場があり、彼が歌っているシーンは総じて良かった印象。空中ブランコ演者のアンと宙を舞いながら歌っている様は圧巻だし、ラストシーンでバーナムから帽子を受け取りステージに躍り出る彼の楽しそうな表情が目に焼き付いている。

 

本作の軸は①「成功」の定義と②個性を武器に闘う人間の在り方

脚本の良いミュージカル映画は無敵である。

グレイテスト・ショーマン」はテーマ性が強い作品であり、作品が伝えたいメッセージが分かりやすい。かつ、我々が期待する結末に向けて物語が進行していく期待を裏切らない盤石な構成をしている。歌と踊りで完成を揺さぶる系の作品は、視聴者の気持ちが離れないように矛盾なく堅実に物語を進めて、期待通りの結末に落ち着くことが大事だと勝手に私は思っているのだが、本作もその類の作品であった。

 

見出しに書いたように、テーマは2つ。

①「成功」の定義

バーナムは貧困層の生まれであることがコンプレックスで、個性と才能に恵まれながら社会から疎外されている人々(公式HPではこのように記載されている)を起用したショービジネスで成功をおさめながらも、上流階層に認められる「本物」のショーを魅せたいという野望を抱き、歌姫ジェニーリンドを起用したショーにのめり込んでいく。

元々家族の幸せのために努力を重ねていたバーナムが、その本来の目的を忘れさらに高みへ高みへと貪欲に邁進していく様は見ていて心が痛かった。(富裕層が集まるパーティからショーのメンバーを締め出したシーンにはイラっと来た観客も多かったのではないだろうか)

 

結果的にジェニーリンドとの恋がこじれてバーナムは失脚、一度は家族を失いかけることとなるが、バーナムが起用したショーの団員に助けられて返り咲く。

家族サービスのために後継者に出番を譲りショーの本番を中座する形で物語は締めくくられるが、人間にとっての幸せや成功の定義に一つの答えを出していてとても救いのある物語だと私は感じた。

 

②個性を武器に闘う人間の生き方

本作主題歌の「THIS IS ME」はバーナムのショーで髭女として活躍しているレティ・ルッツによる劇中歌。歌詞を見れば分かるが、社会的に阻害されていた要因であった個性を才能と再認識しに自らを主張する勇気を得た様を歌っている。

 

現代においては彼女のような身体的に特徴がある方への差別も少なくなってきているが、バーナムが生きた当時は今よりもずっと差別的で、劇中でも彼女らは何度も何度も阻害されている。しかし、ショーのスターとして活躍することで彼女らは自信を得て、自らを隠す必要がないと力強く生きることを決意する。その様を見ているとなんとなく勇気が湧いてくるのだ。

 

だが、本音を書いてしまうと、いわゆる「社会的マイノリティ」(語弊があるかもしれないがこのように表現してしまう。wikiによると「多くの場合、そのグループの一員であることによって社会的な偏見や差別の対象になったり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から損失を被ることを前提とした呼称」とのこと。)をテーマとして扱った作品は重くなりがちだと思う。少なくとも私自身は重いと思ってしまう。

 

「差別的な不必要かもしれない配慮」のようなものをしてしまうのだ。「あぁ気の毒だなあ」という気分で見てしまうのだ、どうしても。作中の差別的な描写が多ければ多いほど、「辛いなあ」という気分が積み重なってしまい、彼らが救われるシーンが訪れたところで、その積み重ねた負の感情が払拭されることはまずない。

 

しかし「グレイテスト・ショーマン」においては、テーマ2つのバランスが上手く取れているので、見てて目を塞ぎたくなるような重さはない。

主人公であるバーナムは基本的にショーを成功させることだけを目的に仲間を募っており、いい意味で彼はショーで活躍する団員達に対して無頓着だ。そのため、彼を中心に展開した物語である以上、「マイノリティが活躍するには・・・」的な説教じみた内容には決してなっていないし、「彼女らが迫害されている」という描写も悲劇的に描かず、彼女らが乗り越えるべき一つの壁程度の扱いにとどまっている。

 

ただ、「THIS IS ME」を彼女らが歌い、その気持ちに我々が共感する。その描写にとどまっているからこそ、不必要な配慮をすることなく、彼女らに感情移入できた。それで十分なのである、歌の力はすごい。

 

まとめ

綺麗にまとまった優等生的な作品。

マイケルグレイシーさんはまだ監督としての実績は浅い方だと思うけれど、これだけ面白い作品が作れるなら次もぜひ見たいと思ったところ・・・『NARUTO -ナルト-』のハリウッド実写映画版の監督をやるらしい。

楽しみだってばよ。

 

 

