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【美女と野獣】ガストン様の魅力(感想:ネタバレだらけ)

実写版の「美女と野獣」を見てきた。

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1991年公開のディズニーアニメ「美女と野獣」の実写化ということもあり、大体の人がストーリーは知り尽くしているだろうから、ネタバレだらけの記事を書いていこうと思う。


エマ・ワトソン 映画 『美女と野獣』 予告編

 

予告を見ていただければわかるが、いつものディズニー通り、「予告で我々に抱かせたその作品への期待を一切裏切らない完成度」の映画であった。

130分と普通の映画よりも長めの尺でありながら全く間延びした印象もなく最後まで退屈しないで見れたのは、エマワトソン演じるベルをはじめとするキャラクター達の魅力が輝いていたからに他ならない。

 

キャラクターの掘り下げ、という視点で「美女と野獣」を語るぞ。

 

アニメ版「美女と野獣」との違い(以下スゴイネタバレ)

アニメ版「美女と野獣」が86分であるのに対して、実写版「美女と野獣」は130分。

 

「同じストーリーなのに随分尺が伸びたなあ」なんて劇場に入る前は思っていたのだけれど、実写版は伸びた尺分でキャラクターの掘り下げを丁寧に行っていた。

※ちなみに、アニメ版美女と野獣のネタバレはwikiで見れるので、知らない人はこちらを読んでからの方が、この記事を楽しめるかもしれない。

 

ポイントは2つ。

◇実写版ではベルの出自の謎を解明している

◇実写版ではガストン様がさらなるクズに 

 

ベルの出自について

本作はヒロイン・ベルと王子・野獣の愛の物語でもあるが、同時にベルとその父親モーリスの父娘の絆の物語でもある。そして、ベルと野獣の関係と、ベルとモーリスの関係はストーリー上密接に関わり合っている。

 例えば、半幽閉状態になっていたベル(実質はダンスまで踊ってイチャイチャ状態なんだけど)を開放することを決意したのも、ベルがモーリスの身を案じているということを野獣が理解したからであり、「それこそが野獣にとっての愛である」と我々視聴者に表明する重要なシーンとなっている。

 

「ベルと野獣」そして「ベルとモーリス」の接着剤的エピソードとして、アニメ版にはなかったシーンが追加されていた。

 

ベルと野獣が仲良くなり、イチャイチャ生活をしていたある日。野獣が魔女から渡されたという「世界中のどこへでも行ける旅を疑似体験できる本のようなモノ」が登場する。

その本のようなモノに手を触れ、行きたいところを思い描くと実際にその場を訪れることが出来るというもの。野獣とベルはその本に手を重ね、空想上の旅行に行くことにした。

ベルは生前の母が住んでいたパリに思いを馳せた。そこで、モーリスと母親の秘密に触れることになる(どうやら過去にも行ける魔法のグッズだったらしい)。

母親が疫病にかかってしまい、モーリスは泣く泣くベルを連れてパリを去ったという事実をベルと野獣は目の当たりにする。ベルはモーリスの抱えていた思いを知り、涙する。

 

・・・といった内容だ。

このシーンが持つ役割は大きい。

野獣がベルを開放する理由付けである。

父を愛し、愛されているベルを知っているからこそ、ベルを同じように愛した野獣はベルを開放することを心に決める。

 

ちなみに、実写版では野獣の出自にも軽く触れられていて、ポット夫人が「野獣のわがままな性格は幼くして母親を亡くしたから」と語っている。

つまり、野獣も同じくして家族を亡くしている痛みを知っているのだ。

このエピソードを通じて、野獣がベルに同情する気持ちの理由が明確になっている。

このシーンのおかげで、野獣がベルを開放するまでの心の変化がアニメ版よりも分かりやすくなっていると僕は思った。

 

ガストンの徹底した悪役っぷり

次にガストン様の変貌について語りたい。というか、ブログのタイトルにしちゃうぐらい、この人の魅力はすさまじかった。

ディズニーヴィランとして、ある程度茶目っ気のある悪役として登場していたアニメ版ガストンが、実写化してどうしようもないクズとなってしまった。

はっきり言って、やりすぎだった。

だが、徹底して最低であってくれたが故、中途半端な悪役ではなく、純粋悪としてベルや野獣、モーリスに立ちふさがってくれた素晴らしいキャラクタ―であるとも言える。

 

具体的なエピソードを述べていこう。

 

①モーリスを殴る

アニメ版・実写版ともに野獣の城から解放されたモーリスは、街の酒場でガストンに助けを求めるが、その後の経過が少々異なる。

 

◇アニメ版

相手にされず、モーリスは一人で野獣の城を探しに街を出る。

 

