定時後に映画館

仕事の片手間に映画の話をします。

十二大戦対十二大戦 (ちょっとネタバレあり、ざっくり感想)

 

十二大戦対十二大戦 (JUMP j BOOKS)

十二大戦対十二大戦 (JUMP j BOOKS)

 

ようやく続編?の方のこちらも読みました。十二戦士の登場人物は変わらずなのですが、今回は戦士同士の闘いではなく、十二戦士がチームを組み、新登場の「十二戦犯」と闘う十二対十二、計二十四人(双子座の戦犯は二人で一人なので、正確には二十五だけど)のバトルとなっている。

(本作は「子」の能力「ねずみさん」が導き出した一つの可能性の物語。十二戦士が殺しあわず協力して十二戦犯と闘うという立て付けの十二大戦を子の戦士が選んだという立て付け)

 

物語のボリュームとしては「十二大戦」とほぼ変わらないので、試合展開がものすごく早い。次々と戦士が、戦犯が死んでいく。十二大戦で活躍しきなかった戦士が活躍しており、十二大戦で活躍していた戦士が簡単に死んでいくので、十二大戦とは全く違った楽しみ方が出来る。

例えば、十二戦士の中でもダントツで厄介な圧倒的な戦闘力を持つ丑と死者を使役する兎の戦士は序盤真っ先に死亡するので、前作のような死体が動く泥仕合は展開されず、圧倒的なカリスマである丑の戦士も不在のまま絶望的な展開で試合が始まるのだ。

前作で優勝を果たした子の戦士も、すぐに死んでしまう。死に方はなかなか面白かったので、ぜひ読んでほしい。

 

ちなみに本作で活躍するのは、前作、割と早いタイミングで亡くなった「亥」「戌」「酉」の戦士。そして前作から割と優遇されている「申」の戦士。

特に前作キャラクターがあまり掘り下げられずに終わった「亥」「戌」は本作にて最後まで生き残る大出世を果たし、彼らのバックグラウンドや信念まで丁寧に描かれている。「酉」もそこそこ生き残るのだが、死亡に至るまでの経緯が十二大戦に似ていて、別の可能性の世界でも人間性は変わらない面白さが彼女にはあった。

「申」の戦士は戦争がテーマの十二大戦にて、「平和裏に殺す」をモットーとする平和主義者という時点で物語に深みを出させるため活用せざるを得ない優秀な素材であることは確かだ。使わない手はない。本作はある種彼女のお陰でその「戦争」というテーマの深堀が前作以上になされていたと思う。彼女の考えが、一言一言が、戦争と平和についての疑問の投げかけとなっている。

「綺麗事なめんなよ」

十二大戦屈指の名言は、本作においても一番の見せ場で発せらた。

 

ちなみに、本作のオチは「十二戦犯が、今回の十二大戦において何を願ったか」の解明にある。十二戦士には、前作同様「生き残った者の願いを叶える」と伝えられていたが、敵方である十二戦犯の勝利条件および勝利した際のメリットは最後まで分からない。それを申の戦士が探りながら平和的交渉に臨む場面があるのだが、そこら辺がクライマックスで、物語の終わりに十二戦犯が望んだ「願い」が明かされるという構成だ。

まさしく「十二大戦」にふさわしい願いだった。この「願い」が個人的にとても好きで、それゆえに僕は「十二大戦」より「十二大戦十二大戦」の方が好きだ。ただのバトル小説以上の意味合いを持っていると思う。

 

十二大戦で「ただのバトルロワイヤルじゃん」と思った人。ぜひ本作も読んでほしい、きっと別の感想を抱くから。

 

こちらもどうぞ。

midoumairu.hatenablog.com

 

 

 

【坂道のアポロン】律子が可愛い(ざっくりとした感想)

 

坂道のアポロン コミック 1-9巻 セット (フラワーコミックス)

坂道のアポロン コミック 1-9巻 セット (フラワーコミックス)

 

 実写映画化されるし、原作が9巻で完結するという魅力に駆られ、一気読みしてしまった。

 

青春をこじらせた素直になれない主人公(西見 薫)、がさつに見えて繊細な心を持ち合わせている闇を抱えた親友(川渕 千太郎)、そして親友の幼馴染でTHE 田舎の心豊かな女の子感が満載のヒロイン。