自己啓発本は「残酷すぎる成功法則」を読めば十分なのではないか。

 

残酷すぎる成功法則  9割まちがえる「その常識」を科学する

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する

 

 

 

私は、自己啓発本を読むのが大好きで、特に具体的な行動に起こさず「世の中はこうなっているのか」と知的好奇心を満たすことに喜びを感じる。

 

特に行動は起こさないので、「この本に書かれていることは間違っている!」と実証できることは少ない。そもそも自己啓発本に書かれていることなんて、短期的に成果が出るものは少なく、「本当に効果があるか」検証するのは困難である。

 

しかし、読者が実践しなくても「これは効果があるな」と納得して読み進めることが出来る自己啓発本もある。データ・エビデンスがしっかりと記載されているものだ。

多くの人がこのような行動をとって、このような結果が出ている。

そういった証拠をつきつけられれば、「まぁ私が実践して失敗したらたまたま外れ値だっただけだよね」と認めざるを得ない。そもそも私は行動には起こさないのだけれど。

 

世の中には「証拠もなく(自ら、あるいは周囲の少数の人間の経験を証拠としている)主張している自己啓発本」が溢れかえっている。そういう本は「この人はこういう法則を信じているんだな」とエッセイを読む感覚でいると面白いのだが、基本的に自己啓発本に求める要素は違う。

成功する法則を教えてほしいのだ。そのためには、データ・エビデンスに基づかれた法則が書かれていなければ話にならない。

 

前置きが長くなったが、要は何が言いたいかというとこういうことだ。

「残酷すぎる成功法則」は本当に成功できそうな法則のみが記載されている素晴らしい本だ。エビデンス・データにもどついたこの世の法則が余すことなく記載されている。

 

内容を頭に叩き込むためにアウトプットの意味を込めて印象に残った部分をメモ書きさせてもらう。

なお、以下に書く内容は「本に記載されている内容そのものではなく、その内容を読んだ結果私が感じ取った結果」でしかないので、内容と多少ずれている部分もある。正確な成功法則は、本を読んで学んでほしい。

 

第1章 成功するにはエリートコースを目指すべき?

全部80点より、100点に近しい強みを見つけて、それを活かせる場を選ぶこと。

 

第2章 「いい人」は成功できない?

王者は結局いい人、ずる賢い人は頂点にはたどり着けない。

ゲーム理論の"回答"が記載されている(「基本は相手を信じる、裏切られたら相手と同じ行動をする。時折相手を許す」が最強らしい)。

妬まない、自分から裏切らない、相手の行動に則る(裏切られたら裏切る/しかし時に許す)を心がければ良い。なお、私利私欲を全く考えない聖人は搾取されるので、裏切られたときの対応は大事。

 

第3章 勝者は決して諦めず、切り替えの早い者は勝てないのか?

この章はメモしておきたい箇所があまりに多すぎるので、総論を簡単にまとめることが出来ない。自分の目標を達成するための術があらゆるアプローチから記載されている章だ。私が覚えておこうと思ったことだけ記載しておく。

 

引き寄せの法則」は自分が達成したことを想像することで満足を覚えてしまい、本当の実現から遠ざかってしまう可能性があるものだということ。しかも、脳が虚の達成感で満たされた後に現実を直視したときに、落ち込みやすい。

 

「WOOP」に則って目標達成への方法を考えるとよい。

願いをイメージする、願いがもたらす成果を具体的にイメージする、現実とのギャップを洗い出し願いに至るまでの障害をリストアップ、障害に対処する方法を考え計画を立てる。

 

第4章 なぜ「ネットワーキング」はうまくいかないのか

人間関係を円滑にする方法や人脈作りの方法が記載されている。私はピンとこないが、メンターがいる人の方が成功しやすいという話もあった。

友達を作るためには、「共通点を見つける」「相手の話をよく聞く」「相手に与える」を心がけるとよい、らしい。私にはこれだけで十分だ。

 

第5章 「できる」と自信を持つのには効果がある?

自信を持つことよりも、「セルフ・コンパッション」(自分自身への思いやり)が大事。この章はこの一言で片付く。

自信を持つことのメリットデメリットを散々述べた後に、究極の解「セルフコンパッション」を登場させる展開には痺れた(そういう楽しみ方をする本ではないかもしれないが)。

 

第6章 仕事バカ……それとも、ワーク・ライフ・バランス?

