【メアリと魔女の花】丁寧なキャラクター描写(感想:ネタバレあり)
これも見てきた。
「思い出のマーニー」が滅茶苦茶好きで、その感じを求めて見に行った作品。
まぁもちろん魔女でちょっとした冒険ものだから、テイストは全然違うのだけれど、米山監督の作品の核みたいのはちゃんと存在していて、好きな作品でした。
タイトルに書いたけど、メアリの描写が細やか。キャラクターの心の変化や成長を描くのがとても上手だとおもう。
そんなこんなについて、語ります。
大体のストーリーの流れ(ネタバレ)
やはりもともとジブリに所属していたこともあり、非常に内容が明瞭で分かりやすい。子どもでも難しくないストーリー構成にしつつ、大人でも楽しめるような作品を作れるのは流石だ。
簡単に言うと、
①メアリが引っ越してくる
②メアリが、魔女の力を手に入れることが出来る魔女の花「夜間飛行」を見つける。「夜間飛行」の力で、時間限定の魔女に。
③箒に導かれるがまま、メアリは魔女の大学「エンドア大学」に侵入。1日を過ごし、無事に帰宅。
④しかし、大学の校長に本物の魔女じゃないことが露呈。「夜間飛行」を利用し、すべての魔法を使えるようになる人間を造ることを野望として抱える校長は、メアリに「夜間飛行」を差し出すように仕向ける。メアリが言った些細な嘘をきっかけに、ご近所さんのピーターが人質にとられていた。メアリは彼を救うため、再びエンドア大学へ。
④メアリは「夜間飛行」を校長に差し出すが、囚われてしまう。ピーターと一緒に脱出を試みるが、ピーターのみ脱出失敗。メアリは箒に導かれ、シャーロット(メアリが引っ越してきた先に住んでいた大叔母、かつて夜間飛行をエンドア大学から盗んだ人)がかつて住んでいた家に逃げてくる。そこで、メアリはシャーロットから校長の陰謀を聞かされ、ピーターを助けに再びエンドア大学へ。
⑤ピーターを触媒に、全能の魔法を使える人間を造る実験が始まってしまう。ピーターは青色のスライムのような化物に飲み込まれた。既にメアリは夜間飛行の能力を失っていたが、ピーターは魔法の力を宿している。彼の手にメアリが大学から盗み出した魔導書を押し当て、「すべての魔法をなかったことにする」魔法を唱え、スライム撃退。二人で仲良く家に帰る。
途中端折っているが、大体上記の通りだ。
「王道」という言葉で片付けたくはないのだけれど、「魔法や冒険のワクワク感」は十二分に伝わる内容だったし、物語の展開も小難しいことをやらずに、すんなりと視聴者が納得行く形になっている。なにより、物語が進展していくにつれて、メアリの心情がどのように変化していくのかがしっかりと視聴者に伝わるから、感情移入もしやすい。
非常に完成度の高い作品だったなぁ。
メアリの感情の変化
本作のヒロイン、メアリ。挙動の一つひとつがなんというか生々しくて、本当に生きているような印象を持つキャラクターだったことに感動した。
ま、流石僕の大好きな杉咲花さんが声優をしているだけある。
猫をあやす声とかスゲー可愛くてびっくりしたわ。
自分の赤毛にコンプレックスを持っている⇒赤毛の人は魔法の才能があると言われて分かりやすく照れて、調子に乗る⇒校長に詰められて、友達を危険にさらしてしまい、目が覚める⇒ピーターを助けようと再三校長に立ち向かい、心情に変化が生まれていく。⇒冒険の最後、自分には魔法は必要ないと悟り、エンディング。
物語の進行に合わせて、メアリがどういう心情を抱いているのかがよく分かるように、表情や仕草が非常に徹底されていた。
髪の毛はその典型で、二度目のエンドア大学に箒で不時着したときに、決意を固めるように髪の毛を止めていたゴムを外し、シャーロットが赤毛の魔女だった頃の姿に近しい髪型に変えるところとか、結構好き。あとは、エンディングで今まで見せてなかった全く新しい髪型(後ろで結ってたね)に変わっていたのも、分かりやすく彼女の心境の変化を伝えている描写の一つだと思う。
その他、常にコロコロ変わるメアリの表情を見ているのはとても楽しかったのだけれど、1度しか見ていない映画について詳しく言及するのは無理があるので、ここでとどめておく。彼女の仕草に注目しながら見ると、よりこの映画を楽しめるかもしれない。
監督のメッセージが染みる
ぜひ読んでみてほしい。
ドキドキとワクワクを提供できるエンタメ作品を目指す、と書いてあると同時に、魔法を信じられない世界で生きる我々自身のための物語であるとも書かれている。
前者のドキドキ、ワクワクについては文句のつけようがない。「夜間飛行」から青色のまばゆい光が広がり、メアリが魔法を手に入れたシーン。エンドア大学での魔法が日常的に使われている世界の描写は素晴らしかった。
そして、後者。魔法を信じられない世界で生きる我々という部分。夢幻想を信じられないって意味なんだろうけど、それでも信じたいじゃないですか。でも信じられないんですよね、なんとなく分かっているけれど。
しかし、そういう我々にも、この作品は救いを与えてくれていると思っている。メアリがこの物語の中で、確かに成長しながら大切なモノを取り戻していく過程を見ていると、「魔法なんていらない」と最後にメアリが言い放ったのもよく分かる。着実に行動が伴う冒険に出たメアリが得たものは、魔法みたいなものでは代替の利かない大切なモノだったということ。それって、なんとなく日々を生きている我々にとっても救いになるような気がするんですよね。魔法なんてなくても、動けば大切なものが見つかるんですから。
