【アントマン&ワスプ】ポストクレジットの内容が気になって気になって(インフィニティ・ウォーのネタバレもあり)
見てきました。MCUファンとしてはインフィニティ・ウォー後初の作品としても期待をしていたのだけれど、、、
ざっとネタバレしながら感想を書きます。
感じざるを得ないスケールダウン感
ブラックパンサー、インフィニティ・ウォーとMCU作品が続いている中、上がり切ったハードルを乗り越えられなかったのではないか、というのが素直な感想。
作風もスケールも違うシリアスな作品が続いた中で、インフィニティウォー直前の話をGotGほど振り切れていないコメディタッチのヒーローアクションにしてしまったのはまずタイミングが悪かった。
また、前作アントマンで感じた身体が小さくなるという特性を活かしたアクションも目新しくなくなってしまったのも残念。
本作は「小さいならではの描写」は少なく(ミニマムサイズにカメラのフォーカスがあまり当たらない)、サイズを変えることが出来ることを活かしたアクションに振り切っていた印象だ。小さくなり姿を消し、次の瞬間別の角度から攻撃をする・・・といったスピード感溢れるアクションは良かったのだが、1作目で形成されたアントマンへの期待はそれではない、と言った感じ。
本作ではアントマンが結構な頻度で巨大化するが、やはり小さくなった世界での描写の方が面白い部分はあったので、あまり印象に残らなかった。
というのも、本作のヴィランは物をすり抜ける能力を持った女性と、スーパー能力を持たないヤクザみたいな人である。シビルウォーのように圧倒的な戦力を持つ連中の中での巨大化は映えるのだが、どうも本作のヴィランが相手だと巨大化は盛り上がらない。
とは言ったものの、ちゃんと映画として面白い
今回はアントマンだけでなく、ワスプも主人公。
公式でも「頼りなさすぎるヒーロー・アントマンと、完璧すぎるヒロイン・ワスプ。」と謳っているように、基本的な話の流れは
①アントマンがヘマをやらかす
②ワスプがフォロー
③とはいったものの、ワスプもピンチに陥る
④そんな時にはアントマンが活躍
を繰り返している感じだ。
新ヒロインのワスプに焦点が当たるし、元々アントマンはダメ人間っぽいところがあったので、「ワスプを立ててアントマンを落とす」という印象は一切抱かなかったので、そこはバディとして絶妙なバランスを保てている。
もはや「彼らはセットじゃないといけない」という印象を持たせることには成功した。
話の流れとしては、
■量子世界に囚われたワスプのお母さんを取り戻そうとしラボにマシーンを製造
■身体がすり抜ける本作のヴィラン「ゴースト」がワスプのお母さんの命を源とし、自らの身体の不具合を治そうとする。そのために、ラボ(アントマンの世界観なので、キャリーバックサイズに縮む)を奪おうと画策する。
■ヤクザみたいな一般人もビジネスのために、ラボがほしい。
■上記3勢力の皆で、ラボの奪い合いが行われる。
みたいな感じで、ずっと追いかけっこをしているような状態だ。そのため起承転結がはっきりしていないのっぺりした話になっている。合間合間で刺し込まれるコメディちっくなシーンで笑い、小さくなったり大きくなったりアクションでわくわくするのが本作の基本的な楽しみ方だ。
インフィニティウォーの結末は?