 時間をつぎ込めばそれだけ出世できるけど、家庭とのバランスは???的なジレンマについて。自分が望むバランスを知って、それに近付けることが幸福への近道とのこと。

幸福の構成要素は以下4つ

・幸福感=楽しむ

・達成感=目標を達成する

・存在意義=他者貢献する

・育成=誰かに何かを伝える

これらをバランスよく組み合わせて(自分が望むように)、それに近しい生活を送るのが一番幸せ。

そのためには、①今の生活・日々の行動が上記4つのうちどこに当てはまっているのかを分析し、現状のバランスを知る。そして、②自分の理想のバランスに近づけられるように、日々の行動を変えれば良い。

 

まとめ

以上が、私が「残酷すぎる成功法則」を読んで感じ取った全てである。

特に第3章は自己実現のための方法が結構厚めに書かれているので、ぜひ読んでみてほしい。

 

 

UNISON SQUARE GARDEN TOUR 2017-2018「One roll, One romance」2018年1月28日@幕張メッセ

unison-s-g.com

行ってきました。

10% roll, 10% romance 」「Invisible Sensation」「fake town baby」3枚のシングルをひっさげたツアーの最終日。

幕張メッセなのでかなり収容人数も多い広い会場。一番前のブロックの最後の方の番号だったので、まぁギリ本人が目視できるけど、基本的にはステージの真上にあるモニターを見ながら楽しむって感じ。

http://unison-s-g.com/1718/oror/assets/img/areamap.pdf

↑会場。私はGブロックの7000番台でほぼ最後尾だった。

会場全体の人数は7000×3=21000~25000人ぐらいだろうか?

 

当然各ブロックの前の方は人が密集していたのだけれど、後ろの方だと結構スペースがあるのでホールでのライブよりもリラックスして楽しむことが出来た。

 

ちょくちょく感想を書いていく。

 

セトリ

www.livefans.jp

素敵な外部リンクの貼り付けをしたので、ここから確認ができます。

 

シングルのツアーなので、カップリング曲が多め。「Invisible Sensation」「fake town baby」のカップリングも演奏するかと思ったけど、今回はなかった。別の会場ではやっていたのかもね。

 

flat song」「RUNNERS HIGH reprise」・・・「 10% roll, 10% romance 」のカップリング

「ノンフィクションコンパス」・・・「桜のあと(all quartets lead to the?)」のカップリング

「誰かが忘れているかもしれない僕らに大事な001のこと」・・・「流星のスコール」のカップリング

 

以上・・・かな?

知らない曲はなかったけれど、聴き馴染んでいる曲は少なかった印象。とは言ったもののライブの定番曲「徹頭徹尾夜な夜なドライブ」「シュガーソングとビターステップ」「シャンデリア・ワルツ」が入っていたので、大満足。

 

最新アルバム「MODE MODE MODE」から1曲ぐらいは新曲もやるんじゃないかと期待していたけれど、収録曲からの演奏は既に発売されているシングルのみ。

MODE MOOD MODE (初回限定盤A) [CD+Blu-ray]

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UNISON SQUARE GARDEN「君の瞳に恋してない」ショートVer.

これやるかなーって思ってたけど、UNISONはツアー中は公演演目にあまり変化を出さないタイプのバンドだった。ので、当然10月ぐらいから回ってるツアーの演目に入ることはなかった。

MCハイライト

スプラトゥーンおじさん鈴木貴雄、お隣で開催中の次世代ワールドホビーフェアの小学生スプラトゥーン大会の結果に興味を示す。

作詞作曲おじさん田淵智也、曲を作りすぎ問題。ハイペース過ぎてビビるけど、ファンは嬉しくてしょうがないよね。

 

「ファンが多くなって大きな会場でやってみよう!と思ったけど、ちゃんと楽しかったです」と斎藤さん。私もホールでの公演よりはスタンドの方が好きなので、思いっきり楽しんでしまいました。

ソロ

ギター、ベース、ドラムがソロで思いっきり魅力を発揮するコーナーが今回もあったのだけれど、何やらテーマメロディみたいのが開発されていた。ワンモア!ワンモア!と叫びながら軽快なギターのメロディの間にベース、ドラムソロが入っていく感じ。

※どの曲の前後だったか覚えていないけど、曲として独立していた印象。

 

ぜひ次のツアーでも聞きたい。そのまま曲になって発売されないかしら。歌詞ないけど。

 

まとめ

右腕が痛いが、明日の仕事へのハードルを一切感じない強靭な精神状態で帰路に就くことができた。ライブはアクティブな瞑想。マジマインドフルネス。

 

 