みたいなことを、このメッセージを読んで考えました。いい作品だったなあ。
短文かつ、ちょっと文が荒いけど、今日はこれで投稿。もしかしたら後日改定するかもしれません。
【銀魂(実写映画)】菅田将暉の新しい一面(感想:ネタバレあり)
せっかく有給をとったので、公開初日に話題の映画を見てきた。
銀魂。僕は漫画作品・アニメ作品の実写映画化を無条件に嫌うような人間ではないけれど、少々「銀魂」を実写でやるのは寒くなってしまう可能性が高いのではないか?と見る前は思っていた。
しかし、想像していたよりもずっと楽しむことが出来たので、称賛の感想を書き綴りたい。
なお、一応銀魂についての思い入れについて説明しておくと、
◇原作は毎日無料のアプリで、現在34巻まで読んでいる(結野アナの陰陽師大戦辺り)。
◇アニメは一切見たことがない。
◇劇場版は2作目、「銀魂完結編」のみ視聴。
つまり、知っている程度で熱狂的なファンではないということだ。
そういう人の視点で、実写版銀魂を語るのでご承知願いたい。
当日の劇場について
7月14日、公開初日、TOHOシネマズ新宿13時からの回を見たんだけど、平日にも拘らず満席状態。女性が大半だった気がする。僕の左右は全員女子のグループだった。右の女の子達2人、岡田将生のヅラがカッコいいからって、上映中は話しちゃダメなんだぞ。コメディ映画だからって、話して良いわけじゃないんだからな。
ちなみに朝の8時40分から新宿ピカデリーで別の映画を見ていたのだけれど、8時20分、まだ劇場が開いていない時間から扉の前でお姉さん方がちらほらと開場町待ちをいていた。あの方々は、多分銀魂を見に行く人たちだと思う・・・。
なんか、ヒットしそうだなあって感じでした。
ストーリーについて(以下徐々にネタバレ)
登場キャラクターを見れば分かるが、「紅桜篇」を実写化したものだ。大まかな流れは変更なく、原作の流れをほぼ再現した形。
キャラクター紹介を兼ねて、原作における将軍の黄金のカブトムシを捕まえるエピソードを序盤に刺し込んでいる。原作ではヅラはいなかった記憶があるけれど、ヅラと新選組モブとの殺陣シーンも実写映画では挿入。
ちなみに、さらにカブトムシの前に、銀魂自体の設定を新八(菅田将暉)が説明するシーンと、カウントダウンTV風楽屋トークっぽいシーンが挟まる。
↑特報映像の最後のほうにもあった、あのテイストで。
菅田くんのグラブルネタと、橋本環奈ちゃんの千年に一度の美少女ネタは面白かった。役者のメタネタが出来るのは、実写映画の良さだね。
攻めのパロディ映画
福田雄一監督の作品ということもあり、やはり笑いを起こすのがお上手。実写映画だからこそできるようなネタも結構仕込んでいた。エリザベス
特に、パロディがひどい。というか面白かったシーンの多くはパロディネタ。銀魂らしいと言えば銀魂らしいのだけれど、流石にやりすぎなんじゃないかって言うぐらい、他の作品が出てくるわ出てくるわ。
覚えているだけでも、以下のネタがあった。
◇ガンダム(シャアとザクが出演)
◇ナウシカ(本人に酷似した人物と飛ぶための飛行機?みたいなのが登場)
◇ワンピース(ゴムゴムの実っぽいものが登場)
◇寄生獣
特にナウシカは頑張りすぎだと思う。詳細は劇場で確認してみてくれ。
ある意味、役者映画
主要キャラクター全員にちゃんと見せ場があり、バランスよく映画が構成されている。「このキャラクターにこの役者はないでしょ・・・」って配役がなく、全員ともはまり役だったので、「普段はっちゃけない役者さんたちが、こんなコントみたいな映画に出てる!!!」という楽しみがあった。
タイトルにも書いたけれど、僕が大好きな菅田将暉くんは新八として超がんばってた。
◇眼鏡にちゃんと度が入っている。
伊達じゃない。眼鏡ユーザーとしては嬉しい。しっかりと眼鏡だった。
◇珍しく、徹底的に「幼さ」を演じている。
神楽ちゃん助けようとして単身船に乗り込んできたシーンは最高だった。
完全にあやされている子ども。
◇新八らしいツッコミを頑張っていた。
実際に口に行ってみると少し重たい印象になりがちな銀魂風ツッコミを使いこなす。
顔芸もばっちり。
あとは・・・長澤まさみのお妙さんも見てて楽しかった。おしとやか風クレイジーをちゃんと演じている。ドラゴンボールの音読のシーン、好き。
岡田将生もカッコよかったな。一番のはまり役だったと思っている。
シリアスなシーンは・・・
原作の感想でも良く聞くのが、「ギャグは面白くて、長編は食傷気味になる」という意見。実写版銀魂を見る前に一番不安だったのが、シリアスなシーンが冗長にならないか、ということ。
で、実際見てみると、やっぱりシリアスなシーンが続き気持ちが離れる場面があった。ギャグとシリアスのバランスを保つのが、漫画よりも実写の方が難しいんだと思う。シリアスな場面になったとき、「次のネタはいつくるんだ・・・」と身構えてしまう。銀さんのカッコいいセリフが右から左に流れていってしまう!
