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【ブレードランナー2049】ブレードランナーを見てなくても楽しめる(感想:ネタバレなし)


映画『ブレードランナー 2049』TV Spot④

 

実は私、SF物はあまり得意ではない。「ブレードランナー」のような設定が凝っていて舞台背景をよく知っていないと「???」という作品は特に。

それでも、「ブレードランナー2049」の前作にあたる「ブレードランナー」はSF映画の名作と言われているので、映画好きを公言しているからには見ないととダメでしょうということでDVDで鑑賞済み。で、「2049」の方も友人に誘われたから見に行ってみようということで・・・。

 

見てきました。

しかも新宿TOHOシネマズのMX4Dで見てきてしまいました。

 

せっかくなので、その感想も含めて書いていきたいと。「シンゴジラ」がMX4Dのデビューだったんだけど、「ブレードランナー2049」の方が、MX4Dのクオリティは高かったなあ。

 

ちなみに、「ブレードランナー2049」僕は解説が出来るほど詳しくないので、ネタバレはなしのオススメ記事として書かせていただきますね。

 

そもそも、どんな映画か。

TOHOシネマズのあらすじから引用。

2049年、貧困と病気が蔓延するカリフォルニア。人間と見分けのつかない《レプリカント》が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。危険な《レプリカント》を取り締まる捜査官は《ブレードランナー》と呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を守っていた―。LA市警のブレードランナー“K”は、ある事件の捜査中に、《レプリカント》開発に力を注ぐウォレス社の【巨大な陰謀】を知ると共に、その闇を暴く鍵となる男にたどり着く。彼は、かつて優秀なブレードランナーとして活躍していたが、ある女性レプリカントと共に忽然と姿を消し、30年間行方不明になっていた男、デッガードだった。 

うーんまさしくSFって感じ。

 

ちなみに、初代「ブレードランナー 」の主人公がデッガード。前作の主人公が登場する、ファンとしては熱い展開だね。

 

ちなみに僕は「ブレードランナー」を見たんだけど、内容ほとんど覚えてない状態で「2049」を鑑賞。それでも十分楽しめたから、初代をよく覚えていない人も安心して見に行ってほしい。

 

しかし、当然「ブレードランナー」初代の内容は分かっていたほうが楽しめるので、時間がない人はwikiのあらすじを見てから劇場に足を運ぼう。

 

没入感ある「未来の世界」が楽しい

2049年の世界を描く本作。ストーリーの面白さはこの後書くので、まずは魅力が伝わりやすいところから。

SF作品といったら僕はスターウォーズスタートレックを思い出すんだけど、僕はそれらを見るとき、どうしても「フィクションでしょ」と思ってしまう。ハリーポッターロードオブザリングを見ているときと、全く同じ気持ちで見ているのだ。

 

これはただの僕の私的な考え方であり、暴論である。でも、なんとなく分かってくれる人もいると思う。

「自らの生きる世界とは、全く違った世界の話。」

多くのSF作品を見るとき、僕はそんな気持ちで見ている。

 

ジャンルがどうこうの話はどうでもいい。なぜこんな話をしたのかというと、「ブレードランナー2049」は「本当に2049年になったらこんな世界になるんじゃないか」と視聴者に思わせる力がすごいということを言いたかったからだ。

 

自分たちとは違う世界というよりは、自分たちが生きる世界の延長線上にあるリアルな未来を見ている感覚。

本作は2時間44分もある長編で、話が複雑なのでかなり敷居は高い方だと思うが、何も考えずに映像を見ているだけでも、未来の地球を見ているようで楽しいというのはかなり見ている側としては励みとなった。世界観が作り込まれていて、没入出来たからこそ難しいストーリーが理解できたとも言える。

 

抽象的な話だけしてても仕方がないので、物語の本筋に関わらないところで感心したところを書いておくと

◇主人公のKの恋人が、リアルなホログラムっぽい人工知能

◇保存用のメディアが球体のガラスっぽい素材で出来ている

◇女性の爪装飾を溶接で行う

・・・結構どうでもいいことばっかりだったな。Kの恋人は本作で結構活躍するからどうでも良くはないんだけど。

でも、こういうどうでもいいような日常的なワンシーンに、「あ、これあり得そう」が散在しているのが楽しいわけだ。荒廃的な街の雰囲気も近未来的でみているだけで刺激的。

こういう世界観に浸れるだけってだけでも、まぁ楽しむことが出来たってわけだ。

 

思ったよりもドンパチ主体ではない。

派手な銃撃戦や激しい肉弾戦が繰り広げられる作品を想像していたのだけれど、予想と異なり本作は本格的なミステリー映画(=主人公が謎を解き明かすことを目的とした映画)であった。

ネタバレ一切なしなので、あまり詳しくは語れないが、カギを握る人物を探るうえで、主人公の出自や前作主人公デッガードとの関係性の謎など、一つ物語が進展する度に新たな謎が生まれ、観客へのミスリードを華麗に仕向け、結果的に「こういうことかよ!」と膝を打つ感じのオチとなっている。

よくあるスパイものやアクションもののように主人公がドンパチをして敵をなぎ倒すという内容ではなく、ミステリものが好きな人が楽しめる頭を使う映画だということだ。

そういうジャンルが好きな人には、ハマる映画かもしれない。

倫理観が問われる

人造人間を労働力として使っている世界観。その中で、「生命とは何か」を問うようなやり取りが散在する。人間、レプリカント、そして生き物ではない人工知能も主要人物がいる中、様々な人物が社会や人間の在り方についてそれぞれの哲学を持っている。

僕は頭が悪いので、先の展開の予想ばかりしていてこのような哲学的なやり取りは結構流してしまっていたのだけれど、割と良いこと言ってた気がするので、そういう雰囲気が好きな人はぜひ注目。

個人的には人工知能に対して、人造人間が「あなたは空っぽ」というシーンがグッと来たな。人間同様に思考する人工知能と、人造人間って何が違うんだろう?と心に引っかかっている。

 

しかし、2時間44分は長すぎる。MX4Dはありがたかった。

全体的に面白かったが、流石に2h44mは長すぎだ。途中で退屈する場面もいくらかあった。画も悪くない、脚本も面白いということで、退屈しにくいクオリティをおおよそ保てていたからよかったものの、もう少し短くまとめることは出来なかったのかとは何度も思い返す。

 

私は4DMXで本作を見たのだけれど、あの様々なギミックは退屈をしのぐうえで大いに貢献してくれたので、本作に限っては4DMXで見れてよかったと思っている。

www.tohotheater.jp

 

例えば

◇煙が立つシーンでは、スクリーンの前に実際に煙が立つ。

◇シャワーが出るシーンで、顔面目掛けて水しぶきが飛んでくる。

◇ウィスキーを注ぐシーン、花を手に取るシーンで、ウィスキーや花の匂いがする。

◇偵察用ドローンの動きに合わせて座席が動く

などなど。

 