【検証】所要時間を計ればブログを書くスピードはあがるのか。

2018年01月25日21時07分。暇を持て余した私はいつものようにブログに記事をアップしようとしているのだが、如何せんネタがない。そういう時は他の有名ブロガーさんの記事を閲覧して、今日はあれを書こうとかそういったアイデアを貰うのだけれど、そんなとき彼のブログに辿り着いた。

delete-all.hatenablog.com

ただの日記であり、それ以上でもそれ以下でもないはずがとんでもなく読んでいて面白いフミコフミオ氏のブログである。改行なし・画像なし・リンクなしの記事が多い(というかほとんど)にも関わらず次へ次へと読み進められてしまう。文章の力のみで闘っているのだ。私も一読者としてフミオ氏のブログを楽しみにしている。どうやったらあんなに面白い文章が書けるのかという羨望に似た疑問は記事を読み終わるたびに感じているのだが、今日に限って別のことが気になった。圧倒的に短い所要時間である。私が読んでいる限り短いときは15分程度、長くても30分弱で記事を完成させている。30分でブログの記事を書き切ることなど、私には到底真似出来ない、どんな記事でも1時間で書き終えることが出来れば御の字である。彼のスピードの秘訣はどこか。それは、彼が時間を意識していることにあると私は仮説を立てた。常日頃定時退社を決めるために会社では時間を意識してすべての行動に当たっているが、残念ながらプライベートでのほほんと楽しく書いているブログで時間など意識したことはない。では、時間を意識して書いたら私もものすごいスピードで記事を書き切ることが出来るのではないか。そんな目論見があり、この記事の文頭に現在の時間を書いてるのである。そう、もう私の検証は始まっているのだ。ちなみにここまで書いて21時15分。おや、結構時間をかけずに書き進められているじゃないか。ではここで調子に乗って別の話題に移ろう。昨日会社の近所に出来た新しめのラーメン屋で昼飯を食べたのだけれど、一緒に居た先輩がつけ麺を食べようとして券売機の電子パネルの「つけ麺」というボタンを押したわけだ。しかしずらりと10近く表示されたつけ麺たちは全て売切。先輩はつけ麺がよほど食べたかったのか店員につけ麺の所在について尋ねたところ、店員曰く「つけ麺は終わってしまった」とのこと。時間は12時ごろ、終わってしまうにも時間が早すぎるしつけ麺ばかり生活者が狙い撃つような店ではないはずだ。なぜなら中華そばを看板に掲げている店だから。中華そばを掲げている店だからこそ、つけ麺はなかったことにしたかったのか。中華そばしか出せないけどメニューに強がってつけ麺入れちゃったけど、やっぱり開店してみたらつけ麺には及ばなかったのか。いずれにしてもつけ麺メニュ―すべて売切の券売機は印象が悪すぎる。苦笑を浮かべて我々は王道の中華そばを頼むことにしたのだけれど、今度は「お釣りが足りないから無理です」的なアラートと共に私がいれた1000円札が吐き出された。もはや我々客に食べ物を提供しない気があるのだろうか、とさえ思えてきた。それでも私はもう一度このラーメン屋に行きたいと思う。なぜなら、中華そばが美味しかったから。そして店を出るときの店員さんの「いってらっしゃい」が心に刺さったから。いってらっしゃい、と言われるとかえって来たくなる感じがある。そう、ラーメン屋ではなくここはもう私の家なのだ。美味しいラーメンを提供する第二の家。そう思うと券売機の不備も可愛らしく思えてくるから不思議だ。ちなみに僕が一番好きな麺類はパスタである。

 

検証結果:比較的短い時間で、つまらない記事が書けた。(所要時間24分)

フミコフミオさんの偉大さを噛み締めた。1時間はないと無理だわ、やっぱり。

 

【勝手にふるえてろ】松岡茉優が可愛い(感想:ネタバレあり)

私のブログタイトルは大体以下のような構成となっている。

 

【タイトル名】一言で感想(感想であるという事実:ネタバレがあるかなないかの申告) 

 

例えば

 

勝手にふるえてろ松岡茉優が可愛い(感想:ネタバレあり)

 

といったように。

もっと別の一言感想がないものかと一度書いてみて首を捻ったのだが、いや、まぁ可愛いものはしょうがないし、見ている間「何でこんなにも可愛いんだろう」と何度も思ったからその気持ちを素直に綴っただけである。

furuetero-movie.com

 

まぁいいんだ。とにかく見てきた、「勝手にふるえてろ」。私が昔好きだった作家、綿矢りさ原作・大九明子監督の作品。原作の「勝手にふるえてろ」も昔読んだんだけど、内容はほぼ忘れた状態で映画版を見るに至った。

 

現実にいたとしたら見るに堪えない痛々しいヒロイン:ヨシカが、松岡茉優持ち前の可愛さと物語に散りばめられているくすっと笑えるネタ(本作はかなりコメディ寄りだ)で見事に緩和されており、直視するに値する程度の絶妙なバランス感を保っている。

