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【アベンジャーズ/エンドゲーム】ホークアイが主人公(感想:ネタバレあり)

marvel.disney.co.jp

もはや説明はいらないと思うが、アイアンマンから続いていたMCU作品群の一つのピリオド、つまり最終作(wikiを見るとスパイダーマン:ファー・フロム・ホームはエンドゲームの後の話でいわゆる「フェーズ4」ではなく「フェーズ3」らしいので、インフィニティストーンをめぐる物語の最終作はファー・フロム・ホーム、という考え方もあるらしい。ちなみに「フェーズ4」で制作発表されているのはGotG3、ブラックパンサー2、ドクターストレンジ2である)であるエンドゲームを見てきた。

 

正直「早くアベンジャーズが揃っているシーンを見たい」という逸る気持ちを抑えられずに、中盤多少間延びしているのではないか?とも思ったが、3h近く尺があるので思い入れのあるキャラクターの掘り下げはばっちりであった。ファンはこの作品を否定など出来ないだろう。

 

長いから目次を作った。

 

 

ネタバレを含むあらすじ

以降の感想を書く上である程度流れをまとめておいた方が良いので、ざっくりと書いておく。

 

前作インフィニティウォーで生き残ったヒーロー達でサノスの討伐(=半分に減った世界を元に戻す)に行くが、サノスは既にインフィニティストーンを破壊しており、「指パッチンアゲイン」は不可能な状態に。激昂したソーに首をはねられ、サノスは死亡。

ちなみに宇宙組の生き残りだったアイアンマンとネビュラはキャプテンマーベルに救われて地球に帰還。スタークの悪い癖が出て、討伐には彼は参加せず。ちなみに本作はホークアイの家族が指パッチンで消されるシーンから始まるのだが、この段階ではまだホークアイは合流していない。

 

5年後、アントマン&ワスプの最後で量子世界に閉じ込められていたアントマンが、ネズミが偶然スイッチを押したことでこの世界に帰還。量子世界と現実世界の時間の歪みを利用して、サノスが指パッチンをする前に戻ることで、この世界をやり直すことを提案。

midoumairu.hatenablog.com

 キャップとブラックウィドウアントマンで天才スタークの元を訪ねるが、彼はペッパーと結婚し子どももいる立場。危険に立ち向かうことを拒む。しかし、指パッチンで消えたスパイダーマンことピーターパーカーを思い、タイムトラベルの方法を導き出し、キャップたちと合流。合流時にキャップの象徴である例の盾が手渡され、ようやく二人が和解した瞬間だった。

なお、一度トニーに断られたキャップたちはハルク状態でも理性を保てるようになった第二の天才ブルース・バナーを頼ることになるのだが、彼らだけではタイムトラベルの方法は導き出せなかった。流石トニースターク。

 

作戦を立てた結果、

①キャップ・アイアンマン・アントマン⇒映画「アベンジャーズ」の時期にタイムトラベルし、マインドストーンとタイムストーンを回収。スペースストーンの回収に失敗したため、キャップとアイアンマンは更に過去に戻り(キャップの恋人が現存しており、スタークの父が生きていた時代)、スペースストーンを回収。

 

②ソー・ロケット⇒映画「マイティ・ソー/ダークワールド」の時代にタイムトラベルし、リアリティストーンを回収。その際、ムジョルニアも回収して現代へ。

 

ブラックウィドウホークアイ⇒映画「GotG」の序盤の時間にタイムトラベルし、ソウルストーン回収。インフィニティウォーではガモーラが犠牲になったが、今作はブラックウィドウが犠牲になった。

 

④ジェームズ(ウォーマシンの人)・ネビュラ⇒映画「GotG」の序盤の時間にタイムトラベルし、パワーストーン回収。しかし、この時代の改心前のネビュラの企みがばれ、この時代のサノス・ガモーラ・ネビュラを現代にタイムトラベルさせるきっかけを作ってしまう。

 

と言った形ですべてのインフィニティストーンを回収。キャプテンマーベルは現存組だったが、全宇宙を守る立場だからか、過去に行くメンバーとしては参加せず、クライマックスの総力戦で地球に戻ってきた。

ハルクの指パッチンで、半分に減ってしまった人類を復活させるが、その直後に過去から現れたサノスに急襲される。

その後はお決まりの復活したヒーローも含めた総力戦。最後はアイアンマンが指パッチンによりサノス軍をせん滅し、その代償として彼が命を落とす。

 

その後はエピローグ。インフィニティストーンを元の時代に戻しに過去に行ったキャップは、過去で歳を重ねて老人になって帰ってきた。みんな大好きファルコンに盾を託し、彼もヒーローを引退することとなった。

 

あらすじを書くだけで既に2000文字に近い文章を書いている。

我々が望んでいたアベンジャーズ大集合まで時間がかかったもののの、集大成らしくインフィニティストーンの回収を立て付けに今までの経緯をビジュアルと話でなぞりつつ、キャラクターの過去を掘り下げるという手法はなかなかいいなあと思ってみていた。

さて、ようやくツボポイントをかけるぞ。

キャプテンアメリカとアイアンマンが完成し、アベンジャーズが終わった。

本作はアベンジャーズが終わる物語なのだが、やはりその中心的人物であったキャップとアイアンマンがヒーローとして完成したからこそ成り立つ「終わり」であったとひしひしと感じた。初代アベンジャーズの主要メンバーは全員本作で輝いていたものの、本作の主役は間違いなくこの2名である。

アイアンマン過去作を見るとある種のビジネスマンらしい冷酷さと我儘な部分が全面に出てしまっていたが(キャップと比べると"ヒーロー"というには利己的な部分が強く出ていた)、本作では家庭という第一優先で守るべきものを持ちながら、消滅したピーターパーカーを思いタイムトラベルに力を貸し、最終的には自らの身が危険に晒されることが分かっていながらも、「私はアイアンマンだ」とサノスに言い放ち指パッチンし、最愛の妻に見届けられながら命を落とす。彼の葬式には多くの仲間が訪れ「彼にも心がある」とメッセージが添えられていた。まさしく正真正銘の愛すべきヒーローになってアイアンマンは終わったのである。今までの社長を目の当たりにしていた我々にとっては、信じられないほどの成長であり、そんな彼がいなくなってしまうことがたまらなく切ない。

