【詩季織々】小説に映像が付いた感(感想:ネタバレあり)
見てきた。
コミックス・ウェーブ・フィルムの新作。やはりどことなく絵柄に新海誠作品感がある。
世界観を共有した3つのショートストーリーが展開される、日中合同アニメ映画。調べてみると、中国の生活基盤である「衣・食・住・行」がそれぞれ3作品にテーマとして割り振られているらしい。
舞台はすべて中国の都市で、制作に中国のアニメ制作会社が関わっていることに興味を持ったので視聴。
タイトルにも書いたけれど、「説明し過ぎる映画かな」と思ってしまった。
動きや会話などで登場人物の感情を表現するのではなく、映像の裏で登場人物(主に主人公だけど)が考えていることを丁寧にナレーションで説明している。
良しあしはあると思う。ナレーションの言葉選びは美しく、主人公の感情がとても丁寧に語られているので、「この人は何を思っているのか」が明確にわかる。
しかし一方で、映像作品なのだから、皆まで説明せずとも、視聴者にゆだねて動作で感じ取らせる努力は必要なのではないか?という疑問を浮かぶ。
というわけで、「映像が付いた小説っぽい」と評価させてもらった。こればかりは完全に好みだと思うが、まぁ一般的な映像作品よりは明確に説明し過ぎだ。
各作品についてちょっとだけ感想を書いてみる。
「陽だまりの朝食」
イシャオシン 監督の作品。
一言で言ってしまえば、主人公がビーフンを通じて過去を振り返る話。
って書いてしまうと「なんだそりゃ」って思うかもしれないが、「食」を通じたエピソードって確かに鮮明に頭に残りやすいよなって共感はあった。
ナレーションがとても多くてビックリした作品。
「小さなファッションショー」
竹内良貴監の作品。
モデルの姉と服飾の勉強をしている学生の妹が二人暮らしをしている話。
姉は素敵な姉でいたし、モデルとしての活躍したい。若いモデルが台頭する中、焦りを感じた姉は無理をしてファッションショー当日に倒れるという失態を演じてしまう。
モデルとして復帰することを諦めようとしていた姉のため、妹が服をこしらえて復帰のチャンスを作ってあげました。
って話。
3作品の中では一番起承転結していて、物語としてすっと頭に入ってくる構成だった。日本人の価値観で一番理解しやすい内容の話だったと思う。監督が日本人ってのもあるかな?
「上海恋」
リ・ハオリン監督の作品。
青春・恋愛・すれ違い⇒大人になってからの和解
という恋愛の王道を貫いている。
物語は大人になった主人公が過去を振り返る形で進行。
幼馴染の主人公とヒロインは仲良くいい雰囲気だったが、ヒロインが遠くの高校を受験することを決め、関係がぎくしゃくしてしまう。主人公も同じ高校を受験することを決めたのだが、同じ高校を受験することも、同じ高校に行きたいという思いも伝えられないまま。
結果、主人公は高校に合格し、ヒロインは不合格となってしまう。
しかし、ヒロインは主人公と同じ高校に行くためにわざと受験に失敗していた。という事実を、主人公が大人になってから知った、という話。
「どこかで見たことがあるなあ」という印象が拭い取れなかったので、感動ポイントが「やっぱり」となってしまっていたのが残念だった印象。
あとは結構恋愛感情はストレートな言葉で伝えてしまうんだなと思った。「友達以上恋人未満」ではこの言葉を使わないだろ?みたいなこってこてな好意を伝えているのとほぼ同義のやりとりが展開されていたのが面白い。
総括
新鮮な作品ではなく「どこかで見たことがあるなあ」という印象はぬぐい取れなったが、細かい描写ややり取りの中で、中国の文化や感性を感じ取れたのは面白かった。これもナレーションで丁寧に主人公の感情を描写しがちな全体の構成の恩恵であるような気がする。
【オーシャンズ8】あなたが8人目か(感想:ネタバレあり)
見てきた。
オーシャンズ11は最近DVDで借りてみたのだけれど、12、13の記憶は曖昧。
本作はオーシャンズ11を見て楽しめた人だったら、楽しめる作品だったと思う。
「オーシャンズ8を見に行きたい!」と思う人なら、全員損せず帰れる良作だったと思う。
簡単にネタバレありでざっくり感想を書いておく。
いきなりネタバレだぞ。
オーシャンズ11と世界観は共有している
サンドラブロックが演じるデビー・オーシャンは、ダニーの妹。オーシャンズ11の登場人物も本作に何人か現れる。
本筋には関係ないぐらいの関わりかな~って思っていたら、結構ガッツリ盗みのトリックに使われている。
本作のターゲットはカルティエの豪華なネックレスなわけだが、カルティエネックレスだけを盗んだと思わせておいて、舞台の美術館に飾られていた他の宝石を根こそぎ奪ってきていたというネタ晴らしが後半行われる。
で、そのトリックに噛んでいたのが、イエン(体術がすごい人)。
いや、そこで前作のキャラクターに頼っちゃうのかよ!?
