【週刊少年ジャンプ】ブラッククローバー下書き掲載多すぎ問題
「ブラッククローバー」という週刊少年ジャンプにて連載中の王道少年漫画がある。
私は半年ほど前から週刊少年ジャンプを毎週読むようになって、基本的に掲載している全作品を読むようにしている。
ブラッククローバーは初期の数巻をコミックスで読み、王撰騎士団選出試験の途中からジャンプで追いかけている状態だ。当然間がすっぽり抜けているので、一から十まで楽しんでいるかと言われるとそうでもなく、しかしブラッククローバーは全体のストーリーをばくっとしか把握をしていなくても、各話や各編に手に汗握るような山場を設けており、週刊誌で読むには最高な漫画だと思っている。2018年23号(155話)のアスタとユノの見開きなんて、このページだけでお腹いっぱいになるぐらいじゃない熱い展開じゃないか。
現在のジャンプ連載陣で前後の脈絡なく読んで楽しめるものは「ヒロアカ」と「ぼくたちは勉強ができない」と「ブラッククローバー」ぐらいだと思う。それぐらいの瞬間最高風速を叩きだせる熱い少年漫画だと僕は考えている。
私は漫画を買う習慣がないのだが、週刊誌で追いかけている作品のうち面白いものはやはりコミックスで一気読みをしたいと思っているし、前述した「ヒロアカ」や「僕たちは(ry」は無事に完結してくれたら大切に読み直す予定だ。
しかし!残念ながらブラッククローバーにはまだ心が動かされないのである。
なぜならば、残念ながら「下書き連載」が多すぎるためだ。直近の23号も下書きの部分が一部あったため、この記事を書くのに至った。熱い展開だったのに、どうしてもその部分で水を差されてしまう。本当にもったいない。僕がジャンプをしっかりと毎週読み始めるようになってから、もう数回は下書き掲載をしている(最初魔法の光で顔の輪郭がぼやけているという演出的なものなのかと勘違いしていたが、2回目から違うということにようやく気付いた)。
そりゃ週刊連載だし、タイトなしょうがないという意見はあるかもしれないが、週刊少年ジャンプに掲載される1話1話は全て「コミックスへの準備」ではなく「完成された作品」であるべきだ。週刊少年ジャンプに読者は対価を払っているのだから、プロとして完璧な作品をあげるべきだろう。既にファンになっている人にとってはどうでも良いかもしれないが、週刊少年ジャンプを入口としてコミックスに至る層にとっては休載よりも印象が悪いのではないだろうか。
編集の方も作家をマネジメントして、完璧な作品をあげられないのであれば休載して次号に回すなどの措置が出来ないものだろうか。週刊連載のペースで原稿完成を完璧にマネジメントする難易度の高さは容易に想像できるが、そう何度も下書き掲載をさせるべきではない。明らかなにペースが乱れているので、せめてワンピースぐらいの掲載頻度に下げるべきだ。
せっかく面白い作品が週刊連載に忙殺されたゆえにファンや読者に臨まれない形で世の中に出て行ってしまっていることを僕は悲しく思う。どうにか、どうにか週刊少年ジャンプ読者の私の心の琴線に引っかかるような連載をしてほしい。せっかくの画力や魔法の迫力が一つの下書きで台無しなんだよ・・・。
という愚痴でした。作品自体は面白いのだから、ちゃんと完成された状態で週刊少年ジャンプを盛り上げてほしい。
ちなみに、ブラッククローバーの魅力についてはジャンプ+連載中の「ヒット作のツメアカください!」を読むといいと思う。田畠先生のこだわりや面白さの原点が知れて面白いです。
頑張れ田畠先生。長期休載だけはやめてくれよな。
BLEACHという漫画におけるキャラクターの魅力と、実写映画への期待について
2018年6月いっぱいでサービスが終了してしまうとのことだが、現在無料でBLEACH全巻を読める素晴らしいアプリが配信されており、それをフル活用してBLEACH74巻をすべて読んだ。
「BLEACHは尸魂界篇がピーク」という意見を多く聞くが、私はこの漫画は一貫して面白いと思っていた。尸魂界篇に入ってからつまらなくなったタイミングがほぼないと思っている。
なぜなら、魅力あるキャラクターがオシャレに活躍してるだけで心が躍るからだ。ストーリーやバトルマンガとしての整合性については他の漫画に比べて抜きんでているとは思わない(むしろ、バトルの展開がいつも一辺倒なので、そこら辺は評価できる点ではないと思う)。しかし、ただオシャレなセリフをカッコいい・可愛いキャラクターが喋り、カッコいい斬魄刀の能力で敵をなぎ倒す。その演出が楽しくて読んでいるのだ。
世の中には数多の漫画が存在しており、結構途中で読むのをやめる漫画も多い中で、74巻飽きることなく毎日ログインして読み進めることが出来る漫画の尊さよ。
愛すべきキャラクター達。彼らいかに活躍させるかを中心に据えたシンプルな物語展開と彼らの能力やおしゃれポエム。久保先生の抜きんでたキャラクターメイキング能力で74巻もの長編エンターテイメントは成り立っていた。
