定時後に映画館

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28の限界とコロナ禍の扁桃炎についての記録

 社会人になって約6年、初めて体調不良で有休を取得した。正確には半年前にも胃腸をやって阪急は取得しているのだが、病気を理由に丸々1日休んだのは初めてである。「いやー遂に病欠かあ」などと思っていたら、全然体調が快方に向かわず、結果的に1日どころか4日も休んだ。

 

大惨事である。

 

せっかく大惨事に見舞われたので、大惨事の記録をしておきたい。

結論から述べると、「28はもう若くない」である。

 

私を追い込んだ病「扁桃炎」の経緯と回復まで

ググってくれればいいのだが、簡単に言うと喉の奥の扁桃腺が腫れてしまう病気である。私の場合は39度ほどの熱が出て、唾液を飲み下すことすら難しいほどの激しい喉の痛みに見舞われた。

なので、水分補給をしようと水を飲もうとするときには、日常では考えられないほどの勇気を必要としていた。栄養や水分補給が病気を治す上で重要なのに、食事はともかく「飲む」という行為さえ制限されるのは、ハードモードすぎる。ファイアーエムブレムif暗夜王国ルナティックをかつてクリアした私でも、この難易度の攻略は困難であった。

 

発熱が判明したのは日曜日の朝だったので病院が空いていなく、かつ日中はまだ熱が上がり切っていなかったのでそこまで精神的に切迫もしていなかったので、都の発熱相談センターに電話をかけて様子見をすることにした。ありがたいことに、一発で電話は通じた。

「コロナの身に覚えがありますか」とか「濃厚接触しましたか」とか「海外にいきましたか」いくつか質問を受けた後、あまりに辛くて解熱剤とかが家にあるなら飲んで、かかりつけ医があるならそこに相談しなさいと指示をを受け、私は「日曜日だし寝てよう」と決断し、すやすやと眠りにつく。

ここのところ緊急事態宣言も出ていなかったし、仕事もずっと忙しかったので、休日も平日もずっと稼働しっぱなしで日中寝るという行為が私にとってはとても特別であり、ありがたいものであった。体調が良かったらもっと良かったのだが、良かったら良かったでどこかに出かけしまうであろう私は愚かである。

夜、発熱が酷いことになった。39度の熱をマークしたのは初日の夜。昼食は普通に撮ったが、夕飯は喉を通らない。体を起こすのにも一苦労だし、汗も全然でなくて身体に熱がこもっている感じだ。前述した喉の痛みも伴う。

寝るというよりも気絶するような形で睡眠と覚醒を繰り返した。。少しだけ覚醒していた時間は、漫画やスマホを見て時間を潰したが、すぐに気分が悪くなって手放してしまう程度には体調が悪かった。

 

翌朝、月曜日。始業前に会社の上司に電話し休みをもらう。かかりつけ医の診断結果は共有してほしいと言われたので、従うことにした。陽性だとしたら会社として行わなければいけないことがわんさかある。

実のところを言うと、この段階では半分まだ病院に行かずに寝ていたほうが良いのではないかと思っていた。なぜなら、身体を動かすのが辛いから。

とは言ったものの、コロナにかかっているかいなかを証明することは大事だ。20代の死亡率は低いとはいえ、0ではない。同居している家族もいるので、状況を把握することは大事だ。

ということで、意を決してかかりつけ医にまずは電話をすることにした。

が、その前に病状を正確に把握しようと思い、「かつてないほどの喉の痛み」をフックに、考えうる病気を検索してみた。そこでヒットしたのが「扁桃炎」である。気になって自分の喉の奥を鏡で見たら膿のようなものがあり、ネットで見た症状とほぼ合致している。

というわけで、病院に電話をするときには「すでにおそらくコロナじゃない」ということもあり、病院への電話はかなり気楽なものであった。電話口で症状を説明すると(喋るのすら難しいほど喉が痛かったので気は楽とは言えど電話自体は苦痛であった)、おそらく扁桃炎だがこの時期の発熱に対してはPCR検査を行うようにしているので、〇〇時に病院に来て、入る前に電話をくれと言われた。

というわけで、その電話に従って病院へ。通常の診察室は通らず別のルートでおそらくPCR検査をする専用の部屋に通される(梅干しの絵とかが置いてあった)。

が、お医者さんが来て喉を見せた瞬間、「これは酷い扁桃炎です。PCRは必要ないです」ということで、PCR検査はせず、その日は点滴を打って終了。明確に別の病気だと判明したらPCR検査は必要ないようだ。

点滴と、処方された飲み薬(特に痛み止めと解熱剤)の威力は抜群で、その日の夕方には喋れる程度になっていたので、PCR不要で別の病気と診断されたことを上司に報告。その場で翌日も休む旨をお伝えする。

 

以降は同じことの繰り返しで、病院で点滴⇒夕方に会社へ電話を繰り返し。2日目には喉に違和感は残るものの熱は下がっており、4日目の木曜日に病院から解放され体調も多少の気だるさは残っているものの働けないほどではないと判断し、上司に翌日の金曜日からテレワークで再開する旨を伝えた。

これが病気の顛末だが、まとめると、ちゃんと病院に行くことの重要性を噛み締めた貴重な体験だった。皆さんも強がらず困ったらすぐにでも病院に行くといいですよ。

 

■気付いた自分の限界

病院に行ったほうが良い、という当たり前の気付き以外に、そもそも前提として感じたことがある。

 

「自分、もう頑張れない」

 

ということだ。

半年前、私はかつてない労働時間を叩きだした(とはいっても法的に問題が発生しない労働時間ギリギリ程度だ)。その直後にストレスで胃腸をぶっ壊し、1か月近く腹痛と闘った。その時は既にコロナ禍ではあったが、部署が違かったし熱も出ていなかったので、特にケアもされず仕事を続けた。

そしてその半年後、"かつてない労働時間"は恒常化してしまい、毎月労働時間が法的に問題が発生しないようにケアしながら自分が出来るギリギリの労働をこなしてきた。結果、今度は発熱でダウン。3日連続点滴である。幸いなことに、今回は職場はしっかりとケアしてくれているが。

 

法的に問題が発生しない労働時間ギリギリ程度と言った。

が、”程度”という認識は甘かった。自分はこの労働時間に耐えられないのである。

 

何年も働いていると組織の仕組みというのもおぼろげにわかるようになってくる。優秀な人間に仕事は集まり、無能に仕事は来ない。しかし、有能と無能の待遇の差は、想像以上に少ない。それでも人はやりがいや責任感やあるいは差が少ないながらもより多くを得ようと労働時間を稼いだり昇進を狙ったりする。

私はやりたい仕事をやるために社会人になったが、やりたいことを順当にやり続けてきたら、求められることもどんどんと大きくなってきた。それは良いことだが、結果としてしっかりとプライベートは浸食され、しまいには身体を壊してしまう。

どうもバランスをとるのは難しい。白旗を振ったら、おそらく僕はもう「ダメ側」と認識されてしまうだろう。そうなったとき、私はかつて頑張っていた自分を懐かしみあの頃に戻りたいと思うだろうか。

それが分からない。分からないから不安である。

不安だからこそ、立ち止まらず仕事をしてきた。

しかし、もう限界なのかもしれない。

無理を通して道理を蹴っ飛ばす生き方は28歳には出来ないのだ。若くないというのは残酷である。力を込めて乗り越えられたことも過去はあったが、同じように力を籠めようとすると、力を入れた自分が壊れるのが老いである。

 

復帰しても、仕事は当然減っていない。

「8割」が許される職場はどこにあるのだろう。