って正直思ったけれど、まぁダブルサプライズってことでよかったのかもしれない。
アンハサウェイの立ち位置が美味しすぎる
本作のターゲットはアンハサウェイという触れ込みなのだが、本当のターゲットはデビー・オーシャンが入獄する理由になった男性(デビ―はハメられた)。宝石を奪うのが本作の表のミッションだが、裏のミッションはその罪を男性に着せるというもの。
オーシャンズ11では元妻の現恋人をハメていたけれど、本作は元カレ(ビジネスパートナー?)をハメている。基本的に物語の流れは11と8で同じなのだけれど(ジョージクルーニーの立ち位置でサンドラブロックが、ブラットピットの立ち位置でケイトブランシェットが活躍する)、女性版と男性版でそういったディテールが異なるのが面白い。
で、アンハサウェイが美味しい立ち位置過ぎる。
物語中盤、宝石盗みが完了するまで彼女はターゲットとして描かれているが、結果実はオーシャンズ8の仲間でした~というネタばらしがある。
自己顕示欲が強くて、ちょっと間抜けな感じがするターゲットだったのに、物語の中盤で実はオーシャンズの悪事に勘づいていて、完全犯罪のために仲間入りするという掌返し。
僕はもともとアンハサウェイが好きなのだけれど、彼女の魅力がぎゃんぎゃん突き刺さってくる映画だった。
見せ場が綺麗
舞台はメットガラ。来賓はみんな着飾ってくるわけだけど、オーシャンズは各々役割を持ちメットガラに潜入し、ミッションコンプリート後にはバラバラに分解された宝石を各々が身に着け優雅にその場を立ち去っていく。
彼女らが出ていくシーンでは、スタッフとして潜入していたメンバーもきれいにドレスを着飾っているわけ。「やってやったぜ」感があって好き。各々が主役っていう結構見せ場だと思う。
おまけ
なんというか・・・感想が書くのが難しいって言うか、マジもんの優等生映画って、書くのに困るんだよなあ。普通に面白かったし、ぶれなく皆楽しめると思うので、友達とかと見に行くには最高の映画だと思う。
【カメラを止めるな!】前情報一切なしで1回目を見た直後に、2回目の上映に駆け込みたい映画(感想:ネタバレあり)
話題になっているので、見てきました。話題になっているだけあって、とても面白かった。
TOHOシネマズ新宿で見てきたのですが、TCX(大きいスクリーン)でこれだけの回数上映されてるなんてとっても推されているじゃないか。
↑2018年8月14日の公開。8時40分からの回を見てきたのだけれど、人でいっぱいだった。
これはこの映画が面白くなる最大の"ネタ"をバらさないと感想が書けないので、ネタバレしながら魅力を解説するぞ。細かい内容はそこまで解説しないけどな。
ちなみに、この映画は確実に前情報なしで見に行ったほうが楽しいので、これから見る人は絶対にこの記事を読まないでほしい。見た人だけが、スクロールを止めるな!
あらすじ(ここからネタバレ)
まずは公式のINTRODUCTIONから引用。
とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に 本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。
”37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル!”……を撮ったヤツらの話。
そう。撮ったヤツらの話である。
この映画の最大の魅力は、まずいきなり37分のワンシーン・ワンカットのゾンビ映画を見せられ、その後映画を撮った背景(映画を撮るまでの前段と、ワンカットムービーを撮影している裏で何が起きているのか)を描くという二段構成にある。
要は、いきなりB級感丸出しのゾンビ映画を見せられ、後半はそれをとった監督を中心とした、5割コメディに5割ちょっとだけ心温まるヒューマンドラマを混ぜたような映画になっているのだ。
唐突に始まるB級映画の隙が後半に繋がる
タイトルに書いてある通り、私は前情報一切なしで見に行った。
だが、何も知らなくても、「これはB級映画感がすごいけど、それにしてもおかしい」という明確な疑問点がいくつも浮かんでくる。
登場人物がカメラ目線で話しかける、登場人物が織りなす唐突な趣味の話、数々の役者の理解不可能な行動、謎のカメラワーク・・・。