もはや見る前からポストクレジットの内容が気になって仕方がなかったのだが、案の定ポストクレジット中の映像でサノスの指パッチンの結末が描かれる。
■アントマン(スコット)⇒生存/ただし量子世界に取り残され元の世界に戻る手段が現状内
■ワスプ(ホープ)⇒消滅
■ハンク(ホープの父)⇒消滅
■ジャネット(ホープの母)⇒消滅
■ゴースト(本作のヴィラン)⇒不明
ワスプは家族を取り戻し、アントマンは量子世界に本作のヴィランであるゴーストの容態を安定させるための素材を取りに行く。しかしその素材の採取に成功したが、アントマンを元の大きさに戻す装置が作動されない。なぜなら、指パッチンでホープの家族は全滅してしまったから。
というのがポストクレジット中の映像の内容。
アントマンは実質動ける状態にいないので、4作目アベンジャーズは初期メンバーとキャプテンマーベルが主に動く感じになる感じだろう。量子世界には謎の可能性が秘められているので、中盤ぐらいからアントマンが絡みだす可能性もなきにしもあらずだ。インフィニティウォーで活躍できなかった分しっかりとした見せ場を作ってほしい。
だけど、せっかくバディ感を本作で醸成したのに、ワスプだけ消滅というオチはなかなかもったいない気がする。
本作のクライマックスである家族の再開シーンも、インフィニティウォーの結末を知ってしまっているから手放しに喜べなかったし・・・。
MCUという大きな枠組みの中での1作品を創るってやっぱり難しいんだな、と改めて感じた作品であった。
君の膵臓をたべたい(2018/アニメ)と特典『父の追憶の誰かに』の感想(ネタバレあり)
見てきた。
当ブログにおいては、「君の膵臓をたべたい」について既に2つの記事を書いており、
原作、実写映画についてあれこれ語っているのだが、特別強い思い入れがあるというわけではない(つまり、内容について詳しく語ったり、この描写が・・・というマニアックな説明が出来ない)。
だが、アニメ版「君の膵臓をたべたい」、とても好きな映画だった。
ネタバレありで感想を書きたい。
原作が好きな人は確実に楽しめる作品
原作を読んだのが遥か昔なので、微細な部分のストーリー展開の違いがあったかもしれないが、基本的には原作の内容を忠実にアニメーションに落としている。
原作の内容と大きなブレがないので、小説が好きな人が望んでいた映像化作品であると言えよう。実写版は大幅な改編が入った挙句、大切な要素を改編していたので、原作ファンは不満に思ったかもしれないが、本作においてはその恐れは一切ない。
(「君の膵臓をたべたい」の意味も丁寧に解説されていたし、共闘文庫を読むタイミングも内容も変わっていないし、ちゃんと高校時代に恭子さんに友達になってくださいと伝えている)
原作で私が好きな描写は、他者が「僕」の名を呼ぶときに、「僕」が考える相手にとっての自分の印象を墨付カッコ【】で囲って描写しているところなのだけれど、映像化でその描写を再現するのは困難なものの、彼と桜良さんとの会話の中でそのこだわりについての言及もされており、最大限の配慮がなされていたと思う。
小説が原作なだけあり、「僕」の心情はうるさくない程度にナレーション形式で体ねぇ位に説明されているし、原作のエピローグの部分はしっかりとエンドロール後の映像で流すといった細かい配慮も申し分ない。
もうこれだけで、原作がありきの映像作品としては満足してしまう域に到達しているのだ。
アニメーションならではの魅力
本作は「原作が小説のアニメーション」のお手本のような作品だと思っている。
原作の良さを踏襲しながらも、映像と音楽の力でそれを助長させ感情を揺さぶってくるのだ。
まずは音楽。
『君の膵臓をたべたい』sumika「ファンファーレ」付き特報
本作はOP,ED,劇中歌をすべて「sumika」が担当していて、彼らも本作に標準を合わせた曲を書いてきていることもあり、中々良い。
特にOPのファンファーレは物語の始まりを感じさせる爽やかな曲調でとても良かった。短いが、桜の下で「僕」と桜良が並んでいる絵面が綺麗なのだ。
「Lovers」いいなぁとyoutubeで聴いてた彼らがいつの間にか売れてるバンドの仲間入りをした挙句、大型タイトルとタイアップしてるなんて感慨深い。
あとは本作の大切なモチーフである「桜」がビジュアルとして目に見えて、しっかりと美しいのが原作では楽しめないポイントだろうか。
物語のクライマックスである「僕」が桜良の遺言を読むシーンだが、あの部分はアニメーションならではの装飾がなされており、桜良が「僕」に貸した『星の王子さま』のモチーフになぞられて、桜良と「僕」が会話するような形で描かれている。
※「愛読書は人となりを表す」と言っていた「僕」が、桜良の死後、彼女の唯一愛した書籍「星の王子さま」を読んだからだろう。「僕」のイメージする桜良像が描かれててとても好きな描写だ。
その時、花畑のように桜が広がっているシーンがあるのだけれど、桜良の手紙の内容も相まって感情を揺さぶってくし、その直後か直前か記憶が混濁してて覚えてないのだけれど、「僕」と桜良との思い出がいくつもの一枚絵として次々と映し出される描写があるのだけれど、あれは卑怯である。否応なしに涙ぐんでしまう。
キャラデザが良いので、「僕」と桜良がハグをするシーンもとても暖かく感じられる。ハグする後ろで満開の花火という青春物の様式美もしっかりと抑えられていて、言うことなしだ。
逆に違いは?