私の記憶が正しければ原作はもっとヨシカと彼女に付きまとう「ニ」が痛々しく描かれており、特にヨシカの心情など毒毒しくて、痛々しくて、読んでいて苦しいぐらいだった。よくある人間の汚い、直視したくないような一面をリアルに鮮明に描くのが綿矢りさの魅力。僕が一時期ハマった理由であり、離れた理由でもある彼女のエッジの利いた描写は、映像化することで随分マイルドになっていた。

 

まぁ色々言ったが好きな映画だったので、ちょいちょいと語っていく。

ネタバレありなので注意。

 

ヨシカがいそうな痛々しい女子。でも憎めない。

ヨシカが可愛い。彼女は人間関係を難しく考えすぎている。考え過ぎ、意識し過ぎの結果、我々が当たり前のようにできている人間関係がぎこちなくなってしまう。

「ペダルをこいで…ハンドルはこう握って…」と意識して自転車に乗る人は、自転車に乗るのが下手な人だ。そんなこと意識しないで自らの身体の様に操れている人は、自転車がちゃんと乗れる人だろう。コミュニケーションが苦手な人というのは、前者のように一々考えてしまう。ヨシカは人間関係を、コミュニケーションを極端に考えてしまう女の子。

 

我々の身の回りにギリギリいそうなレベルの変人なのだ。「ニ」が「分からないところが魅力」と終盤に語っていたが、全く同意である。魅力がある神秘性があるような、変人。

24歳なのに中学時代からろくに話したこともなかった「イチ」がずっと好き。脳内に彼を召喚して恋愛した気になって楽しんじゃう。そのため、処女。でもどうでもいい空気の読めない、だけど優しい「ニ」に告白されて舞い上がっちゃう。

「イチ」に再会するために積極的になるけれど、コミュ力高めの女の子に先を越されて結局詰めはうまくいかない。女友達に恋愛相談をしておきながら、自分のクリティカルなコンプレックスをつかれた瞬間激昂する。コンプレックスをこじらせて妊娠した、なんて言っちゃう。

彼女の一々極端な考え方をし、行動してから考え、必ず後悔するような生き方はまさしく世間に居がちな「この人接しにくいなあ」という人そのものである。

 

リアルにいればどうしようもない痛々しい女性なのだが、そこはドラマの力が働いており、松岡茉優持ち前の魅力で「がんばれー」って気持ちで見れてしまう。一歩間違えればうざいヒロインで終わるのに、僕は物語の最後に「何て可愛い人なんだ」とほのぼのしてしまった。

だって、可愛いんだもの。男は、いや、男はというよりも、僕はバカである。単純なのだ。

まぁそれだけでなく、ちゃんと演出も工夫していた。ヨシカは逐一自分の感情を第三者に吐露する。映像作品にしては多すぎるほどの丁寧な彼女の感情の説明が、我々視聴者を置いてきぼりにしないようにしている。

ヨシカが話しかけていたと思っていたのはただの彼女の妄想で、彼女は誰とも話しておらず脳内で会話していただけだった、ということが物語の中盤で明らかになるのだが、あれは良く出来た演出だと思った。

彼女の感情を丁寧にヨシカ本人に語らせることが出来るだけでなく、「イチ」に名前を憶えられていなかったヨシカがなぜ覚えられていなかったかの理由が視聴者に明確に伝わる(つまりは、他者と関わっていたつもりで、他者と関わっていなかったことが原因)。

 

公式HPにヨシカは「絶滅危惧種ヒロイン」と紹介されているが、まさしくその通りで、物語に大切に育てられながらしっかりと最後に「ニ」と結ばれる。その過程を得体の知らない生物を観察するような感覚で楽しめるのがこの映画の魅力なのだ。

 

人との関係がテーマ

前述したが、ヨシカは片思いしていた「イチ」の気持ちは一切理解しておらず、さらに「イチ」には名前さえ憶えられていなかった。その時、彼女の世界は崩壊する。

話している、仲良くしているつもりだった街中の愉快な友人達は、ただ一方的に見ていただけの人間。

彼女はまともに人間と向き合うことをしていなかったことが中盤で明らかになるのだ。

 

そこからの彼女の狂いっぷり(恋愛相談までしていた友人への暴言、「ニ」の切り捨て、妊娠偽装)といったら最高である。確かにこじらせているのだが、それは「人と向き合う、感情をぶつける」という彼女が今までまともに出来ていなかっことへの挑戦でもあるのだ。そしてラストシーンには「ニ」との激論の末キスまでしちゃう。

何たる進歩。人間関係が構築されるまでの段階(関わらない⇒とりあえずぶつかる⇒和解する)を一つ一つ歪に上り詰めていくヨシカの姿に涙が止まらない。

 