この布陣!彼らがわちゃわちゃしているだけである程度楽しめてしまうずるさがある。僕は結構少女漫画が好きで、キャラクターの心理描写とかよくわからない縺れた人間関係みたいのを永遠と見れられるのが個人的なツボなのだけれど、坂道のアポロンも例にもれずその手の作品であった。期待通りである。

 

何といっても、律子が可愛い。こんなに可愛い女の子が他にいるだろうか。この、素朴な・・・純粋な感じ!!!癖がない、嫌味でもないただの女の子。行動原理全てに共感が出来る。その魅力をしみじみとかみしめながら僕はこの作品を読み進めていた。

彼女の心の動きは至ってシンプルで、下手にドロドロしていないからとてもすっきりしている。納得のいかない動きもなく、物語を盛り上げるために下手なすれ違いを演じたりしない。単に幼馴染の千太郎が好きだったが、主人公の薫に好意を寄せられ、感情が揺さぶられながらも最後には薫を好きになる。この間両者を汚らしく天秤にかけるような真似はしないし、行ったり来たりもしない。その分かりやすさ、潔さが気持ちよく、可愛らしい。

 

なぜ、この名ヒロインが誕生したのか。

薫も千太郎も情緒不安定で女々しいので、律子というぶれの少ない存在がいなければ、作品が離散してしまうからだと私は妄想する。

坂道のアポロン」は三角関係の物語と思わせておいて、実は薫と千太郎の友情がほぼ物語の主軸で、彼らがすれ違いや喧嘩を繰り返しながらも友情を育んでいく物語と言ってしまっても良い。主役は薫と千太郎なのだ。

ゆえに、律子は彼らを乱すような行動を慎まなければならない。読者には彼らの友情に集中してもらいたいから、必要以上のエネルギーを割くようなヒロインであってはならない。彼らのすれ違いの原因でありながらも(三角関係でありながらも)、彼らをまとめあげるポジションを求められる(恋愛故の友情の崩壊を招くわけにはいかない)。

そのためには、純粋に、プラスでもマイナスでもない、物語に波風を絶たせない品行方正なキャラクターである必要がある。恋に積極的になりすぎず、皆でいるのが好きな、必要以上の味付けもされていない、いわゆる良い子。そんな女性が物語の中心に必要だったからこそ、律子という毒なき素朴なヒロインが誕生したのだ。

 

まぁヒロイン論はどうでもいいのだけれど、前述した通り、全体的に「坂道のアポロン」男性が読む分には「ちょっとこの男子たち女々し過ぎないか?」と思ってしまった。

こう・・・もっと男子はさばさばしているというか、ここまで友情の在り方や人間関係について深く思い悩むことはないような・・・。どちらかというと、女の子同士の友情のやり取りを見ているような気分で、それはそれで微笑ましいなという感じ。まぁ登場人物の心の揺れ動きや特に薫の繊細な感情は伝わってきたし感情移入が出来ないというわけではなかったので、「現実の男はこんなんじゃない!」という意見は野暮なのだが、どうも「これ考えすぎだろうぅ」って部分が引っかかってしまう。そんな作品でもあった。

 

しかしそんな違和感を正す役割を持っている人物がいる。こんなのおかしいよ!と伝えてくれる女性が。

そう、律子であr(この記事の冒頭に戻る

 

今回のオチ


「坂道のアポロン」予告編

ヒロインが最近気になっている小松菜奈さんでびっくりした。でも、律子のイメージとはちょっと違う、ちょっとだけ、ちょっとな。

 

映画は見ていないんだけど、やっぱり大人になってから過去を振り返る感じの描写は青春映画の王道で、「坂道のアポロン」は原作でも大人になった後のことを描いてるから映画化しやすかっただろうな。

midoumairu.hatenablog.com

 

どうでもいいリンクを貼り付けて以上とします。

 

 

小松菜奈に似ていると言われた男性の気持ち

今週のお題「あの人へラブレター」


鈴木瑛美子×亀田誠治「フロントメモリー」映画「恋雨」主題歌

 

劇場版「恋は雨上がりのように」の主題歌「フロントメモリー」がとても良いよって話を友達としていたら、唐突に「xxx(僕の名前)って小松菜奈に似てるよね」と言われた。

 

当然飲み会の場は何とも言えない雰囲気となる。似ていないからだ。先輩の男性がわざわざスマートフォンで彼女を検索したあげく「確かに目力とか・・・」と自信なさげに言って下さったが、パーツレベルの類似点をあげていただいても、それはフォローとして成立していない。