僕の読解力がないからなのか、原作では「僕」の桜良への感情も、桜良の「僕」への感情も、かなりぼやかしていたと思っている。だからこそ、エピローグの「本当は好きな子は君だったんだ」的な文章がとても良いのだが、映画版にはそれがない。
映画版だとかなり序盤から「僕」が桜良を女の子として見ているんだろうな、という描写がかなり多めで、桜良もそれを助長させるような思わせぶりなことを言うものだから、もはやこれが恋愛じゃなくて何なんだ、という印象を持った。
「友達でも恋人でもない大切な人」という関係よりは「付き合ってるだろこいつら」的な印象が強く、作中でクラスメイト達から勘違いされても仕方がないな、と思わされる。
何というか、原作は文字が多くのっぺりしている分、そのイチャイチャ感はあまり出ていなかったのだけれど、いざ絵を付けて声を付けるとやっぱりこいつらのそれは恋愛だよな、と思ってしまったというか。
「彼らの絶妙な関係性」が恋愛に近しい形で落とし込まれていたような気がしたのが、少し残念なところだろうか。
特典『父の追憶の誰かに』について
公開初日に見てきたのだが、こんなのを渡された。
32ページの短編で、『君の膵臓をたべたい』と世界観を共有している作品である。「僕」と桜良の兄の娘が墓参りをしているのを浮気と勘違いした「僕」の娘(=ふゆみ)が、恭子とガムの人の娘(=あんず)と一緒に尾行をする話である。
大人になった「僕」は出版社に勤めていて、既に家族との生活を人生において一番幸せな時間だと過去を乗り越えている。それでも、桜良との時間は大切であったことが言及されている。
原作ファンにとっての完璧な救いの物語。良い続編であった。
ちなみに、後半には高杉真宙さん×住野よるさん、Lynn×住野よるさんの対談が掲載されているので、そこもお楽しみ。僕はあまり作者が作品について語る機会は好きじゃないので、まだ未読ですが、きっと良いことが書いてあるはず。
【ペンギン・ハイウェイ】夏の少年とお姉さんのおっぱい(感想;ちょっとネタバレ)
見てきた。
森見登美彦氏が好きなのだが、「ペンギン・ハイウェイ」は原作からしていわゆる森見登美彦らしさ(腐れ大学生×京都)から外れたかなりの意欲作だったので、見るのが楽しみだった。
※ただし遥か昔に読んだので、ディテールは思い出せないほぼまっさらな状態で鑑賞。
とても面白かったので、物語の核心には触れずに感想を書きたい。
あらすじ
ABOUT THE MOVIE|映画『ペンギン・ハイウェイ』公式サイト
こちらを読んでいただきたい。
簡単に説明すると、
■研究熱心な小学四年生のアオヤマ君が主人公。
■アオヤマ君が住む町にペンギンが出現
■アオヤマ君が大好きなお姉さんが、ペンギンを出現させる力があることが判明。
アオヤマ君はペンギンとお姉さんの謎について調べることにする。
■さらに、アオヤマ君の同級生のハマモトさんが発見した謎の球体、通称"海"の研究にも
同級生のウチダ君と一緒に取り組むことに。
■お姉さん、ペンギンたち、海の関係を少しずつアオヤマ君は解明していく。
物語のクライマックスで、アオヤマ君がその謎を解き、街のピンチを救う。
といった感じだ。
スタッフ/キャストの話
劇場を後にしてから、記事を書くために調べたのだけれど、変な声が出てしまったので、言及しておきたい。
監督:石田祐康氏
僕はアニメにあまり精通していないので、初めて見る作品だなあと思っていたら、見たことがあった。
2009年に発表された自主制作アニメーションらしい、当時目にして驚いた記憶がある。
女子学生がすごい勢いで、パンツ丸出しで、街を突き抜けていく作品である。
ペンギンハイウェイのクライマックスシーンでも、アオヤマ君、お姉さんがペンギンたちと一緒に街をすごい勢いで駆け抜けていくシーンがあるのだけれど、「フミコの告白」に近しい疾走感があった。
(もちろんグレードアップしているけれど、ルーツがここにあるんだな、と明確にわかる程度には似ている)
「フミコの告白」が気に入った人は、大画面・大音量の劇場でグレードアップしたアニメーションを見れるってだけでも、足を運ぶ価値があるぞ。
脚本:上田 誠 氏
本作、彼が監督をしていることを知らなかったのだけれど、本作のオープニングで彼の名前が出たときとても安心した。
森見登美彦作品は幾度かアニメ化されているが、上田氏が脚本を担当している作品は「四畳半神話大系」および「夜は短し歩けよ乙女」。原作の雰囲気を損なわずに、原作より長尺のアニメ版(四畳半)、そして劇場版向け(夜は短し)に内容をアレンジした手腕がある。
今回は原作をあまり覚えていない状態で見たので、「原作と違う!」問題はあまり発生しないとは思っていたが、それにしても彼が脚本を担当しているのは森見ファンとしては安心ではあった。
声優たち
所謂本業声優ではない人が混じっているが、基本的には皆さん上手。
アオヤマ君のお父さんを担当しているのが西島秀俊氏なのだが、皆がアニメーション向けの声を当てている中で、彼がのっぺりしているような印象を持つが、確実にアオヤマ君のお父さんのキャラクターを狙った演技なので、まあそこまで気にならない。
