定時後に映画館

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「ラスト〇〇分の衝撃!」という宣伝は映画をつまらなくする

僕は映画を見る前に、公式サイトを出来るだけ見ないようにしている。

評判も一切見ない。SNSの類も一切やっていないので、流れ弾的なネタバレを食らうこともあまりない。

 

というのも、先入観があるとやはり映画はつまらなくなってしまうからだ。

もちろん結末やストーリーを知っていても面白い映画だってある。

一方で、ミステリ系など結末にトリックが仕組まれていて、その結末を知ることが楽しみの多くを占めるような作品も多く存在する。

そういう「知らないほうが確実に楽しめる作品」については、ネタバレを徹底的に避けたい。情報化社会だから多少なりノイズとしてネタバレが耳に入るのは仕方がないが、対策をしていればかなりその確率を下げることは出来る。SNSを辞める、というのはやりすぎな気がするが。

 

しかし、最近は映画を配給する会社自体がネタバレを仕掛けてくるから油断できない。

もちろん直接的なネタバレをするようなことはないが(犯人は〇〇!みたいな。)、超間接的なネタバレは至る所に潜んでいるのだ。

 

その代表格が「ラスト〇〇分の衝撃!」である。この宣伝文句程、映画をつまらなくするものはない。

要は何が言いたいかというと、「衝撃的なラストが用意されていたとしても、衝撃的なラストが訪れると知っていると、容易にその衝撃的なラストが想像できてしまう」のだ。

 

「衝撃のラスト◯分!」という宣伝文句の映画はラストのガッカリ率が高い | ロケットニュース24

↑ここまで書いてググったら、はるか昔に記事として取り上げられている悲しみ。

 

種子はちょっと違うので、それでも話を続けるぞ。

例えばさ。

 


「手紙は憶えている」予告編

 

手紙は憶えている」という映画をかつて見た。(以下ネタバレ注意)

「物忘れが激しい主人公が、かつて自らの家族を殺害したナチの兵士を探して復讐しようと、4人の候補を探し回る」といった内容。

 

映画『手紙は憶えている』公式サイト

 

話はとても面白かったのだが、映画館に掲載されていたポスターに「ラスト5分の衝撃」と書いてあったものだから、物語の序盤で話のオチが分かってしまった。

 

犯人を捜す忘れが激しい主人公。ラスト5分でどんでん返し。

もうそれだけの情報でオチが読めてしまうだろう?

 

その「ラスト5分の衝撃」というインプットがなければ、「主人公自身がナチであった」なんて予想できなかったかもしれないのに!

 

いかにも4人の候補のうちの1人が犯人であるという感じでストーリーは進んでいたのだ。まさか普通の視聴者は主人公がナチだとは思わない。

私だって「ラスト5分の衝撃」があると知らなければ、幸せにそいつが犯人であると思い込んでいただろう。だが、「ラスト5分で衝撃起こるな」って思っていたせいで、そのラスト1人が犯人という単純な終わり方になるわけがないという疑念が浮かんでしまった。

結果、主人公がナチだったという「衝撃の事実」には、衝撃することはできず、物語の中盤ぐらいで大体気付いてしまったのだ!!!!(日本語が不自由)

 

「衝撃」と書かれている時点で、これまでの物語の筋から外れた結末が訪れることは誰でも予想できる。しかし、映画を作る人間はその「衝撃」を演出するためミスリードをしようと既定路線を懇切丁寧に描く。

「ラスト5分の衝撃」という宣伝文句は物語の作り手の意思と矛盾しているのだ。なぜなら、衝撃があると分かっている時点で、ミスリードは絶対にされないから。

控えめに「この物語のオチはこうですよ」とポスターでネタバレしているわけだ。

 

映画業界の皆さんには今すぐにこの宣伝文句を辞めていただきたい。作り手とファンを大事にしない売り方をしては、衰退してしまうぞ産業は。