まぁでも悪いことではない。コメディ映画としてクオリティが高すぎるからこういうことになってしまうのだ。僕の集中力のなさの問題かもしれない。
あと、殺陣のシーンなんだけど、格闘ゲームみたいなエフェクトが刀がぶつかり合う度に発生していて、そこはもうちょっとシンプルでもいいかなって思った。撮り方についてはあまり詳しくないけれど、多分動画の早送り+エフェクトでアクションシーンの勢いをつけているんだと思う・・・。
2日前にジョンウィックを見ちゃったのが問題だったかもしれない。比較対象が悪いな、これも。
ま、最後にネガティブ目なことも言ったけれど、それをもってしても有り余るほどの面白さだったよ。完璧なコメディ映画であり、役者が存分に光っていた漫画の実写化としてはかなりのクオリティの高さだったと思う。原作ファンも楽しめると思うので、ぜひとも劇場に足を運んでほしい。
ちなみに・・・
原作で九ちゃんの誕生日パーティする回があったけど、「小栗旬之助」ってキャラクター出てきたよね。東城が来場者を追い払った後も、ちゃっかりと居残って銀魂レギュラーメンバーと一緒に九ちゃんを祝っていたのが印象的。
小栗旬が銀さんを演じるって決まったとき、にやりとしてしまった。まぁ、そういう思惑もあるんだろうな、とか思いつつ。今回のオチとします。
【ジョン・ウィック:チャプター2】鮮やかなペン殺し(感想:ネタバレあり)
見てきた。最高だったぞ。
「ジョン・ウィック」を見ていない人に、このシリーズの魅力を一言で説明すると、「キアヌ・リーブスが鮮やかに人を殺しまくること」なんだけど、しっかりとチャプター2でもその魅力を大いに披露してくれていた。
なので、1を見て楽しかった人は、2も確実に楽しめると思う。
ストーリーのネタバレは最後に書くとして、あらすじ⇒熱いアクションシーン⇒ネタバレという順番で語っていくぞ。
あらすじ
まぁここを見てほしい。なんと、前作から5日しか経っていない。
STORY|映画『ジョン・ウィック:チャプター2』オフィシャルサイト
簡単に言うと、前作で強奪された愛車を取り戻し、今度こそ引退しようと思った矢先に、マフィアのサンティーノさんから姉殺しの依頼を受ける。血の刻印?という契約をしていたがゆえに、ジョンはその依頼を断れない(一度断ったら、サンティーノに家を爆破された)。で、サンティーノの姉(ジアナ)殺しおよびサンティーノへの復讐を開始するって話。
何が哀しいって、また妻との思い出を奪われてしまったことなんだよなあ。前作は愛犬と愛車(本作で明らかになるけど、これにも妻との愛しい思い出が詰まっていた)。で、今作は家(=妻との思い出の品は全て燃えつくされてしまう)。殺し屋の悲しい性を見ているようだね。
鮮やかな殺し(以下ネタバレ)
まぁストーリーはあまり大事ではないと思っている、この映画については。
大切なのは、いかに鮮やかにジョンが殺しを行うか。
大まかに分けると、こんな感じで殺しのシーンがある。どれもクールだったから、退屈な時間が一切なかった。最高かよ。
①冒頭、愛車を取り戻すシーン
カーチェイスと肉弾戦が主。
追ってきたバイクを、車の扉を開けて巻き込ませることで撃退したシーンは痺れた。車の扉、なくなってたけれど。
②ジアナ殺し
彼女の邸宅?@ローマ に侵入し、ジアナを殺す。その後、ジアナの護衛に追われつつ、さらにサンティーノの部下にも殺されそうになりつつも、脱出。
殺しを行う前に、ジョンが武器と衣服を用意するシーンがあるんだけど、そこがまたカッコいい。銃の構え方とチェックの仕方が鮮やか過ぎる。
脱出するルートにあらかじめ武器を仕込んでおいて、敵に襲われたらその武器を利用して殺すという知略を披露していた。
脱出した後も、ジアナの護衛の「カシアン」(なかなか強い)に襲われるけれど、コンチネンタル(仲では一切殺しを行えないルールがある)に窓を破って侵入してしまったがために、戦闘は中断。
③NY中の殺し屋に狙われる
サンティーノが700万ドルの賞金をジョンの首にかけ、NY中の殺し屋がジョンを狙う。
不意打ちで腹を撃ち抜かれつつも、襲ってきた殺し屋を次々と撃退。
このシーンが一番の見どころだと思う。
「ジョンがペン1本で3人を殺した伝説がある」というのは前作から言われているけれど、その再現を殺し屋2人に対して行ってみせた。駅?のカウンターのようなところに待機していた2人が殺し屋だと察知したジョンが、先制攻撃をしかけるが武器がない。なので、手元にあったペンで敵の急所をつき、絶命させる。
「あぁ、こうやってやるんだ」とある種の感動を覚えた。耳を刺したり、首を刺したり。まぁ詳細は劇場で確認してくれ。
なお、その流れで乗車した地下鉄にて、カシアンとの決着もつく。
地下鉄に至るまで、カシアンはジョンのことをずっと追っていたのだけれど(あくまで走ったりせず、二人とも早歩き程度なのがスマートでかっこいい)、その間に人に気づかれないようにサプレッサーつけた銃で威嚇射撃をしあうシーンが好き。
ジョンが地上を、カシアンが上階を歩いているのだけれど、何食わぬ顔でピュンピュン言わせながら互いを狙って撃つ。歩きは止めない。で、お互いが歩いている付近の壁や柱がえぐれる。
最高のチェイスシーンだった。
④サンティーノ殺し
サンティーノ本人を殺すために、彼の所有する美術館に潜入。武器が限られていたので、敵の武器を奪いながら殺しを進めていった。
面白かったのは、全面鏡張りの部屋での銃撃シーン。ジョンは確実に少ない弾数で敵を殺していくのが特徴だけれど(一発目着弾の直後、すぐに二発目を敵の頭に発砲し絶命させる)、鏡があるとそうはいかない。
鏡に映った敵をまず撃つ⇒瞬時に鏡であるということに気付く⇒本体を撃ち抜き⇒直後に頭を撃ち抜く
上記の流れがほんの数秒のうちに行われる。改めてジョンの殺しの腕を見せつけられた気分だ。
美術館にて、サンティーノの直近の女性との戦闘があるのだけれど、序盤から出ていた割にはあっけなく敗れてしまったので、VSカシアンを見てからだと物足りなかった。なので、そこについての描写は割愛。