世の中にはストーリー展開の駒としてキャラクターを動かしているように見えてしまう作品が多くある中で、BLEACHのキャラクター達はしっかりと人間として生きていた。
ピンチになった時の見開きの増援に何度心を躍らせたか。卍解の能力説明に何度心をくすぐられたか。織姫の可愛らしさに何度胸をときめかしたか。74巻読み切った時点で私は軽いBLEACHロスに陥っていた。心のヒーロー、ヒロインを失った気分だ。
実写化してBLEACHのキャラクター達が輝くのか
映画『BLEACH』予告【HD】2018年7月20日(金)公開
昨今の漫画実写化ブームに乗り、BLEACHもついに実写化されるとのこと。
別に漫画作品の実写化に私は反対しないが(映画は面白ければ原作がどうこうなんてどうでも良い)、BLEACHの魅力を100分前後の実写映像作品で表現できるかが問題だと思っている。
BLEACH原作の魅力的なキャラクター達は、74巻もの積み重ねによって生まれている。一話一話のエピソードを通じて黒崎一護という主人公は完成しているし(序盤と終盤では主人公として貫禄が全く異なっているのがこの作品の感動ポイントでもある。成長したなあ、一護・・・って感じ)、一般的な作品に比べて少々多い主要キャラクター達がしっかりと作品の中で輝いているのは、彼らの生い立ちや現在の行動に至る背景を丁寧に描写しているからだ。それは漫画という長期連載が前提かつかいつまんだ描写が可能な媒体だからこそ出来る表現の方法であって、枠が決まっている映画ではなかなか難しいのではないかというのが私の一つの不安である。
とは言ったものの、実写版BLEACHを原作と全く同じ方向性で勝負する必要なんかなく、実写映画なら実写映画らしい武器で面白い作品に仕上げてくれればいいのだが。。。だとすると、BLEACHという既存の作品の看板が一つのハードルになってしまうような気もする。
何がこの映画を成功に導くのだろうか。
迫力のアクション?(流石に銀魂のアクションレベルではないことを祈りたい。予告映像見た感じだと大丈夫そうだけど)
手に汗握るストーリー展開?(原作で言うところの死神代行篇にオリジナル要素として恋次と白夜を絡ませるイメージだろうと予測出来てしまうのがちょっと苦しいが)
杉咲花ちゃんの可愛さ?(和服 is good)
漫画版を読んで感動したからこそ、実写版にも期待したい。
頑張ってくれBLEACH実写版。
もう「アニメ・漫画の実写化は無条件でNG」みたいな残念な風潮を助長するような作品を世に送り出さないでほしい。
余裕があれば見に行こうと思っています。
【名探偵コナン ゼロの執行人】私が期待しているコナン映画が帰ってきた(感想:ネタバレあり/犯人は記載なし)
見てきた。
コナン映画を見るのは「純黒の悪夢」以来。去年化物のような興行収入を達成した「から紅の恋歌」は「純黒の悪夢」があまり好きくなかったのでスルーしたが、友達に誘われたので今年のは見てきた。
想像を超えるクオリティで感動したので感想を書きたい。
とりあえず暴れれば良いだけのコナン脱却
8年ぶりに監督が変わり、立川譲氏が監督を務めた本作。絶対的な人気を誇る作品群の監督を務めたこだま兼嗣氏から本作に至るまで4名がコナン映画の監督を務めてきたが、今までで最も「推理」していて、犯人が犯行に至るまでの動機・探偵が犯人を追い詰めていく過程をしっかりと描けていた映画が「ゼロの執行人」だったと思う。それぐらい、従来のコナン映画と雰囲気が違った作品であった。
しかしとは言っても長年培われてきた劇場版コナンの形式美を大切にしており、年齢層が上がってきたコナンのメインターゲットを意識した大人も楽しめるミステリーに仕上げながらも、年齢層が低めな子どもも楽しめるような仕組みをふんだんに取り入れた長寿テレビ番組劇場版(ドラえもん・クレヨンしんちゃん・コナン・ポケモンの類)のお手本のような作品。
いや本作は非の打ちどころがないんだよ。一応「"名探偵"コナン」だから、しょうもない動機とかぐだぐだな推理・シナリオをごまかし、とりあえず蘭と新一とラブラブさせといて、激しめなアクションぶち込んでおけば良いって作品は、視聴者側のもうこりごりなの。そんな諦めに近しい感情をひっくり返してくれたのが「ゼロの執行人」だったということですわ。
前半パートが重たい(以下ちょっとだけネタバレ)
ストーリーはTOHOシネマズのあらすじから転載します。
東京サミット開催の地となる東京湾の新施設「エッジ・オブ・オーシャン」。サミットが開催される5月1日には、2万2千人もの警察官が出動するというこの超巨大施設で突如、大規模爆破事件が発生!そこには、全国の公安警察を操る警察庁の秘密組織・通称「ゼロ」に所属する安室透の影があった。サミット当日ではなく事前に起きた爆破事件と、秘密裏に動く安室の謎の行動に違和感を禁じ得ないコナン。その時、現場の証拠品に残された指紋が、かつて警視庁に在籍していた毛利小五郎の指紋と一致してしまう!これは何かの陰謀なのか。小五郎の逮捕を巡って敵対し始めるコナンと安室。果たして謎の存在・安室透は、敵なのか、味方なのか?