特にお姉さん(CV蒼井優)と、ウチダ君(CV釘宮理恵)がはまっていたので良し。
ウチダ君が最高に可愛い小学生やってた。釘宮理恵さん強いわ。
小学生の視点で「夏の小冒険」が楽しめる
本作の魅力は、小学生の視座で夏の物語を捉えることが出来るところにある。
「夏っぽさ全開の画像を見ると、胸が締め付けられる」という経験をしたことはあるだろうか。本作は、それを約120分間楽しめるイメージ。
それも、感受性が豊かで、瑞々しい感性を持った子どもの視点で夏を楽しめるのだから良い。
小学生同士のとか自由研究とか冒険とか年上の憧れのお姉さんとかどうしようもない別れとか、そういった「懐かしい!ちょっと切ない!」というノスタルジー要素が夏に乗っかった感じだ。
もちろん、本作がこのような作品として完成されたのは、「小学生の物語なんて感情移入できないよ」とならない工夫が散りばめられているからだと思う。
例えば、基本的にカメラが小学生の視点になっているので、アオヤマ君の目で物語を楽しめるようになっている。こういった細かい配慮が没入感を作り出している。
話が少し逸れるが、タイトルに書いた「お姉さんのおっぱい」が好きなアオヤマ君の目線で物語を楽しめたらどうなるか。そう、お姉さんのおっぱいが常に強調されているという素敵な物語になるのである。こだわりがすごいので、楽しみにしていてほしい。
あとは、脚本で言うと、アオヤマ君は「小学生」という枠とは多少外れた、大人びたところがあり、ある程度物語に破綻をきたさない行動が出来かつ大人としっかりと対話ができる存在であるのが大きい。
そして、彼を正当に評価する大人の目線(お姉さん、アオヤマ君のお父さん、ハマモトさんのお父さん)が物語の随所でしっかりと描かれている。そのお陰で、アオヤマ君が、大人である我々が理解できる存在として成り立っている。
お姉さん、ペンギン、海の謎も程よく、アオヤマ君と一緒に考えながら作品を見られるというのも楽しみの一つだ。
最後に余談だが"夏感"の中でも私が好きだったのは、光の描写のこだわり。
水の描写が結構多いのだけれど、ちゃんと水に光が跳ね返っている感じが見て取れる。
あとは森のシーン。カメラの移動にあわせてしっかりと暗くなったり明るくなったりと木漏れ日がしっかりと書かれているのね。「あぁこれが夏ですよ」って気分になった。
余談
エンドロールの最後にアオヤマ君とお姉さんが背中合わせで座っている絵が出てくるんだけど、物語をすべて見終えた後のあの一枚が一番感情を揺さぶってきた。
小学生のアオヤマ君にとって、最後まで理想のお姉さんで居続けたお姉さん、大好き。
【詩季織々】小説に映像が付いた感(感想:ネタバレあり)
見てきた。
コミックス・ウェーブ・フィルムの新作。やはりどことなく絵柄に新海誠作品感がある。
世界観を共有した3つのショートストーリーが展開される、日中合同アニメ映画。調べてみると、中国の生活基盤である「衣・食・住・行」がそれぞれ3作品にテーマとして割り振られているらしい。
舞台はすべて中国の都市で、制作に中国のアニメ制作会社が関わっていることに興味を持ったので視聴。
タイトルにも書いたけれど、「説明し過ぎる映画かな」と思ってしまった。
動きや会話などで登場人物の感情を表現するのではなく、映像の裏で登場人物(主に主人公だけど)が考えていることを丁寧にナレーションで説明している。
良しあしはあると思う。ナレーションの言葉選びは美しく、主人公の感情がとても丁寧に語られているので、「この人は何を思っているのか」が明確にわかる。
しかし一方で、映像作品なのだから、皆まで説明せずとも、視聴者にゆだねて動作で感じ取らせる努力は必要なのではないか?という疑問を浮かぶ。
というわけで、「映像が付いた小説っぽい」と評価させてもらった。こればかりは完全に好みだと思うが、まぁ一般的な映像作品よりは明確に説明し過ぎだ。
各作品についてちょっとだけ感想を書いてみる。
「陽だまりの朝食」
イシャオシン 監督の作品。
一言で言ってしまえば、主人公がビーフンを通じて過去を振り返る話。
って書いてしまうと「なんだそりゃ」って思うかもしれないが、「食」を通じたエピソードって確かに鮮明に頭に残りやすいよなって共感はあった。
ナレーションがとても多くてビックリした作品。
「小さなファッションショー」
竹内良貴監の作品。
モデルの姉と服飾の勉強をしている学生の妹が二人暮らしをしている話。
姉は素敵な姉でいたし、モデルとしての活躍したい。若いモデルが台頭する中、焦りを感じた姉は無理をしてファッションショー当日に倒れるという失態を演じてしまう。
モデルとして復帰することを諦めようとしていた姉のため、妹が服をこしらえて復帰のチャンスを作ってあげました。
って話。
3作品の中では一番起承転結していて、物語としてすっと頭に入ってくる構成だった。日本人の価値観で一番理解しやすい内容の話だったと思う。監督が日本人ってのもあるかな?