シンゴジラでは椅子が揺れるとか左右のライトがちかちかするぐらいだった気がするけれど、「ブレードランナー2049」はMX4Dの機能を存分に活かしきっていた。

まだ公開しているかわからないけれど、4DMXで見れる劇場があるならぜひ足を運んでみてほしい。ちなみに、通常料金+1600円。結構高いが、それだけの価値はある。

まとめ

ブレードランナーってSF」という先入観を投げ捨てて見に行くと、結構楽しめる。しかし、長い。とにかく長い。長時間の視聴に耐えきれる人ならば、おおむね満足感は得られる作品でしょう。

 

余談だけど、「ブレードランナー」の原作って「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」なんだね。読書も好きで調べてるとよく「読むべき名作」として挙げられている作品だと思ってたけど、まさか「ブレードランナー」の原作だとは思わなかったよ。

 

 

 

【マイティ・ソー バトルロイヤル】戦闘もギャグもこなせるハルク(ネタバレあり)

marvel.disney.co.jp

 

見てきました。マーベルシリーズはやっぱり劇場で見ないとね。

今作でマイティ・ソーシリーズは完結と言われているのだけれど、集大成としてふさわしい作品だった。

他のMCU(マーベルシネマティックユニバース=アベンジャーズに出てくるヒーロー達の作品群。世界観を共有している)作品と比べて、マイティ・ソーシリーズは①登場人物の戦闘力の格が違うからスケールが大きくなりがちで、②基本シリアスだけど笑えるシーンが散在しているのが特徴だと思うのだけれど、「バトルロイヤル」もその特徴をしっかりと受け継いだ作品だったぞ。受け継いだ、というよりは過去2作よりもコメディ色をぐんと濃くした感じかな。

あらすじ(ネタバレなし)

以下、マーベルの公式から抜粋。

 

復讐に燃える最強の“死の女神”ヘラ VS. マイティ・ソー率いる型破りのチーム“リベンジャーズ”

誰にも止められない!限界突破のバトル・アクション・エンターテイメント。今、新『アベンジャーズ』へのカウントダウンが始まる!

アベンジャーズの一員ソーの前に<死の女神・ヘラ>が現れた。
復讐と野望に燃えるヘラは、ソーの故郷へ攻撃をはじめる。故郷を奪われたソーは、この最強の敵を倒すため盟友ハルク、宿敵ロキらと型破りのチーム“リベンジャーズ”を組み極限バトルに挑む。 果たして、ソーたちは史上最強の敵からこの世界を守ることができるのか?
死の女神・ヘラの復讐の目的は!?そこには、ソーの運命を変える秘密が隠されていたー。

新『アベンジャーズ』へのカウントダウンが始まる!

こんな感じである。

このあらすじが「あらすじ」として機能しているかどうかで、この作品を見て楽しめるかどうかが分かる優秀な内容となっている。

MCUシリーズを見てきた人は、ピンとくる。

見たことない人はピンとこない。

 

要は何が言いたいかというと、ソーシリーズの3作目でありながら、MCU系列の1端を担っている作品ということで、MCUシリーズを見ていないと内容を理解するのは厳しい。

なんとなく友達に誘われて見に行くのはお勧めしない。雰囲気で楽しめるかもしれないが、小ネタ等は一切楽しめない。そしてMCU作品の魅力は「分かる人には分かる小ネタ」にあるので(特にコメディ要素が強い作品においては)、知らないとただの凡作以下に成り下がってしまう可能性が大いにあるのだ。

 

少なくとも、以下4作は見ておいた方が良いと思われる。

・マイティーソーシリーズ2作

アベンジャーズ

アベンジャーズ エイジオブウルトロン

 

しかも「アベンジャーズ」は登場人物たちが主人公になっている作品(アイアンマンとかキャプテンアメリカとか)を見ていないと楽しめない内容となっているので、結果的には見なければいけない作品はどんと膨れ上がる。

マーベル・シネマティック・ユニバース - Wikipedia

作品は上記URL参照。

 

というわけで、20作近くに膨れ上がったMCU作品を見る気力がない人は、回れ右という感じだ。

大まかな流れ(以下ネタバレ)

①地獄っぽいところでソーと炎の巨人サーターが闘う。サーターは永遠の炎と彼が頭にくっつけている兜によって、ソーの故郷「アスガルド」にラグナロク(=原題のサブタイトルだね)を起こすことが出来るとのこと。そんなことはさせないぜ、とソーはサーターを撃破し、兜をアスガルドに持って帰る。


Marvel 映画「ソー バトルロイヤル」日本版予告 (原題: ソー ラグナロク)

0:10までが、映画の冒頭シーン。その後現れるのはヘラではなく、サーター。

 

②ソー母国に帰還。弟のロキが国王オーディンに化けているのを(=前作ダークワールドを参照)、看破。ソーとロキはオーディンを迎えに地球に。

 

③ドクターストレンジの手ほどきで、オーディンと再会。オーディンの寿命がその場で尽き、同時に彼が封印していたソーとロキの姉「ヘラ」が復活し、その場に現れる。応戦するが、ムジョルニア(ソーのハンマー)を破壊され、ソーとロキは宇宙の果てに吹っ飛ばされ、ヘラはアスガルドに帰還。

 

④ソーとロキはグランドマスターガーディアンズ・オブ・ギャラクシーに出てたコレクターと瓜二つ)が支配する星サカールに到着。ソーは賞金稼ぎのヴァルキリーに捕まり、闘技場で闘うことを強いられる。グランドマスターお気に入りの最強の戦士と闘い、勝ったら解放するという条件のもと、いざ闘技場へ。

 

⑤ソー、ハルク(=闘技場の最強の戦士でした)と再会。ハルクは理性を失っているので、普通に戦闘開始。ソーが雷神として覚醒し、ハルクに勝利しかけるが、グランドマスターの邪魔が入り、結果的にハルクが勝利。


映画『マイティ・ソー バトルロイヤル』日本版予告編

1:26ぐらいの目が光ってビリビリしてるシーンが、ソーが雷神として覚醒している状態(このシーンはハルクと闘っているときのシーンではないけど)。一瞬覚醒しただけなので、本格的に力を使いこなすのはこの後ヘラと再戦したとき。

 

⑥闘技場での戦闘後、ソーとハルクは意気投合。ハルクが乗っていたクインジェット(アベンジャーズエイジオブウルトロンのラストでハルクが乗っていたクインジェットが、サカールに辿り着いたらしい)でアスガルドへの帰還を企てるが、ハルクが暴走して失敗。この際、クインジェットで流れたブラックウィドウの映像で、ハルクはブルース(人間状態)に戻る。

 

⑦ソーとブルース、そしてかつてアスガルドの戦士だったヴァルキリー、ロキは協力して、グランドマスターの宇宙船を奪い取り、アスガルドへの帰還を再度試みる。ロキはお得意の裏切りをソーに看破され、サカールに残ることになるが、ソー・ブルース・ヴァルキリーは無事アスガルドへ帰還。

 

⑧ソーとヘラ再戦。ソーは右目をつぶされる。

 

アスガルドの民を逃がそうとしているヘイムダルとブルース、ヴァルキリーが合流。ヘラの猛犬と兵に囲まれ絶体絶命となるが、ブルースが再度ハルクに覚醒し、ロキがサカールで闘技場に幽閉されていた戦士たちを率いて登場。形勢逆転。