本作は【犯人を追い詰めるまでの推理パート(前半)】と【犯人の犯行により蘭が危険にさらされてコナンと安室さんが助けるパート(後半)】にざっくり分けられる。
前述した「ちゃんと推理している」というのは、前半パートが創り込まれているという意味。「ちゃんと歴代コナン映画の形式美を守っている」というのは、後半で蘭が危険にさらされて助けるとか派手なアクションをかますとかその手の我々が期待している「やっぱり今回もこの展開か~笑」をしっかりとやり遂げているという意味。
下手にやりたいことをごちゃごちゃに並べずに、潔く物語を2パートに分けて面白さを担保した手腕は流石。
私が感動したのはその前半の推理パートに当たるのだが、私でもついていけなくなるような場面がいくつかあったので、子どもにはほぼ無理だろう。一応子ども向けアニメでもあるコナン映画で視聴者が置いていかれてしまうリスクをとってしまうことはマイナスポイントかもしれないが、25歳の私が見る分にはこれぐらいがちょうど良かった。
あらすじにある様に、小五郎のおっちゃんが何者かの陰謀で逮捕されてしまうのだが、その背景を読み解き真犯人を暴くために、公安という組織、裁判における裁判所、警察組織、弁護人の立場などを丁寧に物語中で描く必要があるストーリー構成となっている。このそれぞれの立場の相関を整理するのが視聴者にとって難易度が高め。
しかしこの部分を乗り越えてしまえば、犯人が何を思って犯行に臨んだのか、各登場人物が何を考えて行動したのかがよくわかり、過去のコナン映画の一部にある「はwwwwなんだその動機www皆何を思って行動してるのか意味不明www」みたいなことにはならずに済む。
特に今作においては、登場人物それぞれが掲げる「正義」の価値観のすれ違いが大きなテーマになっているので、各人物の行動原理をしっかりと説明できないとテーマがお粗末なことになってしまいかねないし、後半の皆が期待しているコナン映画のカッコいいシーンが台無しだ。
要は前半の重たい部分は少々大人向けに寄りすぎた部分はあるけれど、半笑いでコナン映画っぽいアクション・恋愛・決め顔と決め台詞を見届けることにならないためにも、必要不可欠な要素であったと言いたい。
激しいアクションと子どもを置き去りにしない仕組みづくり
推理ちゃんとやれよ!とは言ったものの、最近のコナン映画の名物になっている人間離れしたアクションはしっかりと楽しみたいもの。本作のキーパーソンである安室さんが、人間離れしたカーアクションを見せてくれた他、例によってキック力増強シューズと花火型のサッカーボールが射出されるベルトを使ったコナンの「いっけー!!!」もしっかりと見れるので安心してほしい。
なお、いつもの蘭と新一のいちゃらぶもそれなりにあり、しかもコナンと安室さんが窮地にも拘らず恋バナをしてくれるというサービス精神旺盛なシナリオ。蘭をおざなりにせず、安室さんの恋愛観にも踏み込んだ我々の期待するストーリー展開となっている。
まぁ私は既に大人になっているので、子どもたちが上記した要素で満足するかはわからないが、最低限作り手が視聴者に子どもがいることを意識していることは伝わってきた(わからんけど、アクションが地味だったらもはや本作は子どもたちが追い手彫りを食らうだけの作品になっていたと思う)。
あとは彼らの年代に最も近い少年探偵団がしっかりと活躍しているのもポイントが高い。多少無理がある設定ではあったが、彼らを自然に物語の中で活躍させていたし、子どもが国家規模の危険を回避するのに一躍かっているという描写はこの映画のキッズにとっても興奮ポイントになるのではないだろうか。
原作ファンへのサービスシーンもある
「異次元の狙撃手」から原作に関わるような言及が増えてきたコナン映画。
※「異次元の狙撃手」では赤井秀一のお披露目、 「純黒の悪夢」ではラムの存在をにおわせるストーリー展開。
本作においても、ちょっとしたサービスシーンがあった。黒田兵衛という人物がおそらく公安における安室さんの上司にあたり、音声は明確になかったものの安室に対して「バーボン」と言っていると思われる描写があった(口パクの形がバーボンに見える)。
黒田兵衛はラムの特徴を一応押さえており、彼もラムの候補だと言われていたらしいので(原作はしっかり追っていないのでよくわからん)、彼の立場を明らかにさせる重要なワンシーンだったのではないでしょうか。
まぁ正直ここらへんはどうでも良いや。とにかく展開が気になるから早く原作完結してほしい。
まとめ
来年も立川譲監督の続投を希望する。
ちなみに、来年はキッドがメインの映画です。豪華の向日葵以来ですが、ちゃんと面白い作品になってくれることを期待したいですね。
【アベンジャーズ/インフィニティウォー】サノス様が主役(感想:ネタバレだらけ)
見てきた。MCUファンなら確実に楽しめる作品。よくまあここまで全員(アントマンとかホークアイとかはお留守番だったけど)活躍させながら、綺麗にまとめたものだ。
いきなりネタバレで感想書きます。ネタバレ怖い人は、回れ右。
後半にオチ部分のネタバレと今後の予想を書いてるから、オチだけ確認したい人はスクロール。
サノス、ヴィランの美学
感想で書きたいのはここだけである。サノスが良いヴィランであった、ということだけだ。
本作の主役はアイアンマンでもキャップでもソーでもなく、ヴィランのサノスである。
これは私が「サノスかっけー!!!ヒーローとか目じゃないぜ!!!」と逆張りの視点で考察しているからではなく、公式が意図して彼を中心とした物語として「インフィニティウォー」を制作していると思われる描写がいくつもあるから間違いない。