その程度ではなく、37分の中に溢れんばかり意味不明が散りばめられている。意味不明が溢れて離散し、私の頭に様々な疑問がこびりつくのだ。
前半37分を見ているときは
「これはゾンビ映画をメタ(登場人物がとある作品に出演していると理解している)っぽく撮ることが魅力の映画なのだろうか。にしても滑ってるぞ。」
と思った。それだけ、酷い内容だったということだ。
しかし、その「明らかにおかしい」が後半に活きてくる。
明らかに普通じゃないゾンビ映画の37分の展開は、視聴者のツッコミと共に強く頭に残り続ける。
37分を終えた段階でピースが欠け過ぎたジグゾーパズルの一枚絵が目の前にあり、後半部分を見ていくうちに綺麗にピースがハマっていき、「そういうことか!」というある種の快感を視聴者にもたらす。
「あぁ、これはそういうことだったのね」を後半の物語の中に上手く仕込んでいるので、普通のコメディよりも爆発力があるし、登場人物の一つ一つの行動の背景を視聴者は食い気味に見る。
普通の映画とは違った没入感を、緻密な脚本が生み出しているのだ。
創作を完成させるという感動
本作は壮大な前フリ(作中の疑問点と、後半の撮影までのパート)からの撮影シーンのハプニングによる爆発力ある笑いだけでなく、一つの作品が完成される経過を共に体感できるプレミアムな作品である。
主人公は「安い早いそこそこのクオリティ」を自称するうだつの上がらない映像監督である。作品のクオリティにこだわりたいという思いがありながらも、スポンサーが第一でその思いさえ殺しながら撮影に臨む(映画監督志望の娘が良い作品を撮りたいという熱い思いを前面に押し出しているので、そのコントラストがとても良い)。
役者も問題だらけで統率しきれていない。そんな中ワンカット作品を撮り始めるが、現場に訪れた熱い思いをもった娘に影響されながら、彼は一本の作品をハプニングにもめげずより良い作品にしようと奮闘し、そして、我々が序盤の37分で見せられた作品がしっかりと完成する。
37分のB級ゾンビ映画は、後半の創作者たちのストーリーを経て、価値あるものに昇華されるのだ。出来上がった作品を知っているからこそ、後半のストーリーが映えるという捉え方もできる。相互に良い意味で補完し合っているのだ。
劇中カメラ目線で「カメラを止めるな!」と監督が熱い一言を発するが、前半37分を見ていた間は「なんだこれ」としか思えなかったのセリフに、それ相応の思いがあることを知る。
そういった関係者全員が血反吐を吐きながら(実際、血だらけになっていた)、協力しながら、一つの作品を撮るという熱い物語に仕上がっている。
ちなみに、ラストシーンの演出も憎い。
高い位置から撮影するためのクレーンが破損。番組提供側は生放送を止めないことを重要視しているが、監督としてはラストシーンを撮影することが作品にとって重要なので、何としても撮りたい。今まで自らの主張をしていなかった彼が、声を荒げるほどに。
一度は諦めかけるが、娘の提案で組体操のピラミッドで撮影することを決める。無事出演者やスタッフが組み立てたピラミッドの上から撮影は成功。
娘がピラミッド案を思いついたのは、監督が持ち歩いていた台本に、幼い娘との肩車の写真を貼っていたのを見たからだった。
それも撮影パートに入る前に、リハが上手くいかなくて泣きながら監督が昔の娘との写真を見て泣いているシーンがあり、しっかりと伏線を張っているのだ。
37分の作品で散りばめ抜いた伏線を回収しながらも、こんな仕掛けを用意しているなんて、もう頭が上がらん。
父親と娘ってのも、組体操ってのも、ズルいんだよね。組体操とかはさ、視覚的に一体感を生み出せるから最高の手法だと思うんだよ。「湯を沸かすほどの熱い愛」でもクライマックスで組体操使ってたけど、あれも感動しちゃうんだよね。組体操、ずるい。
おまけ:エンドロールも好き。
エンドロールで前半37分のメイキング映像が流れる。
実際はこうやって撮られたんだ、が分かって面白い。映画を撮る人の物語だったので、なおさらメイキング映像が面白い。
「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」がこの映画のコピーだけど、エンドロールはある意味「三度目のはじまり」だね。最後まで必見だよ。