 

⑩ついでにソーも雷神として覚醒。しかしヘラはピンピンしていて、勝てないと判断。ソーはロキに指示をし、永遠の炎と兜でサーターを復活させる。結果、ラグナロクが起きてアスガルドはヘラごと消滅。ソー、ロキ、ヴァルキリー、ハルク、ヘイムダルアスガルドの民、サカールの闘技場にいた反乱兵たちを乗せた宇宙船は、地球に向かうことに。

↑ここで本編エンド。

 

⑪エンドロール中、ソーを乗せた宇宙船が、何十倍もある巨大な宇宙船に進路を阻まれる映像が流れる。

↑おそらくここから、アベンジャーズインフィニティウォーに繋がるのだろう。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとソーが合流するんじゃないかな。

 

以上、粗々だけど、全編の流れはこんな感じである。

ここで1点気になったのは、ブルースの行方について。


「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ MovieNEX」ソーとブルース・バナー=ハルク

 

本作「バトルロイヤル」では、ハルクはエイジオブウルトロンのラストに乗っていたクインジェットでそのまま宇宙に来たことになっているが、この映像ではシビルウォーが開戦される前に、ブルースにトニーから連絡が入っていることになっている。

これって矛盾してないか?何か僕が見落としていることがあるのだとしたら教えてほしい。

 

本作の魅力① ハルクコント

思考能力が極端に落ちたハルクを中心とし、笑えるシーンが散在。

ちゃんと面白いと認識するために、過去作を振り返ってから見る様にしよう。

例えば

1. ハルクへのトラウマがすごいロキ

ソーとハルクが闘うシーンでは、ロキは観客席にいるのだけれど、ハルクが登場した瞬間のリアクションがまず面白い。ヘラを目の前にしてもあくまでも冷静だったのに、ハルクを遠目に確認しただけで異様なまでに震えあがるロキ。

 

アベンジャーズ」でハルクに散々床にたたきつけられ、ボロ雑巾のようになってしまった哀れなロキを覚えているだろうか。

闘技場でソーとハルクが闘ったときに、そのシーンがソーとハルクによって再現されているのだけれど、その時のロキの喜び方がまた面白い。

思い知ったか!!!とか言ってた気がする。

 

2. ブラックウィドウとのやり取りを弄るソー

アベンジャーズ エイジオブウルトロン」では、ハルクの暴走を宥める役としてブラックウィドウが活躍。彼らの関係性にも進展がみられ、「バトルロイヤル」でハルクの暴走を止めたのもブラックウィドウの映像であったが・・・。

「エイジオブウルトロン」でブラックウィドウがハルクを宥めるときに「日が沈む」とセリフを投げかけていたのだけれど、「バトルロイヤル」では執拗なまでにソーがブルースに対してそのセリフを繰り返す。

理性を取り戻したら異星にいたブルースは当然不安になっているのだけれど、その様子を見て何度も何度も「日が沈む日が沈む」とソーが神妙な面持ちで宥めようとしている過去作の感動を踏みにじる容赦ないネタ。

「バトルロイヤル」、間違いなく意欲作である。

3.自称最強のソーと、他称最強のハルク

我らが最高の皮肉屋トニースタークが本作でも活躍。クインジェットも当然スターク製なわけだが、クインジェット曰く「最強アベンジャーズ」はハルクで、ソーは「サーファーくん」とのこと。

「最強アベンジャーズ」と自称し、クインジェットに自らを認証させようとしたソーがトニーの前に崩れ落ちた瞬間だった。

本作の魅力② 王として覚醒するソー

アスガルドは場所ではなく民であるという決断をし、サーターを使ってアスガルドの地ごとヘラを葬ったソー。父であり国王であるオーディンを失い、圧倒的な敗北を経験した結果、王としての自覚に芽生えたソーは間違いなく本作ぶっちぎりのヒーローであった(見せ場はハルクの方が多かった気がするけどね)。

ロン毛を狩り、短髪にしたのもナイスイメチェンだし、右目を黒色の眼帯で保護した姿も「宇宙船の船長」っぽくていい。

インフィニティウォーに向けて、「頭悪いパワー系面白キャラ」であったソーの「ヒーローらしいカッコよさ」を伸ばすことに成功した作品だったと思う。

画面映えするハンマーによる戦闘が失われてしまったのは残念だが、雷を放出しながら生身の身体で敵を薙ぎ払うアクションも派手で見てて退屈はしないし、戦闘力もハルクと同等かそれ以上になったのではないだろうか。

 

本作の魅力③ いつも通りのロキ 

語るまでもあるまいが、憎めない悪役キャラが板につきすぎていて、作品を固める名わき役になっている。

本編で実の兄であるソーにも言われているが、「心を許したら裏切る」⇒「裏切ったと思ったら、ピンチのところで助けに来る」というテンプレート通りの活躍をしてくれるロキ。作品を重ねるにつれて登場人物のキャラクターは少なからず変わっていくものだが、ロキについては本当にいつも通りで見ているこちらとしては安心する。

 

なお、アスガルドで保管されていたキューブをロキはおそらく持ち出しています。今後も愛すべき悪役として活躍が期待されますね。

 

その他ちょいネタ

エンドロール後の映像について

巨大な宇宙船に行く手を阻まれる映像については前述したが、その後にも映像が流れる。

サカールで革命を起こされ、王から堕ちたグランドマスターの映像。

まぁ、本編には関係ない笑い系のオチがついた感じ。

マットデイモン

アスガルドでロキを讃える劇が公開されるシーンがあるんだけど、そこにマットデイモンが出てる。まさかとは思ったが、帰って来てググったらそうだった。

ラブロマンスの消失

マイティーソーシリーズ2作目まではちゃんとヒロインがいたが、本作では破局してます。パンピーに指摘されて大人な切り返しをするソー。

コメディとカッコいい戦闘に振り切り、余計な要素を切り落としたのは、作品のクオリティ担保という意味で素晴らしい判断だと思う。よく別れた。

浅野忠信

ヘラに虐殺されるが、それなりに見どころがあった。やったぜ、日本人。

移民の歌


Immigrant Song - Led Zeppelin

予告で流れていたのだけれど、戦闘シーンで流れてかなりマッチしていた。

音楽の使い方が上手いと映像の見栄えがかなり違ってくる。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズは劇中曲のセンスがずば抜けているが、それに準ずるセンスの良さ。

実際アスガルドの民は「移民」になったわけで、戦闘の賑やかしだけじゃなくてその裏にある意味合いも合致している。考え抜かれてるねえ。

 

まとめ

マイティーソーシリーズらしいコメディと戦闘映えを極限まで高めてぶっぱしたファンのための作品。思考停止で楽しめる良作でした。

 

 

 

見逃した昔の映画を映画館で観たいなら3選

映画を見ることが好きだが、パソコンやテレビで見るよりはやはり映画館で見たほうが作品に没入できる。外界の刺激をすべてそぎ落とし、映画と私だけの世界を作り出してくれる映画館が好きだ。

 