「上海恋」
リ・ハオリン監督の作品。
青春・恋愛・すれ違い⇒大人になってからの和解
という恋愛の王道を貫いている。
物語は大人になった主人公が過去を振り返る形で進行。
幼馴染の主人公とヒロインは仲良くいい雰囲気だったが、ヒロインが遠くの高校を受験することを決め、関係がぎくしゃくしてしまう。主人公も同じ高校を受験することを決めたのだが、同じ高校を受験することも、同じ高校に行きたいという思いも伝えられないまま。
結果、主人公は高校に合格し、ヒロインは不合格となってしまう。
しかし、ヒロインは主人公と同じ高校に行くためにわざと受験に失敗していた。という事実を、主人公が大人になってから知った、という話。
「どこかで見たことがあるなあ」という印象が拭い取れなかったので、感動ポイントが「やっぱり」となってしまっていたのが残念だった印象。
あとは結構恋愛感情はストレートな言葉で伝えてしまうんだなと思った。「友達以上恋人未満」ではこの言葉を使わないだろ?みたいなこってこてな好意を伝えているのとほぼ同義のやりとりが展開されていたのが面白い。
総括
新鮮な作品ではなく「どこかで見たことがあるなあ」という印象はぬぐい取れなったが、細かい描写ややり取りの中で、中国の文化や感性を感じ取れたのは面白かった。これもナレーションで丁寧に主人公の感情を描写しがちな全体の構成の恩恵であるような気がする。
【オーシャンズ8】あなたが8人目か(感想:ネタバレあり)
見てきた。
オーシャンズ11は最近DVDで借りてみたのだけれど、12、13の記憶は曖昧。
本作はオーシャンズ11を見て楽しめた人だったら、楽しめる作品だったと思う。
「オーシャンズ8を見に行きたい!」と思う人なら、全員損せず帰れる良作だったと思う。
簡単にネタバレありでざっくり感想を書いておく。
いきなりネタバレだぞ。
オーシャンズ11と世界観は共有している
サンドラブロックが演じるデビー・オーシャンは、ダニーの妹。オーシャンズ11の登場人物も本作に何人か現れる。
本筋には関係ないぐらいの関わりかな~って思っていたら、結構ガッツリ盗みのトリックに使われている。
本作のターゲットはカルティエの豪華なネックレスなわけだが、カルティエネックレスだけを盗んだと思わせておいて、舞台の美術館に飾られていた他の宝石を根こそぎ奪ってきていたというネタ晴らしが後半行われる。
で、そのトリックに噛んでいたのが、イエン(体術がすごい人)。
いや、そこで前作のキャラクターに頼っちゃうのかよ!?
って正直思ったけれど、まぁダブルサプライズってことでよかったのかもしれない。
アンハサウェイの立ち位置が美味しすぎる
本作のターゲットはアンハサウェイという触れ込みなのだが、本当のターゲットはデビー・オーシャンが入獄する理由になった男性(デビ―はハメられた)。宝石を奪うのが本作の表のミッションだが、裏のミッションはその罪を男性に着せるというもの。
オーシャンズ11では元妻の現恋人をハメていたけれど、本作は元カレ(ビジネスパートナー?)をハメている。基本的に物語の流れは11と8で同じなのだけれど(ジョージクルーニーの立ち位置でサンドラブロックが、ブラットピットの立ち位置でケイトブランシェットが活躍する)、女性版と男性版でそういったディテールが異なるのが面白い。
で、アンハサウェイが美味しい立ち位置過ぎる。
物語中盤、宝石盗みが完了するまで彼女はターゲットとして描かれているが、結果実はオーシャンズ8の仲間でした~というネタばらしがある。
自己顕示欲が強くて、ちょっと間抜けな感じがするターゲットだったのに、物語の中盤で実はオーシャンズの悪事に勘づいていて、完全犯罪のために仲間入りするという掌返し。
僕はもともとアンハサウェイが好きなのだけれど、彼女の魅力がぎゃんぎゃん突き刺さってくる映画だった。
見せ場が綺麗
舞台はメットガラ。来賓はみんな着飾ってくるわけだけど、オーシャンズは各々役割を持ちメットガラに潜入し、ミッションコンプリート後にはバラバラに分解された宝石を各々が身に着け優雅にその場を立ち去っていく。
彼女らが出ていくシーンでは、スタッフとして潜入していたメンバーもきれいにドレスを着飾っているわけ。「やってやったぜ」感があって好き。各々が主役っていう結構見せ場だと思う。
おまけ
なんというか・・・感想が書くのが難しいって言うか、マジもんの優等生映画って、書くのに困るんだよなあ。普通に面白かったし、ぶれなく皆楽しめると思うので、友達とかと見に行くには最高の映画だと思う。
【カメラを止めるな!】前情報一切なしで1回目を見た直後に、2回目の上映に駆け込みたい映画(感想:ネタバレあり)
話題になっているので、見てきました。話題になっているだけあって、とても面白かった。
TOHOシネマズ新宿で見てきたのですが、TCX(大きいスクリーン)でこれだけの回数上映されてるなんてとっても推されているじゃないか。
↑2018年8月14日の公開。8時40分からの回を見てきたのだけれど、人でいっぱいだった。
これはこの映画が面白くなる最大の"ネタ"をバらさないと感想が書けないので、ネタバレしながら魅力を解説するぞ。細かい内容はそこまで解説しないけどな。
ちなみに、この映画は確実に前情報なしで見に行ったほうが楽しいので、これから見る人は絶対にこの記事を読まないでほしい。見た人だけが、スクロールを止めるな!