【インクレディブル・ファミリー】復活のイラスティガール(感想:ネタバレあり)
見てきた。
ディズニーピクサー作品の中では「Mr.インクレディブル」が一番好きだった。
アニメガチ勢のディズニーピクサーが本気で超能力バトルを描いているだけでかなりのアドなのに、堕ちたヒーローの復活と家族の絆というテーマが個人的な好みとしてぶっ刺さっていた。姿を隠して活躍するヒーロー感が滲み出ているこてこてのテーマ曲も大好き。
で、本作である。原題が「incredibles 2」のところ、「インクレディブル・ファミリー」という邦題を付けたのはなかなか的を射ている。
本作ヒーローとして活躍するのはほとんどイラスティガール(=ママ)で、彼女が家庭を空けている間にMr. インクレディブル(=パパ)が子どもたち3人を抱えて家事に邁進するという構成。
クライマックスには家族全員がヒーローとして出そろうのだが、基本的には「久々にヒーローとして外で働くママ」と「今までヒーロー活動に気持ちを注いでいた中、家事育児と向き合うことになったパパ」の物語だ。
見終えた私は感動していた。本作が大好きなのだ。
女性が社会進出を果たし男性が家事をするという旧社会ではあまりメジャーではなかった、現代では当たり前になりつつある家庭像をユーモラスに、リアルに描いていたのも良し。「こういう家族っていいなあ」と視聴者に思わせてしまえば本作は勝ちであり、僕は少なくともそういう印象を受けたし、おそらく多くの人もそう思うであろう。
ヒーローファミリーではあるが、パー一家も普遍的な家族としての一面も兼ね備えており、その中で生活する登場人物達の心情が良くわかる。とても共感できる。
ピクサー作品にありがちなキャラクターに語らせちゃう説教臭い印象も本作はあまり受けない。キャラクターの表情や行動でしっかりと観客に伝えたいことを表現できている。
また、ヒーロー映画としてもしっかりと成立しているのもポイント高い。
はっきり言って、怪力のMr. インクレディブルよりも、身体が自在に伸縮出来るイラスティガールのほうがアクション映えする。本作のアクションは最高にクールで、特殊能力同士がぶつかる戦闘も最高だった。
おおよその感想は以上の通りだが、お気に入りポイントを説明していくぞ。
以下ネタバレ開始。
300字でわかるざっくりなあらすじ。
前作で活躍したのは良いものの、ヒーローは依然違法行為。
とあるお金持ちがヒーロー行為の合法化を目指し、イラスティガールに活躍の機会を与え、市民の支援を得ようと考える。ママはその提案に乗り、彼女がヒーロー活動に邁進する間、パパが家事育児の担当に。
目論み通りママはヒーローとして活躍し、ヒーロー活動合法化まであと一歩のところで、本作のヴィランであるスクリーンスレイヴァー(ヒーローを支援している資産家の妹)の策略で洗脳されてしまう。パパやヒーロー仲間のフロゾンも敵の罠にはまり、洗脳状態に。
しかし子どもたち3名の活躍で洗脳が解け、スクリーンスレイヴァーもイラスティガールの活躍で逮捕。無事ヒーロー活動は合法化されました。
こんな感じ。本作の主人公は間違いなくイラスティガール。彼女が事件を追う形で物語が進んでいき、その間ママがいない家族がどのように過ごしているかを挟んでいくという構成。
予告とキャッチコピー「家事!育児!世界の危機!」は完全に売るための戦略ですね。前作同様パパが主役で一家団結して世界を救う~的な触れ込みの方が、確かに人は集まりそうだ。
以下、せっかくだから家族の皆様ごとに良かったところを紹介するぞ。
ヘレンのアクションが楽しい
前述したが、間違いなくアクションは前作よりクオリティが高い。
序盤暴走した列車を止めるアクションシーンがあるのだけれど、まず暴走している列車をバイクで追いかけるのね。バイクの構造が前後で分離するようになっていて、その機能と全身が伸びる能力を生かして、障害物を交わしながら街中を走り抜けるわけさ。
ママ自身もパラシュートとして滑空する能力があり、ゴムの力を利用した跳躍力もあるので、バイクも合わせれば陸空両方を結構な速さで移動できるわけよ。そのスピード感がたまらなくいいのね。
また、後半味方のヒーローで空間を超えるワープホールみたいのを生成できるヒーローが現れるんだけど、彼女の空間移動能力とヘレンの伸びる能力が掛け合わされたアクションも面白いから必見。