しかし最近は忙しくなってしまい、公開中の映画を全て拾い上げるのは難しくなってきた。「気になっていたけれど、上映が終わってしまった」なんてこともしばしば。

 

だから、私は定期的に、昔公開していた映画を上映している映画館のスケジュールを確認するようにしている。「あれ、映画館で見たかったなー」という作品があったら、見に行くという算段だ。

 

というわけで、私が利用したことのある「昔の映画を公開している映画館」を紹介する。

 

キネカ大森

www.ttcg.jp

「見逃した映画」系シネマとしては最強のラインナップを取りそろえる優秀な映画館。

<名画座2本立て>というシリーズで、既にDVDレンタル店に並んでいるような作品を1週限定で2本公開。ちなみに翌週には別の2作品が1週間公開されるので、毎週のように別の作品を楽しむことが出来る。

普通に公開している作品も、「既に劇場公開は終わりつつあるけれど、DVDレンタル店には並んでいない」といった作品が多い。例えば「三度目の殺人」や「ダンケルク」が11月4日~公開される、といったように(前者は3週間、後者は2週間公開なので期間は少々短めだが)。

 

ちなみに、<名画座2本立て>の方はいつでも一般1300円で見れるし、普通の映画を見る分にも、メンバーズカードを持っていればいつでも1300円で見れる(キネカ大森はテアトルシネマグループです)。

 

 テアトルシネマグループのカードは以下の参照。

midoumairu.hatenablog.com

 

なお、私は存在を知らなかったが、名画座キネカードと呼ばれる会員サービスもあるらしい。3000円で購入し、3回名画座を見れるとのこと。しかも3回見終えた後は、6か月間の間ならばいつでも1000円で見れるようになり、さらに5回見るごとに1回鑑賞が無料になる。とてもお得だ。

www.ttcg.jp

 

ちなみに映画館は大森駅付近の西友の5階にある。

小さい映画館ではありがちなことだが、席のオンライン予約が出来ないので注意が必要だ。実は行ったのがかなり前だったので記憶は定かではないが、確か席も指定ではなく入場した人から順に好きな席に座っていく形式だったと思う。

 

目黒シネマ

www.okura-movie.co.jp

 

こちらは前述したキネカ大森でいうところの<名画座2本立て>のみを常に上映しているスタイルの映画館。

常に2本の映画が公開しており、1週間ごとに上演作品が変更していくスタイル。

一般1500円。ウェブでチケットを出力して持っていけば、1400円。

ちなみにウェブサイトで明言されているが、1回1400円で入場したら2作品を同じ劇場で見ることが可能(2本を交互に上映しているため)。実質1本700円で見れるということだろう。ちなみに、僕は2本続けてみたことはまだない。

 

こちらも席はチケットを購入した方から順番に並んで、入場していく方式。ウェブ予約などはない。

チケットの券売機がラーメン屋でおなじみのチケット券売機なのがちょっとツボ。待合室に本が並んでいたりと雰囲気は最高である。

 

TOHOシネマズ新宿

hlo.tohotheater.jp

最後にメジャーどころをあげておく。

最新映画をばかすか深夜まで公開している優秀な映画館ではあるが、実はこっそり遥か昔に公開していた名画も上映してるのだ。

朝の10時~ 一日に1回だけ上映。今は野良犬という作品が公開されている。

調べてみたら、1949年の映画だった。

過去には「ローマの休日」が公開されていてびっくりした。

 

ピンポイントの上映なのでなかなか行けないが、最新の設備が揃った強靭な映画館で名作を楽しみたい方はチェックして見るといいかもしれない。

ちなみに、料金は一般1100円。安く設定されているので、お得だ。

 

以上、昔の映画を見たいなら3選でした。

見つけたら順次更新していくよ。

 

【オトメの帝国】百合はファンタジーである。

grandjump.shueisha.co.jp

 

面白いweb漫画を見つけてしまった。

「オトメの帝国」という岸虎次郎氏の作品。

最近「ジャンプ+」で1話から75話ぐらいまで一気に公開されていて、日々の楽しみにしている。既にコミックスは12巻まで発売されていて、グランドジャンプのHPの方では最新162話まで公開されている。

 

どんな作品かというと、グランドジャンプのHPから引っ張ってくるとこんな感じだ。

かわいくって好奇心旺盛。やかましいけれど憎めない。欲望に忠実なイマドキ女子高生の不思議な生態を、ちょっと覗き見してみます?新たな時代の先端をいく'10年代ティーンたちの、波乱に満ちた日々を描くセキララ百合コメディ!!

で、せっかく無料公開されているので、1話をまず読んでほしい。

www.s-manga.net

 

リンクを踏まない皆様に、さらにわかりやすく内容を説明すると。

 

◇とある女子高を舞台として、そこに通う女の子達の物語である。

◇男性はほぼ出ない。「オトメの帝国」なだけあって、女子高生だらけである。

◇5Pぐらいのショートストーリーをいくつも積み重ねていく作品である。

◇登場キャラクターは非常に多い。多種多様な女子高生の生活を楽しむことが出来る。

しかしキャラクターは使い捨てではないので、大きなストーリーの流れは存在する。

◇ジャンプ+で読むと登場人物の把握に時間がかかるが、どうやらコミックスには目次に登場人物表が描かれているようなので、非常にわかりやすい。

 

こういった感じである。まぁ説明を読むよりも、漫画を読んだ方が早いので(無料だ)、ぜひ読んでほしいのだが、そんなことを言ったらブログで取り上げる意味などなくなってしまうのである。

 

というわけで、何がそんなに面白いのかポイントを3つに絞って説明したい。

絵柄が妙にリアル

まずはここである。女の子が百合百合する作品は世の中には溢れかえっているが、大体それらの作品はまんがタイムきらら系の絵柄であり、極端なデフォルメが施されているものが多い。

いや、実際多いかどうかは分からないが、少なくとも僕が目にしてきた百合作品・女性だけが登場して彼らの生活を描く作品は非常に記号的なキャラクターが登場しているパターンが多かった。

 

しかし!漫画を読んでもらうと分かるが、「オトメの帝国」は絵柄が基本リアル路線である。流石青年向けコミックス、必要以上に目が大きかったり、人間とは思えない等身をしていることもない。

画力が高い上に、そして時々出てくるデフォルメされた絵も可愛らしい。

 

なので、まるで「本当の女子高生の生活」を読んでいるような感じで、没入感がある。

(ちょっと変態っぽくなってきたが、もうこの漫画を勧めている時点でその辺は覚悟している)

「はいはいフィクションフィクション」という前提をまずはぶっ壊してくれるのだ。あのリアリティのある絵柄が。

 

後述するが、この絶妙なリアルさというのがまずは大切なのである。

百合はファンタジーであるが、初めから「ファンタジーっしょ?」と斜に構えてみてしまうか、没入できるかでその価値は大きく変わってくるのだ。

ありそうな女子高生の生態と、あり得なさそうな百合感のバランスが良い

「セキララ百合コメディ」と記してあるぐらいなので、女の子の恋愛を描きながら、コメディ漫画であるのだが、それだけだと「はっはーフィクションだぜー」で終わってしまう。