◇実写版

ガストンとル・フウが助けに行こうと名乗り出るが、なかなか野獣の城にはたどり着けない。ガストンが痺れを切らし、狼が出てくる森の中でモーリスと喧嘩。

 

モーリス「娘とは絶対に結婚なんてさせない」

ガストン「は?」

 

ガストンの正確の悪さがここで発揮されるのだけれど、その後ガストンは

Step1.モーリスを殴る

Step2.縄で縛る

Step3.狼が出る森に放置して自分らだけ街に帰る

と街一番の人気者とは思えない極悪非道っぷりを発揮。

 

その後運よく魔女に救われて街に帰ってきたモーリスとご対面したが、モーリスなど大衆を味方につけているガストンの敵ではなかった。饒舌な舌でモーリスを精神病患者と決めつけ、病院送りにしようとする。

 

まぁこの後のシナリオは、アニメと同じで、ガストンと町の住民たちが野獣の城に乗り込んでいくわけだが、ここからもガストンの卑劣さが際立っていく。

 

②野獣との戦闘に度重なる銃火器

クライマックスシーン、野獣とガストンがぶつかりあう。

せめて町一番の腕っぷしをこのシーンで発揮してくれればよかったのだが、野獣にケガを負わせたガストンの攻撃は全て銃火器での遠距離攻撃であった。

しかも、うち一回は命乞いをした後の不意打ちである。


「美女と野獣」♪ガストン

↑なお、youtubeの公式動画ではカットされているが、このシーンで彼は不意打ちが得意と公言している。だからと言って、本当に不意打ちでヒーローを死に追いやるなよ。

 

そして結果的には、橋の陥落に巻き込まれて死亡。

 

徹底的に最悪なうえに、あっけない死を遂げたガストン様。

しかし性格はひん曲がっていたが、その外見上の美貌と根拠のない自信、そしてベルを手に入れるためになら何でもやるという真直ぐな意志は、強力な個性として見る者すべてを魅了していた。

 

ちなみに、エイプリルフールにこんな企画が持ち上がるほど、彼はディズニー公式的にも推しメンである

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悪役が黒くあればあるほど、ヒーローは光輝く。それを再認識させてくれたのが、僕らの人気者ガストン様だったのだ。

 

プリンセス映画の実写化では、男性の深堀がすごい

実写版「美女と野獣」の魅力であるキャラクターの掘り下げについて書いていたが、男性陣の話ばかりで、肝心なエマ・ワトソン演じるベルについて一切書いていなかった。

が、率直な感想を言ってしまうと、ベルはアニメ版でも十分にキャラクターが描かれていたので、実写版で描写が増えても「ベルの知らない一面が見れた!」という印象は持たなかった(原作アニメーションのベルというキャラクターを完璧に演じきったエマ・ワトソンは素晴らしい、とも言える)。

 

まぁそれも当然と言えば当然であり、ベルは「美女と野獣」における主人公である。ディズニープリンセスが登場する作品において、プリンセスへの描写が甘い作品はまずない(「アラジン」はディズニープリンセスが登場する作品でありながら、主人公がアラジンだったので、重きは彼の描写に置かれていたが、それでもプリンセスジャスミンの描き込みが甘いという印象はなかった)。

 

しかし一方で、「王子様がどういう人物なのか」がよくわからないディズニープリンセス作品は結構多い。

 

例えば、シンデレラとか。アニメ版ではちょい役ぐらいの登場だった。


夢はひそかに (シンデレラ)

 

しかし、実写版では王子様のバックグラウンドに結構な時間を割いている。


映画『シンデレラ』日本版エンドソング「夢はひそかに (Duet version)」

 

昨今ディズニー長編アニメーションの実写化が増えてきているが、そのうちのプリンセス物2つは共通して「女性だけを描くストーリー」ではなくなっていると思う。

それは「女性がプリンセスに感情移入するには、恋する相手である王子様がちゃんと絵が描かれていないといけないから」かもしれないし、「僕みたいな男性が見ても楽しめるように女性の一辺倒な恋心だけを描くわけにはいかないから」かもしれない。

理由は定かではないが、いずれにしてもちょっとだけリアリティを持たざるを得ない実写映画を作るにあたって、登場人物に人間味を持たせようと努力するのは良いリメイクの方向性だと感じた。

 

ちなみに、「美女と野獣」を見て、僕が純粋に抱いた感想は

「ベルが可愛い」

「野獣でもベルと結ばれる。まだ僕にも希望がある」

であった。

 

こういうチョロイ男性も幸せにできるプリンセス映画に感謝を伝えたい。