オチ、復讐に取りつかれたジョン
結果的に、ジョンはサンティーノを逃してしまう。サンティーノはコンチネンタルに逃げ込むが、ジョンもその後を追う。
コンチネンタル内での殺しは厳禁。にも拘らず、ジョンはコンチネンタル内でサンティーノを殺してしまう。
ウィンストン(コンチネンタルのオーナー)「なんてことをしたんだ」
ジョン「終わらせたんだ」
(自らの人生を)終わらせたのかと思ったよ僕は。
サンティーノを殺した後、ジョンは焼けた自宅に愛犬と一緒に帰り、妻との思い出の品を探しあてる。しかし燃えていたり、汚れていたり。その後ウィンストンに呼び出され、コンチネンタルからの追放を言い渡される。当然その報は多くの殺し屋連中に届けられる。ある意味ジョンを守るものがなくなってしまったわけだから、この後多くの殺し屋に狙われることになるのだろう。
追放される間際にウィンストンに告げたジョンの言葉が、予告編のこれ。
ジョン「誰が来ようと全員殺す。全員な」
そして、街中にいる人々のケータイが鳴っているのを気にしながら、逃げるかのように愛犬と一緒に走り去っていって、話は終わり。
サンティーノが美術館で逃げていたときにジョンに言ったセリフで、「お前は復讐に取りつかれている」みたいなのがあって、まさしくそうなんだろうなと思った。コンチネンタル内で殺しを働いてしまうほど、頭に血が上っていたのだろう(冷静な顔していたくせして)。
終わらせたくてしょうがなかったんだろうな、妻との思い出を汚した人間への復讐を。結果的に自分は狙われる立場となってしまったが、妻に関する清算は済んだ。ジョンにとっては、そっちの方が大切ということだろう。殺しに戻った理由も妻だったし、ある意味彼の価値観は一貫していると思う。
にしても、最後には追放だもんなあ。次回作にも繋げられそうな終わり方なので、チャプター3を期待しておきます。
【傷物語<Ⅰ鉄血篇>】来場者特典④混物語まゆみレッドアイ(感想:ネタバレだらけ)
はるか昔、こんな映画が上映していた。
鉄血篇、熱血篇、冷血篇と三部作で公開されていた傷物語。第一部の鉄血篇が公開されたのは2016年の年始だった気がする。今日は、今更ながら一年以上の時を超えて、鉄血篇の、正確には鉄血篇の来場者特典であった「混物語 まゆみレッドアイ」の話をしたい。
「混物語」とは、物語シリーズの登場人物と他の西尾維新作品の登場人物によるクロスオーバー作品なのだが、まぁ細かい情報は以下の記事を参考にしてほしい。
僕は「美少年シリーズ」が西尾維新作品の中でも結構好きな方なのだが、読み始めたきっかけは「まゆみレッドアイ」にある。
↑いちおう、本編の感想もちょくちょくこのブログで書いてる。
何も考えずに鉄血篇を見に行ったら、たまたま「まゆみレッドアイ」がもらえた。なんだか、知らないキャラクターだった(流石に知らないキャラクターとのクロスオーバー作品は楽しめないだろうと思い、その場で冊子を閉じた)。後日美少年シリーズの既刊を読破し、「まゆみレッドアイ」を読んだら、ますますまゆみちゃんが好きになった。
という流れ。
要は、「まゆみレッドアイ」にはまゆみちゃんの魅力が存分に詰まっている、あるいは我らが阿良々木暦が魅力を存分に引き出してくれている、のである。というわけで、一年程度の遅れをもってして、ようやく感想を書いてみたい。ネタバレありだ、もちろん。
あらすじ
計40ページの掌編、全7章で構成。
一人称は阿良々木暦。ヒロインは当然、瞳島眉美。阿良々木暦視点での、まゆみの紹介から始まり、本編に移っていく。
暦いわく、「根暗というより陰湿でさえあった」。そこは本編との印象と相違がないようで、安心である。
暦がひたぎの誕生日(7/7)を祝うための、七夕星空観測デートの下見に北白蛇神社を訪れたのが物語の始まり。時系列的には、「化」と「偽」の間ということになるかな。
神社の社の階段でまゆみが頭を抱えているのを暦が見つける。まゆみの良すぎる視力を抑えるための眼鏡をなくしてしまった上に、何やら「ピラニア」が町の上空を泳いでいるのが見えてしまい、怖くて一人で下に降りれないとのこと(可愛い)。暦が付き添う形で、二人は山から下りて町に繰り出る。
その道中で暦がまゆみに対して度重なるセクハラ行為をするのだけれど、それについては後述。
本作のオチは、雨が降ってきたタイミングで、まゆみが女性であったことが判明したこと。
暦「君は女の子だったのかい!?」
まゆみ「いや絶対途中で気付いていたでしょ」
セクハラし放題だったからしょうがないね。
そして、道中にあった住宅地図の前にもピラニアが見えたこと、雨が降ったのと同時にピラニアがいなくなったことから、まゆみが見ていたピラニアの正体が判明したというのがもう一つのオチ。まゆみが良過ぎる視力を持っているがゆえに、町の鳥瞰図をランダムドット・ステレオグラフ(立体視の一種)として捉えてしまった、とのこと。
※ランダム・ドット・ステレオグラム (英: Random dot stereogram, RDS) は、一見ノイズのようにしか見えない画像だが、うまく焦点を合わせると立体が浮かび上がってくる画像である(wikipediaより引用)。
雨が降って見れなくなったのは、視界が雨で途切れたから。立体視するための空白がなくなってしまったから、とのこと。
なんで町に降りた後も上空にピラニアが見れていたんだろう?という疑問は残ったが(書いてあるのかもしれないけれど、僕には読み取れなかった)、良すぎる視力を活かしたトリックなのは良かったね。
ま、しかしピラニアの方のオチは割とどうでもいい。
大切なのは、まゆみの魅力が爆発しているところなのだ。
阿良々木君のセクハラ
年下の女性に対して容赦なくセクハラをこなす本編の阿良々木君が容赦なく「まゆみレッドアイ」でも活躍している。
いきなりハグをする、肩を組む、頬をさする、ポケットの中をまさぐろうとする、膝の上にのせる、口の中を観察する、こけたまゆみの身体を触診する、傷口をなめる、一緒にお風呂に入ろうとする、再度こけたまゆみのお尻の砂を払おうとする、