 

しかし、「オトメの帝国」の素晴らしいところは、女子高生が「それっぽい」のだ。だから、彼女らがふざけている様子も「あぁこういうのが女子高ではあり得るんだ」と思えるし、一見なさそうな女の子同士の恋愛についても「あぁ!こういうのが女子高ではあり得るんだ!!!」と感嘆することが出来る。

その「それっぽさ」をどうやって演出しているのかの説明は難しいが、「登場人物が何を考えているのか」をかなり丁寧に描写しているのは、その「それっぽさ」に関連している部分だと思う。リアルにいる人間らしい悩みや思考の過程を描いているから、まず登場人物が記号化しておらず、本物の人っぽい。だからその人をベースとした、一見あり得なさそうなやり取りも、本物のように見える。

 

絵柄も相まって、ちゃんと女子高生がこの世に居そうなのである。そんな彼女らが思いっきり百合したりコメディしたりしてくれている。つまらないわけがないのだ。

 

百合である

結局のところここに落ち着く。

この作品には、ありとあらゆる形の百合カップルが次々と登場していく。ガチ恋愛をしているカップルもいれば、ぎこちない友情を築いていく陰キャと陽キャもいるし、子どもっぽい仲良しを楽しむ双子のような二人組もいる。

そのバリエーションが楽しいというのもあるのだが、やはり女の子同士のガチ恋愛を見ているのが一番楽しい。至福である。

なぜか。

男性である僕が、女の子と女の子の恋愛を傍目から見ているのは、「傷のない幸せなだけの恋愛の世界」を眺めているのに等しい。

世の中には恋愛を描いている作品が五万と存在しているが、それらの多くは男性と女性の作品である。そしてそれらを見るときに、僕は必ず感情移入をしてしまう。そして、リアルの恋愛と比較対照してしまうのだ。

 

過去の自分の恋愛を重ね合わせるとか。

壁ドンとかふつうやんねーだろwwwとか。

 

要は、フィクションで描かれる男女の恋愛には没入出来ないのだ。必ず、この現実の世界に持ち帰り、比較対照をしてしまう。その行為がどんなに虚しいものか。

 

美しい恋愛に完璧に入り込むには、僕が生きる現実との比較が出来ない高次元な恋愛を見せてもらうしかない。

そこで、百合である。

可愛らしい女の子と、可愛らしい女の子が、僕と一切関係のないところで幸せな恋愛をしている。そして、「本当にこんなことあるの?」と検討する余地もない。なぜなら、私は男性だし、当然ながら女子高出身でもないので、その文化を知る余地もないのだ。

だからこそ、浸れる。彼女らの恋愛を、この現実の一切合切を投げ捨て、信じることができるのだ。

前述したとおり「オトメの帝国」は「明らかにフィクションでしょ?」と「ちょっとリアルっぽいなこれ」が絶妙に織り交ぜられているので、より没入出来るのだ。

あからさまなフィクション感が出ている百合だと、「へーいやでもそんなことないっしょ」で終わってしまうので、このフィクションとリアルの絶妙な配合は重要である。

 

朝から凄い尖った記事を書いてしまったが、僕が言いたいのはこういうことだ。

リアルでは考えられない高次元恋愛こそが、我々に真の没入感を味合わせてくれる恋愛作品である。

百合に限らず、僕は読んだことはないがBL作品や、あるいは現代社会では比較検討しにくい歴史物や未来での恋愛の形もその高次元恋愛に含まれるかもしれない。

むしろ24年間生きてきて僕自身が女性同士の恋愛を目の当たりにしたことがないから百合が高次元恋愛に見えるだけであって、どちらかというと今後生きていても一切リアルで触れることが出来ない歴史もの未来ものの方が高次元恋愛としての役割を担えるのかもしれないな。

趣向は全く異なるが、人工知能と恋愛する「her」はなかなかリアルと切り離し純粋な恋愛作品として楽しむことが出来た。 

 

まぁ、こんな感じで比較的メジャーな映画で前半の濃い内容を中和させ、この記事は〆とする。

久しく漫画を定期的に読むことから離れていたのに、ジャンプ+を読み始めてからむさぼるように漫画を読んでいる。無料で読めてしまうとやはり食いついてしまうな。 

midoumairu.hatenablog.com

あわせてこちらもどうぞ。そろそろ60話に到達しちゃうから、ジャンプ+での集中連載は終わっちゃうけどね、食戟のソーマ

 

 

 

【奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール】男の野望実現の裏にはいつも良い女がいる(感想:ネタバレあり)

タイトル長すぎるぜ。


『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』予告編

 

大分前に見てきて、既に劇場での公開が終わりそうなのだけれど、軽く感想を書いておく。見ていない人には向かない投稿かもしれない。雑記に近しい。読み流してくれ。

メラメラしていない「なんとなくこんな感じいいよね~」的な男の野望・・・というよりも願望なのだろうか、そんなものを主人公から感じ取れて不覚にも共感してしまった。

 

あらすじ

TOHOシネマズの作品紹介から転載。

奥田民生を崇拝する35歳、コーロキ。おしゃれライフスタイル雑誌編集部に異動になったコーロキは、慣れない高度な会話に四苦八苦しながらも次第におしゃれピープルに馴染み奥田民生みたいな編集者になると決意する!そんな時、仕事で出会ったファッションプレスの美女天海あかりにひとめぼれ。その出会いがコーロキにとって地獄の始まりとなるのだった…。あかりに釣り合う男になろうと仕事に力を入れ、嫌われないようにデートにも必死になるが常に空回り。あかりの自由奔放な言動にいつも振り回され、いつしか身も心もズタボロに…。コーロキはいつになったら奥田民生みたいな「力まないカッコいい大人」になれるのか!?

奥田民生のような飄々と自分のやりたいことをやるような大人に憧れる35歳の主人公と、小悪魔的な女性のヒロインの恋愛を描いた作品。

と思いきや、結構その内容は恋愛ばかりに振れていない。

編集者として働く主人公コーロキが、あかりをトリガーとして、仕事に奮闘していく様を描いたドラマだと僕は解釈している。

もちろん恋愛な映画なのだが、男の仕事・生き方を描いている側面の方が強いという印象だった。

だいたいの流れ(以下露骨なネタバレ)

tamioboy-kuruwasegirl.jp

公式の人物相関図を見ながら読んでほしい。

話は超ざっくり書くと、以下の通りだ。

 

コーロキは劇中であかりと付き合うことになるのだが、あかりの前の男はコーロキの職場の先輩である吉住。そしてさらに、コーロキと交際中も、コーロキの上司である編集長とも、あかりは関係を持っていた。

要するに、あかりは脅威の3股をかけていたわけだ。

で、タイトル通り、綺麗にコーロキ以外の男2名はあかりに狂わされる。

 