キャップに関しては元より彼なりの信念を貫くヒーローらしきヒーローではあったものの、己の信念、信じる正義が国やマジョリティから外れてしまうことが多く、今となっては国を背負うヒーローではなくなってしまっていた。しかしサノスとの闘いの中で高潔な心を持ち、王の素質がある人しか持てないムジョルニアを駆使して闘ったことで、彼の正義を、彼が真のヒーローであることを証明してみせた。

 

アイアンマンは愛されるヒーローになって死に、大義のために闘い続けたキャップは自らの人生を歩みヒーローを辞めた。お互いに反発しあっていた2人が、大切なものを手に入れて終了という最高のエンディングは今までの積み重ねがないと成り立たない。

ちなみに本作の最後のカットはスティーブと彼の恋人ペギー・カーターとのダンスのシーン。彼の願望はしっかりと叶っている。

 

ホークアイが主人公でブラックウィドウがヒロイン

主役作品がないものの初期からの主要メンバーで「アベンジャーズ」と冠がつく作品での活躍をいつも期待されていたホークアイブラックウィドウ

本作は失った仲間を取り戻す逆襲の物語ということもあり、エイジオブウルトロンから家族が大切にしていた父親としての側面を見せていたホークアイと、家族を持たずともアベンジャーズというチームに愛着を持ち、平和を守るために闘ってきたブラックウィドウはそれぞれ大きな役割を担っていた。もはやソーとかハルクとかも喰ってるぐらい。

※ソーも最初から最後まで彼らしく、サノスへの敗北というトラウマを乗り越え、総力戦の前にはキャップ、アイアンマンと並びサノスと闘うというなかなかの主人公っぷりを発揮していたが、あくまでも従来の彼としてのヒーロー像に「敗北」という今までにない味付けがされたという印象だったので、どうしても他のヒーローに比べると目立ちにくいところではあった。ブルースはハルクと和解してしまったことでハプニング性がなくなってしまったのが少しだけ残念。

 

特にホークアイはすごい。本作の最初のカットはホークアイの家族が指パッチンで消滅するシーンだし、以降自棄になり殺し屋稼業に首を突っ込み、過去を取り戻せると知ってからは過去へのテストジャンプに自ら立候補するなど積極性を見せつけ、目の前でブラックウィドウという大切な仲間を失い、ハルクによる指パッチン後に消滅した人間の復活を確認するのも彼の妻からの電話で、インフィニティガントレットを最初に回収し、仲間に託す。物語の大きな起点となるシーンはすべてホークアイを中心としており、もはや主人公と言っても過言ではない活躍っぷりであった。

 

ブラックウィドウは大切なものと引き換えにしか手に入らない石ソウルストーンのために自ら犠牲となったが、お互いが迷うことなく自分が犠牲になろうと崖から飛び込もうとしたことから、アベンジャーズという組織が彼らにとって、特に家族もなくエージェントとしての人生を全うすることしか残っていなかったブラックウィドウにとって、家族同然の大切なものであるということがひしひしと伝わってくる。

ソウルストーンは家族がいない彼女が愛されていたという証明でもあり、彼女が飛んだということは彼女自身がそれを信じていたということであり、彼女の死に方はガモーラとは違い幸せなものだったように思える。彼女も本作において、キャップやアイアンマンと同じように、大切なものを手に入れて引退したヒーローの一人だろう。

 

総力戦が熱い

言うまでもないが、敵と味方の総力戦が本作の最高の盛り上がりポイントである。キャップの「アベンジャーズ・アッセンブル」をどれだけ待ち望んだか。あの瞬間の興奮はもはや忘れられない。

各ヒーローともしっかりと活躍しておりとても良いシーンだったのだけれど、僕はキャプテンマーベルの圧倒的な力とヒーローとしてはか弱いピーターパーカーを守ろうと大集合する女性陣が個人的なツボ。ペッパー・ポッツ、しっかりとアイアンスーツ着て登場してて頼もしいなあって思った。

 

今後について

MCUお馴染みのエンドロール途中に流れる映像と「〇〇は帰ってくる」だが、今回は映像もその表記もなく終わった。まさしく最終作、といった印象が強くなるが、次回作のファー・フロム・ホームにおけるアイアンマンとキャップが不在の世界で、一番未熟だったヒーローであるスパイダーマンが、本物のヒーローとなるのが「本当の終わり」なのだろう。フェーズ3が本作ではなく、「ファー・フロム・ホーム」で終わるのもそれなら合点がいく。

次回作が決まっているGotG3で気になるのは、この時空においてガモーラは生き返ったものの(ガモーラが死ぬ前の過去から現在にタイムトラベルしたまま、彼女はおそらく死んでいない)、GotG1で築いたガーディアンズとの絆は一切なかったことになってしまっているということ。代わりにネビュラとソー(アスガルドの王はヴァルキリーに任せた)が仲間入りしているので、彼らが登場するのかも気になる。コメディ色強めなGotGシリーズへのネビュラの加入は絶対に面白いが、ソーはなかなかキャラクターが濃いので収拾がつかなくなりそう。もしかしたら序盤で「ソーはどこかで下ろした」みたいな感じで説明が入って本作にはあまり出てこないということもありそうだ。

フェーズ4もおそらく大きな目標に向けたストーリー展開になると思われるので、どこに着地を指せるのかがとても気になる。

まとめ

このシリーズを追い続けてよかったと思える最高の作品であった。KINENOTEの点数が本日時点で90点を超えていたのだが、それだけの点数がつくのも納得がいく内容だ。

ぜひ劇場で見てほしい。

 

 

ずっと真夜中でいいのに。東名阪ツアー「1st LIVE〜まだまだ偽りでありんす。〜」@名古屋 備忘録としての感想

zutomayo.com

 

「秒針を噛む」からハマって、数回ライブを申し込んだが一度も当たらず、ようやく東名阪ライブの名古屋公演を当てて、ライブに参加することが出来た。

とても楽しかったので何が起きたのか、そしてこの感情を残しておきたい。

ちなみに、記載内容に自信があまりない。これまでもライブ実施の度にしっかりとしたライターがレポートを書いてHPに掲載してくれているので、正しい情報はツアーが終わったあとにそちらを確認してくれるといいと思う。

 