こればかりは劇場で見てくれとしか言いようがないので、ぜひ見てほしい。
アクション以外のところなら、パパの陰に隠れてしまっていた現役時代から打って変わって、ヒーローとして脚光を浴びながらも家庭のことは忘れず、家事をしているロバートがいるからこそ活躍できているという気遣いを忘れていない彼女の人間力の高さが好き。
父親の家庭での無力感と成長
ロバートは家事育児ほぼ初体験。序盤ヒーローとして活躍したい!ばかり頭に浮かんでいた彼が、子供たちと向き合い、最後には「立派な父親になりたい」という気持ちで家事育児に取り組み、実際認められるという分かりやすいサクセスストーリーを踏んでいて、ヘレンのヒーローパートの「ついで」にならない出来栄えだった。
スーパーヒーローとして活躍していた彼が、家事育児で疲弊してボロボロになっている様は「育児の大変さ」を端的に表現できているし、ヘレンが大活躍しているニュースを見て嫉妬をしつつも、ヒーローとして活躍したいという感情を抑え、電話で妻を励まし、3人の子どもの三者三様の問題に必死に食らいついている様は父親のロールモデルを見ているようだった。結婚してないけれど、何だか「勉強になります」って気分だった。
ちなみに彼は終盤、娘のヴァイオレットにインクレディブルな父親と最上級の誉め言葉を受け取っている。ヒーローでは味わえない最高の父親としての喜びだよな、羨ましい。まさしく分かりやすく、かつ最高の成功体験である。
コメディ枠ジャックジャック
赤ちゃんだから何をしていても可愛い。何をしでかしても面白い。なおかつスーパーヒーローの能力を17(だったと思う)も持っているのだから、画面映えもする。
庭で遭遇したアライグマとの戦闘は必見。
可愛い枠ヴァイオレット
自らの正体を知ってしまったボーイフレンド(日本人的に言えば、片思いしている男の子)の記憶が消されてしまい、反抗期を迎える。
前作に引き続き、可愛い枠として大活躍している。思春期をこじらせた女の子、というだけでかなりのコンテンツ力だ。
父親の失敗を容赦なく責める枠かつ、最高の賛辞を贈る役として、ストーリー上でも大きな貢献をしている。
透明になる、バリアーを張るなどの戦闘映え・ヒーロー映えする能力を持ち合わせているので、後半の子ども達3人で両親を助けに行くシーンも
そして、ダッシュ。
何も考えないピュア枠として、頑張っていた。
本作は彼が活躍したポイントはあまりなかったような気がする。
前作はヒーロー行為に憧れていたっていう部分で物語上役割を持てたけど、今回は他の子ども達と役割被っちゃった上にジャックジャックとヴァイオレットのコンテンツ力高めだったから、仕方がない。
おまけ
本作はエンドロール後の映像なしだけど、エンドロール中にヒーローたちのテーマソングが流れるからお楽しみに。
【ジュラシック・ワールド/炎の王国】Welcome to ようこそジュラシックワールド!(感想:ネタバレあり)
いきなりネタバレます。
どったんばったん大騒ぎ。見てきたので、簡単に感想を書きます。
タイトルが「ジュラシックワールド」たる所以がラストシーンで判明するわけだが、「なるほど上手だなあ」と思った。
前作はテーマパークの名前が「ジュラシックワールド」だったけれど、本作はこの世界こそがジュラシックワールドという意味だったんだね。「Fallen Kingdom」を活火山で沈んだ島を指すのか、我々人間一強の世界を指すのか、ここは邦題の見せだったけれど、「炎の王国」と訳したってことは前者って解釈だったんだねえ。
軽くネタバレしながら面白かったポイントを書いていくぞ。
一言で言うと、「だいたい思った通りのジュラシックワールド。でも、前作の方が好き。2作で合わせてみると、二作とも好き。」
って感じ。
400字のあらすじ
前作のジュラシックワールドは閉鎖。島での活火山の影響で、そこに住んでいた恐竜たちが絶滅の危機に。
恐竜大好き財団の協力を得て、彼らを救おうとクリスプラットらは島に向かったが、それは恐竜大好き財団の罠だった!
財団の悪い人々は、島から恐竜達を巨大な屋敷に連れて帰り、オークションを始める。そこには遺伝子工学でラプトルの頭脳とインドなんとかの狂暴性を兼ね備えた「インドラプトル」もいた。そのインドラプトルが檻から出てきて大変なことに!