吉住はコーロキにあかりを寝取られて、一時休職。クライマックスシーンで編集長に顔面を切り裂かれ、その後行方不明となる。

編集長は作品のクライマックスシーンで吉住の顔面を刃物で傷つけ、挙句の果てにはあかりに切りかかろうとし、結果的に逮捕された。

コーロキは編集長が逮捕される事件があってから、自らの名前を偽り、プロデューサー?編集者?とにかくコンテンツエンタメ系の名高い人として大成する。余談だが、作中でコーロキが深く仕事上で関わる変人天才コラムニスト(安藤サクラが演じている)が登場するのだが、後日談では彼女と交際しているのがなんとも生々しくて面白い。

 

狂わせるガールは男性にとって悪女なのか。

とまぁこれだけ見るとあかりはとんでもない悪女に見えるのだが、そういうわけでもないのが面白い。コーロキが大成したのは、あかりがいたからと言っても過言ではない。

出会う男すべて狂わせるガールであることには変わりないのだけれど、「人生が狂う」というのは必ずしも悪い方向に向かうことだけを指しているのではない。

コーロキはあかりに見事に狂わされ、「奥田民生になりたいボーイ」から、「奥田民生らしくなれたとは本人は思っていないけれど、第三者からみたら奥田民生的なカッコよさを持ち合わせた大人」になることが出来た、というわけ。

 

「なんであかりのおかげでコーロキが大成した?」というのを説明しなければいけないと思うのだけれど、コーロキが仕事に熱心に打ち込む環境作りは全てあかりが行っていたからだ。詳しいことは作品を見てほしいのだけれど、コーロキが必死に頑張るタイミングはほぼあかりとあかりと尊敬できる職場の上司である編集長(オチだけ見るとただのストーカー変態野郎だが、仕事はよく出来る男という描かれ方をしていた)とのやり取りの直後だ。

で、その編集長を掌でコロコロしていたのもあかりなので、結局のところコーロキが仕事に全力で打ち込める環境を作り上げたのはすべてあかりであったように感じる。それが作為的かどうかはおいといて。

 

編集長に襲われかけた事件が起きてから、あかりはコーロキの前どころか俗世から姿を消してしまったが、コーロキに仕事に対する心構えだとか、ある種の諦め(あれだけ熱を入れてた女性が3股していた上に職場を破綻させたのだから肝も据わる)を教えてあかりは消えていった。結果、客観的に見て力まない、自分が好きなことをやっているような奥田民生的な大人にコーロキは生まれ変わったのだ。

 

「狂わせガール」の本領は、恋愛を通じた深いはりきりとその果ての絶望によって、男を大人にさせるところにある。この映画を見て、僕はそんなことを感じた。そして、そんな経験が僕にもあったので、深く共感してしまったのだ。

 

なぜ、コーロキだけ良い方向に転んだか

で、もう少し踏み込んで考えてみた。

何でコーロキだけ上手く転んで、吉住と編集長は悪い方向に狂わされてしまったのか。

吉住はともかく、編集長は決して仕事上無能な人間ではなかったはずだ。コーロキが尊敬できる程度には仕事が出来たし。コーロキの仕事への心構えを変えられる程度には、ちゃんと上司を演じていた。

 

まーこっから先はただの僕の妄想の垂れ流しなのだけれど、「奥田民生になりたい」がやはり吉住と編集長との違いだったような気がする。

自分がなりたい姿が常にコーロキの頭の中心にあった。だからあかりとの京都旅行よりも雑誌の原稿を優先できたし、あかりが自らの手から零れ落ちても精神の崩壊に至らなかった。

一方で、吉住と編集長は結局あかりが中心になってしまった。だから、あかりの消失と共に、自らも破綻してしまった。

編集長が昔の女についてコーロキに語っていて、「その女を見返すために仕事がんばろーって思った」みたいなことを言っているシーンがあったんだけど、「それって結局のところその昔の女忘れられていないよね、女に必死かよ」って僕は思ってしまった。

 

ラストシーンであかりが編集長が語っていた昔の女の話と全く同じシチュエーションでコーロキの前に現れるんだけど、当然あかりはコーロキのこと一瞥もしないし、コーロキも何一つ感情が読み取れない表情をしていたような気がする。

奥田民生の曲を聴きながら、奥田民生になりたいボーイだった過去に思いをはせしんみりするシーンで、過去との決別を果たしていたのだろう。終わったことだよね、と過去を切り捨てられる強さが、エピローグのコーロキにはあった。

 

女性のことばっかり考えているとダメだぞ!ちゃんと自分の人生歩めよ!と言われているようで、失恋して死にそうになっていた過去の僕に見せてやりたい気分になった。というかそういう過去があったがゆえに、そんな風にこの映画を解釈してしまった。

実はこの映画、友達と見に行ったのだけれど、誰一人こんな見方をしている人はいなかった。非常に残念。歩んできた人生によって作品の捉え方って違くなるんだね。

まとめ

妄想の垂れ流しが大部分を占めてしまったが、とりあえずまとめ

・女に狂わされる男を描いたコメディ的なノリ・・・を想像していたら、思ったより深い仕事論な映画であった。

・優等生的脚本。ところどころの伏線を綺麗に綺麗に回収していく。

リリーフランキーはちょい役。

 

映画では間に合わないかもしれないので、気になった人はDVDで見てみてほしい。

それでは。

 

「食戟のソーマ」が面白いので、ネタバレなしでざっくりオススメする。

shokugekinosoma.com

アニメ3期がやることを記念し、

shonenjumpplus.com

少年ジャンプ+ってアプリで、「食戟のソーマ」の序盤を読めるとのことなので、早速読んでみた。

 

修学旅行が終わった辺りまで(30話ぐらい?)しか読んでないんだけど、これは面白い。「ジャンプを卒業した大人が楽しめる、ジャンプらしい感覚の漫画」って感じだ。

 

アニメが3期までやっており、26巻も刊行されているマンガについての感想を、30話程度しか読んでいない人間が語ったところで何一つ面白みはないのだが。久々に面白い漫画に当たってしまってテンションが上がったモノだから・・・。

これから読むかもしれない誰かに向けて、ストーリーのネタバレを一切せずにざっくり魅力を語っていくぞ。

 

あらすじ

ジャンプの公式サイトから転載。

実家が下町の定食屋を営む中学生・幸平創真。目標である料理人の父を越える為、創真は修業の毎日を送っていた。

しかし突然、父から料理学校への編入話を告げられ...!? 創造する新料理マンガ、ここに開演!!