※この映画はサノスが野望を叶え、満足気に朝日(多分。劇中で朝日と言っていた気がする・・・夕日だったらごめん)を眺めるシーンで終えているし、MCU作品のエンドロール後に必ず表示される次回作をにおわせるメッセージ「xxxは帰ってくる」が本作においては「サノスは帰ってくる」であった。
サノスが抱く正義と、アベンジャーズをはじめとしたマーベルヒーローズの抱く正義のぶつかり合いを描いたのがこの作品であり、サノスの正義が本作(続編では共通の敵が現れてサノスが寝返るか、サノスが敗れるのだろうけど)においては勝ってしまった、というのが本作のオチである。
サノスがただのサイコ野郎で「全宇宙の人口を半分にする」という野望に背景がなければ彼はただのヒーローの餌食になる魅力無きヴィランで終わっていたのだが、彼という人物の掘り下げがしっかり行われていたのが本作の一番の魅力。
初代「アベンジャーズ」から存在を匂わせていた大ボスであったこともあり、彼の人物像への期待は長い期間を経てパンパンに膨れ上がっていたのだが、想像をはるかに超える味のある人物として本作で完成していた。
特に娘であるガモーラ(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーシリーズのヒロイン)との関係性がしっかりと描かれていたのが良かった。
GOTGシリーズにおける彼女やドラックスの語り口から「無差別に銀河中で殺戮を繰り返している悪役」としてのイメージが強く根付いているが、サノスは無差別に殺戮することこそが銀河を救うことに繋がり、その殺戮行為に苦痛を伴わせないためにインフィニティストーンを集め一撃で全宇宙の人口を減らそうとしているという信念を持って行動している。大きな野望があってからこその殺戮であり、その行為に対して心を痛めていないというわけではない人間らしさがサノスにはある。
※幼少のガモーラに殺戮の場面を見せないように顔を背けさせたシーンがあったが、幼いガモーラにとってその現場は残酷であるという認識をサノスが持っていたという象徴的なシーンであったと思う。
そういった人間らしい一面を覗かせるサノスを劇中で小出しにしていき、クライマックスでサノスがガモーラを愛してたという描写を差し込むのだから卑怯である。
魂のインフィニティストーンを手に入れるには、愛する者を犠牲にする必要があるのだが、サノスは愛する娘であるガモーラを自ら崖から投げ落として石を手に入れた。それも泣きながら、娘に愛を伝えてから。
このシーンから、世界が正しい姿を保つために心を苦しめながらも自らの信じる正義を貫いてきた彼の野心の大きさと本気度がヒシヒシと伝わってくる。そりゃ仲間の一人も犠牲にできなかったヒーロー側の陣営は負けるわな。
※本作ではドクターストレンジがアイアンマンを救うために、時間のインフィニティストーンをサノスに手渡し、ヴィジョンが額に持っているインフィニティストーンをギリギリまで破壊できなかったが故に多くの犠牲を出し、結果サノスの手に渡ってしまった。見事にサノスのやり方の逆を行っている。
彼の信念と感情移入できるだけの人間らしさを「インフィニティウォー」で初めて描き、彼をただのヴィランではなくキャップやアイアンマン達と同じように一つの正義の価値観を持ち合わせた人物であるということを印象付けることが出来た。だからこそ、彼はただのヴィランではなく主人公になりえたのだ。
なお、彼の圧倒的な強さの描写にも抜け目がない。本作に登場する多くのヒーローがサノスとぶつかり合っているが、ほぼ全員一撃で終了。
宇宙パートでアイアンマン、スパイダーマン、ドクターストレンジ、スターロード、ドラックス、マンティスが作戦を練ってギリギリのところまで彼を追い詰めるが、結果失敗。あのシーンはヒーローサイドの活躍を描くシーンなので、サノス自身の強靭さが全面に押し出されているわけではないが、これだけのスーパーヒーローが束になっても敵わないという意味ではサノスへの絶望感を視聴者に叩きつけた戦闘シーンだったか。
特に彼の強さを一発でアピールした冒頭のシーンが好きで、ロキがハルクを頼って窮地を脱しようとするが、純粋な殴り合いでハルクはサノスに敗れてしまう。シリーズを続けてみている人は分かると思うが、戦闘にハルクが現れたら大抵勝ちパターンで、我々視聴者もある種の安心感とハルクの圧倒的な暴力の爽快感を楽しみにしている部分もあるのだ。そのハルクが序盤の序盤で軽く退けられたのだ、サノスの強さが一発で分かる良シーンである。
ヒーローサイド、死に過ぎ。
この作品は大量のヒーローを登場させながらも、それぞれにちゃんと見せ場があるのが素晴らしいところだ。また、「ソー×GOTG組」、「アイアンマン×ドクターストレンジ(どちらもプライドが高いのが面白い)」などこれまで関わりのなかったメンバーがガッツリと絡むのがファンとしては嬉しいところ。
特にGOTG組は原作の軽やかなコメディ風のやり取りをどのキャラクターともこなしてくれるので、全体的に重めになりがちな本作のバランサーとして大いに機能していた。GOTGの合流を僕は一番期待していたのだけれど、しっかりと期待通りの動きをしてくれていた。
まぁヒーローたちのカッコよさは劇場で見てくれればいい。例によってアイアンマン、そしてソーが本作ではかなり活躍していた。次いでスパイダーマン、ドクターストレンジ、スカーレットだろうか。スターク社の派手な武器を搭載していない地球純粋人間組はどうしても「派手さ」で他のメンツに劣ってしまうのが残念だが、次回作に期待。
とは言ったものの、次回作が不安になるほど味方陣営が死んでいって私はビックリした。キャラクター多すぎるから絞ったのかな?