目力。その程度の類似点で似ていると判断してしまっては、僕だけにとどまらず参加者全員が彼女に似ているようなものだ。小松菜奈に似ている人が集会している夢のような飲み会になってしまう。

 

そもそも男性に対して「小松菜奈に似ている」ってなんだ。男女混合の飲み会などで「xxxに似てる~」とか「xxxって誰に似てるって言われたことある~?」みたいな話は鉄板ネタではあるが、まさか男に対して女性に似ているというアプローチで攻めてくるとは。それも、今をときめく可愛らしく若い女優さんだ。25の男性会社員が似ていると言われて良い存在ではない。

 

僕が小松菜奈に似ているというテーマで会話が盛り上がるはずもなく、一瞬にしてその会話は終わりをつげ、僕がフロントメモリーの魅力を語ることも許されなくなってしまったのだが、脳裏から「小松菜奈に似ている」が離れない。

 

悪い気はしない。いや、悪い気はしないだろう?

だって、可愛い女優さんだ。当然整った顔立ちをしていらっしゃる。どこが似ているのかわからないが、一瞬でも彼女らしさの片鱗を僕の顔から見出してくれた女性がいるということは名誉なことだ。

 

僕はある一つの仮説を立てた。

一回でも小松菜奈に似ていると言われたことは嘘ではない。Twitter界隈ではびこる嘘の類ではなく、間違いなく本当のことだ。これから先、数多くの飲み会を乗り越えていくであろう僕には、何度も何度も「誰かに似てるって言われない?」といった質問を受けるだろう。

その時僕は得意げに答えるのだ。

「一度小松菜奈に似ているって」

当然飲み会の場は白けるだろう。なぜなら似ていないからだ。あの日、僕が初めて小松菜奈に似ていると言われた日の再現が行われることになる。

 

しかし、何度も何度も「小松菜奈に似ている」と「誰かに一度でも言われたこと」を第三者に発信し続ければ、いずれ僕の周りを形成するコミュニティの中では「小松菜奈に似ていると言われた人=僕」という共通認識が生まれ、おそらくそれはいずれ「小松菜奈に僕は似ている」という共通認識に昇華されるのではないだろうか(大分飛躍した論理であることは認めざるを得ないが、それぐらいの狂気と夢を持っていたほうが人生は楽しい)。

そうなればこっちのものだ。「僕は小松菜奈に似ていると言われたことがある」と言っても、周りは「確かに!」と膝を打つことになるだろう。

それはすなわち、僕が小松菜奈に似ているということを指す。顔が小松菜奈寄りに変わるのだ。こんなにも喜ばしいことはない。

 

僕は今日から、小松菜奈に似ていると言われたことがある男である。

そして、それを恥ずかしげもなく堂々と言い切る男である。

そうすることで、僕が小松菜奈に似ている人間になれるか。

そんな壮大な社会実験の幕開けだ。月曜日が楽しみで仕方がない。

 

余談だが、その翌日、王様のブランチに「恋雨」の宣伝に大泉洋小松菜奈が出演していた。

「あの人へラブレター」

ラブレターなど書かないけれど、間違いなくファンになってしまった軽薄な自分がそこにはいた。

 

ソースではなく塩でたこ焼きを食べる甘美な背徳感

先日出張で大阪に行ってきた。

大阪に行くときは必ずたこ焼きを食べるようにしている。

むしろ大阪に行くときしかたこ焼きを買い食いすることはないので、大阪に行ったときぐらいはたこ焼きを楽しみたいという気持ちが強い。

 

私にとっては大阪でのたこ焼きは「半年に一度の贅沢」的なポジションである。安いしどこでも買えるのだけれど、あえて大阪のたこ焼きのみに照準を絞ることで、たこ焼きとの時間をプレシャスタイムへと昇華しているのだ。

 

14時頃に仕事を終え、新大阪駅でたこ焼きを探す。

せっかくだから新幹線が通る駅周りじゃなくて、ちゃんと探せよって思うかもしれないが、そういうわけにはいかない。仕事自体はなんば駅付近で終えたのだが、営業さんや先輩の目を気にせずたこ焼きを食べるために、「もう帰りますよ~」みたいな顔をして新大阪に向かうのだ。「これからたこ焼き屋探します」と言っては角が立つ。出張中に後腐れなくたこ焼きを食べるためには、新大阪駅が最適だ。