会場は名古屋ダイヤモンドホール。会場のキャパはスタンドで1000名で、僕の番号が750番台だったので、やや会場中央よりも後ろよりで参加。前方にステージが、右手にモニターが配置されている箱。

ステージには工場を思わせるようなパイプといくつかの時計。時刻は現実のものとは異なり、アナログとデジタル。逆さまに配置されていうものもある。中央には鳥かごのようなものに、オレンジ色のランプが閉じ込められている。

 

開演時刻になると、モニターに「秒針を噛む」のイントロとMVを彷彿させるいくつかの映像の断片がダイジェストのように流れ、ガラスが割れたような音とともに、映像が粉々に散る。そしていくつかのMVに登場しているハリネズミ(うにぐりくんというらしい。ずとまよには「雲丹と栗」という可愛らしい楽曲があるが、それを彷彿させるナイスなネーミングだと思う。可愛い。)が左右交互に手をあげるアニメーションの横に、「お手元の眼鏡をかけてください」的な文字が。会場に入る際に、紙製の眼鏡が配られていたのだ。ツルにあたる部分に「ずっと真夜中でいいのに。」のロゴタイプ、そして視線を遮るように縦長の「目」がレンズに当たる部分にあしらわれている。

かけると、当然なにも見えない。すると、そのまま「秒針を噛む」のイントロが流れてくる。おそらく、目の前にACAねちゃんがいるのだろうが、見えない。そのまま、眼鏡をかけた状態で歌が始まる。実は去年、アルバムが発売される前に行われたミニライブのライブレポートを読んでいたので、わざわざ今回もメガネが配布されたときのためにコンタクトを付けてきたのだけれど、「このままメガネをかけたままなのだろうか」という不安と、MVを幾度も視聴し、購入した「正しい偽りからの起床」で何度も聞いた曲が生で展開されていることへの興奮、期待が入り混じって、あの時の感情は正確には言い表せない。正直、混乱していたと思う。だから、ACAねに「めがねとっていいよ」と言われたのも、どのタイミングだったかよく覚えてない(多分1番のサビが始まる前には言われていたと思うけれど)。彼女の一言で会場が沸いて、僕も同じように沸いて、目の前にライトを背面から浴びて歌っているACAねがいる、ということが途轍もなく幸せなことのように感じた。本人曰く「桜の時期だから」と髪の毛をピンク色に染めていた。かなり遠めだし、後ろからライトが照らされている場面が多かったので、彼女の姿をしっかりと見ることは出来なかったが、どちらかというとそういうことよりは、普段姿を現さず音楽だけを公開してきた謎に包まれた人物が目の前にいることが重要であって、むしろビジュアルを前面に押し出そうとも隠そうともしない姿勢が好きだ。サポートメンバーは左手にギター、奥にドラム、右手奥にベース、一番右手にキーボードという配置。なお、最初の「秒針を噛む」に限らず、ギターの方は終始楽しそうに弾いていたので彼を見ているのも楽しかった。

 

「秒針を噛む」に限らず、すべての楽曲について、生で歌っていながらCD音源に劣らぬ歌唱力だった。歌唱した曲は、正確にはカウントしていないけれど、「正しい偽りからの起床」に収録されている6曲とMVが後悔されている「眩しいDNAだけ」を我々が訊いたことがある曲だとすると(漏れていたら申し訳ない)、聞いたことがある曲と聞いたことがない曲が半分ずつぐらいだったと思う。2曲目は確か「ヒューマノイド」、3曲目には聞いたことがない曲が始まった(ハゼの曲?)。

新曲は疾走感あふれるアニソンっぽい曲からバラード調のものまでさまざま。歌詞もしっかりとストーリー立てて構成されているものから(これが意外だった、こういう詩も書くのか、と)、まさしく「詩」なものまで。一度しか聞いたことがない曲についてレポートを書けるほど筆力が高くないのが残念だが、「正しい偽りからの起床」でも方向性が違う楽曲6曲が揃っている中で、さらに新しいずとまよの世界が広がったような印象を受けた。手元で聞けるようになるのが楽しみだ。

ちなみに既存曲で一番印象に残ったのは・・・、ライブ特有のCメロ後の「満たされていたくないだけ」の伸びが気持ちよかった「眩しいDNAだけ」もよかったけれど・・・、やはり一番は「雲丹と栗」。twitterで音が出る黄色い鳥の写真をアップしていたが、あれも演奏に使われたのだ。他にも、例えばACAねが持っていたのはフライパン?(もしくは中華鍋?というのだろうか?)とオタマだったし、その類の音の鳴る道具(正確に見えていない・・・)を会場の最前列にいる客に配って、手拍子の代わりに音を鳴らしていた。その他大勢の客は全員手拍子で曲に参加したのだけれど、キャッチーで可愛らしい曲にそういった面白い鳴り物を用意して、皆で少しサビを歌ったりしながら参加する一体感が生まれる曲があるのは楽しい。

他にもACAね本人が大き目のライトを持って暗くなった会場をぐるぐると照らしたり、アンコール前の最後の楽曲だった「脳裏上のクラッカー」でクラッカーを鳴らしたり、彼女自身が全力でライブを楽しもうとしているのが伝わってくるライブだった。

 

MCも数回挟んで、楽曲に対する思いを話したり、初めてだという名古屋でのエピソードを話していた。会場は26になる僕よりも明らかに年下かと思われる人が多く、男女も半々。年齢層が若いこともあってかACAねからの問いかけに応える声、声援も多く、それに丁寧に答えるACAねが印象的だった。静かに息をつくようにゆったりと話す喋り方がとても聞き手を安心させる。ちょっと外れたボケをかます若い男性は良くライブ会場で見かけるが、そういった声へのツッコミもものすごく優しい感じがして良い。かなり会場の雰囲気も良く、ACAねが「ありがとう」というと会場からもいくつもの「ありがとう」が返ってくる優しい空間が展開されていた。僕はグッズを買わないタイプの非模範的な参加者なので結果購入はしなかったけれど、アンコール後のMCでしっかりとグッズのこだわりについても話していた。

話はそれるが、ACAねさんの安心させるゆったりとした話方の中に、妙な色っぽさもあるアンバランスさがとても好きだ。打って変わって歌っているときの力強い声も。ライブならではのトークが、曲を聴いているだけでは気付けない彼女の声の良さに気付かせてくれた。