色々あったけれど、島から拉致されてきたラプトル(前作からクリスプラットが手懐けていた味方ポジション)と協力して、インドラプトルを撃破。
オークションのために拉致られた恐竜達は屋敷から世間に解放され(毒ガスにまみれて死にそうになっていたので、女の子が助けた)、我々人間の住む世界が、恐竜と共存する世界、あるいは恐竜に支配されるかもしれない世界になってしまいました。
って感じ。
タイトルや予告映像の影響で「火山で飲み込まれそうな前作の島が舞台なんだな」と勝手に想像していたけれど、序盤で島からは脱出して、物語のほとんどは恐竜たちが拉致された先の屋敷内で展開される。本作の凶悪な敵ポジションであるインドラプトルとの追いかけっこの舞台もだ。
映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』日本独占!【最終予告】
↑この感じはさぁ・・・。確かにインドラプトルのシーンは全部人工物っぽいけれど、やっぱりジャングルとか火山とかを期待しちゃうよね。ラストカットが島で吠えるTレックスだし。
「ジュラシックワールド」シリーズとして見たときの完成度の高さ
前作は「自然の中に恐竜が生活していて、その近くに人間が観光できるような人工施設がある」という舞台設定だが、本作は「人口施設の中に自然(=恐竜)を持ち込み、その中で恐竜が大暴れする」という設定。
これについては完全に好みの問題だが、ジュラシックワールドに僕が期待していたのは「大自然の中で生きる恐竜達と太刀打ちできない人間」という前作っぽい内容だったので、少々期待外れではあった。
しかし、「本作だけで見たら、ちょっと残念という」だけだ。
もちろん僕らがジュラシックワールドに求める要素は余すことなく盛り込まれていたので、「こんなのジュラシックワールドじゃない!」と思うことはないから安心してほしい。本作単独で見ても、十分面白いんだ。
しかし、本作の本領は「ジュラシックワールド」の続編としての「ジュラシックワールド/炎の大国」という立ち位置の下発揮される。しっかりセットで見るべき作品なのだ。
私が感心したのは4作目「ジュラシックワールド」から5作目「ジュラシックワールド/炎の大国」のストーリーの流れである。5作目で4作目から描いでいたテーマを回収してきたなぁと感心した。
確かジュラシックワールドでも人間が遺伝子操作をして過去の動物を生み出すという行為に対する傲慢さを描いていたと思うけれど、本作についてもそのテーマは一貫していて、本作のオチで「人間が管理するのではなく、恐竜と人間が同じ世界を生きる」という形で傲慢さの行きつく果てを描いていた。
恐竜の前に成す術がない人間を散々見せつけた後、人間界に恐竜が当たり前にいる世界を描写するインパクトは結構なものだ。クリスプラットはラストシーンで神妙な顔をしていたけれど、まともな人間ならそんな余裕ではいられない。
もし続編が創られるのならば、今度は限られた人間が作り出した建物の中だけではなく、世界中がジュラシックワールドとして描かれた物語になるだろう。それはそれで楽しみなので、「3部作で完成する傑作」になりえることを僕は楽しみにしている。
今回のオチ
なんてことを書いていた割には、ジュラシックワールドは劇場で見たっきり復讐してないので、鮮明に覚えていないのがこの記事を書く上での最大の問題。
きっと、前作の記憶を鮮明にさせたほうがもっとの楽しめるので、ぜひDVDで「ジュラシックワールド」を見た直後に「炎の大国」を観よう。
【劇場版ポケットモンスター みんなの物語】今年のポケモン映画は一味違うぞ!(感想:ネタバレほぼなし)
見てきた。
昨年の「キミにきめた!」に引き続き、TV本編とは全く関係のない設定で展開される本作。昨年の出来が良く、右肩下がりであった興行収入を立て直したこともあり、今年の映画にも期待している人は多かったのではないだろうか。
↑TV放送されたときはこの記事へのアクセスが爆発的に伸びた。やはりみんな注目していた作品なのだろう。
「みんなの物語」は今までのポケモン映画と違ったベクトルで楽しめる、個人的には好きな映画だった。
「みんなの物語」というだけあり、従来のサトシとピカチュウを主人公とした、伝説のポケモンとのドンパチを通じて一つのテーマを描く物語とは全く違った構成となっている。映画のオリジナルキャラクターがポケモンとの触れ合いを通じて成長する群像劇に近しい物語であった。
ぼちぼち感想を書いていくぞ。
◆サトシだけが主人公ではない。
前述したが、この映画は従来のポケモン映画とは全く違う構成をしている。
物語の中心に常にサトシがいるわけではなく、サトシはあくまでもポケモンとの絆を他のトレーナーよりもうまく築けているモデル的なトレーナーであり、一人の登場人物に過ぎない。
キャラクター|ポケモン映画公式サイト「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」