 

ググって導き出したたこ焼き屋さんが「たこ焼き道楽 わなか」という店だ。

takoyaki-wanaka.com

 

これから帰ろうとしている人にはあまり関係ないのだが、新大阪駅の新幹線改札外にあるので、アクセスはしやすい。持ち帰りだけでなく、店内でも食べられる。キャパは15人~20人ぐらいだろうか。僕が入店したときには、綺麗なお姉さんとキャリーバッグを持ったおばあさん、旅行中と思われるオラついた2名の男性がいた。

 

せっかくなので僕も店内で食べることにした。爽やかイケメンのお兄さんが店頭でたこ焼きを作っている。オーソドックスに450円8個入のたこ焼きをオーダーした。

 

「定番のソース、オススメの塩、・・・・(ちょっと覚えてない)から選べますが」

 店員さんが笑顔を浮かべて僕に問う。

(・・・オススメの塩!?)

僕は怯んだ。しかしせわしなく櫛を動かしたこ焼きをくるくるさせるという使命を負いつつも、オーダーの対応をしてくれているお兄さんに迷惑をかけることは出来ない。仕事中に回すことが出来なかった頭をフル回転させ、僕は結論を導き出した。

「では塩で」

その間、おそらく3秒程度。確実に美味しいであろうソースを選ぶか、食の探究者たる姿勢を保ちまだ見る味の世界を開拓するために塩を選ぶか。私は後者であった。失敗したら次に大阪に来るときにソースで食べればいい。それもまたご褒美だ。

 

会計を済ませると、お兄さんがぽんぽんとたこ焼きをくしでたこ焼き機から拾い上げ、器にたこ焼きが綺麗に収まった。塩は軽くさっと振りかけられた程度。その後、マヨネーズ、鰹節などお馴染みのトッピングが盛られていく。

 

しかし、いつもの香りがしない。ほんのりと甘いソースの匂いが。

塩たこ焼きからは辛うじて鰹節の香りがしていた。どうしても、足りない。

この時点で既に後悔は始まっていた。

(やはり、たこ焼きはソースであるべきでは)

しかしすでにトッピングを終え、器を受け取ってしまった以上、今更ソースに変更していただくわけにも行けない。なにより店のオススメは塩味なのだ。たこ焼きにソースを塗りたくることは、お兄さんの顔に泥を塗りたくるのと同義。

 

比較的入口に近いテーブル席に腰かけ、さっそくたこ焼きを櫛で広げていく。猫舌だから、中身を外気に晒さないと熱くて食べられないのだ。5分ほど経ってから、1個目のたこ焼きを口に運ぶ。

 

うむ、美味しい。「スイカ理論」が塩たこ焼きには応用されていた。

まずはほどほどの塩気。そしてすぐにたこ焼きの生地の味が口の中に広がる。意外にも、たこ焼きの生地自体が結構甘いのだ。塩で生地の味が際立っている。これこそスイカ理論、甘いものにしょっぱい塩をかけることで甘みが際立つというあれだ。もちろん生地やタコ自体の味だけでは素朴過ぎてなんだか物足りないのだが、それをマヨネーズや鰹節が補ってくれている。

 

ソースという強い味にかき消されていたたこ焼きの生地自体の味を、初めて塩たこ焼きで味わうことが出来た気がする。あっさりしているので、次々と食べれてしまう。食べる、食べる、食べる。しかし新しいたこ焼きを口に運ぶ度、僕はソースにまみれたいつも通りのたこ焼きを思い出していた。

ソースを思い出しながら、今目の前にいる塩たこ焼きを堪能する。いつまでも、「もしかしたらソースの方が良かったのでは」その疑念が消えてくれない。大阪にまで来たのに、オーソドックスな、誰がどういっても美味しいであろうソースたこ焼きを食べずに、たこ焼きの新しい楽しみに興じている。

なんだこの背徳感は。旨いものを目の前にしながら、定番を、食べなれたいつもの味を心のどこかで求めている。

 

浮気。

 

これは浮気だ。

人が浮気に溺れてしまう理由を今僕は知ってしまった。単に美味しいものを食べる以上の甘美な味。普段の美味しい食べ方を裏切り、新たな美味しさを開拓する、満足感と表裏一体の背徳感。それが知った味を裏切り、新たな食べ物に辿り着く理由だったのだ。

 