 

後は印象的だったのは、「秒針を噛む」を1曲目に演奏をしていながら、アンコールでも「秒針を噛む」を演奏したこと。つまり、1回のライブで同じ楽曲を2回演奏したことになる。が、正直彼女、というかずっと真夜中でいいのに。のスタートがこの楽曲にあり、ずとまよを飛躍させたのもその楽曲の異例の再生回数と話題性であり、おそらく会場にいる多くの人間がその楽曲を待ち望みにしていたであろうことを考えると、「同じ楽曲は2回演奏しない」という常識にとらわれた僕や、もしかしたら他の人にとっても、とても良いサプライズになったのではないだろうか。「このまま奪って隠して忘れたい」を会場皆で歌う、というのもグランドフィナーレ感があってとても良かった。

アンコールは「秒針を噛む」1曲だったが、その後モニターにフジロック出演決定の告知とサポートメンバーの紹介、そしてACAねのメッセージが掲載されてライブは終了。

どうやら今回、名古屋から参加した人と名古屋以外から参加した人は半々ぐらいで、僕も有給をとり東京から遠路はるばるバスを使って参加したのだが、そこまでしてでも参加出来てとても良かったと思っている。ツイッターで検索すると、中には名古屋の翌日の大阪公演にも参加し、「雲丹と栗」で使うために自前の食器を持ってきた人もいたようだ。

 

ずとまよは何というか「隠す」のが上手い。ACAねの素性は一切わかっていないし、ライブで初めて我々が耳にするような楽曲がいくつもあり、定期的に、少しずつ展開されていく。youtubeSNSディスコグラフィで高められた欲求が、気持ちいい形で発散されるライブという場。ずとまよのキャラクター性もあり、会場の雰囲気も熱気がありながらも穏やかで、徐々に高まってきたものが綺麗に花開くような印象があった。「ライブに行って生で聞くのが当たり前」という感覚で日々色々なミュージシャンのライブに参加している身としては、今回のライブは「溜め」がすごくあったし、感慨深い一夜にすることができた。

本当に、終わったその日は、ずっと真夜中でいいのに。と思った、今日が終わらればよいと。

また参加したい。フジロックは真昼間だよね?また雰囲気が違いそうで面白そう。

 

 

【スパイダーマン: スパイダーバース】スパイダーマンは1人じゃない(感想:ネタバレあり)

www.spider-verse.jp

第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞とのことで、というか受賞していなくても見に行くんだけど、見てきた。

 

僕はMCUが好きで、アメイジングスパイダーマンが(監督のマークウェブが好きなので)好きで、スパイダーマンに対しては「ファンではないけど、好意的」程度の立ち位置だと認識してほしい。アメコミを読んだことはないし、予告で出てくるスパイダーマン達を見てピンとくる人はピーターパーカーしかいない。


映画『スパイダーマン:スパイダーバース』本編映像<スパイダーマンは1人じゃない編>(3/8全国公開)

 

が、とても面白かった。スパイダーマンをかじっている私でも幾度もの実写作品で刷り込まれた「スパイダーマンってこういう映画だよね」という感覚は持ち合わせていて、それを忠実に再現したアニメーション作品であり、何と言うか今までアニメーションで動いているスパイダーマンを見てこなかった僕からすると「ようやく原典に出逢えた」といった印象だ。

 

本作は簡単に言うと、本作のヴィランが創った"凄い装置"で、時空の歪みが生じ、別の世界のスパイダーマン達が一堂に会する夢の作品。

主人公はただの13歳男子のマイルス。彼が生きる時空が本作の舞台で、ピーターパーカーは物語の序盤(マイルスが蜘蛛に噛まれスーパーパワーに目覚めた直後)にヴィランに敗れ死亡する。この時空のピーターパーカーは時空の歪みを生じさせる装置の発動を阻止することは出来なかった。ただ、死に際にマイルスにその望みを託す。

その後、別の時空から「マイルスの時空」へ巻き込まれた、中年になったピーターパーカー、その他スパイダーマン達(ヒロインのクヴェン、ノワール、ペニーパーカー、スパイダーハム)と力を合わせ、ヴィランが"凄い装置"をもう一度利用するのを阻止、元の時空に帰ろう!というのが本作の大筋。

ついさっきまで一般人だったマイルスが、様々な時空の"プロスパイダーマン"達と同様のパフォーマンスを披露することが出来るわけがない。ただ、視聴者が想像する通り、彼はスーパーヒーローになって終盤大活躍するわけだ。本作は、第二のスパイダーマンが誕生するまでの物語なのである。

 

「ヒーローがヒーローになる物語」は既存のスパイダーマンも含めこの世の中にいくらでも溢れているのだが、中でも「スパイダーバース」の良いところは、ヒーローになるきっかけがスパイダーマンらしくあること(「スパイダーマン」という作品である必然性)と、そして「13歳」なだけあって、ヒーローとして育っていく過程が物語の大半を占めていること(ピーターパーカーのスパイダーマンでは描けない独自性)だと思う。

 

作中でマイルスは、目の前で象徴的なヒーロー(ピーターパーカー)を失い、さらに親愛する叔父も亡くすこととなる。街を守る存在の欠落と、自らを愛する者を失う悲しみは、スパイダーマンが生まれる理由に説得力を持たせている。物語の終盤まで気持ちはただの子どもであったマイルスが、ヒーローにならなければならないという使命感を抱く動機付けがしっかりしている。ピーターパーカーや他のスパイダーマンと同じように、「大切な人を失う」というターニングポイントがないがしろにされていないのが良い。

また、彼をヒーローとして成長させる師にあたる中年ピーターパーカーやメイおばさんの存在が、本作のプロモーションで散々使われているコピー「スパイダーマンは1人じゃない」を体現しており、これが本作のオリジナリティに繋がっている。

僕が良く知っている中にピーターパーカーが入っているスパイダーマンはあくまでも一人で強くなっていっている印象が強い。そんな中、マイルスには師がおり、同じスパイダーマンの仲間がいる。彼らとの交流を通じて、マイルスがじわじわと成長していき(本作の尺はほぼマイルスの成長物語で使われている)、最後プロスパイダーマン達のピンチに成長した彼が現れるという最高のクライマックスを迎えるわけだ。

