定時後に映画館

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失恋スカイダイビング

※この記事は史実を基にしたフィクションです。

 

そろそろ私は28になるのだが、これぐらいの歳になると<甘酸っぱい失恋>を経験することが少なくなる。

失恋にも2パターンあって、①交際したかったけど願い叶わなかったパターンと②交際していたが破局したパターンであるが、この年代の②の失恋パターンは結構ドロドロしていることが多い。

同棲して生活感の違いに破局したとか結婚に向けていつまでも煮え切らないパートナーに失望したとか、少女漫画で描かれるようなキラキラハイライトな失恋とは性質が異なったものばかりではなかろうか。

 

一方①についてはまだ胸きゅんな失恋の可能性があると考える。片思いの楽しさや輝きは歳をとっても色あせないと思っているし、「今までも関係を壊しくない・・・でも好き・・・!」みたいのは20代後半でもありうるのではないだろうか。

しかし昨今のマッチングアプリや相席居酒屋などの登場により、とときめきの欠片もないようなインスタント恋愛が世の中にはびこっているように見受けられる。

出逢う→飲む→雰囲気でキスする→(付き合うか付き合わないか雰囲気を探る)→いずれにしてもホテルへ

みたいなルートをたどっている人々も多くいよう。

 

私は思う。きらっきらの恋愛をしてみたい。20代の後半でも少女漫画やっていたい。

だが、キラキラの恋愛の仕方はわからないので、せめて恋愛はせずとも失恋をしてみようと思った。

何を書いているのか私もよくわかっていないのだが、

■きらっきら恋愛はできない。

■失恋とは恋愛を失うことである。

■つまり、きらっきらの恋愛(の機会)を失っている私は、失恋している

という論法のもと、「もうきらきらの恋愛ができないという失恋」のナイーブな気分を味わってみようということだ。

 

しかし失恋して終わりだとただ辛いだけなので、失恋から吹っ切れるための活動もあわせてすることにした。

 

失恋したに吹っ切れるための活動。

 

そう、スカイダイビングである。

 

スカイダイビングは空から落ちるのでたぶん気持ちがいいし(精神の解放感)、同時に死を微妙に覚悟しそうなので、失恋の失望感も何となく味わえそうだ。

 

つまり、

■失恋の落ち込み = 空から落ちる自分

■失恋の立ち直り = 空から落ちたのに生還する自分

といった形で失恋を疑似体験できるのだ。

 

ということで、スカイダイビングをしてみることにした。

 

■スカイダイビングをする

失恋をしているというシチュエーションを最大限に再現するため、同行してもらうのは男性の古くからの友人にした。私は車の運転ができないが、彼は運転ができる。

場所は埼玉。車でないと行きにくいところだ。持つべきものは友である。

なお、失恋の設定を話したら変な奴だと思われるので、それについては話していない。

 

服装は迷ったが、天気の子の帆高っぽい服装にした。彼よりも15ほど年が離れているが、白い半そでシャツに紺系の長ズボンならぎりぎり着ていても世間様に怒られない。半ズボンを再現していたらやばかったかもしれないが。

 

6月末で気温もそこそこあったが、上空は20℃ほど下がるという。一応防寒用の着替えも持って行ったが、聞いてみたところそんなに長い間滞空しているわけでもないので半袖でも大丈夫という。思い切って帆高スタイルで飛ぶことにした。

 

体験ダイビングはプロっぽい人が一緒に飛んでくれる。ハーネスでプロっぽい人とつながれた状態で飛行機から1分ほど落ち、3~4分ほどパラシュートでふわふわと落ちていくとのことだ。せっかくなのでGO proで撮影するメニューで申し込んだ。41000円なり。失恋の傷をいやすために散在するというシチュエーションは結構ありそうだ。丁度いいお値段である。

 

地上でハーネスをつけてもらい、落ち方のレクチャーを受ける。正直緊張で頭に入らないし、落ちているときはそんなことする余裕なさそうだなァとか思いながらもシミュレーションしたりする。ちなみにこの状況なので、マスクとマスクが飛ばないように盗賊が顔を隠すためのバンダナのようなものを顔に装着する。