などなど。原作中で真宵にしでかしたセクハラよりもさらに酷い気がする。
暦「いやいや、君が女の子だったらもっと・・・」
まゆみ(ぶるぶる・・・)
みたいなやり取りが随所にみられるのも面白いところ。暦はまゆみのことを徹底して男性として見ているが、まゆみの正体は暦が大好きな年下女性なので、まゆみとしてはさらなる変態行為の鱗片を見せられ恐怖するしかないという構図。とても面白い。
あとは暦のキャラクター(年下女性には徹底的にセクハラする)を考えると、暦はまゆみを男性として認識してはいるが、「本当は女の子だとわかっていたんじゃないか」と読者が明らかに分かるのが面白い。その気持ちは前述したように、まゆみがオチで代弁してくれた。
美少年探偵団の外のまゆみ
美少年シリーズはまゆみの一人称小説。なので、第三者的なまゆみというのがあまり見れない。だから、阿良々木君(第三者)視点のまゆみが見れたのも、本作の魅力。
まゆみは自称、「性格が悪い」女の子ではあるが、第三者的にもしっかりとひねくれているようで、そこは安心。まゆみのひねくれた発言に対して、高校三年生の余裕を見せつける阿良々木君を楽しむことが出来た。彼的にも、「中学生が言っていると可愛いもの」らしいので、まゆみの自称「性格が悪い」が、第三者的にはそこまで度が過ぎているものではないということが分かる。
そしてもう一つ、まゆみが第三者に対して美少年探偵団をどう思っているかを語るシーンが入るのも魅力。まゆみは誇らしげに、絶対にあきらめない精神を持っている連中を知っていて、自分もそのメンバーの一人であることを暦に告げる。
本作では美少年探偵団の面々を明らかに軽視している発言が目立つが、しっかりと探偵団のことを愛している様が伝わってくるのが微笑ましい。
次回作への伏線?
本作の〆は、半年後に『美学のマナブ』と冒険することになる、といった次回作を匂わせるような形だったのだが、気になる点が一つ。
「双頭院学というとびっきりの美少女」と書かれているのだ。それも、美少女のところに傍点まで打ってある。
流石にマナブが実は女の子という可能性は考えにくい。「押絵と旅する美少年」のオチが不可解なものとなってしまう(まぁ本人以外の全員が性別を勘違いしていたなら、話は通るけれど)。
考えうる可能性としては、「まゆみレッドアイ」同様、マナブの性別を間違えるという展開。しかし美少年探偵団のリーダーと訊いておきながら、わざわざ暦が「美少女」と称する理由が分からない。
って書いてたけど、彼普通に作中で女装してたね。女装姿で出会ったのかな?
なんて謎を残したまま「まゆみレッドアイ」の感想を終えます。
【古典部シリーズ】「氷菓」から「いまさら翼といわれても」まで順番に評価していく。(感想:ネタバレなし)
氷菓が実写化するとニュースで見て、せっかくだしこれを機に古典部シリーズの既刊を読破してみようということで全部読んだ。
高校を舞台とした「日常の謎」を解決するのが本シリーズの基本。人の死なない幸せな推理小説。適度に愛着を持たせてくれる程度の、濃すぎず薄すぎないキャラ付で、シリーズ化やアニメ化に向いている作品だなと思った。
アニメは見てないけど、「えるたそ~」ってやつが流行ってたよね。あの気持ちはよく分かる。
品行方正なお嬢様が好奇心に負けて「気になります!」と爛々と瞳を輝かせる様はギャップ萌えの王道を貫いているからな。
省エネ人間ホータローも巻き込まれ主人公っぽい様相で、一定の人気がありそうな語り部だし。
自ら結論が出せないデータベースを名乗る里志も、ワトソン役として優秀。
摩耶花は・・・テンプレートな高校生らしい高校生を演じてくれている。古典部では一番フラットなキャラクターだと思う。
メインキャラクター4人のバランスがとれていて、読んでいて飽きない。
そしてもう一つ特徴的なのは、結構後ろ暗い話題が多いところ。ホータローはじめ古典部の面々が解決していく謎には、結構ドロドロとした背景があり、決して見ていて心地の良いものではない。特に摩耶花の漫画部関係の話は、ギスギスし過ぎて正直気分が悪かった(気分は悪いが、作品が悪くなるというわけではない)。
高校生がキャッキャウフフしているだけではない、「なんとなくリアルっぽいなぁ」と感じさせてくれる人間の汚さの露呈が結構好きだ。
シリーズ全体の総括はここらにしておいて、作品ごとの感想を手短に書いていこう。
- 作者: 米澤穂信,上杉久代,清水厚
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2001/10/28
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シリーズ1作目。
主要人物4名のキャラクターがしっかりこの1冊で立っており、続編への下地を作ったという意味で素晴らしい作品だった。
章がいくつもあって、各章で細やかな謎を解決しつつも、表題にある「氷菓」の謎という大きなゴールに向かっていく構成。4作目の「遠回りする雛」、6作目の「いまさら翼といわれても」は明確な短編集だが、「氷菓」も短編の連なりで大きな1つの作品となっているという意味では短編的な側面もあり、とっかかりやすい作品である。ノンストレスで読めるのは素晴らしい。
ヒロインえるたその親戚にあたる関谷さんが失踪した理由を探る、というのが「氷菓」のメインテーマ。正直なところを言うと、関谷さんの失踪理由の究明よりは、こまごまとした謎(勝手に部室のカギが閉まった、毎週図書館のある本が借りられている、文集「氷菓」がどこにあるのかを探す)のほうが面白かった。
古典部の文集がなぜ「氷菓」になったのか、が本作のオチなのだが、これを考えながら読み進めると面白いと思う。僕は関谷さんの学校への立ち位置が物語中で明らかになったところで、「氷菓」の意に気づいた。
- 作者: 米澤穂信,高野音彦,清水厚
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2002/07/31