多くのヒーローものは「ヒーローものらしい映画」にするため、ヒーローになるまでの尺は生前前半まで、後半は自覚を持った強いヒーローがヴィランとドンパチする構成だと思う。だが、本作はヒーローであるスパイダーマンが複数人既におり、彼らの背中を見ながら主人公が成長していく物語なので、マイルスの成長の過程を丁寧に描けるし、かつお手本となるヒーローのカッコいい姿も描けているのがポイントだ。

 

作中でカメオ出演している故スタンリー氏が、ピーターパーカーが死亡し、スパイダーマンにならないといけないという使命に燃えているマイルスを励ますシーンがある。そして、本作のエンドクレジット中には、「目の前の困っている人に手を差し伸べることが出来るのがヒーローである」(正確な言葉ではないが、そういう類の文章だ)というスタンリーの言葉と一緒に、彼への追悼が。「スパイダーマンは1人ではない」は文字通りスーパーヒーローは1人ではないということだけではなく、我々一般人もヒーローになれるという熱いメッセージでもあるわけだ。それを、ただの13歳であったマイルスが体現してくれているわけである。

 

「ヒーローになるまでの物語」が丁寧に描かれているのが、本作の最大の魅力であったと思う。そして、その物語を彩るアニメーション表現。これは見てくれとしか言いようがないが、アメコミを映像に落とし込んだらこういう演出があって然るべきという期待を見事に体現してくれていた。ふきだしや効果音、その全てがカッコいい。

そして、別の時空のスパイダーマン、モノクロのノワールや日本的なペニーパーカー、よりコミカルなスパイダーハムとのギャップも楽しい。僕は字幕で本作を見たのだけれど、日本人あるある「外国のキャラクターが日本語をしゃべると嬉しい」ではとどまらず、「外国の世界観で日本的アニメーションが馴染んでいる感動」を楽しませてくれた。

 

アカデミー賞は私がとても好きだった「インクレディブル・ファミリー」が受賞してほしかったと思っていたが、本作ならば作品賞受賞も納得である。映像もこの作品の楽しみの一つなので、ぜひ劇場で見てほしい。

 

【天才作家の妻 40年目の真実】身勝手な男と賢い女(感想:ネタバレあり)

ten-tsuma.jp

公式URLが「ten-tsuma」なの、最高にウケますね。

グレン・クローズさんが第91回アカデミー賞主演女優賞ノミネートした「天才作家の妻」見てきました。

 

女性は「こういう身勝手な男、いるわ~」、男性は「うっわ身勝手だわ気を付けよ」になる、我々の生き方に大いに貢献してくれる作品だったので、感想を書きます。

これはネタバレをしないとまともに感想を書けないので、いきなりオチを書きます。どちらかというオチが大事というよりは過程を楽しむ映画です。

あらすじ

簡単に物語の流れを説明してしまうと、

①ジョゼフ・キャッスルマンがノーベル文学賞を受賞。妻のジョーンと息子のデビッドも授賞式に同行することに。

②記者のナサニエルが、妻ジョーンがジョゼフの作品を代筆していると推測。ジョーンやデビッドに揺すりをかける。

③ジョーンは当然否定。しかし、真実は物語の構成力があるジョゼフが初稿を書き、文章力・表現力に秀でているジョーンが完成させる共同著作であった(過去を回想する形での描写なので、物語中ジョーンは一切デビッドやナサニエルに真実は告げていない。)。

④ジョゼフの度重なる身勝手な行動にジョーンが激怒。喧嘩になり、ジョーンは離婚を言い渡す。喧嘩中にジョゼフが心臓発作となり死亡。

⑤帰りの飛行機でナサニエルに「夫の名誉を傷つけるような記事を書いたら訴える」と伝え、隣にいたデビッドには「真実を帰ったら話すわ」と伝えてエンド。

と言った感じ。

この作品の面白さは、作中の至る所に夫ジョゼフのクズ感を散りばめているところと、それを踏まえたジョーンの決断にある。

 

さぁ、ジョゼフのクズっぷりを振り返っていこう!

①浮気癖

そもそも、ジョゼフとジョーンが結婚したのも、浮気がきっかけ。既に妻子持ちのジョゼフがジョーンを誘惑、ジョーンが寝とる形で結婚した。

作中ナサニエルとジョーンが酒を飲むシーンがあるのだが、その時ジョゼフの元妻の話となる。

ジョゼフの元妻は「あの夫を引き留めてくれてありがとう」とジョーンに伝えてくれと言ったそうだ。

 

ちなみに、それだけでなくノーベル賞授賞式に同行していた若い専属カメラマンとも浮気しようとした始末。それもジョーンにばれて喧嘩になりかけるが、孫が生まれた報告の電話が都合よくかかってきて、喧嘩は収まる。その時のジョゼフのセリフが「つまらない喧嘩はやめて」だからもう救えない。いや、お前の浮気が原因だろうと。

 

なお、それ以前にも何度もジョゼフは浮気を繰り返しており、その度にジョーンはそのやり場のない怒りや悲しみを自らの作品に投影することで感情のセーブをしてきたとのこと。ジョゼフが彼女にそれを強要したかどうかはジョーンが激怒状態での主張なので定かではないが、そもそも浮気を繰り返している時点で問題ありである。

②自らの作品という意識

ジョゼフが売れるきっかけとなった作品は、はじめてジョゼフが初稿を完成させ、ジョーンが推敲・編集をした作品であった。その時は「僕たちが書いた」と言って二人で喜び合っていたのだが、物語序盤でノーベル賞受賞の電話を受け取ったときには「僕が書いた」と喜んでいる。

作品内で描かれている順番はノーベル賞受賞のシーン→過去の回想シーンなので、最初見たときに違和感はなかったのだが、あとから思い返すと「僕がノーベル賞を取った」と言って手を取り合って喜んでいるシーンの直後、我に返ったように冷静になるジョーンには含みがある様にも見えたかもしれない。

 

また、予告編にもあるが、夫は「妻は書かないよ」と平然と言ってのけている。妻の前で。


映画『天才作家の妻 -40年目の真実-』予告編

 

