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【スパイダーマン: スパイダーバース】スパイダーマンは1人じゃない(感想:ネタバレあり)

www.spider-verse.jp

第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞とのことで、というか受賞していなくても見に行くんだけど、見てきた。

 

僕はMCUが好きで、アメイジングスパイダーマンが(監督のマークウェブが好きなので)好きで、スパイダーマンに対しては「ファンではないけど、好意的」程度の立ち位置だと認識してほしい。アメコミを読んだことはないし、予告で出てくるスパイダーマン達を見てピンとくる人はピーターパーカーしかいない。


映画『スパイダーマン:スパイダーバース』本編映像<スパイダーマンは1人じゃない編>(3/8全国公開)

 

が、とても面白かった。スパイダーマンをかじっている私でも幾度もの実写作品で刷り込まれた「スパイダーマンってこういう映画だよね」という感覚は持ち合わせていて、それを忠実に再現したアニメーション作品であり、何と言うか今までアニメーションで動いているスパイダーマンを見てこなかった僕からすると「ようやく原典に出逢えた」といった印象だ。

 

本作は簡単に言うと、本作のヴィランが創った"凄い装置"で、時空の歪みが生じ、別の世界のスパイダーマン達が一堂に会する夢の作品。

主人公はただの13歳男子のマイルス。彼が生きる時空が本作の舞台で、ピーターパーカーは物語の序盤(マイルスが蜘蛛に噛まれスーパーパワーに目覚めた直後)にヴィランに敗れ死亡する。この時空のピーターパーカーは時空の歪みを生じさせる装置の発動を阻止することは出来なかった。ただ、死に際にマイルスにその望みを託す。

その後、別の時空から「マイルスの時空」へ巻き込まれた、中年になったピーターパーカー、その他スパイダーマン達(ヒロインのクヴェン、ノワール、ペニーパーカー、スパイダーハム)と力を合わせ、ヴィランが"凄い装置"をもう一度利用するのを阻止、元の時空に帰ろう!というのが本作の大筋。

ついさっきまで一般人だったマイルスが、様々な時空の"プロスパイダーマン"達と同様のパフォーマンスを披露することが出来るわけがない。ただ、視聴者が想像する通り、彼はスーパーヒーローになって終盤大活躍するわけだ。本作は、第二のスパイダーマンが誕生するまでの物語なのである。

 

「ヒーローがヒーローになる物語」は既存のスパイダーマンも含めこの世の中にいくらでも溢れているのだが、中でも「スパイダーバース」の良いところは、ヒーローになるきっかけがスパイダーマンらしくあること(「スパイダーマン」という作品である必然性)と、そして「13歳」なだけあって、ヒーローとして育っていく過程が物語の大半を占めていること(ピーターパーカーのスパイダーマンでは描けない独自性)だと思う。

 

作中でマイルスは、目の前で象徴的なヒーロー(ピーターパーカー)を失い、さらに親愛する叔父も亡くすこととなる。街を守る存在の欠落と、自らを愛する者を失う悲しみは、スパイダーマンが生まれる理由に説得力を持たせている。物語の終盤まで気持ちはただの子どもであったマイルスが、ヒーローにならなければならないという使命感を抱く動機付けがしっかりしている。ピーターパーカーや他のスパイダーマンと同じように、「大切な人を失う」というターニングポイントがないがしろにされていないのが良い。

また、彼をヒーローとして成長させる師にあたる中年ピーターパーカーやメイおばさんの存在が、本作のプロモーションで散々使われているコピー「スパイダーマンは1人じゃない」を体現しており、これが本作のオリジナリティに繋がっている。

僕が良く知っている中にピーターパーカーが入っているスパイダーマンはあくまでも一人で強くなっていっている印象が強い。そんな中、マイルスには師がおり、同じスパイダーマンの仲間がいる。彼らとの交流を通じて、マイルスがじわじわと成長していき(本作の尺はほぼマイルスの成長物語で使われている)、最後プロスパイダーマン達のピンチに成長した彼が現れるという最高のクライマックスを迎えるわけだ。

多くのヒーローものは「ヒーローものらしい映画」にするため、ヒーローになるまでの尺は生前前半まで、後半は自覚を持った強いヒーローがヴィランとドンパチする構成だと思う。だが、本作はヒーローであるスパイダーマンが複数人既におり、彼らの背中を見ながら主人公が成長していく物語なので、マイルスの成長の過程を丁寧に描けるし、かつお手本となるヒーローのカッコいい姿も描けているのがポイントだ。

 

作中でカメオ出演している故スタンリー氏が、ピーターパーカーが死亡し、スパイダーマンにならないといけないという使命に燃えているマイルスを励ますシーンがある。そして、本作のエンドクレジット中には、「目の前の困っている人に手を差し伸べることが出来るのがヒーローである」(正確な言葉ではないが、そういう類の文章だ)というスタンリーの言葉と一緒に、彼への追悼が。「スパイダーマンは1人ではない」は文字通りスーパーヒーローは1人ではないということだけではなく、我々一般人もヒーローになれるという熱いメッセージでもあるわけだ。それを、ただの13歳であったマイルスが体現してくれているわけである。

 

「ヒーローになるまでの物語」が丁寧に描かれているのが、本作の最大の魅力であったと思う。そして、その物語を彩るアニメーション表現。これは見てくれとしか言いようがないが、アメコミを映像に落とし込んだらこういう演出があって然るべきという期待を見事に体現してくれていた。ふきだしや効果音、その全てがカッコいい。

そして、別の時空のスパイダーマン、モノクロのノワールや日本的なペニーパーカー、よりコミカルなスパイダーハムとのギャップも楽しい。僕は字幕で本作を見たのだけれど、日本人あるある「外国のキャラクターが日本語をしゃべると嬉しい」ではとどまらず、「外国の世界観で日本的アニメーションが馴染んでいる感動」を楽しませてくれた。

 

アカデミー賞は私がとても好きだった「インクレディブル・ファミリー」が受賞してほしかったと思っていたが、本作ならば作品賞受賞も納得である。映像もこの作品の楽しみの一つなので、ぜひ劇場で見てほしい。