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2作目。脚本が失われたミステリー映画の結末を、途中まで撮影された映像をもとに究明していくというトリッキーな内容。人が死なない系の学園×推理小説ではあまりできない、殺人現場の考察などが盛り込まれており、なるほどこの手で来たかと思わせられた作品。
省エネ人間ホータローが、自ら探偵役に自覚を持つという心の動き、しかし結局のところ人間は変わらないんだなってところが本作の見どころだろうか。映画のオチの考察については、あまり心がそそられなかった。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2008/05/24
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6シリーズ刊行されているが、3作目の「クドリャフカの順番」が最もクオリティが高いと思っている。このシリーズを読み進めてよかった、と思えるほどに傑作だった。
舞台は学祭。古典部の文集「氷菓」を予定より多く刷り過ぎてしまい、それらを販売するために古典部の4人が奮闘する話。かと思いきや、学祭に出店している部活の備品が順に盗まれる「十文字事件」が発生し、さらに摩耶花が兼部している漫画部のいざこざまで扱っている。
素晴らしいのが、これら全要素が互いに影響し合い、全てが解決する形で、一つの結末を迎えること。よく考えられたプロットだなあと感心した。
あとは、一人称がコロコロと変わるのが良い。ホータロー以外の古典部の人物が、一人称視点で何を考え、行動しているのかをしっかりと読めるのは本作が初めてだ。
里志がしっかりとワトソンをこなし、ホータローに解決をパスするチームワークが鮮やか過ぎて称賛を贈りたい。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/07/24
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初の短編集。それぞれの話が完全に独立しているので、手軽に読めるのが良い。
表題の「遠回りする雛」と「手作りチョコレート事件」が見どころ。えるたそとホータローの関係の変化、そして里志と摩耶花の曖昧な関係の答えが楽しめる。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/06/22
- メディア: 文庫
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2年生になったホータロー達。古典部へ仮入部した大日向さんが入部するのをやめた理由をホータローが解明する。
学校の長距離走大会的なものに参加するホータローが、走りながら過去を思い出したり、同じく走っているえるたそや摩耶花、実行委員の里志と話したりしながら、原因を突き止め、最後に大日向さんと合流して答え合わせ・・・って感じの話。
人間関係の暗い部分がそこらに散見され、なかなか気分よく読み進めることが出来ない作品だった。時系列が頻繁に前後するので、頭の悪い僕じゃなかなかうまく読み進められなかったというのもあるけれど。
一番最近に発売された短編集。こちらも全話完全に独立した話。古典部の面々の新しい側面が見れる短編が揃っている。全話面白かった。
収録されている短編は下記の通り
「箱の中の欠落」
ホータローと里志の仲良しシーンが見れちゃう
「鏡には映らない」
ヒーローなホータロー。流石主人公と思える一作。
「連峰は晴れているか」
これもホータローの性格の良さが現れている。
「わたしたちの伝説の一冊」
摩耶花が漫画部を退部したエピソード。彼女の覚悟が見て取れる。
「長い休日」
ホータロー省エネ主義誕生の謎が明かされる。
「いまさら翼といわれても」
えるたそ失踪。彼女の将来への思いが語られる。
こんな感じで、ホータローがどういう人間なのかを掘り下げた作品が多めだろうか。
「鏡には映らない」は今までの短編の中で一番好きだった。よく考えられているし、ホータローの人の好さが滲み出ている。
以上、古典部シリーズの雑感でした。
一応映画の話がメインのブログなので、「氷菓」実写化について言及しておくと、「氷菓」よりも「クドリャフカの順番」の方が映画作品には向いていると思う。
最近の原作がある映画作品にありがちな、「ドラマ形式で別エピソードを配信し、映画も公開する」という形式で実写化すればよいのに。「氷菓」と「愚者のエンドロール」までドラマで配信して、「クドリャフカの順番」を映画化。「氷菓」は短編寄せ集め系長編だから、映画には向かないと思うんだけどなあ・・・。
「クドリャフカの順番」を映画館で見たい。
【十二大戦】アニメ化するんだってね。(感想:ネタバレあり)
偶然最近読んだんだけど、
アニメ化するらしいじゃん。
バトルロイヤル物はやっぱり燃えるし、西尾維新が書くってもんだから、そりゃ読まないとねということで読みました。面白かったので、感想を書きます。
大斬が元ネタだったんだね
ここを読めば分かるんだけど、経緯としては
①西尾維新×漫画家の企画「大斬」で、中村光×西尾維新で願い事をテーマに「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」を執筆。
②上記作品をもとにデザインした12名のキャラクターを元に、西尾維新が「十二大戦」を執筆
といった流れなんだそうだ。
僕は「大斬」を読んでいないから、十二大戦の結末がどうなるか知らないまま読み進めることが出来たのだけれど、もし大斬を読んでいたとしたら、誰が勝利したのかわかっちゃうよね。結末を純粋に楽しみたいなら、「大斬」を読む前に「十二大戦」を読んだ方が良いかも。
↓以降ネタバレ注意。