あらすじ(ここからネタバレ)
まずは公式のINTRODUCTIONから引用。
とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に 本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。
”37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル!”……を撮ったヤツらの話。
そう。撮ったヤツらの話である。
この映画の最大の魅力は、まずいきなり37分のワンシーン・ワンカットのゾンビ映画を見せられ、その後映画を撮った背景(映画を撮るまでの前段と、ワンカットムービーを撮影している裏で何が起きているのか)を描くという二段構成にある。
要は、いきなりB級感丸出しのゾンビ映画を見せられ、後半はそれをとった監督を中心とした、5割コメディに5割ちょっとだけ心温まるヒューマンドラマを混ぜたような映画になっているのだ。
唐突に始まるB級映画の隙が後半に繋がる
タイトルに書いてある通り、私は前情報一切なしで見に行った。
だが、何も知らなくても、「これはB級映画感がすごいけど、それにしてもおかしい」という明確な疑問点がいくつも浮かんでくる。
登場人物がカメラ目線で話しかける、登場人物が織りなす唐突な趣味の話、数々の役者の理解不可能な行動、謎のカメラワーク・・・。
その程度ではなく、37分の中に溢れんばかり意味不明が散りばめられている。意味不明が溢れて離散し、私の頭に様々な疑問がこびりつくのだ。
前半37分を見ているときは
「これはゾンビ映画をメタ(登場人物がとある作品に出演していると理解している)っぽく撮ることが魅力の映画なのだろうか。にしても滑ってるぞ。」
と思った。それだけ、酷い内容だったということだ。
しかし、その「明らかにおかしい」が後半に活きてくる。
明らかに普通じゃないゾンビ映画の37分の展開は、視聴者のツッコミと共に強く頭に残り続ける。
37分を終えた段階でピースが欠け過ぎたジグゾーパズルの一枚絵が目の前にあり、後半部分を見ていくうちに綺麗にピースがハマっていき、「そういうことか!」というある種の快感を視聴者にもたらす。
「あぁ、これはそういうことだったのね」を後半の物語の中に上手く仕込んでいるので、普通のコメディよりも爆発力があるし、登場人物の一つ一つの行動の背景を視聴者は食い気味に見る。
普通の映画とは違った没入感を、緻密な脚本が生み出しているのだ。
創作を完成させるという感動
本作は壮大な前フリ(作中の疑問点と、後半の撮影までのパート)からの撮影シーンのハプニングによる爆発力ある笑いだけでなく、一つの作品が完成される経過を共に体感できるプレミアムな作品である。
主人公は「安い早いそこそこのクオリティ」を自称するうだつの上がらない映像監督である。作品のクオリティにこだわりたいという思いがありながらも、スポンサーが第一でその思いさえ殺しながら撮影に臨む(映画監督志望の娘が良い作品を撮りたいという熱い思いを前面に押し出しているので、そのコントラストがとても良い)。
役者も問題だらけで統率しきれていない。そんな中ワンカット作品を撮り始めるが、現場に訪れた熱い思いをもった娘に影響されながら、彼は一本の作品をハプニングにもめげずより良い作品にしようと奮闘し、そして、我々が序盤の37分で見せられた作品がしっかりと完成する。
37分のB級ゾンビ映画は、後半の創作者たちのストーリーを経て、価値あるものに昇華されるのだ。出来上がった作品を知っているからこそ、後半のストーリーが映えるという捉え方もできる。相互に良い意味で補完し合っているのだ。
劇中カメラ目線で「カメラを止めるな!」と監督が熱い一言を発するが、前半37分を見ていた間は「なんだこれ」としか思えなかったのセリフに、それ相応の思いがあることを知る。
そういった関係者全員が血反吐を吐きながら(実際、血だらけになっていた)、協力しながら、一つの作品を撮るという熱い物語に仕上がっている。
ちなみに、ラストシーンの演出も憎い。
高い位置から撮影するためのクレーンが破損。番組提供側は生放送を止めないことを重要視しているが、監督としてはラストシーンを撮影することが作品にとって重要なので、何としても撮りたい。今まで自らの主張をしていなかった彼が、声を荒げるほどに。