③熱い手のひら返し

物語の中盤、ジョゼフが自らに疑惑の目が向けられていることを知ったのだが、それ以降の態度の変わりっぷりが清々しい。

②で記載したとおり、自らの作品であることを主張していたのに、「詐欺」と疑いをかけられてから急になよなよとしだし、ジョーンがあらかじめ「挨拶では私のことに触れないで」と言われていたのに、自らの挨拶を全てジョーンへの賛辞で使い果たしてしまう。(これが原因でジョーンは激怒した)。

 

その後ホテルに戻った後の迫真の夫婦喧嘩でも、結果「ではなぜ僕と結婚した」と妻に責任転嫁(まさしく転"嫁")する始末。どうしようもない。

 

まぁ、このように、作中でどんどんジョゼフの屑っぷりが露呈していくのだが、対してジョーンはひたすらに賢いのだ。

自らのプライドを胸にしまい、決して対外的に自らの功績を公表しようとしない。なぜなら、それをしたところで自分が得するわけがないから(自らが書いた作品がノーベル賞を受賞したのに、その名誉さえも汚されてしまう)。

だが、ラストシーンの描写を見る限り、彼女にとって大切な家族にはおそらく真実を話すのだろう。自らのプライドを保つための、行動を最適化する頭の良さ、計算深さを僕は終始感じていた。しかし一方で、ジョゼフがいなければ自らが著作で大成することはなかったと分かっているし、長年連れ添った彼に対して愛情を感じているからこそ、ジョゼフに敬意を払っている。

あまりにジョーンの人間が出来すぎており、たいしてジョゼフが屑過ぎて「ちょっとこれは仕組まれた感が強いな」と冷静に考えようとするのだが、問題は、ジョゼフの屑っぷりも、それに対しての彼女の反応もあまりにリアリティがありすぎて、「これって普遍的な夫婦が抱えている問題だよな」と深刻に考えてしまうところにある(その"問題"こそが本作の最大の魅力なのだが)。

 

決して心が晴れる作品ではない。だが、人間が抱える自尊心や夫婦関係の闇などをリアルに描いた素晴らしい作品だ。

僕からの警告を1点。絶対に恋人や家族とは見に行かないほうが良い。僕は一人で見に行って良かったと心から思っている。

 

 

【ファースト・マン】ワーカーホリック・ゴズリング(感想 : ネタバレあり)

firstman.jp

 

見てきたぜ。

ラ・ラ・ランドデイミアン・チャゼル監督×ライアン・ゴズリングな作品。

本作は人類で初めて月面に降り立った人物「ニール・アームストロング」を主演のライアン・ゴズリングが演じており、おおよそ史実に基づいた作品となっている(史実を正確に知らないので、どこまで脚色されているかはわからない)。

 

なので(というのが正確なのかは定かではないが)、「セッション」や「ラ・ラ・ランド」のようにドラマチックな見せ場はない分、とても手堅い作品になっている。「ニール・アームストロング」という人物と、彼の周囲(特に家族)との関係が濃密に描かれていて、ライアン・ゴズリングの演技に酔いしれるような作品になっていた。

とはいっても、広大な宇宙の世界を描く映画である。第91回アカデミー賞の録音賞・音響編集賞・視覚効果賞・美術賞を受賞しているだけあって、ビジュアルや音響も楽しめる映画だった。僕の趣味バイアスは間違いなくかかっているのだけれど、音の使い方も素敵。

 

ということで、ぼちぼち感想を書く。ネタバレありです。

ちなみに公式サイトの「ストーリー」に本作のあらすじが丁寧に書かれているので、

 

周囲の人間の死を重ねて目が死んでいくライアン・ゴズリング

ニールがNASAジェミニ計画(簡単に言うと、月面に降り立つ「アポロ計画」の布石となった宇宙に人を送り込む計画、詳細はググって。)に応募するところから物語が始まる。

アポロ計画を成功させ、地球に降りたって家族と再会して物語は終わるのだが、その過程でニールの心の弾性がどんどん失われていく。本作の一番の見どころは、彼の人間性の変化だと僕は思う。

 

ニールは壮大な宇宙への計画を二度も成功させる幸運な人物でありながらも、その分抱えている影が濃い。ジェミニ計画に応募する直前、彼が愛する娘カレンを病気で失い、以降も職業柄親しかった同僚を次々と失っていく。

当然カレンを失った際に彼は涙を流し、ジェミニ計画の直前に同僚を失った際にも葬儀の場で故人の悪口を言う男に怒りを向けるなど、大切な人間の死と向き合う心がしっかりとあったのだが、アポロ計画で3人の宇宙飛行士が亡くなったときから彼の表情が明確に変わる。

アポロ計画の悲劇を電話で聞いたニールは、無意識に力が入ってしまい手に持っていたグラスを割ってしまうのだが、流血した手を冷静にナフキンで処理するところから完璧にスイッチが入っていた。

税金の無駄遣いという世間の逆風も取り合わず、訓練中にケガをしても大したことないと切り捨て、犠牲を払うことについての意見は「この段階で考えるには遅すぎる(既に多くの犠牲が出ていたため)」。極めつけはアポロ11号で月に向かう前、家族との会話をせずに淡々と家から出ていこうとする。

もはやニールが見ているのは月に向かうというミッションだけだった。死んだ目で淡々とミッションをこなす様、前半と後半での人間性の違いを綺麗に演じきったライアンゴズリングは見ていて気持ちが良かった。

 

「セッション」「ラ・ラ・ランド」と目標に向けて大切なものを犠牲にする作品を生み出してきたデイミアン・チャゼル監督の強みがここでも発揮されていたな、と感心しながら見ていたのだが、彼の本領はこれだけではない。

「セッション」ではラストの講演で主人公が指揮者を演奏で従えたように、

ラ・ラ・ランド」ではすれ違いつづけた男女が夢見る最良のifストーリーをクライマックスに据えたように、

ファースト・マン」でも「いやこの流れでこう来ますか」という視聴者の感情を揺さぶるような場面をしっかりと組み込んでいた。

 

あまりにも素晴らしかったので、ここで書いてしまうが、あれだけ月へのミッションに固執していたと思われるニールが、月面に持参し、その場に置いてきたのは失った娘カレンの名があしらわれたブレスレットだったのだ(ちなみにそのブレスレットは序盤のカレンの葬式の時に机の引き出しにしまってから作中で一回も出ていない、完璧な伏線として機能している)。