勝手にふるえてろ」はコミュ障が人間関係を体当たりで学んでいく成長物語なのだ。同じくコミュ障の私は、「あぁ、、あああ!!ああああああ!!!」と悶絶しそうになった、愛おしくてしょうがないのである。

 

ギャグ のおかげでテンポが良い。

ラブホ前の攻防。ニックネーム「オカリナ」さんの本名。コンビニ店員の正体。そして何より「ニ」の言動の8割。面白い!ポイントが作ろうとしているからこそ、「痛々しい話」ではなく「笑える話」として肩の力を抜いて見れる映画になっている。

特に「ニ」は良い。へなっとしたやらかい笑顔を浮かべる渡辺大知を「うざい」と切り捨てる奴はまぁいない。あんなに良さそうな人なのだから、「ニ」を許せる気持ちになる。松岡茉優もだが、渡辺大知も相当のはまり役で、「勝手にふるえてろ」はこの二人に支えられた作品であるといっても過言ではない、と思う。

 

まとめ

松岡茉優は、可愛い。

 

 

 

【ミニマリスト】モノを持たない価値は解放感にある。

2017年6月に購入したスマートフォンが壊れた。短い寿命であった。指から滑り落ちた彼が地面に叩きつけられるまでの過程は、まるで走馬燈のようであった。ゆっくりと私の脳裏に刻み込むように、彼は私から離れていく。そして、彼は果てた。尽きた。死に至った。

 

せめて中身のデータだけでも取り出せないかとパソコンにつないだところ認識さえしてくれない。年末年始にインドに行ったのだが、そこで撮りためた思い出も一緒に消えてなくなった。ブログで何か書こうかと思っていたのでネタがなくなったのは残念だが、経験が消えてなくなるわけではないし、覚えていればとりあえず物は書けるので、悶絶するほどのミスではない。

 

そう、精神的なダメージは大きくないのだ。なぜなら、19800円で買った旧式のXperia端末だったから。

iphone8やらXやらに世間が浮足立っているなか、私はあえて価格もスペックも低い残念なスマートフォンを使っていた。私のスマートフォンを馬鹿にする者もいた。だが、私はスマートフォンに大金を払おうとは一切思えなかった。

 

10万弱の大金をスマートフォンにつぎ込むだけの金がないというのも理由の一つであるが、一番の理由は常に持ち歩かなければならない生活必需品に愛着を持ちたくないからである。

私の意識を、スマートフォンから出来る限り逃れさせたい。モノからの解放。私が目指しているのはそれだ。

 

普通に生きているだけでも、画面がひび割れたスマートフォンをよく目にする。私は知っている、スマートフォンは精密機器であり、結構簡単な衝撃で画面にひびが入る。つまりは壊れやすい。

壊れやすいということを知っていると、そのスマートフォンを大切にしなければいけなくなる。カバーを付ける、強化ガラスフィルムを貼り付ける。丁重に扱う。

私は、そういったことがめんどくさいのだ。ぽいっと投げて、シャワーを浴びながら聴き、最悪ベッドの中で下敷きになってしまってもいいし、バッテリーの消耗を気にしてギリギリまで使い切ってから充電器に差し込むような工夫もしたくない。

自分の意識がスマートフォンに少なからず持っていかれる。それは自分の行動を制限する要因になる。スマートフォンが私のスマートな生活を邪魔することになってしまうのである。矛盾だ、なぜスマートフォンを利用する私のスマートな思考が阻害される必要があるのか。

 

「まぁでもそんなの意識するのは最初のうちでしょ?」そういう人は多い。というか、そういう人ばかりだからひび割れたiphoneがこの世の中に溢れかえっているのだ。

だからといって、「慣れれば適当に扱うようになるしいいや」で済まされる問題ではない。

大金を払ってワクワクして買ったiphoneが購入4日目とかにぶっ壊れたらどう思うだろうか。凄く傷つくだろう?気持ちが滅入るだろう?だから、壊れやすくて高価なものは買いたくないんだ。

気を遣わなきゃいけないし、気を遣うのを疎かにして壊れたらすごく悲しい気分になる。そんなものを日々持ち歩かなければならないストレスと言ったら半端じゃない。

 

だから私は安いスマートフォンを買う。バッテリーの持ちは悪いし、すぐに熱くなる。決してサクサク動作するわけでもない。それでも、いいのだ。

日々のアラーム、天気の確認、LINE、緊急の電話、乗換案内、地図、メール、スケジュール、ジャンプ+、銀魂BLEACH

私に必要なのは上記機能のみ。それだけやるなら低スペックスマホ格安SIM最低プランで十分なのだ。

 

 