とりあえず、記憶にあるやつのみ書いてみる。映画長いし、抜け漏れあったらごめんね。
【サノスに手を下されて死亡】
・ロキ
・ガモーラ
・ヴィジョン
【インフィニティストーンによって人口半分になった際に消滅】
・ドクターストレンジ
・スターロード
・ドラックス
・マンティス
・グルート
・バッキー
・スカーレット
・ファルコン
・ニック(エンドロール後)
・マリア(エンドロール後)
といった感じで、多くのヒーローが死亡している。アベンジャーズ4で動かせるメンツを絞ったので、だいぶ次の展開を考えるのが楽になったんじゃないだろうか。今後公開される映画からある程度のアベンジャーズ4の展開が予測できる。
初代アベンジャーズの面々は全員生き残っており、シビルウォー後に顔を合わせていないキャップとアイアンマンは本作でも一度も顔合わせをすることはなかったので、続編で彼らが合流することはほぼ確定であろう。また初代アベンジャーズであったような集合シーンが見せてほしい。オマージュを希望する。
死んだキャラクターについても、GOTG3作目およびスパイダーマン2作目が決まっているので、おそらく彼らはアベンジャーズ4で生き返るだろう。GOTG組の主要キャラはロケットとネビュラしか生き残っていないので、彼らが復活しないとGOTG3作目の絵面が悲惨だ。スパイダーマンなんて、もはや主役不在になりかねない。
また、今後合流する可能性があるヒーローとして、本作のエンドロール後の映像にてニックが消滅する直前に救難信号を送ったキャプテンマーベル、2018年夏に主演映画が公開されるアントマン(ワスプも)が期待できる。
インフィニティウォーでは「自宅謹慎」として話題として上がるだけの参戦となったアントマンだが、あんなに面白いキャラクターを放っておいてはもったいない。おそらく「アントマン&ワスプ」は時系列的にシビルウォーとインフィニティウォーの間だろうけれど(世界の半分が消滅した世界では物語が展開しにく過ぎない?)、エンドロール後とかに次回作への参加を匂わせてくれるはずだ。
何はともあれ、本作はサノスを主人公として据えた場合はある意味綺麗に完結しているけれど、ヒーローサイドから見るとあまりにも消化不良なので続編が気になるところ。早く公開してほしい。
【映画ドラえもん のび太の宝島】HPがエイプリルフールで幽霊船になってやがる(感想:ネタバレあり)
うわあああああ
感想を書こうとしたら、公式HPの帆船が幽霊船になってるじゃねえか‼
エイプリルフールかな?