これ凄いなって心から感心していて、僕はバカな視聴者だから完全にニールの心は家族から離れてもはや月に行くことしか念頭にない状態になっているのかと思ってしまっていたわけ。彼の行動は家族から遠ざかっていたし、それに対して妻も激怒してぎくしゃくしていたわけだし。

しかしまぁ気付く人は気付くと思っていて、なんだかんだ言って妻との思い出の曲のカセットテープを宇宙船に持参して宇宙で聞いたりしているわけだよ。いきなりカレンブレスレットを登場させずじわじわと家族を想起させるような創りにしているのも本当に上手い。

 

本作のラストシーンも隔離された(免疫検査期間は隔離される)ニールと妻がガラス越しに手を合わせるところで終わっていて、この作品のテーマが月に邁進する偉大な男でありそうなのだけれど、結果家族であることをちゃんと明示している。ワーカーホリック男に成り下がってしまった、かと思いきややっぱり家族だったか、という静かなどんでん返しが気持ちよくてたまらん。

ここらの「ラスト〇〇分の衝撃・・・!」映画よりずっと心が震えたよ。

 

映画館で見る価値

私、映画館の音響は素晴らしいなって思いつつも、映画館だからこそ感じられる静寂も好きなんです。宇宙船から月への扉が開かれたとき、結構な時間無音だったのよ(宇宙の分かりやすい表現だね)。宇宙飛行士の話だから当然このシーン以外にも宇宙を描写しているところはたくさんあるのだが、音楽と効果音と静寂のバランスがとても気持ち良かったからDVDで見るのはちょっともったいない。

ぜひ映画館で見て。

 

今回のオチ

J・K・シモンズさん、今回も出演するかな、って期待してたんだけど、今回は出ませんでした。残念。
 

 

「恋するワンピース」「コビー似の小日山」から考える「パロディ漫画」。

ONE PIECEは私が最初に好きになった漫画であり、今でも先輩からいただいている回し読みジャンプで毎週追いかけている漫画でもある。

私はジャンプ+という無料で漫画が読めるアプリを愛用しており、そこにONE PIECEのスピンオフ(パロディギャグマンガ)が2本掲載されている。

ONE PIECE コビー似の小日山 〜ウリふたつなぎの大秘宝〜」と「恋するワンピース」という作品なのだが、両者とも好きな作品なので、紹介したい。

が、後者の「恋するワンピース」が本命である。この作品、ジャンプ+の現在の連載の中でも上位に食い込む面白さだと思う。

 

月曜日連載 : ONE PIECE コビー似の小日山 〜ウリふたつなぎの大秘宝〜

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コビー(海軍入隊前)に似ているがONE PIECEを知らないため自覚がない小日山をONE PIECE好きな友達が弄り倒す四コマ漫画(最近は小日山がついにコビーに似ていることを自覚した)。

小日山中心の話だけではなく、ミスターワン似の男を中心とした話(気が弱いミスターワン似の学生が不良に絡まれるとか無駄に恐れられるみたいなネタが多い)、不愉快なマルコ似の男を中心としたオフィスでの話などが毎話ローテーションを組んでいる形での連載だ。

ページ数も多くなく、何より四コマなので読みやすい。すらすらと引っかかりがなく読めるのであるが、どうも爆発力にかけてしまう。

まんがタイムきらら系のネタとしては面白くなくキャラクターをひたすら愛でる漫画があると思うのだが、作品としての方向性はこちらに近しいかもしれない。キャラクターの魅力を構築し、小笑いや"萌え"をコンスタントにとっていくような作品(少年漫画かつ登場人物の多くが男性の漫画がこの構造でよいのか、という議論は必要であるが)。

 

ネタとしての面白さが追求しきれないのは、表現方法が限られており、オチをコンスタントに生み出さないといけない四コマ漫画での限界があるので仕方がないのだが、登場人物のキャラクター立ちはしっかりしているので、長く愛される作品にはなれそう。原作がある分、原作キャラクターと、それに憑依している「小日山」のキャラクターのギャップで、原作をある程度理解している人にとっては永遠に面白い作品になっているのではないだろうか。

私はジャンプ+で連載している毎日1話更新の「猫田日和」を愛してやまないのだが、「小日山」も毎日1話で読者が触れる機会を増やした方が良いような気がする。1週間作品から離れてしまうのが惜しい。

 

日曜日連載 : 恋するワンピース

shonenjumpplus.com

私が愛してやまない漫画である。

「山本海賊王(ルフィ)」というキラキラネームを授かった無害良いやつ系男子に恋をする「小山菜美(ナミ)」が本作の主役かつ唯一のツッコミ役を担っている。

ONE PIECEを愛してやまない「中津川嘘風(ウソップ)」と呼ばれるクレイジーな男が本作の主要なボケ役であり、彼が比較的まともな上記2名を巻き込み「海賊部」を発足。後々その他メンバー(ゾロ/サンジ/チョッパー/ブルック/尾田栄一郎など)に該当するキャラクターも作中に登場するのだが、主要メンバーは基本上記3名。

 

漫画を読んでいただくのが手っ取り早いのだが、嘘風は「自らの行動を全てワンピース準拠で行おうとする」かつ「現実で起きた出来事を、無理矢理ワンピース風に解釈する」ため、行動が基本的にすべておかしい。それに対して常識人である菜美が鋭いツッコミを入れるというのが基本的な笑いを取るパターン。伝説のギャグマンガである「ボボボーボ・ボーボボ」のビュティを彼女のツッコミに垣間見た。

回を重ねるごとにキャラクターが増えていくのだが、嘘風の巻き込む力に菜美以外は屈服、彼に乗っかる形でボケをかましてくるので、それもまた面白い。

 ↑参考書籍。3話での人気投票ネタ、遊戯王武藤遊戯とのコラボレーションはもはや伝説。

 

この漫画の素晴らしいところは、菜美への共感にあると思う。ただのワンピースを知っているだけの一般人である菜美をツッコミとして立たせることで、「ワンピースが分からない人間にも面白い」をちゃんと意識できている。

 

パロディ漫画は難しいと思う。パロディ元の作品のネタがディープすぎると読者は離れてしまう。ONE PIECEは国民的な漫画ということで、漫画を読んでいる層ならばある程度内容を理解しているのは救いではあるが、それでも「どこまで掘り下げれば良いのか」という視点を失えば、途端に内輪ネタの寒い漫画となってしまう。