スマートフォンに限ったことじゃない。私はいつか終わりが来ることが分かっているものに金をかけるのが嫌いだ。特に身に着けるもの。理由は同じである。気を使いたくない、楽に生きたい、失ったときに傷つきたくない。

だからプレゼントでマフラーや手袋を貰ったときのプレッシャーは大変なものである。大切に使うのだが、大切に使うことで擦り切れている自分がいる。

 

少し前にミニマリストという言葉が流行った。モノを徹底的に排除するあの姿勢にはなんとなく共感できる(やりすぎは何事もよくないけど)。モノがなくなると解放感があるのだ。自分が身軽になった感じがある。それゆえに、私は物を買いたがらない。ただでもプレゼントという形で大切にしなければいけないものは貰いたがらない。必要不可欠なものを最低限持ち歩く。それが一番精神的に楽なのだ。モノを持って幸せな気分になる人の気持ちもわからなくないが(買い物するとテンションが上がる)、あれは麻薬的なハイ状態であって、精神の安寧を担保するものではないのではないかというのが私の考えだ。

 

閑話休題。皆さんもぜひ、スマートフォンを安いものに買い替えてはいかがだろうか。割れたガラスにセンチメンタルになる必要がなくなるかもしれない。

 

まぁ、スマホぶっ壊れた僕、今相当ナーバスになってるけどね。


米津玄師 MV「アイネクライネ」

なんかこの曲が脳内で流れてる。

 

 

 

【スター・ウォーズ/最後のジェダイ】細かいところは考えなければ良い映画(感想:ネタバレあり)

starwars.disney.co.jp

 

今更見てきた。人気作はいつまでも劇場公開してて良いですなあ。

 

世代交代というコンセプトが強く推されており、「これまでの作品に思い入れがあったらもっと楽しめたんだろうなあ」という印象。

見る前に「賛否両論」ってことを聞いていたから構えてはいたものの、賛否が分かれるのも良くわかるなという感じ。作り手の過去作へのリスペクトは感じ取れるのだけれど、細かい部分での失敗が重なって結果的に「今までの設定とは?」と思わせてしまうような展開になってしまっている。

 

しかしそれでも結果的に楽しんでしまう。SWはずるい、もうオープニングの例のあの「でーでででー」と壮大な音楽と黄色い英語が流れてくるだけでなんか鳥肌が立ってしまい、その高揚感が劇場を出るまで続いてしまう。

SWはよくわからない。しかし一人の映画好きとして楽しんでしまった。そんな適当な私がなんとなく良かったところと悪かったところを語るぞ。

 

ちなみに懇切丁寧にストーリーを解説することはないが、基本的にはネタバレありだ。

 

良いところ:ルークへのリスペクト

僕はSWを良く知らない。「フォースの覚醒を見る前に前作とりあえずDVDで見てみました」程度の人間で、本当に1度しか見ていないものだからあまり詳しいところは分からない。

 

しかし、そんな僕でもわかるような「これは過去作を意識してるな」ってシーンがたくさんあった。特に、過去作からの登場人物であり本作のキーキャラクターのルーク周りで。

 

こういう過去作のリスペクトというか、過去作があるからこそ出来る演出というのは8作(外伝除く)もシリーズを重ねている作品ならではの魅力であり、そういう積み重ねが生む感動というのが僕は好きだ。

 

ルークがレイに協力するきっかけになったのはR2-D2が流したEP4のレイア姫の映像。「ずるいぞ」と彼も言っていたが、視聴者も「こういう演出はずるい」と思うのではないだろうか。

 

 

物語中盤で唐突に現れたヨーダは2017年公開映画からは明らかに浮いてるのだけれど(ちょっと笑ってしまった)、おそらくこれは青年ルークが実際に目の当たりにした(EP4か5かな?)ヨーダを模しているのだろう。EP2で見たぬるぬる動くヨーダじゃなくてよかった。

www.youtube.com

↑まさしくこのままのヨーダだった

 

ルークがフォースを使い果たして昇天したシーンも、EP3でルークが生まれたシーンのオマージュだろう。二重の夕日を目の前に生まれ、二重の夕日の前で死に至る。

 

余談だが、結局ルークが隠居している惑星から出てくることがなかったのは残念だったが、レジスタンスを救うべくフォースの幻影をカイロレンの元に飛ばし、その役割を全うしたのは素直にカッコよかった。「いやどうせ死ぬなら本体来いよ」って思ったけれど、カッコよかったのだからいいのだ。きっと本体だったら、ファーストオーダーの軍事力をつぎ込んだ一斉射撃の前に敗れていたのだろう(肩を余裕の表情でさっと払う動作も生まれなかったことになる)。