脚本が川村元気氏というわけで気になっていたので、久々に劇場でドラえもん見てきた。
というわけで、容赦なく大人の目線で子ども向け映画を語りたいと思う。
全体的にキャラクターが良く動いているし、音楽も良かったし、シナリオも大まかにはわくわくして良い内容だったと思うのだけれど・・・。
細かいところがなあ。
全体の総括(いきなりネタバレ)
のび太がパパと謎の喧嘩して出ていったから、父親と子どもというテーマとなるんじゃないかなと思って見ていたら、想像通り映画オリジナルキャラクターのフロック・セーラの父親が今回のヴィランで、物語の最後には和解エンドとなっていた。
「宝島」とあったので、やはり想像するのは冒険・宝探し・海賊というわけだったのだが、肝心の「島」が移動する未来の船(長編ドラえもんでは未来の敵が現代に現れるのはよくあることだが)というのがまず少し残念。このテーマなら、「宝島」でやらなくてもいいんじゃないかと思ってしまった。
「宝物は金銀財宝ではなく、家族の絆」的なまとめ方はとても良いし、シルバーとフロック、セーラが和解したシーンは涙目になってしまったが、そこに至るまでに過程に結構大き目の穴がぼこぼこ空いていて、物語に集中できないレベルだったのが哀しいところ。子ども向けと言えど、ある程度の整合性が担保されていないと流石に苦しい。
例えば、すごく気になったのは以下の点。
①そもそも宇宙に旅立つために、海賊行為をする必要がないのではないか。宇宙に金銀財宝持っていこうとする人がいるのか?物語に海賊という要素を盛り込み、「金銀財宝よりも大切なものはね」的な展開に持ち込みたいがゆえの舞台装置感がすごい。
②地球の火山エネルギーを凝縮した塊に生身ののび太が突っ込んで大丈夫なのか。ここはひみつ道具使ったほうが疑問が生まれなかったのではないだろうか。まぁ道具を使わず打算ではなく感情で動くのび太のほうが観客が感情移入しやすいって狙いはあるかもしれないけれど。
要は、見せたい場面やシーン、メッセージ性がはっきりしているので、パーツとしてはとても良く、全体を通してみている分には「面白かったなあ」とは思えるのだけれど、設定ディテールが全然詰められていなくて一度疑問を持ってしまうとそれがずるずると引きずられてしまうような作品だった。
クイズが作品のペースを乱していく
作中に登場するクイズというオウム型ロボットがいるのだが、彼はなぞなぞをだして会話をするというなかなかクレイジーな設定を持ち合わせており、彼が話す度にその他の面々が回答を考えるというシーンを挟まなければならないため、相当物語のテンポが悪かった。
劇場版名探偵コナンの博士のなぞなぞぐらいがちょうどいいと思う。子ども達のお楽しみタイムは1度でいいのだ。
ちなみに、クイズがいなくてもこの作品は結構中だるみしている。序盤にしずかちゃんが攫われてからはのび太パートとしずかパートが同時に進んでいくから、明らかに物語の展開が遅くなっており、しずかちゃんと合流するまでが非常に長く感じてしまった。
海賊らしい戦闘があまり見れていない
最初の海賊たちの襲撃では船上での戦いがあり面白かったが、それ以外ではそういう海賊っぽい闘いは見られなかった。特に物語中盤「何をやってもダメ」とへこんでいる素振りを見せているのび太が、終盤になっても活躍する機会なく(ドラえもんを身を挺して助けたことぐらいか)物語が終わってしまうのも残念
「昼寝とあやとりじゃ・・・しずかちゃんを助けられないよねえ」
みたいなことを劇中でのび太君が言っていたのだけれど、そこは!!!射撃あるじゃないか!!!射撃でかっこいい見せ場を作ってやれよ!!!
と思いました。
ロボットに対して早打ち決めてるシーンあるけれど、すぐ復活しちゃってたしなー。
ヴィランとの和解エンドとなると、のび太に銃口向けさせるのは厳しいし、仕方がないのだけれど、そういうことをやりたいのなら最初から「宝島」という戦闘を期待させるテーマでこの家族の物語を描く必要はないのではないかと思った。
小ネタが好き。
「金曜ドラでしょう」というポスターがのび太の押し入れに貼っているが、おそらく本作のヴィランの中の人が大泉洋だからそんなのがあったのだと思う。
僕はここしか見つけられなかったけれど、他にも遊び心でそういったネタがあるかもしれない。
来年は・・・
毎年楽しみな来年の予告。
来年はコミック原作「異説クラブメンバーズバッジ」の映画版、つまりはリメイクではないオリジナル作品となるみたいだよ。
合コン2次会のカラオケでWANIMA「いいから」を歌うとどうなるのか。
空気を読まないカラオケは楽しい。
先日女子大生とカラオケをする機会があった。社会人も3年目となると、学生という存在は別の生き物のように感じてしまうようになる。彼女とのやり取りは異文化コミュニケーションに近しいものがあった。
社会人3人と女子学生1人という構成で飲みの後にカラオケに行くことになり、音楽が好きな私は「最近の女子大生はどんな曲を歌うのだろう」と期待していたのだが、いきなり彼女はWANIMAの「いいから」を放り込んできた。
要はワンナイトラブを男性視点で歌っている曲だ。隠喩とかではなく、歌詞でホテルに連れ込む男とそれについていく女性を丁寧に描写しているので、誰がどう見ても、あるいは聴いてもワンナイトラブの曲だと分かってしまう、取扱注意曲である。
僕はWANIMAの存在は知っていたが、曲はあまり聞いたことがなかったので、その女子大生が歌った「いいから」が初めてのWANIMAソングだったわけだが、メロディの疾走感と男性ならば残念ながら共感してしまう歌詞に一発で惚れこんでしまった。
