【勝手にふるえてろ】松岡茉優が可愛い(感想:ネタバレあり)
私のブログタイトルは大体以下のような構成となっている。
【タイトル名】一言で感想(感想であるという事実:ネタバレがあるかなないかの申告)
例えば
といったように。
もっと別の一言感想がないものかと一度書いてみて首を捻ったのだが、いや、まぁ可愛いものはしょうがないし、見ている間「何でこんなにも可愛いんだろう」と何度も思ったからその気持ちを素直に綴っただけである。
まぁいいんだ。とにかく見てきた、「勝手にふるえてろ」。私が昔好きだった作家、綿矢りさ原作・大九明子監督の作品。原作の「勝手にふるえてろ」も昔読んだんだけど、内容はほぼ忘れた状態で映画版を見るに至った。
現実にいたとしたら見るに堪えない痛々しいヒロイン:ヨシカが、松岡茉優持ち前の可愛さと物語に散りばめられているくすっと笑えるネタ(本作はかなりコメディ寄りだ)で見事に緩和されており、直視するに値する程度の絶妙なバランス感を保っている。
私の記憶が正しければ原作はもっとヨシカと彼女に付きまとう「ニ」が痛々しく描かれており、特にヨシカの心情など毒毒しくて、痛々しくて、読んでいて苦しいぐらいだった。よくある人間の汚い、直視したくないような一面をリアルに鮮明に描くのが綿矢りさの魅力。僕が一時期ハマった理由であり、離れた理由でもある彼女のエッジの利いた描写は、映像化することで随分マイルドになっていた。
まぁ色々言ったが好きな映画だったので、ちょいちょいと語っていく。
ネタバレありなので注意。
ヨシカがいそうな痛々しい女子。でも憎めない。
ヨシカが可愛い。彼女は人間関係を難しく考えすぎている。考え過ぎ、意識し過ぎの結果、我々が当たり前のようにできている人間関係がぎこちなくなってしまう。
「ペダルをこいで…ハンドルはこう握って…」と意識して自転車に乗る人は、自転車に乗るのが下手な人だ。そんなこと意識しないで自らの身体の様に操れている人は、自転車がちゃんと乗れる人だろう。コミュニケーションが苦手な人というのは、前者のように一々考えてしまう。ヨシカは人間関係を、コミュニケーションを極端に考えてしまう女の子。
我々の身の回りにギリギリいそうなレベルの変人なのだ。「ニ」が「分からないところが魅力」と終盤に語っていたが、全く同意である。魅力がある神秘性があるような、変人。
24歳なのに中学時代からろくに話したこともなかった「イチ」がずっと好き。脳内に彼を召喚して恋愛した気になって楽しんじゃう。そのため、処女。でもどうでもいい空気の読めない、だけど優しい「ニ」に告白されて舞い上がっちゃう。
「イチ」に再会するために積極的になるけれど、コミュ力高めの女の子に先を越されて結局詰めはうまくいかない。女友達に恋愛相談をしておきながら、自分のクリティカルなコンプレックスをつかれた瞬間激昂する。コンプレックスをこじらせて妊娠した、なんて言っちゃう。
彼女の一々極端な考え方をし、行動してから考え、必ず後悔するような生き方はまさしく世間に居がちな「この人接しにくいなあ」という人そのものである。
リアルにいればどうしようもない痛々しい女性なのだが、そこはドラマの力が働いており、松岡茉優持ち前の魅力で「がんばれー」って気持ちで見れてしまう。一歩間違えればうざいヒロインで終わるのに、僕は物語の最後に「何て可愛い人なんだ」とほのぼのしてしまった。
だって、可愛いんだもの。男は、いや、男はというよりも、僕はバカである。単純なのだ。
まぁそれだけでなく、ちゃんと演出も工夫していた。ヨシカは逐一自分の感情を第三者に吐露する。映像作品にしては多すぎるほどの丁寧な彼女の感情の説明が、我々視聴者を置いてきぼりにしないようにしている。
ヨシカが話しかけていたと思っていたのはただの彼女の妄想で、彼女は誰とも話しておらず脳内で会話していただけだった、ということが物語の中盤で明らかになるのだが、あれは良く出来た演出だと思った。
彼女の感情を丁寧にヨシカ本人に語らせることが出来るだけでなく、「イチ」に名前を憶えられていなかったヨシカがなぜ覚えられていなかったかの理由が視聴者に明確に伝わる(つまりは、他者と関わっていたつもりで、他者と関わっていなかったことが原因)。
公式HPにヨシカは「絶滅危惧種ヒロイン」と紹介されているが、まさしくその通りで、物語に大切に育てられながらしっかりと最後に「ニ」と結ばれる。その過程を得体の知らない生物を観察するような感覚で楽しめるのがこの映画の魅力なのだ。
人との関係がテーマ
前述したが、ヨシカは片思いしていた「イチ」の気持ちは一切理解しておらず、さらに「イチ」には名前さえ憶えられていなかった。その時、彼女の世界は崩壊する。
話している、仲良くしているつもりだった街中の愉快な友人達は、ただ一方的に見ていただけの人間。
彼女はまともに人間と向き合うことをしていなかったことが中盤で明らかになるのだ。
そこからの彼女の狂いっぷり(恋愛相談までしていた友人への暴言、「ニ」の切り捨て、妊娠偽装)といったら最高である。確かにこじらせているのだが、それは「人と向き合う、感情をぶつける」という彼女が今までまともに出来ていなかっことへの挑戦でもあるのだ。そしてラストシーンには「ニ」との激論の末キスまでしちゃう。
何たる進歩。人間関係が構築されるまでの段階(関わらない⇒とりあえずぶつかる⇒和解する)を一つ一つ歪に上り詰めていくヨシカの姿に涙が止まらない。
「勝手にふるえてろ」はコミュ障が人間関係を体当たりで学んでいく成長物語なのだ。同じくコミュ障の私は、「あぁ、、あああ!!ああああああ!!!」と悶絶しそうになった、愛おしくてしょうがないのである。
ギャグ のおかげでテンポが良い。
ラブホ前の攻防。ニックネーム「オカリナ」さんの本名。コンビニ店員の正体。そして何より「ニ」の言動の8割。面白い!ポイントが作ろうとしているからこそ、「痛々しい話」ではなく「笑える話」として肩の力を抜いて見れる映画になっている。
特に「ニ」は良い。へなっとしたやらかい笑顔を浮かべる渡辺大知を「うざい」と切り捨てる奴はまぁいない。あんなに良さそうな人なのだから、「ニ」を許せる気持ちになる。松岡茉優もだが、渡辺大知も相当のはまり役で、「勝手にふるえてろ」はこの二人に支えられた作品であるといっても過言ではない、と思う。
まとめ
松岡茉優は、可愛い。