登場人物紹介のところを見ていただければわかるが、顔なじみのキャラクターはサトシとロケット団のみ。
いつもの劇場版ならばサトシに達の周りにちょこまかついているモブっぽいキャラクターが多いように見えるが、彼らが全員主役級の活躍を見せる。
これが今作で一番思い切ったところだった。サトシを中心とした物語ではなく、ポケモンとの関わりを持つ人々の普遍的な物語。各々のバックグラウンドを持った登場人物がポケモンとの関わりを通じて成長していく、いわば全員が主人公の物語となっている。
とは言ったものの、キッズがちゃんと楽しめるように、ちゃんと起承転結があるストーリーになっている。決して、例えば「トレーナー、リサの場合」と言ったようにショートエピソードがいくつも連なっているような構成ではない。
様々なトレーナーがポケモンと協力しながら、街で起きた事件の解決に臨むという大きな筋書きはあるし、その筋書きは破綻せずしっかりと視聴者の気持ちを掴んでいる。その大きな筋書の中で、各トレーナーの人物像や彼らの心情を丁寧に描ききった(サトシ含めてメインキャラクターは6人近くいる。並大抵なことではない)ことが、本作の魅力に繋がっている。
◆ポケモンパワーはすごい。
メインキャラクター6名全員が主人公とはいったものの、大ベテラントレーナーのサトシと相棒ピカチュウの立ち位置はやはり別格である。トレーナーとポケモンの理想の関係を築いた彼らは本作における他の登場人物にとってのロールモデルであり、英雄的な存在となっている。
ピカチュウとの硬い絆で結ばれたサトシによる「一人じゃ出来ないことも、ポケモンと一緒ならやれる!※」という言葉が他の登場人物5名の気持ちを変えていく。
※このことを、劇中で「ポケモンパワー」とサトシが名付けた。絶妙なダサさがたまらん。
かつて陸上競技に打ち込んでいたが、ケガをきっかけに走れなくなってしまったリサ
研究者としての能力が高いが、自信がなく物事をはっきり言えないトリト
姪を喜ばせるために嘘をつき続けるカガチ
かつて愛するポケモンを失ったヒスイ
※メインキャラクターのうちの1名、ラルゴについては後述。
彼らが一つの事件を解決するために一致団結し、ポケモンの後押しで変わっていく様を劇場で見せつけられるのである。見せ場が4回もあるんだぞ、こんなに贅沢な映画があるか。
繰り返しになるがこれまでの映画は基本的には「サトシを中心としたメインキャラクターとポケモンの絆」がテーマであったが、本作は"みんなの物語"とすることで「トレーナーとポケモンの絆」を描いていた。
自分とは違う主人公とポケモンの物語ではなく、「ポケモンの世界にいる自分かもしれない誰か」とポケモンの物語なのだ。だからこそ普遍的なポケモン世界を生きるトレーナーとポケモンの物語になっていたし、感情移入もしやすい内容になっていると思う。
僕は今年、初めてポケモン映画を見て涙ぐんでしまった。カガチが・・・カガチとウソッキーが良いキャラしてるんだ・・・
◆ゼラオラのちょうどいい扱い
ポケモン映画と言えば幻のポケモンの活躍だが、本作の幻枠であるゼラオラもなかなか良いキャラクターをしていた。
ある事件をきっかけに人間を信頼しなくなったゼラオラが、ラルゴという女の子との交流を通じて心を開き、最後には人間と和解、街で起きた事件を一緒に解決するというのが彼にまつわる本作の大まかな話の流れである。
ポケモン映画ではありがちな展開だが、本作における彼の役割、というかラルゴと彼の関係性が持つ役割は大きい。
本作のテーマは、前述したポケモンパワーに凝縮されており、要は「1人じゃ出来なくても、ポケモンと一緒なら頑張れる!前に進める!」であり、そのテーマを様々な人間とポケモンとの交流の中で描いてきたわけだが、ラルゴとゼラオラの関係においては主体が逆なのだ。
ラルゴが終盤に「トレーナーは、ポケモンと一緒に居ると頑張れる。ポケモンも、トレーナーと一緒に居ることで幸せになれたらいいなぁ」(ごめん、正確なセリフは忘れた。)的なことを言うのだ。そして、クライマックスでゼラオラは人間の皆の声援を受けながら、力を振り絞って鉄柱と闘う(詳細は劇場で見てください、適切な表現が思い浮かばない)。
つ、ま、り、ラルゴとゼラオラの関係はあくまでもポケモンが主体になっており、彼らの視点があるからこそ、トレーナーにとってのポケモンの立ち位置を一方的に語っている独りよがりの映画にならず、トレーナーとポケモンがパートナーであることをしっかりと印象付けることが出来ているのだ。
去年のマーシャドーに比べると、本作のゼラオラはしっかりと物語の中で役割を持てていた印象。メインの伝説ポケモンと幻のポケモンの扱いで物語に歪が生まれている作品もそこそこあるので、本作はとてもうまく構成していたと言えよう。脚本完璧なんだよなあ。
◆おまけ
まぁもはやポケモン映画は心配することないけれど、今年も声優の皆様は違和感なく仕事をしてくださっていました。個人的には濱田岳の優しい声が好き。
来年はミュウツーの逆襲のリメイクもしくはリブート版みたいだ。今年から監督が変わったけど、本作を創った人なら期待できる。ぜひ頑張ってほしい。