だって、「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」に寝住が登場してたら、十二大戦に彼が勝利したってことが丸わかりじゃないですか。
彼の能力も分からないまま僕は「十二大戦」を読み進めていたから、「どういう能力なんだろうなあ」って楽しむことが出来たけど、おそらく能力についても「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」にて言及済みだよね、タイトル的に。
せっかくだから「どうしても叶えたいたったひとつの願いと割とそうでもない99の願い」も読みたいのだけれど、現状「十二大戦」しか読んでないので、純粋な本作だけの感想を書いていきますよっと。普通にネタバレするので注意。
しっかりと干支の順番に物語が進行していく
そもそも十二大戦とは、十二人の戦士たちがバトルロイヤルに参加し、勝ち残った一名が何でも願いを叶えられるといったもの。なので、次々と人が死んでいく。
本作は綺麗に十二話(章?)で構成されていて、各章の扉で戦士のプロフィールを紹介、そしてその章の中心人物(=多くの場合脱落する人となる)は基本的には扉で紹介した人物となる。
第一戦 猪も七代目には豚になる ー猪の戦士
第二戦 鶏鳴狗盗 -戌の戦士
第三戦 牛刀をもって鶏を裂く -酉の戦士
第四戦 敵もさる者ひっかく者 -申の戦士
第五戦 羊の皮をかぶった狼 -未の戦士
第六戦 千里の馬も蹴躓く -午の戦士
第七戦 竜頭蛇尾(先攻) -巳の戦士
第八戦 竜頭蛇尾(後攻) -辰の戦士
第九戦 二兎追う者は一兎も得ず -卯の戦士
第十戦 虎は死んで皮を残す -寅の戦士
第十一戦 人の牛蒡で法事する ー丑の戦士
終戦 大山鳴動鼠一匹 ー子の戦士
といったように。
「十二支は神様が競走してゴールした順になっている」という話は有名だし、「十二大戦」もおそらくそのエピソードをモチーフとしている。
寝住が勝利した時点である程度予想がついていると思うのだけれど、「十二大戦」ではしっかり十二支の順番通りに物語が進行していく。かといって全く捻りがないわけではなく、脱落順が干支通りというわけでもない(断罪兄弟の片割れは開戦前に脱落している)。そこはちゃんとエンターテイメントとして先が読めないつくりとなっており、流石物書きといったところだ。
それだけでなく、タイトルも多くが慣用句や故事となっており、内容もタイトルになぞられている。
(例えば「鶏鳴狗盗」では取り柄のなさそうな酉の戦士が戌の戦士を欺き、勝負がつく。戌の戦士から能力を「盗んで」酉の戦士は勝利したし、非常に物語の組み立てが上手だ)
リポグラムも器用にこなすような西尾維新。お題の下に綺麗な話を作るのが抜きんでて上手いなと改めて感じさせる作品でもあった。
十二名のプロフィールと名乗りが良い
あとはキャラクターの設定が良いという話をさせてほしい。あとは西尾維新的、中二心をくすぐる名乗りについて。
前述した通り、各章の扉にキャラクターのイラストとそのプロフィールが細かに書かれているのだけれど、その設定がなかなか良い。話に入る前にキャラクターの戦闘能力武器・そしてある程度のパーソナリティが分かっているので、すんなりと本編が頭に入ってくる。
かつ、戦士でありながらも日常を過ごす人間であるという側面をしっかりとこのプロフィールで記述しており、そのギャップがなんだか愛おしい(その反面、「詳細不明。」で済まされている卯の戦士の不気味さが際立っている)。
物語のネタバレになるためか、原作に記載されているプロフィールを丸々載せているわけではないが、一応アニメ版公式サイトにもキャラクター紹介があるので、その雰囲気は伝わると思う。
あとは、各キャラクターの個性を表している名乗りがカッコよくて好き。
これは上記したアニメ公式のキャラクター紹介欄にちゃんと書かれているから見てほしい。
私見となるが、絶対的な強者、丑の戦士「失井」の「ただ殺す」が抜きんでて好き。他が個性をどうにか名乗りで表そうとするなか、シンプルに殺すって名乗っちゃう感じ、マジでイケてる。
憂城が活躍しすぎ
ストーリーにも少しだけ言及しておくと、多くのバトルロイヤル作品と同様、能力者同士がぶつかり合い、各々がどのような戦略で生き残っていこうとしていくのかを眺めている面白さがずっと続く。
だが、異質なのが卯の戦士の憂城。彼の能力、自ら殺した者を使役する「死体作り」が強力すぎて、終始、彼もしくは彼が殺した死体が物語に絡んでくることになる。
脱落した者はもう活躍できないバトルロイヤルものの穴を、死体として活躍するという形で埋めたのは発想として面白い。しかし、あまりに憂城がゲームを支配しすぎて、いわゆる「チート」と言われる能力を持っているキャラクターがいると途端に冷める現象が起こりかけた。
まぁそれでも結果的に「死体作り」の被害者になったのは4名程度だ(全体の1/3と考えると多いのかもしれないけれど)。純粋な真人間同士の殺し合い、読み合いも楽しめるのでそこは目を瞑ることとした。
余談
現在アニメ公式で戦士十二名のtwitter用のアイコンがDL出来るとのこと。
これ見てほしいんだけど、やっぱり憂城が特別仕様だね、背景が白色で。一応酉の戦士も背景色オレンジっぽい特別仕様だけど。
この物語の主人公は卯の戦士で間違いないな。私は丑の戦士が一番主人公してたと思うんだがね。
【ハクソー・リッジ】直視できなかった。(感想:ネタバレあり)
これも見てきた。
戦争物(特に史実に則ったもの)は重たいし、結構描写がきついこともあり、あまり見ることがないんだけれど、珍しく友人に映画に誘われたものだから。
あとは、主演のアンドリュー・ガーフィールドが好きってのもあるね。アメイジング・スパイダーマンが好きなんだ。
結論から言うと、どぎつい戦争描写と流血に耐えられる人しか見てはいけない映画だった。私は残念ながら、そういう描写(頭を撃ちぬかれる映像や身体が欠損してしまう兵士が描かれている)が極端に苦手だから、後半はほぼ耳に手を当てて目を半開きにしてびくびくと子ウサギの様に震えながら映画館の端で震えていたのだった。