この日は少しだけ晴れ間がさすが空がほぼ雲で覆われているような曇りだったのだが、普通に飛べるとのとこで拍子抜けした。行きの車でグランドエスケープを流しておいてよかった。「今から晴れるよ」ってね。

8時半に集合したのだが、9時半ぐらいには多分飛んでいたと思う。それぐらいあっさりと人は空から飛び降りれるのだ。

 

レクチャーが終わると飛行機が待っている場所まで少しだけ車に乗って移動し、飛行機に搭乗する。10人ぐらい乗っていて、当然イスなどはなく全員が同じ方向を向いて体育すわりで乗る。飛行機の扉の素材はわからないが、重厚な鉄の扉というわけではなく、透明で向こう側が透けていて、かつシャッターのように上下するタイプのものであった。ぶっちゃけ、飛んでいる途中に壊れたりしないのか多少不安であった。

飛行機が離陸してから15分ぐらいで落下するポイントに到着する。雲の上まで出るので、結構高い。落下直前にハーネスを指導をしてくれるプロの方の体に固定し、ゴーグルをつけ体制は体育すわりのまま、もそもそと体を動かして開いている落下口まで移動する。そうしている間にも前の乗客はどんどんと落ちていくのだが、この時間が不安でたまらない。ちなみに同行してくれた友人は僕の前に落ちて行った。

あとでGo proの映像を確認すると、めちゃくちゃ不安そうな顔をしている。

失恋をして落ちるコンセプトなど全く頭の片隅にもない。「失恋したしもう終わりだ・・・」みたいな気持ちに浸れると思っていたのだが、そんなことはない。人は生命の危機を目の前にすると、生きたくてしょうがないのだと、ただ不安を回避したくて必死になるのだと、気づかされた。

 

目の前がもう空というところまで来るともはや絶望的な気分になる。落ちる瞬間はじっとしているように言われていたので、ちゃんと静かにその時を待っていたのだが、3,2,1とカウントダウンされる間がとても長く感じた。相対性理論

そして落下するのだが、まあその瞬間は何というか思い出すのが難しい。必死で、スピードに身を任せているので、自称そのものが短期記憶として脳を通過してしまったような感じである。

想像以上に落ちている時間は長いのだが、数秒すると落ちている状態に慣れるのは不思議なものだし、ある瞬間から急に暖かくなってきたなあなどと感じる余裕が出てくるから大したものだ。失恋して絶望的な時間を過ごしても、いつかは温かな気持ちが戻ってくる・・・私はそんなことを微塵も考えず、目の前のスピードと空の雄大さに圧倒されていた。

体感的には結構落ちたなあというぐらいで、パラシュートが開き、ゴーグルが外される。そのあとは空を滑空しながら落ちていくのだが、パラシュートはふわふわと落ちるものではなく、どちらかというと「空を切りながら落ちる」といった表現がふさわしいと思う。着地のポイントに向けて調整しながら落下していくのだが、方向転換するときは結構のスピードが出るので、ジェットコースターほどではないがそれに似た感覚を味わえるのだ。

パラシュートが開いてからは結構思考にも余裕が出てきて、雲が適度に散らばった空から自然の緑色とぽつぽつと民家が配置された地上を見下ろす楽しさに浸ることが出来る。今年に入ってから一番穏やかな気持ちだったかもしれない。

 

そして3分ほどたつと、地上が近づいてきて、着地のために体を体育すわりのようにして丸める。ずざーっと草原をすべるような感じで着地し、体験終了。

スカイダイビングをする前は1回やれば十分かな?と思っていたが、終わった後は何度でもやりたいと思えるような素晴らしい体験であった。

 

今回のオチ

スカイダイビングをした話をなんとなく残しておきたかったのだが、変に失恋みたいなコンセプトを出したせいで記事がぶれっぶれになってしまった。

だが、失恋したときにスカイダイビングをするのは何となく有効な気がするから、みんなも失恋したらスカイダイビングをしよう。生きていることを素晴らしいと思える気持ち。自然の前では私の失恋など小さなものだという考え方の転換。そういったものを得ることができるだろう。

 

私が失恋したときにこの記事を見返そうと思います。

ではまた。