その点、「恋するワンピース」は深すぎるネタには「わからない」と菜美がツッコミを入れるもしくはスルーするし、ツッコミの内容も我々のような一般人が嘘風の奇行を目の当たりにしたときにするっと出てきそうな言葉だ。

彼女が我々読者に近い立場として作中でツッコミを担ってくれているお陰で、この漫画は「内輪感」を極力減らすことに成功していると思う。

 

かつて週刊少年ジャンプで連載されていた「太臓もて王サーガ」は見境なくパロディしていたが元のキャラクターに魅力がありネタにも勢いがあったのでわからないネタは読み飛ばせていたし、「トマトイプーのリコピン」は比較的広い層が知っているであろう時事ネタを扱い分からない状態をつくらないようにしていた(賞味期限が限られているのがもったいないけれど)。

 ↑伝説のパロディ漫画。パロディし過ぎてパロディ元の漫画のキャラクターが人気投票でそこそこ上位に食い込んでいた。

トマトイプーのリコピン 1 (ジャンプコミックス)
 

 ↑こんなかわいい顔したキャラクターが時事ネタを放り込んでくるという魅力。

 

パロディ漫画の手法も数多くあるけれど、「私たちと同じ視点のツッコミ」がいてくれることの安心感を「恋するワンピース」は教えてくれた。 

恋するワンピース 1 (ジャンプコミックス)

恋するワンピース 1 (ジャンプコミックス)

 

 1巻が発売されているので、ジャンプ+で読んで気に入った人はぜひ購入してみてほしい。

 

 

手元に残している1巻完結漫画をおすすめする

私は図書館に足しげく通い、時にはGEOやTSUTAYAにも行くので、本は無料で借り、漫画も低額で借り、手元に書籍は置かないタイプである。かつて購入していた漫画も断捨離をし、今となっては手元に残っているマンガは僅か数冊になってしまった。

 

そんな私が、厳選し手元に置いている漫画を紹介したい。

徐々に更新していくので、とりあえず1冊で読み切れる作品から紹介。

 

1.ソラニン/浅野いにお(新装版1巻/ヤングサンデーコミックス2巻)

ソラニン 新装版 (ビッグコミックススペシャル)

ソラニン 新装版 (ビッグコミックススペシャル)

 

サブカル野郎に大人気な浅野いにお作品。映画化の影響もあり一番有名な作品ではないだろうか。新装版で1冊にまとめられたので、ギリセーフということで紹介。

 

大学を卒業してもミュージシャンになる夢をあきらめきれない主人公と、その恋人のゆるい幸せがだらっと続くかと思ったら・・・な話。

浅野いにお作品は色々と読み漁ったのだけれど、一番好きなのはべたべただがこれ。私は青春を引きずってしまった大人よりな人間の話が好みである。

これについては別途感想を書いている。

midoumairu.hatenablog.com

 

ちなみに、購入には至っていないが、1巻完結の「おざなり君」も結構好き。

おざなり君

おざなり君

 

常識が通用しない若手社員(おざなりくん)とうだつの上がらない上司(やぶさかさん)によるシュールギャグマンガの皮をかぶったロックでBLな漫画。おざなりくんがやぶさか部長を目の敵にする理由が後半で明らかになってからの展開が好み。

 

2.ネムルバカ/石黒正数(全1巻)

ネムルバカ (リュウコミックス)

ネムルバカ (リュウコミックス)

 

それでも町は廻っている」でおなじみの石黒正数先生の作品。

 

ただの女子大学生(表紙左/入巣)とそこそこ音楽の才能のある女子大学生(表紙右/鯨井)の話。真直ぐに夢に向かってバンドに打ち込んでいる鯨井は、夢もなく漠然と日々を過ごしている入巣にとっては眩しくて憧れの存在。僕も"一般人A"でしかなかったし、周りのちょっとデキる人間が羨ましかった人間だったので、入巣さんの感情がよくわかるし、鯨井さんが何者かになろうとして努力している様は輝いて見える。

大学生を経験した人全員にオススメしたい作品。

 

物語後半で鯨井に大きな変化が起き、同じ寮生である入巣との築いてきた関係も変わっていく。夢を追いかけ続けた鯨井先輩が決断した結末が最高にロックなので見てほしい。

なお、石黒正数さんは独特の世界観と推理小説のような緻密な物語の構成にも定評があり(読むたびに「頭いいんだろうな」と感じる。)、1巻完結の作品では「外天楼」の方が有名かもしれない。単発のエピソードがいくつか並んでいるかと思ったら、最後の壮大なオチに繋がっているという綺麗なパズルのような作品。

外天楼 (KCデラックス)

外天楼 (KCデラックス)

 

 

3.ストロボライト/青山 景(全1巻)

ストロボライト

ストロボライト

 

 小説家希望の主人公と、主人公が好きだった映画作品に出演していた元子役のヒロインの恋愛物。甘酸っぱく、ビターエンドな恋愛ものが好きな人にオススメ。

作者の青山景さんはすでに亡くなっており、新作が読めないのがとても悲しい。

 

描写の仕方が独特で、主人公が過去を回想する形で物語がスタートするのだが、その回想している過去のシーンも「主人公が実際に体験したこと」と「ヒロインが出演していた映画作品」の垣根をあえて曖昧にして描いているので、「過去と現在」、「現実と虚構」が入り混じる特殊なつくりとなっている。

が、読んでいて混乱するわけではなく、おそらく作者もその構成にすることでミスリードを誘っているわけでもないと推測する。

面白いところは「主人公がヒロインを好きになっているのか、彼女が演じていた役≒女優としてのヒロインを好きになっているのか」があやふやになっていることであり、そんな二人の関係がどのような結末を迎え、その後主人公がどのような形で落ち着くのか、が丁寧に描かれていることだと思っている。

時系列順で語られていないことで、今の主人公がエピローグ的に片付けられていることを防いでいて、「今の主人公は何をしているんだろう」という視点、そして「過去の主人公はどのような恋愛をしていたのだろう」という視点が常に両立されているのが良い。

 

とりあえず、以上。1巻ではない、5巻以内の漫画を追記するかもしれません。もしかしたら別の記事にするかも。