残念ながら男女関係に関する浮気は世の中的によろしくないとされており、私も浮気はしないようにしている。

しかし、食べ物ならば別だ。いくらでも楽しめる。

 

食の開拓者たちよ。浮気者であれ。

自らのお気に入りを持ちながらも、別の食べ方を、別のトッピングを、別の具を、別の調理法を、試し続けよ。

 

しかし、一番はソース味も塩味も食べることだと帰りの新幹線で僕は気付いた。

どっちもおいしいのだから。

食の開拓者達よ。ラブコメの主人公であれ。

 

【週刊少年ジャンプ】僕のヒーローアカデミアも下書き:人気作に限って、見せ場に限って下書き掲載する風潮

 今更ながら週刊少年ジャンプ2018年24号を読んだ。

先日こんな記事を公開したのだが、 

midoumairu.hatenablog.com

今度は、「僕のヒーローアカデミア」が下書き掲載をしているじゃないか(182話)

 

しょうがない。僕の持論は忙しい作家さんであるという前提はありながらも、週刊少年ジャンプにお金を払っている人がいる限り、下書き掲載は許されるべきではないというもの。所詮は一読者の意見でしかない。切り捨ててしまっても良いような小さな戯言でしかないと思う。でも、声を大にして言いたい。

 

にしても!!!先週のブラッククローバーの話をした翌週に、僕のヒーローアカデミアが下書き掲載なんて!!2週連続で人気作品の下書き掲載はないよ!!

 

だって、見せ場じゃん!!!

壊理ちゃんが笑う見せ場でしょ!?

週刊連載で1話1話で人気を獲得しないといけないって前提はあるけれど、その中でも今回の話は大切な1話だったじゃん!!!

 

それを、なぜ下書きに!!!下書きなら、休載して次にしてくれよ!!!感動を完璧な形で味わいたいんだよ!!!

 

頼むから原稿は完璧にして出してくれ。。。

漫画ファンの願いだ・・・

 

 

 

 

【働き方変革】定時退社の限界と諦め#わたしの転機

ちょっと前に働き方改革関連法案における「裁量労働制」について世間で話題になっていた。

私のもいわゆる「裁量労働制」に近しい制度の下企業に勤めていて、深夜残業及び休日労働には特別な手当てが発生するが、それ以外の時間帯にいくら働いても賃金は同じという環境で働ている。

裁量労働制自体の詳細があまりよくわかっていないので、「近しい」としている。制度自体の詳しい話は頭の良い人がしてくれればいい。間違えてたらごめん)

 

 私は金と時間が大好きなので、残業しても一切金が出ないならば残業などしないほうが良いと思い、いや、残業などしないほうが良いと心に強く刻み込み、入社1年目からとにかくスピードを意識して仕事をするようにしていた。結果、社会人3年目の上半期ぐらいまでは、ほぼノー残業で務めることが出来ていた。

 

 方法は結構簡単だ。

 

 やれと言われたことはやる。素早く、正確にこなす。わからないことを振られたら素早く8割完成させ、先輩に方向性を仰ぎ、その方向性に沿った10割のアウトプットを素早く叩きつける。

まぁそういうことが出来るのは若手のうちだけかもしれないが、どんな年次・職種の人でも1人で決定できる仕事などないだろうから、早く仕事を終わらせるための汎用的な方法だと思う。決定権を持つ人、自分が持たない情報を持つ人にさっさと自分のアウトプットを出し、返事をもらうのが早く仕事を進めるポイントだ。

 

 昼食は食べない。休憩の1時間を業務対応に回し、集中して定時に帰れるようにしていた。 

 

さらに、定時の鐘がなった瞬間に帰る。鳴った瞬間にはパソコンを消し、「お疲れさまでした」と何食わぬ顔で出ていく。一緒に仕事をしている先輩には、定時の2時間前には「今日に終わらせなければいけないこと」を握っておいて、終わらせてから帰る。もちろん藪蛇になりそうなときには、確認などせず逃げるように帰る。

 

 仕事において自らの意見や自主性、積極性は大切にしない。「○○な仕事がやりたいです!」と目を輝かせて採用面接をし、入社したのは良いもの、やりたい仕事などそんな簡単には降りてこない。僕は幸いにも希望する部署に配属されたが、そうじゃない人の方が絶対に多い。そのうえ希望した部署に配属されたところで、イメージしていた希望する仕事が出来るとは限らないのだ(僕の場合はそうだった)。「やりたい仕事を獲得する」よりも、「目の前の仕事を楽しもうとする」ほうが実は低コストだ。