何度も言うが、空気の読まないカラオケは楽しい。僕は「全員が知っている曲」ではなく、「僕が知らないであろう、あなたが本当に好きな曲」を聴きたい。どうせ素人が集まり歌うだけの会ならば、全員が各々好きな曲を歌い「へぇこの曲いいじゃん」と新しい出会いとコミュニケーションが生まれたほうが楽しいと思うのだ。
※もちろん世の中には新しく音楽を開拓するほど音楽に興味がない人の方が多いし、そういう人たちは自分が知ってる曲を歌ってくれないとカラオケはつまらないと思っているであろうことは承知の上で言っている。だから世の中で受容されているカラオケのスタイルは、僕にとってはつまらない。
ここで女子大生が社会人3年目世代の我々に標準を合わせ、中学生~高校生の頃に訊いていたであろう懐メロなど入れ始めていたら、私はWANIMAの魅力に気づかなかったし、なんなら「ヤバイTシャツ屋さん」の存在さえ知らないままでいただろう。
もちろんWANIMA的なワンチャンなどないまま、その晩私は健全なルートで独り帰宅をし、その後WANIMAの曲を聴き漁った。しかし、結局心の琴線に触れるのは「いいから」だけ。「いいから」をヘビロテする日々がしばらく続く。
それが、第一の失敗である。
(ここからが本題)合コン2次会で「いいから」は大丈夫なのか
結論から言うと、当然のごとくダメだったのだが、その経緯を書きたい。
「いいから」は女性が歌うか、完全に男女の関係になりえない場でしか歌ってはいけない曲だということが判明した。
私が知らない女性がいて、私が知らない男性もいて、共通の友人が複数いて、男女3:3計6人で、なんとなく男性が多めに金額を払う飲み会を「合コン」と称して良いならば、私は先日合コンに参加してきた。まぁ知り合いが多めでぎらついた雰囲気はなかったので、合コンというと大げさかもしれない。ただの楽しい飲み会だ。
全員同じ25歳なのだが、1次会から山手線ゲームが始まるなかなか面白い展開となり、客観的に見たら「おいおい大丈夫かよ、こいつやべーやつだぜ」と面白くなってしまうぐらい僕は酒をがぶがぶ飲んでいた。
それが、第二の失敗である。
このままなし崩れ的にカラオケに行くことになり、「あぁこれは空気を読まないといけないカラオケだな」と静かにしていたのだけれど、
1曲目
2曲目
ときて、何だか魔が差した。選曲がつまらない。
このまま空気を読み合った曲を入れ続けるカラオケに何の意味があるのか。
・・・的なことになることは想像していたので、今回の飲み会の主催者に「2次会あるなら『いいから』を入れたい」と事前に言っておいた。彼は「いいよ」と答えた。
ある程度盛り上がり、酒も回った状況における「いいから」のポテンシャルを試したかったのだ。おおよそ変な空気になることは予想が出来ていたが、酔っていたら変な空気も打開できるだろうと信じていた。
というわけで、いいからを選曲。
しかし2人で歌った「いいから」は、決して「いい」とは言えない結果となってしまった。タンバリンを叩いている女性の楽しげな表情の7割が演技であろうことが透いて見えた。何というか、こう・・・「絶妙な関係の男女が見に行った映画が思ったより際どいシーン多めで、劇場を出た後会話が続かない」みたいな雰囲気になってしまった。
空気を読まないカラオケは楽しい、はずだった。
私は気付いた。空気を読まない行為が楽しいわけなく、空気を熟読して好きな曲を入れなければカラオケは破綻する。きっとあの女子大生は、空気を読み切った結果「いいから」を選曲したのだ。私よりもずっと社会的な生き物として完成している年下の女性に私は敬意を抱いた。私にはそれが出来なかった。
人間社会同様、カラオケボックスでさえも空気が支配する。何と息苦しい。
私には難しい。カラオケは、難しすぎる。
「いいから」を歌った直後、久々にトイレで戻した。そういえば1次会の時、ハガレン好きって言ってた人いたし、普通に「ホログラム」とか歌っておけば良かったとようやく冷静に後悔した。でもそれもまた全員には刺さらないんだろうなと思った。「メリッサ」ならいいのか、「リライト」ならいいのか。
戻ってきたら「プレゼント」が流れており、「大好きだったけど彼女がいたなんて」と彼女がいない僕が煽られ、グラス1杯分の酒を胃袋に収めた。
空気は読んだ方が楽しい。しかしそれにも限界がある。
【リメンバー・ミー】家族の絆と死の救い(感想:ネタバレあり)
ほいほい見てきました。ディズニーピクサー作品の最新作ですね。
爆発的なヒットを生んだ「トイ・ストーリー3」の監督の作品ということで、期待していたのですが、なかなか良かったですよ。
あらすじ
公式から引用
主人公は、ミュージシャンを夢見る、ギターの天才少年ミゲル。しかし、厳格な《家族の掟》によって、ギターを弾くどころか音楽を聴くことすら禁じられていた…。ある日、ミゲルは古い家族写真をきっかけに、自分のひいひいおじいちゃんが伝説のミュージシャン、デラクルスではないかと推測。彼のお墓に忍び込み美しいギターを手にした、その瞬間──先祖たちが暮らす“死者の国”に迷い込んでしまった!
そこは、夢のように美しく、ガイコツたちが楽しく暮らすテーマパークのような世界。しかし、日の出までに元の世界に帰らないと、ミゲルの体は消え、永遠に家族と会えなくなってしまう…。唯一の頼りは、家族に会いたいと願う、陽気だけど孤独なガイコツのヘクター。だが、彼にも「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える」という運命が待ち受けていた…。絶体絶命のふたりと家族をつなぐ唯一の鍵は、ミゲルが大好きな曲、“リメンバー・ミー”。不思議な力を秘めたこの曲が、時を超えていま奇跡を巻き起こす!