 

本作のコンセプトは世代交代。レジスタンスのリーダーはレイア姫から、ポーへ。ジェダイの志を継ぐ者はルークからレイへ。そしてファーストオーダーを率いる者はスノーくからカイロレンへ。

本作で引退するルークやレイアをこれまでのシリーズの要素をかき集めながら目いっぱい立てて、そして次の世代に繋いでいくという構成。ファンに支えられてきた歴史ある作品が次のステップに行くために避けて通れない道ではあるが、かなりうまくやっていたと思う。

まぁ、ちょっと疑問に思うところもあるけれど。

 

悪いところ:脆弱な新キャラ達(カイロレンを除く)

ポーやフィン、レイが次回作以降の中心人物になるわけだ。しかし、彼らの活躍がちょっとだけ甘かった気がする。

 

まずはポー。序盤レイア姫の命令に逆らって多くの死者を出し、降格。レイア姫の戦線離脱によって新リーダーに任命された紫のおばちゃん(名前、わからない)にも、反抗。そもそもポー・フィン・妹(名前、分からない)が勝手に遂行したミッションが失敗してレジスタンスが危機に瀕する展開は、残念ながら見ているこっちもイライラしてしまうほど救いようがない。

そんな彼が物語の終盤自ら指揮をとり、「戦略的撤退」をフィンに命令するシーンがあるが、そういう物語の組み立ては上手いなあとは思いつつも、あまりにも都合の良い展開過ぎて「ポー、それでいいんか」と思ってしまうのが現実。

 

フィンは前述したとおり、彼の活躍シーンが全て無駄どころかレジスタンスの邪魔になってしまったのが残念。ポーの命令を無視し、ミニデススター(名前、分からない)に突っ込もうとした見せ場も、妹(名前分らない)の愛によって失敗。

フィンと妹の冒険自体は面白かったんだけど、大きな物語の下ではほぼ無駄な徒労となってしまったのが残念。成長を見せた彼らの活躍をEP9で魅せてもらうしかない。

 

そして主人公レイ。完全にルークやカイロレンにくわれている。彼女自身の見せ場があまりない。「ルークのバカ‼もう知らない‼カイロレンは正義の男になれるわ‼」からの一瞬生まれたカイロレンとレイの共闘は最高に燃えたけど、そこがピークで結局カイロレンはスノークを自ら殺害したことで真の悪として完成してしまった。

レイさん、ラストシーンの岩を持ち上げることしか見せ場なかったっすよ。これも次回作期待ですかね。

 

まぁ最後に持ち上げておきますと、カイロレンだけは素晴らしかった。ただの子どもみたいな「フォースの覚醒」から一転、本物の悪に成り上がった。

レイアに自ら手を下すことは出来ず、レイとのふれあいの中で正しい道を歩もうとする過程で「仲間入りか!?」と期待させておき、スノークを殺害、レイとの共闘ではもはや心の中で拍手喝采。しかし彼の思惑が「自分たちが新しい時代を築く」ためにレイと二人で世界を掌握しようとしていたというオチには一瞬ガッカリしつつも、いやこれこそ本物の悪役だと私は心が躍った。世代交代がテーマの作品でよくそれを言った。

前の世代の意思を継ぐレイ、そして前の世代を踏み越えて自らが頂点に立とうとするレン。この対比も素晴らしい。結果的に違う道を進んでよかった。

 

悪いところ:レイア姫とワープ攻撃

いやいやいや・・・

って思ったところはレイア姫の宇宙空間からの謎帰還と、ワープを利用した攻撃。この・・・これやっていいの?という前提を犯してしまうと、物語は何でもありになってしまうが、この二つはその最たるものだと思う。

ワープ攻撃オーケーならさ、危機に瀕したときには何か使い捨ての船用意しちゃえば敵に壊滅的なダメージ与えられるわけでしょ?(コストが高いとか人命が大事みたいなこともあるけれど、作戦としてオーケーになってしまったという事実が問題。今後「またこの手で逃れればいいじゃん」と我々は考えてしまう。)

それにレイア姫。あれはさ、説明がつかな過ぎてこの世界の人は無敵か!ってなっちゃうでしょ。説明してよちゃんとね。

 

まとめ

全体として面白い・ワクワクしたんだけど、マイナス点も多いから「とにかく印象に残った映画」としておく。

フォースの覚醒よりは確実に面白かったけど、例えばカイロレンの活躍はフォースの覚醒の不甲斐ない彼がいたからこそ映えたものだと思うし、シリーズ物はこの作品だけでは完成度が判断できないところもある。

EP9が名作であれば、EP7,8の評価もぐんとあがるわけだ。頑張れ、次回作。