一度は諦めかけるが、娘の提案で組体操のピラミッドで撮影することを決める。無事出演者やスタッフが組み立てたピラミッドの上から撮影は成功。
娘がピラミッド案を思いついたのは、監督が持ち歩いていた台本に、幼い娘との肩車の写真を貼っていたのを見たからだった。
それも撮影パートに入る前に、リハが上手くいかなくて泣きながら監督が昔の娘との写真を見て泣いているシーンがあり、しっかりと伏線を張っているのだ。
37分の作品で散りばめ抜いた伏線を回収しながらも、こんな仕掛けを用意しているなんて、もう頭が上がらん。
父親と娘ってのも、組体操ってのも、ズルいんだよね。組体操とかはさ、視覚的に一体感を生み出せるから最高の手法だと思うんだよ。「湯を沸かすほどの熱い愛」でもクライマックスで組体操使ってたけど、あれも感動しちゃうんだよね。組体操、ずるい。
おまけ:エンドロールも好き。
エンドロールで前半37分のメイキング映像が流れる。
実際はこうやって撮られたんだ、が分かって面白い。映画を撮る人の物語だったので、なおさらメイキング映像が面白い。
「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」がこの映画のコピーだけど、エンドロールはある意味「三度目のはじまり」だね。最後まで必見だよ。
【インクレディブル・ファミリー】復活のイラスティガール(感想:ネタバレあり)
見てきた。
ディズニーピクサー作品の中では「Mr.インクレディブル」が一番好きだった。
アニメガチ勢のディズニーピクサーが本気で超能力バトルを描いているだけでかなりのアドなのに、堕ちたヒーローの復活と家族の絆というテーマが個人的な好みとしてぶっ刺さっていた。姿を隠して活躍するヒーロー感が滲み出ているこてこてのテーマ曲も大好き。
で、本作である。原題が「incredibles 2」のところ、「インクレディブル・ファミリー」という邦題を付けたのはなかなか的を射ている。
本作ヒーローとして活躍するのはほとんどイラスティガール(=ママ)で、彼女が家庭を空けている間にMr. インクレディブル(=パパ)が子どもたち3人を抱えて家事に邁進するという構成。
クライマックスには家族全員がヒーローとして出そろうのだが、基本的には「久々にヒーローとして外で働くママ」と「今までヒーロー活動に気持ちを注いでいた中、家事育児と向き合うことになったパパ」の物語だ。
見終えた私は感動していた。本作が大好きなのだ。
女性が社会進出を果たし男性が家事をするという旧社会ではあまりメジャーではなかった、現代では当たり前になりつつある家庭像をユーモラスに、リアルに描いていたのも良し。「こういう家族っていいなあ」と視聴者に思わせてしまえば本作は勝ちであり、僕は少なくともそういう印象を受けたし、おそらく多くの人もそう思うであろう。
ヒーローファミリーではあるが、パー一家も普遍的な家族としての一面も兼ね備えており、その中で生活する登場人物達の心情が良くわかる。とても共感できる。
ピクサー作品にありがちなキャラクターに語らせちゃう説教臭い印象も本作はあまり受けない。キャラクターの表情や行動でしっかりと観客に伝えたいことを表現できている。
また、ヒーロー映画としてもしっかりと成立しているのもポイント高い。
はっきり言って、怪力のMr. インクレディブルよりも、身体が自在に伸縮出来るイラスティガールのほうがアクション映えする。本作のアクションは最高にクールで、特殊能力同士がぶつかる戦闘も最高だった。
おおよその感想は以上の通りだが、お気に入りポイントを説明していくぞ。
以下ネタバレ開始。
300字でわかるざっくりなあらすじ。
前作で活躍したのは良いものの、ヒーローは依然違法行為。
とあるお金持ちがヒーロー行為の合法化を目指し、イラスティガールに活躍の機会を与え、市民の支援を得ようと考える。ママはその提案に乗り、彼女がヒーロー活動に邁進する間、パパが家事育児の担当に。
目論み通りママはヒーローとして活躍し、ヒーロー活動合法化まであと一歩のところで、本作のヴィランであるスクリーンスレイヴァー(ヒーローを支援している資産家の妹)の策略で洗脳されてしまう。パパやヒーロー仲間のフロゾンも敵の罠にはまり、洗脳状態に。