一緒に見に行った友人もこういった描写は苦手だったようで、「誰かと一緒に見てなかったら途中で逃げ出してたかも」とまで言っていた。私も同意だ。
なので、まともな感想は書くことは出来ない。しかし、せめてどんな映画かを伝えたいから、こうやって記事に起こしたい。というのも、描写がきついだけで、紛れもなくこの映画は見た人の心を動かすだけの強い力があったから。
以下ネタバレ含むので注意。
あらすじ
公式の「ABOUT THE MOVIE」を読んでいただけると分かるが、この映画は実在した人物、デズモンド・ドスが陸軍に入隊してから、第二次世界大戦の沖縄の戦地「ハクソーリッジ」での彼の活躍を描いた物語だ。
彼はハクソーリッジにて武器を持たずして衛生兵として75名の命を救った人物で、良心的兵役拒否者として、アメリカ史上初めての名誉勲章を授与されている。
この映画は大まかに以下の様に構成されている。
彼の生い立ち⇒入隊から戦地に赴くまでの訓練期間⇒ハクソーリッジでの戦闘
小心者の私にとっては戦闘シーンが長く感じたが、ボリューム的にはおそらく後半1/3がハクソーリッジでの戦闘だったと思う。
入隊から戦地に赴くまでの訓練期間に結構尺が費やされており、ここでの良心的兵役拒否者としてのデズモンドと周囲との軋轢がたっぷり描かれているがゆえに、終盤ハクソーリッジでの彼の活躍が映えていた。
何が言いたいのかというと、戦争を通じたデズモンドの活躍だけではなく、彼がどのような人格を持っていたのかを精緻に描いたヒューマンドラマとしての側面も強かったということ。あまり戦争ものを見ないから分からないけれど、人物の掘り下げがしっかりとなされていたのがポイント高かった。
彼が認められた瞬間がたまらなく良い
彼は良心的兵役拒否者として陸軍に入隊したため、周りの兵士たちからは臆病者と不名誉なレッテルを貼られることになる。
しかし、彼の意思は固く、仲間に暴力を振られても仕返しをすることなく受け入れ、命令拒否で軍事裁判にかけられることになっても、銃を握ることを拒んだ。幾度もなく彼は「戦場でこんな甘いことを言っていたら生き残れない。敵を倒すことが戦争だ。」と言われ続けたが、彼はそれでも自らの意思を貫いた。結果として軍事裁判では有罪とされなかったものの、ハクソーリッジに赴くまでは彼は「鼻つまみ者」として扱われ続ける。
しかし、ハクソーリッジでの彼の活躍を見て、仲間たちは彼を認めていく。宗教上の理由でデズモンドは土曜日は兵役につかないと宣言していたが、その土曜日上官に「君が必要だ」とまで言われるまで必要とされるようになった。結果として彼は土曜日にも拘らず、戦場に赴くのだけれど、出撃前に彼が祈りをささげているのを仲間全員で待っているシーンが印象的だった。そして、彼が大切に持っていた奥さんからもらった聖書を戦地で落とした際に、仲間の兵士がそれを探して彼の元に届けていたことも(訓練中彼の聖書が仲間たちに雑に扱われたシーンがあったからこそ、そのシーンが映えていた。そういう意味でも、陸軍の訓練の場面は良い「溜め」だったと言える)。
正しい意思を持った主人公が、認められていく様を見るのは清々しい気分になるものだが、私の感想はちょっと違っていた。
「軍事裁判にかけられてまで、自らの意思を貫こうとするのは狂気じみている」というのが最初に抱いた感想だ。事実、デズモンドの奥さんも、同じようなことを言っている、「銃を握れば、罪に問われない。人を殺すわけじゃないのだから、訓練は受ければいい」と。
視聴者としての私は、ずっと主人公側に立っていなかった。彼の意思を支持している側ではなかった。しかし、彼の意思が戦地に置いて多くの命を救っているのを目の当たりにして、彼の仲間の兵士と同じように、私自身も彼の意思を認めた。
「ようやく主人公が認められたぜ、すかっとする!」というよりは、私もデズモンド以外の登場人物と同じように、「やっぱりあなたの意思は正しかった」と気付きを与えられたようなイメージ。俯瞰的に彼を評価するのではなく、その他大勢の登場人物と同じように彼を認めていくというような心の動きがあったのが、なんだか新鮮だった。
父親や妻、彼を大切に思う人々との関係
デズモンドはハクソーリッジにて、兵士の仲間に認められることになるが、それ以前に彼の意思を貫くのを手助けしていた存在がある。それが父親と妻だった。
特に父親とデズモンドの関係性はこの映画において重要な位置を占めていた。
デズモンドと同じく兵士として戦った経験のある父。戦争で負った心の傷が癒えず、家庭内暴力を繰り返し、息子とは決して良好な関係ではなかった。当然息子が兵士になろうとしたときも反対したが、デズモンドはそれを振り切って兵士となる。
一つの山場でもある軍事裁判のシーンで、父親が元兵士の立場を活かし「良心的兵役拒否者」を守るための口利きをしたのは、父親が息子を認めた瞬間であった。
長年続いた親子の微妙な心のずれを解消したのも、デズモンドが頑なに自らの意思を貫こうとし、それを父親が認めたため。そして、デズモンドが銃を握るのを拒んでいる理由、信念を守り続けている理由が、父親に一度銃を向けてしまったことにあるという過去の経験にあるのも、美しい。
切っても切れない親子の絆のようなものを感じさせられるのが良かった。
そして、奥さんについては、前述したとおり、主人公を愛していながらも一般的な感覚を持ち合わせている視聴者に近い立場の視点を持っている重要な人物なんだよね。彼女がかなり視聴者の気持ちを代弁していた気がする。
ちゃんと史実に基づいた映画だった
映画の最後に、物語のモデルとなった実在の人物たちの映像が流れる。デズモンドについて彼の周りの人が何を思っているか、デズモンドが何を考えていたか。そういうのを生の声で最後に流してくるのは卑怯だよね。しんみりしちゃったよ。
てな感じで、つらつらと感想でした。いい映画だったけど、二度と見れないな。スゲー重かったもん。でも一度は見に行ってみるといいよ。