 

全く伝わらんな。これ以上の情報を付加しては行けないとなると何も説明出来やしない。

 

現在どの程度物語が進んでいるのかわからんが、 遠月学園という料理学校(高校)に入学して、仲間たちと一緒に主人公の創真が料理の腕を磨く、といったのが大筋の話の流れだ。

「料理?最近流行りの美味しい食べ物が並んだ人情漫画的な?」

違う。しっかりと「食戟のソーマ」は「少年漫画」それも「ジャンプらしい少年漫画」なのである。

 

ちゃんと「努力・友情・勝利」である

ジャンプの三本柱といえば、「努力・友情・勝利」である(最近は「努力」の代わりに「才能」が台頭してきていると言われているが、あえてそこについては議論しない)。

ジャンプらしい気持ちの良い主人公が、ある一つの目標に向けて、友人と励まし合いながら、あるいはライバルと切磋琢磨しながら、日々成長していき、そして目標を妨げる敵と闘い気持ち良い勝利を収める。

そんな物語であれば、ジャンプ漫画としては100点だと思う。そういう漫画は大体面白い。そして、「食戟のソーマ」は少なくとも30話時点ではそういう漫画である。

 

そもそも、料理という題材でジャンプ漫画らしい熱さをどう演出するのか、ということについて説明しておく。

タイトルにある「食戟」というのがこの漫画の肝で、主人公が所属する料理学校「遠月学園」では「食戟」と呼ばれる、料理人同士のバトルの仕組みがある。

簡単に言うと、料理の鉄人的なもので、料理人同士があるテーマに沿って料理を作り、審査員にどちらが美味しいか投票してもらい、勝敗を決める仕組みである。まぁ他にも細かいルールがあるのだが、そこは本編を読んで確かめてほしい。

その食戟を通じて、努力や勝利といったジャンプ的な熱さを演出しているわけだ(30話時点だとまだ単純に学校の先生的な立場の人に認めてもらうための試験への挑戦も多いが)。

 

とはいっても単純に勝負し、勝利しているだけでは漫画は面白くならない。

食戟のソーマの面白いところは、主人公創真の料理のスタイルにある。

彼は元々定食屋出身なこともあり、さらに高校からの転入生ということもあり、金持ちだらけの遠月学園ではナメられがちな存在である。

しかし、そのような逆風をものともせず、所謂庶民の料理を得意としてきた創真が、学園の金に物を言わせる料理に慣れた人々を、身近な食材で彼の経験に基づいた工夫で唸らせていく。その様が、見ていてとても気持ちよい。創意工夫で格上に挑んでいく様は、努力の積み重ねからの勝利の気持ちよさに近しいものを感じた。

 

さらにジャンプらしさと言ったら「友情」なのだが、学園ものらしく主人公創真には多数の学友が存在する(当たり前か)。食戟など料理での勝負を通じてライバルや敵対していた人が友人になるドラゴンボール現象や、ヒロインのピンチを創真が助けるヒーロー展開もてんこ盛りだ。また、日々行われる試験や食戟において、友人とペアを組んで取り組むこともあり、分かりやすい協力関係が描かれている。 

料理漫画ということもあり、各キャラクターには得意分野や食材が決められており、そのおかげでキャラクターも上手く立っている。30話時点ではまだあまり描かれていないが、創真が友人の得意分野から学び、さらに実力をつける、といった展開もいずれ訪れるであろう。

THEジャンプな気持ちの良い主人公だけでなく、彼の周りを囲む登場人物の魅力もポイントの一つだ。

 

上記したようなところが、ジャンプらしさだと思っている。気持ちいい勝利を収め、料理にひたむきであり、仲間思いである創真が最高にカッコいいのだ。

残念ながら、「ジャンプらしい漫画って言われても、そういうの飽きたよ」という人には「食戟のソーマ」は向いていないかもしれない。

しかし、それでももしかしたら「食戟のソーマ」なら楽しめるかもしれない。という話を次にしていきたい。

 

ナイス演出力

この漫画の大きな特徴は、美味しそうなご飯である。その描写力がすさまじい。

単純な「努力・友情・勝利」(もうファンタジーものやバトルものには感情移入できなくなってしまった)には感情移入しきれなくなった大人たち(主に私のことだが)の心

を、「美味しそうなご飯」という究極の題材が揺さぶるのだ。

 

そもそも作画担当の佐伯俊先生の絵がうまい。料理が本物のようである。余談だが、人物の描き分けもうまいし、女の子はエロいし可愛い。

 

さらに、この漫画の特徴でもあるのだが、料理を食べた人のリアクションにインパクトがある。だから、読み手もおいしく感じる。

だいたいテンプレ通りなのだが、食べた人は恍惚な表情を浮かべ、その料理の香りや舌触り、味を事細かに説明した後、「まるでXXXのようだ」と大ゴマでオチを付ける。そして多くの場合、可愛い女の子から、イケメン、おっさん、筋肉質な男まで全員が脱ぐ。脱いでエクスタシーに浸っている。あるいはそのシチュエーションに合わせたコスプレをしている。

これが面白い。ただの料理批評になってはつまらないところを、圧倒的な画力と比喩で料理を表現している。この演出がハマれば、この漫画はいつまでも面白いと思う。私は今のところ、飽きることなくこの過剰なまでのリアクションを楽しみに読み進めている。

 

ちなみに、この漫画には、監修を森崎友紀さん(有名な料理研究家らしい)が担当しており、「トリコ」のように空想上の素材や調理を行っているわけではないようだ。

実際に作ったら食べれることは個人的にはポイントが高い。3分クッキングを見て「おいしそうだなあ」と幸せになる感覚に近い。想像力が膨らむのだ。

 

以上、30話を読んだ時点での感想である。具体的な内容について一切記載しなかったもんだから、内容が薄くなってしまった。ぜひ、気になる人はジャンプ+で読めるから、DLしてみてほしい。

 

この先も食戟のソーマの魅力を見失わずに、30巻から40巻(長い漫画はあまり好きじゃないのだ)で完結してほしいものだ。30話以降は、TSUTAYAででも借りて読もうかな・・・。

 

 

 

【スイス・アーミー・マン】死体とのコント(感想:ネタバレあり)

sam-movie.jp

 

見てきた。ちょっとわからないところがあったから、疑問提起の意味も込めて感想を書きたい。

 

あらすじとざっくりとした見た感想(まだネタバレなし)

簡単に言ってしまうと、「陰キャのハンクと、死体のメニーが、遭難状態から人里目指してアドベンチャーする話」だぞ。

 

よく分からないと思うから、公式サイトから引用してしまうぞ。

無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。ハンクは意を決し、その死体にまたがるとジェットスキーのように発進!様々な便利機能を持つ死体の名前はメニー。苦境の中、死んだような人生を送ってきたハンクに対し、メニーは自分の記憶を失くし、生きる喜びを知らない。「生きること」に欠けた者同士、力を合わせることを約束する。

 

 この文章だけ見ても、「メニー」がどんな死体なのかわからないと思うが、ポイントは以下2つだ。

①喋るし、ハンクと意思疎通が出来る。が、あらすじにある通り、記憶をなくしているし、人間としての「常識」が欠落している。

②メニーには超人的な能力があり、ハンクが人里に帰るのを助けてくれる。その能力は公式サイトを見てほしい(例を一つあげると、勃起した下半身が想い人を指すレーダーになっている、などだ)。

 

まぁ②の例で挙げている能力を見れば分かるが、この映画は基本的にはコメディ映画だと思ってくれていい。尻から噴出するガスで死体をジェットスキーのように乗りこなす主人公を想像してほしい。もうこれはコメディ以外の何物でもない。笑うしかないのだ。

 

しかし一方で、ただ笑かすだけでなく、かなり人間としての生き方の根本を見直させるようなハッとしたやり取りが繰り広げられる。自分の人生に自信を持てない人間であるハンクと、人としての常識が分からず人間が当たり前だと思っている事象について疑問を持ち、それについての意見をストレートに伝えるメニー。