しかし子どもたち3名の活躍で洗脳が解け、スクリーンスレイヴァーもイラスティガールの活躍で逮捕。無事ヒーロー活動は合法化されました。
こんな感じ。本作の主人公は間違いなくイラスティガール。彼女が事件を追う形で物語が進んでいき、その間ママがいない家族がどのように過ごしているかを挟んでいくという構成。
予告とキャッチコピー「家事!育児!世界の危機!」は完全に売るための戦略ですね。前作同様パパが主役で一家団結して世界を救う~的な触れ込みの方が、確かに人は集まりそうだ。
以下、せっかくだから家族の皆様ごとに良かったところを紹介するぞ。
ヘレンのアクションが楽しい
前述したが、間違いなくアクションは前作よりクオリティが高い。
序盤暴走した列車を止めるアクションシーンがあるのだけれど、まず暴走している列車をバイクで追いかけるのね。バイクの構造が前後で分離するようになっていて、その機能と全身が伸びる能力を生かして、障害物を交わしながら街中を走り抜けるわけさ。
ママ自身もパラシュートとして滑空する能力があり、ゴムの力を利用した跳躍力もあるので、バイクも合わせれば陸空両方を結構な速さで移動できるわけよ。そのスピード感がたまらなくいいのね。
また、後半味方のヒーローで空間を超えるワープホールみたいのを生成できるヒーローが現れるんだけど、彼女の空間移動能力とヘレンの伸びる能力が掛け合わされたアクションも面白いから必見。
こればかりは劇場で見てくれとしか言いようがないので、ぜひ見てほしい。
アクション以外のところなら、パパの陰に隠れてしまっていた現役時代から打って変わって、ヒーローとして脚光を浴びながらも家庭のことは忘れず、家事をしているロバートがいるからこそ活躍できているという気遣いを忘れていない彼女の人間力の高さが好き。
父親の家庭での無力感と成長
ロバートは家事育児ほぼ初体験。序盤ヒーローとして活躍したい!ばかり頭に浮かんでいた彼が、子供たちと向き合い、最後には「立派な父親になりたい」という気持ちで家事育児に取り組み、実際認められるという分かりやすいサクセスストーリーを踏んでいて、ヘレンのヒーローパートの「ついで」にならない出来栄えだった。
スーパーヒーローとして活躍していた彼が、家事育児で疲弊してボロボロになっている様は「育児の大変さ」を端的に表現できているし、ヘレンが大活躍しているニュースを見て嫉妬をしつつも、ヒーローとして活躍したいという感情を抑え、電話で妻を励まし、3人の子どもの三者三様の問題に必死に食らいついている様は父親のロールモデルを見ているようだった。結婚してないけれど、何だか「勉強になります」って気分だった。
ちなみに彼は終盤、娘のヴァイオレットにインクレディブルな父親と最上級の誉め言葉を受け取っている。ヒーローでは味わえない最高の父親としての喜びだよな、羨ましい。まさしく分かりやすく、かつ最高の成功体験である。
コメディ枠ジャックジャック
赤ちゃんだから何をしていても可愛い。何をしでかしても面白い。なおかつスーパーヒーローの能力を17(だったと思う)も持っているのだから、画面映えもする。
庭で遭遇したアライグマとの戦闘は必見。
可愛い枠ヴァイオレット
自らの正体を知ってしまったボーイフレンド(日本人的に言えば、片思いしている男の子)の記憶が消されてしまい、反抗期を迎える。
前作に引き続き、可愛い枠として大活躍している。思春期をこじらせた女の子、というだけでかなりのコンテンツ力だ。
父親の失敗を容赦なく責める枠かつ、最高の賛辞を贈る役として、ストーリー上でも大きな貢献をしている。
透明になる、バリアーを張るなどの戦闘映え・ヒーロー映えする能力を持ち合わせているので、後半の子ども達3人で両親を助けに行くシーンも
そして、ダッシュ。
何も考えないピュア枠として、頑張っていた。
本作は彼が活躍したポイントはあまりなかったような気がする。
前作はヒーロー行為に憧れていたっていう部分で物語上役割を持てたけど、今回は他の子ども達と役割被っちゃった上にジャックジャックとヴァイオレットのコンテンツ力高めだったから、仕方がない。
おまけ
本作はエンドロール後の映像なしだけど、エンドロール中にヒーローたちのテーマソングが流れるからお楽しみに。