【未来のミライ】ホームビデオ感(感想:ネタバレあり)
見てきた。
細田守監督作品は「時をかける少女」から「バケモノの子」まで見ていて、「サマーウォーズ」までは好きだったけれど、以降は「やりたいことは分かるけど・・・分かるけど!」といった印象。
で、満を持して「未来のミライ」を視聴してきたわけだが、これがとてもよかった。
スタジオ地図作品の中では、一番シンプルで、物語が分かりやすい。
「時かけ」や「サマーウォーズ」のようなSFではないし、「バケモノの子」や「おおかみこども」のようなファンタジー的な特殊な設定もない。
端的に言ってしまうと、家族の日常を切り取り、主人公のくんちゃんが少しずつ成長していく話なのだが、その成長のファクターとして、くんちゃんと「未来のミライちゃん」をはじめとしたさまざまなキャラクターとの関わりが描かれている。
僕が劇場で見た予告映像から勝手に想像していた物語とは大幅にずれていたわけだ。
「くんちゃんが生きる世界(現代)」⇒「未来のミライちゃんとくんちゃんが時間・空間を超えた大冒険に出る」⇒「くんちゃんが成長して元の世界に戻ってくる」
ってシナリオなんだろなーと勝手に想像していたのだけれど、ハズレ。
むしろこの物語の主軸はくんちゃんが生きている現代にあって、
「現代」⇒「くんちゃんの空想?の世界(=未来のミライちゃんや、子どもの頃のお母さん、などなど)」⇒「現代」を繰り返していく構図。
したがって、少々メリハリのない印象を持ってしまい、多少退屈してしまう一面もあったのだが、そこら辺はアニメーションならではのキャラクターの豊かな表情だとか、コメディ要素だとか、絵の美しさ(未来の東京駅のシーンの描写は度肝を抜かれた)とかで、補えていたと思う。
しっかり起承転結で構成されている物語っていうよりも、家族の関係をリアルに丁寧に描写したシーンが連続しているホームビデオのような印象。結婚式で流れる新郎新婦の生い立ち映像を見ているような温かな感動を覚えた。
以下ネタバレ込みで細かいツボポイントを書いていくぞ。
演出力
あまり詳しいわけじゃないので、ざくっとしたことしか言えないけれど、人の感情を表情や動きで描写したり、時間の経過や小さい子どもがいる家庭における家事の慌ただしさをカメラワークで表現するのが抜群に上手い。
起承転結的な構成をしていないと前述したけれど、なのに面白い、魅力的な作品に仕上がっているのは、この演出の力にあると思う。
くんちゃんの家族が住んでいる家はざっくりこんな感じなのだけれど、各階の様子を横から映したカメラをせわしなく動かして、忙しさ、慌ただしさを表現しているところがあって、とても好き。
庭が過去や未来に繋がっている
くんちゃんが庭に行くと、空想モードがスタートする。
くんちゃんは作中、時を超えて色んな場所に冒険に行くわけだが、「これおかしくね?」という風にならないのは、起点が庭にあることに終始しており、「まぁ小さい男の子の想像の世界なんだな」となんとなく合点がいくから。
飼い犬が擬人化されたり、未来のミライちゃんが現れたり、子どもの頃のお母さんの家に遊びに行ったり、青年時代のひいおじいさんとバイクに乗ったり、未来の自分自身に出逢ったり。
とにかく、くんちゃんは時空を超えて自らの家族との出会いを重ね、その結果少しだけ成長して元の世界(空想ではない現実)に帰ってくる。
分かりやすいところで言うと、例えば自転車に乗れなかったくんちゃんが、空想の世界でひいじいさんとバイクに乗った後、現実世界で自転車に乗れるようになっている、とか。そういう親から見て子どもがちょっと成長したな、と思えるような小さなエピソードの背景を、庭の空想世界が補っているような形だ。あくまでも現実世界で起こっている出来事は、「こんなことないでしょ」と違和感を持つようなものではなく、ちゃんとリアリティあるものに終始しているのがポイント高い。
この作品のテーマは分かりやすくて、家族の絆、とか家族のつながり、とかそういったものだ。それを未来と過去の家族に出逢うエピソードを重ねることで表現したのがこの映画。
物語のクライマックスはくんちゃんが未来の東京駅で迷子になってしまい、未来のミライちゃんが助けに来た後「家族の記憶」がアーカイブされた空間を二人で眺める場面なのだけれど、その時のミライちゃんのセリフが、細田守監督が描きたかったテーマそのものだ。
言葉にしなくても視聴者なら大体わかるのに、とは思ったけれど、言いたいことをすべて説明してしまうのが近年の映画の傾向だからしょうがないかな。
(おまけ)声優について
名だたる有名俳優が本作の声をあてているが、違和感は全くなかったので、そちらについてはご安心を。
まとめ
時かけやサマーウォーズには及ばないものの、物語に矛盾や違和感を生じさせない(まぁそもそも今作は起承転結から外れたのっぺりした物語だったという前提はあるが)とう意味では、スタジオ地図作品の中では3番目に好きな作品でした。
もう一度、まったりと家で見たい。