彼ら2人のやり取りから、私たちの当たり前の生き方をひっくり返されるような気分になる。そんな映画であった。

なお、後述するが、この「深いやりとり」の多くは、人と人との関係の在り方、特に恋愛がらみである故、下ネタに発展している。「好き」という気持ちを最初は性欲と同じくくりで語ってしまうメニーが、徐々に変化していく過程もなかなか興味深いのだが、それは映画を見てからのお楽しみだ。

 

あらすじ(ネタバレ)

僕の疑問は物語のオチで生まれたので、最後まで内容を書かない分には語れないのだ。

というわけで、超ざっくりなネタバレを書くぞ。

 

無人島に流れ着いたハンク(経緯は不明)。死体(メニー)が流れ着いているのを発見。メニーが発するガスで、無人島を脱出。しかし、波に煽られて、二人とも水没してしまう。

 

②ハンクが目を覚ますと、そこは海辺の浜だった。無人島を脱出できたことを喜ぶハンク。メニーを置いて人里を目指そうとするが、心惜しくてメニーと一緒に森を行くことに。

 

③洞窟で休んでいると、メニーが話し出した。話し相手が出来たことに喜ぶハンク。

 

④メニーにえっちぃ雑誌を見せ、「そういうこと」について話していると、メニーの下半身が反応。下半身が女性を向けてレーダーの様に反応していることに気付いたハンクは、それをもとに人里を目指す。

 

⑤ハンクがスマホのトップ画にしている女性(サラ)をメニーが目にし、メニーはサラに恋に落ちる。しかしスマホの充電にも限界があるので、彼女の写真を頻繁に見せるわけにはいかない。そこでハンクがメニーのイメージを膨らませるために、女装し、街中で彼女とメニーが出会ったり触れあうシーンを再現してみせる(バスや食事をするレストランをジャングルにある材料で作ってしまうのだから大したものだ)。テンションをあげたメニーを頼りに、さらにハンクは人里を目指す。

 

⑥ついにスマホが圏内に入った。メニーに人里が近いことを伝えに行くと、その場にクマが。メニーの力を使い追い払おうとするが、メニーがハンクのスマホに写っていた意中の女性と他の男が幸せそうに肩を組んでいる写真を見て、意気消沈してしまう。ハンクはクマに襲われるが、メニーがハンクとの友情に芽生え、無事クマを撃退。

ちなみに、サラはハンクがバスで見かけて一目ぼれした女性で、一切関わりもない事物。この事実がハンクの闇の深さを物語っている。

 

⑦負傷したハンクをメニーが引きずって、遂に人里へ。人里というか、サラの自宅の庭に出てしまった。傷だらけのハンクは保護されるが、一緒にいた死体のメニーは真っ黒な袋に入れられ搬送されそうになってしまう。ハンクはメニーを見捨てられずに、彼を連れて森に逃げ帰る。その後を追う、サラとその夫と娘、テレビレポーター、警察、ハンクの父親。その際、サラはハンクが自作したバスやレストランの舞台装置を目にする。

 

⑧海辺に出てきたハンク。ハンクに手錠をかける警察。ハンクはメニーに必死に話しかける。彼は返事をしなかったが、冒頭と同じように彼がガスを発し始める。海辺に打ち捨てられたメニーは、そのガスで海の果てに消えていった。

 

まぁ、結構端折ってるけど、こんな感じである。あらすじ書くって難しいな。wikiの編集者を尊敬するわ。

衝撃ポイントは、ハンクがサラの半ストーカーであったこと、そして人里に帰って来てからの展開である。序盤のハンクは、無人島から人里に帰ってこようと必死だったこと、そしてもっと奇妙なメニーという存在のおかげで異質な印象を受けなかったが、メニーに対する思い入れが大きくなればなるほど、彼の異質さが目立っていく。極めつけは、ラストの狂った彼の様子とそれを不気味そうに見守るギャラリーである。

ただのコメディでは終わらず、何やら不穏な心に傷跡を残すようなラストを綺麗に飾った「スイス・アーミー・マン」。私は劇場からの帰り道、何度も首を捻った。あのラストは、なんだったんだ。

 

ハンクは、遭難なんてしていなかったのではないか。

ハンクが人と馴染めていなく、半狂人化したのは話のオチでよく分かったが、これまでの物語の立て付けがどのようになっているのかが気になる。

僕は考えてみた。

 

①そもそも無人島に流れ着いたわけでもなく、人里から離れた地で遭難していたわけでもない説。

⇒序盤に無人島と思われる場所でメニーと出会い、ガスの力で抜け出したっぽい描写をしたのはミスリードで、そもそもサラが住む家の近くの森っぽいところの近くにある波辺で自殺しようとしただけ。その後人里を目指そうと森を進む描写があるが、あれもただサラの家の付近をうろうろしていただけ(サラが家の近くでハンクが作ったバスの舞台装置を目にしていたのはそのため)。

⇒そうなるとハンクの狂人っぷりが納得いく。しかし携帯電話が圏外だったのが解せない。まぁそれは単に電波が悪かった、で説明がつくのか。

 

②ではメニーは何だったのか。

⇒ハンクの幻想なのかと疑ったが、サラの娘がコミュニケーションを行っているうえに、オチでカメラマンが海をゆくメニーの姿を捉えているので、彼の存在及び特殊能力は実在したものと思われる。

 

散々考えて、これ以外の回答が見当たらなかったのだが、どうだろう。

だとしたらこの物語は非常に気持ちが悪い話だと思う。ハンクの気が狂っていることは確かで、人と関わるのが難しいから独りで無人島ごっこに興じていた。そこに喋る死体が現れ、彼の存在によって彼は人との関わりを取り戻す。その喋る死体は彼の幻覚ではなく、実在する「喋る死体」である。

なんだこの、ファンタジーとリアル路線の微妙な折衷は。この感覚に背筋がぞわぞわするような奇妙さがあったから、見た後すっきりしなかったのだろうか。

 

「普通に遭難していて、ようやく人里に辿り着いた」という話であったとストレートに受け止めるのもよいが、道中かなり序盤で作っていたバスの舞台装置が家のすぐ近くにあったのがおかしい。もしかしたら、あれは持ち運び式なのか?と思ったが、その過程が端折られているため、事実関係はわからない。

 

ちなみに珍しく、この映画は友達と見に行ったのだが、そのオチについてはよくわからなかったという返事であり、同時にどちらでもよいという感じの反応であった。まぁ確かにそうか。

 

総括

下ネタとダニエル・ラドクリフ演じるメニーの死体離れした機能、そしてちぐはぐなハンクとメニーの会話に笑いが絶えない映画であった。

一方で、人間の深い闇とそれでも人と関わる美しさをストレートに伝えてくる一面もある。そのバランスがとても面白い。メニーが何でも言葉にしてしまうので、頭が悪い私にも「人間関係とは・・・恋愛とは・・・」となんとなく考えさせてくれる感じはとてもよかった。良い意味で「低俗な哲学書」だと思って見れくれればよい。