僕は仕事自体に興味がなくても、「早く終わらせる」というタイムアタックを楽しむことで、仕事へのパフォーマンスを落とさないようにしていた。 

 

そういうことを淡々と続けていると、「こいつは定時に帰りたいという強い意志を持っている」かつ「仕事が早くそこそこ便利」かつ「だが、積極性はないし、仕事を作れるタイプの人間ではない」という評価を受ける。

問題ではないが、出来はしない、そういう社員だ。 

 

まぁ企業の中で上に上がっていける人は一握りである。それになれるとは思っていない。しかし露骨に手を抜くと、今度は切り捨てられる側に回ってしまう。努力してまで評価されようとは思っていないが、ダメな奴と認識はされたくない。そんな絶妙なモチベーションで「定時後に映画館」に行けるような社会人生活を悠々と過ごしていた。3年目までは。

 

定時退社の限界

しかし残念ながら今の私は仕事に忙殺されている。

なぜなら、仕事をすればするほど実力は上がっていき、その分任せられる仕事も増えていくからである。しかし、仕事の処理速度を上げるのには限界がある。いずれ「その人の仕事の処理能力」を「その人に担当させたい仕事の量」が上回ってしまうのだ。そのタイミングが私にとっては4年目だった。

 

①早いゆえに便利屋的なポジションとしてのポジションを確立する。そして、定時退社をし続けたゆえに、「仕事で忙しい」という印象が一切ないので、先輩の手伝いとしてどんどん使われる。

※さすがに頼まれた仕事を断わるだけの勇気は私にもない。

 

②手伝った仕事は大体理解できるようになるので、その分野の仕事をある程度担当できるようになる。

 

③「これ出来るよね?」と言われ、私主幹で行う仕事が増える。

 

④さらにまだ部署で一番若手であるゆえに「これ手伝ってくれね?」的な仕事もまだまだ多い。②に戻る。

 

人によっては正のサイクルだが、早く帰りたい人にとっては負のサイクルである。

そりゃ年次が上がっていくごとに給料も上がるので、当たり前のことのような気がするが、入社当時の私はそれが理解できていなかった。「定年まで定時退社で基本給だけで生活しよう!」なんて夢のような話はないのである。

 

私は定時退社の限界を悟った。タイムアタックもクリアできないという現実を理解してしまった以上、モチベーションを高める方法としては不十分だ。

私は自己中心的な人間なので、やる気がないとまともな仕事が出来ない。

深夜まで追い込まれている時に心を折らないようにするためには工夫が必要だ。

では、どうしよう。

 

金と時間からの精神的開放

今回のお題「わたしの転機」がこれだ。

もはや単位時間当たりの収入(xxx円/xxx時間)を気にせずに、せっかく任せられた仕事なのでクオリティを高めようと考えるようになった。

「早くこなす」から「より良く仕上げる」に切り替えるのである。

 

切り替えたきっかけは、「諦め」。

 

もはや残業しても金は出ないから金は諦めよう。

残業せずに仕事をするのも無理だから、定時退社は諦めよう。

 

会社勤めをしていてオフィスタイムに私を華やがせてくれる可能性があるものを考えてみると、金と定時退社以外にあるとしたら、仕事そのものしかないのではないだろうか。そうして、初めて「仕事の内容」そのものについて考えてみた。

まぁなかなか仕事自体もつまらなくはない。面白いこともある。やりがいもありそうだ。結果、そんな結論が出た。

 

金と時間を諦めて、仕事を楽しめるようになりました。

 

今文章を書いていて「私は何かに洗脳されているのではないか」と不安になったが、まぁ適応能力が高いのだと思っておこう。

労働において金と時間という概念は切っても切り離せず、ないがしろにした瞬間ビジネスは崩壊するのだが、「賃金」と「労働時間」をガッチガチに意識しすぎずに多少遊びを設けさせてみると、今まで見えてこなかったものが見えてくる。

そういう話がしたかった。それがわたしの転機。

 

今回のオチ

とはいっても、長時間労働はきついし、残業代はほしい。

仕事自体を楽しむ!なんてそれっぽいことを言ったものの、それだけでは精神が持たん。仕事のことばかり考えてたらバランス悪いだろ?僕は違うけど、家庭とか子どもを持っている人なら特にさ。

 