死と家族をテーマにした作品ですね。
これは感動間違いなし。
音楽が強い
私はディズニー作品が結構好きで、ディズニー長編アニメーションおよびピクサー長編作品は余すことなく全て見ているのだけれど、もう映画のイントロの音楽聞くだけで感動してしまうんだよね。あの瞬間が一つのピークになっている。
↑これね。
このイントロって作品によってアレンジがされているのだけれど、本作はメキシカンなアレンジに変更されていて、もはやここから世界観を作り上げているわけですよ。こういう演出が大好きなんですよね。
本編も当然音楽をテーマにした作品なので、愉快な音楽・劇中歌が結構な頻度で流れていて、ミュージカルのような楽しさがある(ディズニー作品やピクサー作品は音楽で演出することに長けていて、大体の作品はミュージカル調ではあるのだけれど、特に本作は音楽の使い方・劇中のシチュエーションとのかみ合わせ方に長けていた)。あとは全体的に死の国がきらきらしてるから、画面映えがすごい。
日本語版でのタイトルにもなっている「リメンバー・ミー」もただの挿入歌ではなく、物語のカギとなる詩も含めて意味がある曲になっていて、音楽を中心に組み立てられた作品だということを強く感じた。
タイトル「Coco」が秀逸
基本的に邦題が好きではないのだけれど、本作に限っては「リメンバー・ミー」を邦題としたのは正解。本作のテーマは全てその曲が担っているので、何ら違和感がない。
だが、原題も素晴らしい。Cocoはミゲルと死の国で出会う彼のご先祖様ヘクターを繋ぐ人物であり、家族の要である人物。主人公二人にとって大切な人物である彼女の名をタイトルにしたことからも、"家族愛"を感じ取れてしまう。
娘であるココに忘れられてしまうと死の国からも消滅してしまうヘクターの思いを代弁し、死の国から帰還したミゲルが「リメンバー・ミー」を歌うシーンのクライマックス感※。この最高のオチに向かって脚本が収束していく感覚は、精緻で無駄のないディズニー・ピクサー作品ならではだと思う。
やっぱりデラクルス・・・
残念ながら大人になってしまうと、そしてディズニーピクサー作品に浸っていると、ある程度・・・ある程度先が読めてしまうことが多い。それでも面白いから問題はないのだけれど。デラクルスが黒いと、登場したその瞬間から感じ取ってしまった。滲み出る悪さ、素晴らしいじゃないか。
ヘクターを毒殺し、彼が作曲した曲でスターとなったデラクルスが良いキャラをしているんだ。彼は目的のために手段を択ばない男として一貫しており、ディズニー作品なら彼の家族とのエピソードを描き、彼が悪堕ちした理由を懇切丁寧に説明することもあり得るんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。やったぜデラクルス。
この作品のテーマは家族と死だと見終えた僕は個人的に思っているけれど、作品の前半段階では自分の夢を追い家を出ていくことと、家族を大切にすることを天秤にかけるような話になるのではないかと思っていた。
そういう展開になっていたら、それはそれで面白かったと思うが(ディズニーピクサーがこの難しいテーマをどのように描くかが単純に気になる)、早々にミゲルが「夢を追いかける自分のことを応援してくれない家族って何なんだろう?」と疑問を投げかけることで、その天秤の問題には終止符が打たれているし、その後のデラクルスの悪役っぷりによって、家族との絆が作品の中で際立つようになった。やったぜデラクルス。
最高のエンドロール
おそらく既に他界されているであろうディズニーピクサーに関わったと思われるクリエイターたちの写真がスクリーン一杯に映し出され、彼らへの敬意を表している。
亡くなった人間のことを偲ぶ意味を本作で謳っていたが、それを体現してしまうとは恐れいる。説得力抜群だ。
「忘れない」ということが死者にとって、残された人間にとっての幸せだということをエンドロール含めて我々に教えてくれた。
アナと雪の女王の新作もあるよ
確か数年前に他のディズニー作品の同時上映として、アナ雪の続編(凄い短いけど)が公開されていたけれど、また新作が見れます。
今回はものすごく長い。ビックリするほど長い、短編というより中編ぐらいあったかと思う。体感的に20分ぐらいあった。
オラフが家族の絆を繋いでいたよ、という心温まるストーリー。クリスマスの話なんだけど、多分全米公開が12月付近だったんだろうね。
確か「リメンバー・ミー」、日本でも去年の冬に公開の予定だった気がするんだけど、なぜか3月に先延ばしされたよね。スターウォーズと被るから大き目の弾は分散させようとしたのかな、とか勝手に考えてたけど、ターゲットあまり被らなさそうだしなぁ。
長編アニメーションの制作も決まっているし、アナ雪のビックコンテンツっぷりには脱帽ですね。個人的には同じく続編が決まっている「シュガーラッシュ」の方が好きなんですが。