休日遊びに行ける程度の給料をくれ。

定時後に映画館に行かせてくれ。

19時からの合コンに行かせてくれ。

 

忙殺されながらも仕事をある程度楽しんでいる。それでも私は仕事以外を楽しみたい。その気持ちは忘れてはいけない、という戒めが今回のオチでした。

 

 

裁量労働の手当てが基本給+αでつく

◇想定された残業時間以上の残業をした場合は、超えた分の残業代をさらにつける

ってルールが一番良いと思うんだけどね。想定残業時間を超えないようにスピード感もって仕事もしようとするし、想定時間以上の労働にもやる気を出せるから。

 

求む~ホワイト企業

【週刊少年ジャンプ】ブラッククローバー下書き掲載多すぎ問題

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ブラッククローバー」という週刊少年ジャンプにて連載中の王道少年漫画がある。

 

私は半年ほど前から週刊少年ジャンプを毎週読むようになって、基本的に掲載している全作品を読むようにしている。

ブラッククローバーは初期の数巻をコミックスで読み、王撰騎士団選出試験の途中からジャンプで追いかけている状態だ。当然間がすっぽり抜けているので、一から十まで楽しんでいるかと言われるとそうでもなく、しかしブラッククローバーは全体のストーリーをばくっとしか把握をしていなくても、各話や各編に手に汗握るような山場を設けており、週刊誌で読むには最高な漫画だと思っている。2018年23号(155話)のアスタとユノの見開きなんて、このページだけでお腹いっぱいになるぐらいじゃない熱い展開じゃないか。

現在のジャンプ連載陣で前後の脈絡なく読んで楽しめるものは「ヒロアカ」と「ぼくたちは勉強ができない」と「ブラッククローバー」ぐらいだと思う。それぐらいの瞬間最高風速を叩きだせる熱い少年漫画だと僕は考えている。

 

私は漫画を買う習慣がないのだが、週刊誌で追いかけている作品のうち面白いものはやはりコミックスで一気読みをしたいと思っているし、前述した「ヒロアカ」や「僕たちは(ry」は無事に完結してくれたら大切に読み直す予定だ。

 

しかし!残念ながらブラッククローバーにはまだ心が動かされないのである。

なぜならば、残念ながら「下書き連載」が多すぎるためだ。直近の23号も下書きの部分が一部あったため、この記事を書くのに至った。熱い展開だったのに、どうしてもその部分で水を差されてしまう。本当にもったいない。僕がジャンプをしっかりと毎週読み始めるようになってから、もう数回は下書き掲載をしている(最初魔法の光で顔の輪郭がぼやけているという演出的なものなのかと勘違いしていたが、2回目から違うということにようやく気付いた)。

 

そりゃ週刊連載だし、タイトなしょうがないという意見はあるかもしれないが、週刊少年ジャンプに掲載される1話1話は全て「コミックスへの準備」ではなく「完成された作品」であるべきだ。週刊少年ジャンプに読者は対価を払っているのだから、プロとして完璧な作品をあげるべきだろう。既にファンになっている人にとってはどうでも良いかもしれないが、週刊少年ジャンプを入口としてコミックスに至る層にとっては休載よりも印象が悪いのではないだろうか。

編集の方も作家をマネジメントして、完璧な作品をあげられないのであれば休載して次号に回すなどの措置が出来ないものだろうか。週刊連載のペースで原稿完成を完璧にマネジメントする難易度の高さは容易に想像できるが、そう何度も下書き掲載をさせるべきではない。明らかなにペースが乱れているので、せめてワンピースぐらいの掲載頻度に下げるべきだ。

 

せっかく面白い作品が週刊連載に忙殺されたゆえにファンや読者に臨まれない形で世の中に出て行ってしまっていることを僕は悲しく思う。どうにか、どうにか週刊少年ジャンプ読者の私の心の琴線に引っかかるような連載をしてほしい。せっかくの画力や魔法の迫力が一つの下書きで台無しなんだよ・・・。

 

という愚痴でした。作品自体は面白いのだから、ちゃんと完成された状態で週刊少年ジャンプを盛り上げてほしい。

ちなみに、ブラッククローバーの魅力についてはジャンプ+連載中の「ヒット作のツメアカください!」を読むといいと思う。田畠先生のこだわりや面白さの原点が知れて面白いです。

shonenjumpplus.com

 

頑張れ田畠先生。長期休載だけはやめてくれよな。